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『048:熱帯魚』A ………………
 とにかく、倉持恭司という人間はとんでもなくいやらしい男なのだと、比呂は思った。清廉潔癖という言葉が似合う祐とは正反対の位置に存在する。
 強引に連れ込まれた恭司の家は、新築に近い綺麗なマンションだった。今日は両親とも遅くまで帰ってこないから、と囁かれてソファの上に押し倒され、そのままキスされた。比呂にとっては初めてのキスだったが、それは、とても初心者に施すような類のものではなかった。情熱的といえば言葉はいいが、比呂にしてみれば淫猥でいやらしいキスでしかなかった。
 いきなり舌を突っ込まれ、逃げ惑う自分の舌を執拗に絡め取られた。そうかと思うと今度は舌が痛くなるほど吸い上げられる。上顎や歯の裏をねっとりと舐め嬲られ、無理矢理相手の唾液を嚥下させられた。ようやく唇が解放される頃には互いの唾液が混ざり合って、顎の辺りまでグチャグチャになってしまった。あまりの展開の速さについていけず、恭司の強引さと性急さに恐れをなして、比呂は半泣きの状態だったが恭司は聞く耳を持たなかった。
「本当に俺のことを好きなのか信用できない」
 そう言われてしまえば、比呂は言うことを聞くしかない。今更、嘘でした、ゴメンナサイ、が通用しないことはさすがに恋愛経験が著しく乏しい比呂にも理解できた。
 まるで、いつものふざけた態度が演技だったかのように、恭司はセックスが終わるまで一度たりとも笑顔を見せることはなかった。怒っているようにも見える真剣な表情で、あっという間に比呂を未知の世界に無理矢理叩き込んでしまったのだ。
 何とか時間を稼ごうと、シャワーが浴びたいと言えばバスルームに引きずり込まれ、体の奥の奥まで洗われた。こんな恥ずかしくて汚いことはイヤだと必死に訴えても、そうしないと後がキツイからと言われて、今まで経験したことのないような恥ずかしくて惨めな仕打ちを与えられた。だが、その後待っていた行為はそんなものではなかった。
 まだ、完全に大人になりきっていない比呂の性器を恭司は無理矢理剥き出しにさせて、敏感過ぎて痛みすら感じるそこを手や口で散々嬲った。拙い自慰しか知らなかった比呂にとってはあまりに刺激が強すぎて、何度か気を失いかけた程だ。だがその度に恭司はそれを許さず、比呂を引き戻す。もう、何度射精してしまったかわからなくなった頃には、比呂は恥も外聞もなく、
「ゴメンナサイ、許して」
と泣き喚いていた。けれども、更に恐ろしい行為が先には待っていて、時間をかけてドロドロに体中溶かされて結局、最後には恭司の性器を咥え込まされてしまった。この姿勢が一番楽だからと何の救いにもならない説明をされ、四つん這いになって後ろから突っ込まれた。
 犬みたいな格好で、恥ずかしくて惨めな思いを延々とさせられる苦痛。想像もしたことのない、力で押さえつけられることの恐怖。だが、比呂が一番恐ろしかったのは、その行為で快感を感じてしまったことだった。
 グジュグジュと水っぽい音を立てて、恭司のソレが出入りするたびに、比呂の内臓はひっくり返りそうになる。圧迫感と苦しさが確かにあるくせに、なんともいえない感覚の波が押し寄せて比呂を混乱に陥れていた。
「ヤダッ! 何? 何? コレ、イヤ、怖い! ヤダ!」
 経験したことのない感覚に、比呂はそれが快感であるとは認識できず、恐怖におびえて必死で頭を振る。
 ダイジョウブ、コワクナイ、カワイイナ、と頭の芯に響くような低い声が耳元で囁いたが、比呂がその言葉の意味を理解することはなかった。落下していくような奇妙な錯覚。
「ヤダ! アアッ! ウソッ! アアッ!」
 ギュッとシーツにしがみ付けば、後ろから突いてくるピッチが急激に上がり、いつのまにか比呂は無意識に腰を揺らしていた。恭司の動きにあわせるように腰を振っていると、頭の中が真っ白になっていく。何かが目の前で弾けたような気がして、それから暫くの間、比呂は何が起こったのか全くわからずに、ただ、ぼおっとシーツの上に突っ伏していた。
 自分の体は一体、どうなってしまったのか。まるで夢の中の出来事のように意識が断片的に途切れる。それが、バチンと元の位置に戻ってきたきっかけは、恭司の、
「スゲー良かった」
という言葉だった。この男は何を言っているのだろうかと比呂がぼんやりとその顔を見上げれば、やっぱり、どこか自分を小馬鹿にしたような、子供をあやすような笑顔を向けられた。
 半ば感情が麻痺したまま、比呂は自分が弄ばれたのだろうかと思う。据え膳食わぬは武士の恥、などという陳腐な言葉が頭に浮かんで、そういえばこの男は周りから散々『タラシのロクデナシ』と呼ばれていたなと思い出した。
 こんなことになったのは、余りに馬鹿馬鹿しくて愚かなことを思いついてしまった自分への罰だったのだろうかと比呂は自嘲的な笑みを零す。
 好きでもない男に好きだと嘯いて、無理矢理犯されて、ポイ捨てされるなんてなんの冗談だろうかと思ったら、笑いが止まらなくなって困った。

 だが、どうしたことか比呂は恭司にポイ捨てされることはなかったのだ。何が気に入ったのかはわからないが、それ以来、度々恭司は比呂を呼び出してセックスの相手をさせた。そして、その関係は夏休みに突入してしまった今でも継続中なのだった。



■ ■ ■



 恭司とセックスする関係になってから最初の数回は、とにかく比呂には全く余裕がなかった。比呂の体を隅から隅まで作り変えようとでもするかのように、恭司は比呂の体を開発しまくった。項は舌で舐め上げられる方が感じる。耳と首筋は強めに噛まれた方が気持ちがいい。乳首は右より左の方が敏感で、前立腺は少し奥のほうだから、深く突かれるのが好き。
 そんな知りたくもない事を、恭司は一つずつ比呂の目の前で紐解いていき、その度に比呂は自分の体の変化に怯え、自己嫌悪に陥った。
 もう、既に最初の目的など忘れかけていた。だが皮肉なことに、比呂が忘れかけている目的は何だかんだといって達成されていた。恭司は新しい玩具を手にした子供のように、比呂の体に夢中になっているらしかった。もちろん、それがいつまで続くのかは分からない。そう長い事ではないだろうと、比呂は薄々感じてはいたが、少なくとも今は恭司が祐と一緒にいる時間よりも比呂と一緒にいる時間のほうが圧倒的に長くなってしまったのは確かだった。その事実が、比呂を少しだけ慰めた。

 それと、熱帯魚。

 恭司の家には馬鹿でかい水槽があって、そこには色とりどりの様々な熱帯魚が泳いでいた。その水槽の存在に気が付いたのは、比呂が恭司の家に通うようになってからかれこれ2週間は経過した頃だった。その頃になって、ようやく比呂も自分の置かれた状況に慣れてきたからなのだろう。悲しいかな、人間とは慣れる生き物である。どんなに惨めでも、情けなくても状況には慣れてしまうものだ。
 ヒラヒラと水の中で優雅に泳ぎ回るそれを見ると、比呂の気持ちは少しだけ凪いだ。もともと、海や水族館といった水に関する場所が比呂は好きだった。自分でも、何度か熱帯魚を飼おうかと思ったこともある位。だが、機材を買い揃えるとお金が掛かりすぎるのと、上手に育てられずに魚を死なせてしまうのが怖かったせいで、断念していたのだ。
 ある時、セックスの後で水槽の前に陣取りぼんやりとその熱帯魚を見詰めていると、恭司が後ろから比呂を抱きこんで、一つずつ魚の説明をしてくれた。膝の上に座らせて後ろから抱っこし、分かりやすく丁寧に説明する恭司に、やはり子ども扱いされている感が拭いきれず、比呂は抵抗を感じていたが、魚の説明だけはきちんと聞いた。

 色も形も綺麗なエンゼルフィッシュの種類で、白と黒の縞模様なのがアルタムエンゼル。それに少し似た形で、尻尾が黄色いのはハタタテダイ。それよりも小さくて、白と黄色と黒の模様が鮮やかなのがクマノミ。クマノミと同じスズメダイの仲間で体が青くて尻尾が黄色いのはソラスズメダイ。黄色いのはレモンスズメダイ。瑠璃色一色なのが瑠璃スズメダイ。

 恭司の説明を聞きながら、比呂はふと、なぜそんなにこの男が熱帯魚に詳しいのかと疑問に思った。尋ねれば、恭司が好きで熱帯魚を買い集め、世話も自分一人でしているのだと教えてくれた。
 いつもふざけてばかりで、軽薄で、タラシな恭司には何となく似合わない趣味だと思い、比呂は違和感を禁じえなかったが、楽しそうに熱心に魚の話をしている姿を見ていると、そういうのもありなのかな、と思うようになった。
 セックスでドロドロに汚れて自己嫌悪まみれになっている自分を癒してくれる熱帯魚。恭司の家にはそれを見に来ているのだと比呂は自分を誤魔化し続けている。けれども、頭の片隅ではわかっているのだ。自分は恭司とのセックスに溺れている。感情など伴わなくとも、快感さえあれば簡単に人間はセックスに嵌ってしまうのだという事を比呂は一足飛びに知ってしまった。
 ほんの一ヶ月前はセックスはおろか、キスさえした事のなかった自分。誰かと付き合ったことはなくても、恋愛という幻想に儚い憧れは抱いていたはずだったが、現実はこんなものだ。すっかり荒みきってしまった気持ちで、比呂は夏休みの大半の時間を恭司の家に入り浸ってすごした。頭の中を空っぽにしてしまえば、残るのは中毒になるような快感だけ。考えることを放棄して、熱帯魚の水槽が見えるソファの上で何度も恭司に抱かれる。奔放に甘ったるい喘ぎ声を上げながら、視界の端に入ってくる熱帯魚。いっそ、こんな煩わしい体なんて捨ててしまって、あの魚になれないかなあ、などと頭のネジが外れたような事を思った。




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