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『004:マルボロ』 ………………………………

 *変態寮シリーズそのA




「おい。薫。オマエ、中国語のレポートどうするんだよ?」
 ノックも無しに唐突にドアから声が掛けられる。三倉薫が顔を上げれば、いつでも表情の読めない能面ヅラの笠井弘毅が咥えタバコのまま呆れた表情をしているのが見えた。框スレスレの長身を鬱陶しそうにドアに凭せ掛けている。
「アレ? 今日だっけ?」
 現在の状況も省みず、あっけらかんと薫が尋ねれば笠井は心底呆れたように溜息を吐いた。
「レポートの提出、明日だつってたのオマエだろーがよ。俺は、別にどうでも良いけどナ」
 フウと煙草の煙を吐き出しながらダルそうに告げる。薫は、
「なんだってサ。大杉センパイ。俺、行って良いカナ?」
 と、自分に圧し掛かっている男を見上げ、ニッコリと無邪気な可愛らしい笑顔を向けて尋ねた。
「…良いかなって。お前、臨戦態勢のコレ、どうしてくれんだよ?」
「うーん。手でして上げても良いんだけど、多分、笠井センパイ待ってくれないと思うんだよね」
「察しがいいな。俺は、待つのは嫌いでナ」
 速攻で肯定された答えに、
「ホラね」
 と、やはり薫は可愛らしい顔で告げる。大杉は、深々と溜息を吐いてみせると、渋々と言った様子で薫の上からその体を退かした。
「笠井センパイ、恨みますよ」
 じっとりと上目遣いで笠井を睨みつけながら、大杉は情けなくも勃ちあがっているソレを窮屈そうにジーンズの中にしまい込む。
「筋が違うだろ。恨むなら薫を恨めよ。俺はどっちでも良いんだからな。何だったら、オマエが薫の中国語レポート面倒見てやれよ」
「…俺の第2外国語、ドイツ語っスよ。分かってて言うんだから、もー」
「えー? 大杉センパイ恨まないでよ。次は、道具とか使ってもいいからさ」
「俺、道具使うの好きじゃねぇんだよ」
「じゃ、クスリ使うー?」
 服を調えた薫が入り口まで来てそう言えば、後頭部をバシンと笠井に叩かれた。
「った! 何すんだよ!」
「クスリは厳禁つったろーが」
「なんでー! ? ダイジョウブだって、違法なヤツは使わないからサ」
「煩せえ、寮長の俺が禁止つったら禁止なんだよ」
「うわ! 横暴」
 そう言いながら、わらわらと三人で部屋を出て行く。大杉が右に曲がり、薫と笠井が左に曲がった所でようやく喧騒は収まった。
「そういや、今日、白井は?」
 二人きりになった所で、笠井が薫に尋ねると、薫は馬鹿馬鹿しいといった風にフンと鼻を鳴らした。
「梓のトコじゃないの?」
「ふーん。梓と白井ってデキてんのか?」
「知らないよ。っつーか、ヤってるでしょ。3ヶ月経ってるのに梓が手ぇ出して無いと思う?」
「思わねぇな」
 桜木梓は、見た目は温和で穏やかそうに見えるが決して真面目なオトコではない。分類するなら鬼畜か外道にカテゴライズされるだろうが、今のところ、白井瑞樹は気がついていないらしい。白井が入寮した当初は、そのフェロモン撒き散らしの外見にかなりの人間が騒いでいたのだが、梓が本気で白井を狙っていると知れたとたんに、その殆どが脱落してしまった。今では触らぬ神に祟りなしとばかりに、誰もが二人を静観している。横からチョッカイを出そうとしているのは横暴を絵に描いたような寮長笠井と、副寮長御影だけだ。もっとも、その二人も白井を狙っているというよりは、梓をおちょくりたいが為に手を出している、といったきらいもあるが。

「先にヤんのか? それとも、レポートが先か?」
 笠井の部屋についた途端に、色気もへったくれも無い質問をされて薫は辟易する。笠井に中国語の面倒を見てもらう時の交換条件でセックスしているが、相変わらず情緒の無いオトコだと薫は肩を竦めた。もっとも、薫自身情緒だのムードだのは求めていないのだが。
 体の欲求を満たしてくれればそれで良い。薫にとっては誰とセックスするのも大差は無いのだ。実際、薫の節操無しはあまりにあからさまだったが、なぜか、この寮内では薫を公衆便所呼ばわりしたり、扱いしたりするヤツは一人もいない。
 目の前のオトコが、どうやら裏で余計な根回しをしているせいらしいが、そんな事はどうでも良い。薫には関係が無い。
 『オトコの調達は寮内で。』
 薫ただ一人にだけ架せられている寮則は、入寮した二日後に笠井から下された。外での夜遊びが過ぎ、クスリでラリっている所を、どう見てもヤバい職種の男達に輪姦された日に笠井に強引に納得させられたのだ。そんな、寮内でしか通用しない「個人用規則」がこの通称『変態寮』の中にはいくつかあるらしい。それらは全て笠井と御影から下されているのだが、なぜか一人として逆らう人間はいなかった。二人が、横暴だとか、自己チュウだとか散々文句を言われているにも関わらずだ。
 恐らく器の大きさと、その采配の上手さに結局は誰もが一目置いているからだろうと薫は思っているが、薫自身は笠井に何の感慨も無い。可愛らしく甘えたり懐いたりする振りをしながら、笠井を心の底ではバカにしている。それを笠井は気がついているはずだ。それなのに決して何も言わない。無表情で薫を抱くだけ。そこが一番薫の癪に障るのだ。
「んー。エッチ先で良いや。起きれなかったら、笠井センパイが俺の筆跡真似してレポート作ってくれるんだよね?」
 首を傾げて、ナナメ45度の角度で見上げてやる。一番可愛く見える角度だと、どっかのバカが言っていたので、それ以来使っている手段だが、意外に引っ掛かるオトコが多いので笑える。もちろん、笠井には効かない。効かないと分かっているがわざとそうしてやる。
 笠井は相変わらず感情の読めない無表情のまま、煙草を灰皿に押し付けるとそのまま薫をベッドに押し倒す。決して乱暴では無いが、どこか事務的な仕草。まるで、医者が患者を手当てする時のような。その癖、体の相性は抜群と来ているので始末に終えなかった。
 今までセックスしてきた男の中で一番相性が合うかもしれない。笠井は、無表情のまま、自分は冷静なまま薫を抱くが、いつでも薫はいっぱいいっぱいの状態に追いやられてしまう。そう言う所も癪に障る。


 重なってくる唇は、煙草のにおいがした。
 苦味のある舌は、きっと、彼と同じ味がするのだろう。笠井と彼は同じ銘柄の煙草を吸っているのだから。
 薫自身は煙草を吸わないのであまり銘柄には詳しくないが『マルボロ』と言う種類だといつだったか笠井に聞いた。


 絶妙なリズムで体をゆすり上げられ、突き上げられて薫は演技ではない喘ぎ声を上げまくる。下手なプライドは普段はすぐに投げ捨ててしまうのに、なぜだか笠井とセックスする時だけは上手く行かない。好きなだけ声を上げた方が快感は大きくなると分かっているのに、無理に声を抑えようとして失敗してしまう。
 抑えようとして、それでも思わずこぼれてしまう喘ぎ声のほうがいやらしく聞こえると言うのは皮肉な話だ。
 荒い息を吐き出しながら、朦朧とする頭で必死に焦点を合わせる。見上げた笠井の表情はやはり隙が無くて、薫の胸はダイレクトに感じている快楽とは裏腹にムカムカとした。
 (アンタとセックスするのは、あの人と同じ煙草を吸ってるからなんだよ。)
 胸のムカつきを逃すために、薫は心の内だけでそう叫ぶ。だが、押し寄せる快感にすぐに飲み込まれてしまい、頭の中は真っ白に焦点を失ってしまった。



「薫、オマエ知ってンのか?」
 情事の後、笠井は必ず煙草を吸う。ぐったりとベッドに横たわったまま、薫はその横顔をぼんやりと見上げていた。セックスの後に煙草を吸うオトコは最低だと思っていたはずなのに、笠井のソレは妙に絵になって、それも頭に来る。
「知ってるって? …何を?」
「三倉助教授(センセイ)、婚約するって噂ンなってるけどな」
「あー、ソレ」
 三倉助教授は笠井の所属している情報電子研究室の担当教官だ。しかも、薫の血の繋がらない兄でもある。薫がまだ小学生の頃、コブ付の親同士が結婚したため兄弟になった。
「本当なんじゃない? 俺、この間、相手のオンナと一緒に食事したけど」
 大したオンナじゃなかった。俺よりもブサイクだったとは心の中だけの言葉で口には出さない。
「へえ。ま、でも、近々破談だろうな」
 含みのある口調で笠井は皮肉っぽく笑う。このオトコの、こう言うところが本当に大嫌いだと思いながら薫は横たわったまま笠井を睨み上げた。煙草をふかしながら、笠井は薫の体を指でなぞる。それは、愛撫のようでありながら決してそうではない事を薫は知っていた。
 指は首筋を撫で、肩を通過して左腕に移動する。最終的には薫の左手の手首でピタリと止まった。大分薄くなってしまって、ぱっと見では分からない傷跡がその場所には残っている。
「バカなことも程ほどにしとけよ」
 酷薄に見える、嘲笑のような笑いを浮かべて笠井は言った。薫は悔しそうな表情で唇を噛み締める。だが、アンタに何が分かるんだと、叫びたい衝動は一瞬だけのこと。
「何のことか分かんないんだけど?」
 すぐに、いつもの無邪気で可愛らしい笑顔を浮かべてそう言えば。
「そういや、三倉センセイの吸ってンのもマルボロだってな」
 不意に、無表情に戻った笠井が告げた。薫はさすがに、それには二の句がつなげない。疲れ切った様に深々と息を吐き出すと、思いの外優しい手が薫の髪をクシャリとかき回した。





 落ちてきた唇は、やっぱり吸いたてのマルボロの味がした。
 



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