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『048:熱帯魚』C ………………
 二学期が始まり、一週間が過ぎる頃になっても恭司が比呂をセックスに誘うことはなかった。関係が始まった最初の一ヶ月が嘘のように、たったの一度もセックスしないまま一ヶ月近い時間が過ぎたことになる。
 だが、恭司は相変わらず比呂には砂糖菓子のように甘かった。二人の関係は、ハタから見た分には何も変化していないように見えただろう。それどころか、以前にもまして比呂を甘やかす恭司を見て生徒会の面子は半ば呆れながら、
「相変わらず熱いねー」
と冷やかしてくるのだった。祐も苦笑しながら二人を見ているだけで、あれ以来何も言ってはこない。ただ、比呂だけがそんな状態を針のむしろのように感じていた。なまじ体を要求されないことが負担になっていた。一方的に与えられる好意は、自分に負い目がある場合にはプレッシャーにしかならない。体だけの関係だと思い込んでいた最初の頃の方が、精神的には楽だったような気さえした。
 セックスをしてないにも拘らず、比呂を見る周囲の目だけはなぜかはっきりとわかるくらい変化していて、時々、下世話な冷やかしを投げられることが増えてきた。あからさまに、セックスをしないかと上級生の男に誘われることさえあった。侮辱されたと思い、比呂が冷たく拒絶したらその男はあっさりと引き下がったが。
「つまんねーの。身持ち固いんだな。ま、倉持があんなにメチャメチャになってんだから仕方ないかー」
と笑いながら男が言った言葉が棘のように比呂の胸の中にチクリと痛みを残した。
 自分のことをハタから見てもわかるくらい変えてしまったのは自分の癖に、今は比呂に触れようとしない恭司に苛立ちを覚える。発散できない性欲を自分で処理する時、思い出すのは恭司とのセックスだけになっている自分に気が付いて、比呂は泣きたいほど自己嫌悪に陥った。
 正直に言ってしまえば、比呂は恭司とセックスがしたくて仕方がなかった。まっさらで何も知らなかった比呂に強烈な快感を教え込んでしまったのは恭司だ。比呂は恭司しか知らないが、何となく体だけの相性で言えば自分と恭司は酷く合うのではないかと思う。
 比呂と恭司がセックスを絶ってから丁度一ヶ月。それだけ経過した日、比呂は意を決して恭司の部屋を訪ねることにした。一方的に与えられる好意に返せるものがないから。体だけでも返せば少しは気が晴れるかもしれないから、とアレコレ自分の中で言い訳を用意して。
 誘われたわけではないのに家を訪ねてきた比呂に、最初恭司は驚いたような顔を見せ、それから嬉しそうな屈託の無い笑いを浮かべた。促されて、そわそわした気持ちのまま比呂は恭司の家に入る。熱帯魚の水槽の前を通り過ぎる時も、いつもなら暫くその前でじっと熱帯魚を眺めているのだがその時ばかりは、視線も上滑りしがちだった。けれども、違和感を少しばかり感じて立ち止まる。
「アレ? 先輩、瑠璃スズメ増えてない?」
「ああ。比呂がスキだって言ってたからこの間買い足した」
 あっさりとさり気ない優しさを見せられて、比呂は黙り込む。瑠璃スズメダイは決して安い熱帯魚ではないはずなのに。恭司の優しさが胸にズキズキと痛い。対照的にセックス目当てに恭司のところに来た自分が浅ましく思えて軽い自己嫌悪に陥ってしまった。だが、そんな比呂には気が付かないのか恭司は明るい調子で、
「比呂が自分から来るなんて珍しいな。何かあったのか?」
と聞いてくる。比呂はギュッと手の平を握り締めて暫くの間逡巡していたが、戸惑いがちに視線を恭司の目に合わせた。
「あのさ。……何で、最近、先輩、セックスしないの?」
 小さな声で、言葉を区切りながら聞いてみれば恭司はとても困ったような表情で比呂をじっと見下ろしてくる。
「…比呂がイヤなのかと思った」
 渋々と返された答えに、比呂は不思議そうな表情で首を傾げる。セックスそのものに関してだけ言えば、比呂はイヤだと思った記憶はない。恥ずかしいとか、自分が浅ましくて嫌だと思うことはあってもそれはセックスそのものに対する嫌悪ではなかったということに比呂は改めて気が付く。
「な、何で? 俺、イヤじゃないよ。先輩とするの」
 遠慮がちに否定すると、恭司はますます困惑したような表情を深めた。
「あ、あのさ。…俺、先輩としたいんだけど。…ダ、ダメかな?」
 恭司の目を見て言う事ができずに、比呂は俯いて、恭司の袖の辺りをキュッと握り締めて告げる。瞬間、頭の上で息を飲み込む音が聞こえて、それから深々とした溜息が聞こえた。
「比呂。我慢できなくなるから、そういうのよせよ」
 心底困ったような声が頭の上で聞こえて、比呂は思わず顔を上げる。恭司は眉を顰めて、何かを必死に堪えているような苦しそうな表情をしていた。そんな表情をさせているのが自分かと思うと、ずっと痛み続けたままの胸が更に痛みを増した。
「何で我慢すんの? 俺に…飽きた?」
「馬鹿なコト言うなよ」
 恐る恐る尋ねた質問は即答で否定される。それに少しだけ比呂は安心して、そっと恭司の大きな手に自分の手を滑らせると軽く握り締めた。
「じゃ、しようよ。…あ、俺…たまには俺がやってあげるよ」
 ドキドキと激しく動悸を刻む心臓を意識しながら、比呂は恭司の目の前にひざまずいた。そしてそのまま、震える手で恭司の制服のズボンを寛げさせる。比呂の行動に恭司は大きく目を見開いて、それからすぐにらしくもなくうろたえ始めた。
「ひ、比呂! そんなことしなくていい!」
「何で? 先輩はいつもやってくれてたじゃん。俺もする」
 比呂の頭を止めようとする恭司の手は動揺しているのか力無い。それをいいことに比呂はその手をやんわりと押しのけると何の躊躇もなく恭司の性器を口に入れた。
 数ヶ月前の自分だったら、こんなことをするのは不可能だっただろう。恐らく恭司の家に入り浸り頻繁にセックスしていた時も。だが、今、比呂は何の抵抗も感じていなかった。
 自分がされていたことを一生懸命思い出しながら、それを真似るように恭司の性器に舌を這わせる。戸惑い、動揺していたはずの恭司だったがやはり男の生理は正直なのだろう。すぐに、それは硬く立ち上がり始めた。恭司が少しは快感を感じているのだとその反応から知り、比呂は安堵する。そのまま、さらに口での奉仕を続けていると、やんわりと髪の毛をつかまれ口からソレを離された。
「先輩?」
 訝しげに比呂が恭司を見上げれば、やはり困ったような顔で比呂を見下ろしていた。
「…それ以上されるとヤバいから」
 珍しくバツが悪そうに言い淀む恭司に、比呂は言いたいことを悟って立ち上がった。
「あの…あのさ。俺、上に乗ろうか? 前、やって欲しいって言われた時、できなかったから」
 恭司の顔を見ないように俯いたまま、早口で比呂はそう告げると、少し強引に恭司の体をソファの上に押しやった。らしくない比呂の態度に恭司は驚いているのか、そのままあっさりと押し倒されてしまう。
「…比呂? お前、今日変だぞ?」
「どうして? 変じゃないよ? それとも、先輩はこういうのイヤなの?」
 不安げな瞳を向けて尋ねれば、恭司は困り果てた表情で、
「イヤなワケないだろ。でも…」
と比呂を見上げた。拒絶されなかったのをいいことに、比呂はさっさと制服を脱ぎ捨てて恭司の見ている前で自分の準備を淡々と進めていく。そんなみっともない所を見られているのは羞恥の極みだったが、その時の比呂の頭の中には、純粋に恭司を気持ち良くさせたいという思いしかなかった。
 相変わらず戸惑った様子で、比呂を止めようか止めまいか迷っている恭司をよそに、比呂は恭司の上に跨ると自分から恭司を受け入れ始める。久しぶりの行為にソコが微かな痛みを訴えたが、比呂はそれを無視して腰を落とし最後まで恭司をくわえ込んだ。そのまま無意識に深々と息を吐き出すと、恭司が、ウッとくぐもったうめき声を上げる。荒い息をつきながら恭司を見下ろせば、眉間に皺を寄せて何かを我慢しているような表情をしていた。
「先輩…ンッ…気持ち、イ?」
 少しずつ腰を持ち上げながら尋ねると、意識しなくても甘ったれた声になってしまう。恭司は目を細めて、苦笑を浮かべたまま、
「ん。すげえイイ」
と答えた。それに安堵して比呂はそのまま腰を揺らし始める。最初は恭司を気持ちよくしようという意図があって動いていたはずなのに、次第に自分の快感を追うような動きに変化していった。行為に没頭し始めて、何もかも放り投げて夢中になり始めた頃に、唐突に腕をつかまれ比呂は恭司に動きを止められる。
「ヤッ! ヤダ! やめないで!」
 頭を振りながら喘ぎの合間に訴えると、恭司は繋がったまま器用に比呂の体をひっくり返して位置を入れ替えてしまった。
「悪い。場所交代」
 短くそれだけ告げると、恭司は早いピッチで動きを再開する。すっかり体に馴染んでしまった快感が比呂の脳髄をグズグズと犯し始め、気が付けば比呂は恥も外聞もなくよがり声を上げていた。
「気持ちイイ?」
 自分も切羽詰まっているだろうに、恭司が意地悪な声で聞いてきて比呂は何度も頷く。
「イイッ…気持ちイイッ! もっと…もっとして!」
「こうされるの好き?」
「スキ、スキ!」
 それは、いやらしく尋ねられて答えただけの言葉のはずだった。深い意味など全くない。だが、まるで何かのパズルのキーワードであるかのように比呂の頭の中にストンと落ちてくる。それを口にすると快感が何倍にも増すことに気が付いて、比呂は夢中でその言葉を繰り返した。
「センパイ! スキ…スキ!」
 恭司の首にしがみ付きながら壊れた蓄音機のように言い続ける。一回スキだと言う度に、胸の中に溜まっていた澱が消えていき、抑圧されていた何かが解き放たれていくかのような開放感が比呂を満たした。
 結局、いつものように頭が真っ白になって、落ちていく感覚に襲われた瞬間ですら、比呂はその言葉を言い続けていたのだった。



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