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『017:√』 ………………………………

 *変態寮シリーズその@



 コンビニから帰ってきた白井瑞樹の耳に真っ先に入ってきたのは、寮で同室の三倉薫のAV女優真っ青な喘ぎ声だった。
「アアンッ! もっと! もっとして! イイッ!」
 男にしては些か高い甲高い声だが、薫は正真正銘の男だ。ちゃんと付くものも付いている。見た目の可愛らしさに反して、案外でかかったりする。完全に立った状態で比較したら瑞樹は負けるかもしれない。だが、瑞樹が小さいわけではない。その辺の言い分は微妙だが、瑞樹は自分は標準サイズだと思っている。
 またかと思いつつも、半開きのドアを開ければ、ここ一ヶ月の間何度も見かけた光景が目に入った。四つん這いになった薫が後ろから男に突っ込まれてよがっている。しかも、相手の男は同じ寮の住人の大杉だ。
 (…ドアくらい閉めてヤれよ…。)
 そう思いながら何の遠慮もなくズカズカと部屋の中に入り、コンビニの袋を机の上に放り投げる。何を遠慮する必要があろうか。この部屋は薫の部屋でもあるが、れっきとした瑞樹の部屋でもあるのだから。
 グシャンとビニール袋がひしゃげる音がして、薫だけが視線をこちらに向けたが大杉は全くの無視だ。
「ヤンッ! アアッ! しら…いっ、ゴメンネッ! アッ…アンッ…もうちょっと…で、終わる…ンッ」
 ヤりながら、平気で声を掛けてくる薫に呆れながら瑞樹はガタンと乱暴に机を開けるとノートと筆記用具、専門書を取り出した。
「イヤ、ウルセーから隣行く。どうぞごゆっくり」
 それだけ言うと、瑞樹はアホらしいとばかりにさっさと部屋を後にした。

 それにしても、一ヶ月でよくもここまで順応してしまったものだと思う。初めてナマで男同士のセックスを見た時は、あまりの衝撃にあんぐりと空けた口を閉じることも忘れて硬直したものだ(ちなみにその時も場所は自室で、ヤっていたのは薫だったが相手は大杉では無かった)。だが、毎回そんな事を気にしていては正直この寮では神経が持たない。
 別名『変態寮』。
 在校生にはかなり有名な話らしいが、地方のド田舎から上京してきた瑞樹には全くの寝耳に水だった。瑞樹が進学した大学にはもう一つ寮があり、そちらは設備も大分上等だが値段も3倍で貧乏学生の瑞樹には選択の余地は無かった。とにかく安い下宿先、と思って飛びついたのが間違いの始まりだったのだが、今更悔いても仕方が無い。とんでもない無法地帯の寮ではあるが、住めば都とは良く言った言葉だと思う。他人の言動に無神経になれれば、それなりに気楽な住処だと瑞樹は早々に自分を納得させた。



「桜木、部屋貸して」
 無愛想にそれだけを告げて、ノックも無しに隣室にもぐりこむ。部屋の中では桜木梓がヘッドホンをして、机に向かいペーパーバッグを読んでいた。
「何? 隣、取り込み中?」
 ヘッドホンを外しながら、含み笑いを浮かべて梓が問いかけてくる。その切れ長の目はどこか悪戯っぽく、油断がならない印象を人に与える。梓の人柄は柔和で穏やかだが、なぜか瑞樹はいつも尻の座りの悪さを感じてしまうのだ。それでも、気が付けば一番一緒にいる時間が長いのが梓なのは瑞樹本人にも未だにナゾだった。
「取り込み中も取り込み中、真っ最中」
 そう言いながら、空いている机にノートを広げる。梓は瑞樹の言葉にゲラゲラと顔に似合わぬ下品な笑い声を上げて、再びペーパーバッグに目を落とし始めた。



 目の前の課題に集中していると、スッと微妙な手つきで耳の後ろを撫でられて、瑞樹は思わず体を竦めた。反射的に背筋に電流が走る。耳の後ろが実は弱いのだと知ったのは、この寮に入ってからだ。しかも、梓にそれを教えられた。
「何っ?」
 体を竦めたまま後ろを振り返れば軽く肩に手を乗せられ、横から梓にノートを覗き込まれた。
「うっわ。なにこれ? アラビア語?」
 からかうように梓が話しかけてくる。自分のすぐ後ろに立たれることが、何となく無防備な部分を明け透けに晒しているようで、僅かな抵抗を感じながらも瑞樹は梓をそのままにしておいた。
「ちげーよ。数学基礎概論演習の課題」
「ゲェ。数学科ってこんなことしてんの? 宇宙人だね」
「んだよ。やりゃ、面白いぜ?」
「俺、√とか出て来た時点で数学はかなりアップアップだったけどなあ。虚数とか、何じゃそりゃって感じ」
「桜木って人文だっけ?」
「そ。哲学専攻」
「でも、数学も突き詰めれば哲学みたいなもんだけどな」
「そうか?」
「√も所詮は概念の定義だろ? 概念を定義して、そこから論理を展開してくのは哲学と一緒だって」
 少しばかり真剣になって瑞樹が力説すると、梓はクスリと笑って肩にあった手を机に落とす。梓が上から覆いかぶさってくるような体勢になって瑞樹は少しだけドキリとした。しかも自分を見下ろしてくる視線は、非常に危うい雰囲気を漂わせている。瞬間、マズイと思ったが、梓が口を開く方が先だった。
「つーか、白井って詐欺だよな」
「何が」
「見た目、メチャメチャ男慣れしてて、超淫乱って感じなのに、中身は堅物の数学オタクなんだもんなあ」
「お前、セクハラ発言やめろって言ったろーが」
 ガタンと音を立てて立ち上がり梓を睨みつけて威嚇して見せるが、如何せん瑞樹の方が10センチ近くも背が低いので、イマイチ迫力に欠ける。
「怒った? でも、そんな風に睨んでも誘われてるようにしか見えないんだけど。わざとじゃないよな?」
 整った顔で見下ろされ、際どいことを言われ、瑞樹は反論の言葉に詰まる。もちろんわざとなどではないし、誘っているつもりも毛頭無い。だが、こう言う奇妙な雰囲気にも駆け引きにも全く慣れていないのでどう切り返して良いのか分からないのだ。
 そうこうしていると、思考に気を取られて無防備になっていた腰に手を回され、もう片方の悪戯な手はギュッと瑞樹の片方の尻を掴み上げた。
「うっわっ! ちょっ! ヤメロって!」
「こんな腰しててバックバージンなんてフカシじゃねーの? 確かめてイイ?」
「ダメッ! ダメだつってんだろ! 離せ! バカっ! 変態!」
 顔だけでなく、耳も首筋も真っ赤にしてジタバタと瑞樹が暴れると梓は楽しそうに声を上げて笑いながらも、あっさりとその体を離す。
「そういう反応見ると、あーやっぱ処女なんかなぁと思うけど。ま、でも時間の問題じゃないの?」
「何がだよ!」
「この変態の巣窟でいつまで貞操を守りきれるかってハナシ。俺専属にならない? そうすりゃ、とりあえず他からは手出しされないし、俺上手いし。一石二鳥ってヤツ?」
 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながらそんなことを言って来る梓に、脳みそが沸騰しそうになる。

 朱に染まれば赤くなる?

 俺だけは決して変態になるまいと思いながら、ノートで思い切りバシンと梓の背中を叩いてやったが、大して堪えた風も無く、やっぱり楽しそうにケラケラと笑っていた。
「セックスだって白井の好きな数学と一緒だろ?」
「何が!」
「ヤりゃ面白い」
 人の言葉の揚げ足を取る梓に堪忍袋の緒が切れて、瑞樹は梓の部屋をズカズカと乱暴な足取りで出て行った。




 その後姿を見ながら、梓は苦笑いを浮かべた。
 通称ネコ部屋。
 瑞樹はもちろん知らないが、隣室はそう呼ばれている。性に関してはインモラルな連中ばかりが集まっている寮だ。普通の神経ではやって行けない。あるいは、瑞樹のように超が付くほどの鈍感でなければ。
 三倉薫が、その愛らしくあどけない可愛らしさ(本性はとんでもない小悪魔だが)で入寮したその日に話題を掻っ攫って行った次の日、さらに大旋風を巻き起こしたのは他でも無い、白井瑞樹だった。
 本人の自覚はどうやら足りないらしいが、どう低く評価しても『キレイ系』に分類される外見と細身の体。加えて、隠しても匂い立つ様な色気をこれでもかと、そのアンニュイな雰囲気に漂わせていた。
 ありゃ相当ヤリマンだとか、メチャクチャ男慣れしてるだとか、あの腰は超淫乱に違いないだとか、生半可なテクじゃ満足しないだろうだとか。散々な事を影では囁かれているが、おそらくその99%までが的外れだろうと梓は踏んでいる。
 だが、バックバージンはフカシじゃないかと半信半疑の梓だ。男を知らずして、あんな色気が出るものなのかどうなのか。相当場数を踏んでいる梓でも、判断しかねる男。
「ま、いっぺんヤりゃ分かるこった」
 含み笑いを浮かべて、梓は独り言を漏らす。瑞樹は梓の言葉全てをセクハラまがいの冗談だと思い込んでいる節があるが。
「結構、本気なんだよなぁ。ハマるとヤバいかねえ、ああ言うタイプは」
 自嘲的な笑いを浮かべながらも、入寮初日に半ば一目ぼれに近い状態に陥った自分を最近はようやく認め始めている梓だ。
「さっさとヤっちまうに限るな」




 不穏な言葉を零しながら、剣呑な笑いを浮かべた梓のことを、瑞樹は知らない。



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