その香りは、心を落ち着かせる。
届かぬものへと向かい、焦り、息を吐くことを忘れそうになる私を、宥めてくれる。
「神子殿、香を変えたのですか」
「ええ。藤姫に鷹通さんも好きな香りだと聞いたので」
悪びれずに笑う顔を、好ましく想う。
明け透けなほどの言葉に裏はなく、凛と在る彼女の佇まいが、私はとても好きだ。
「そうですね。その香りを吸うと……何故か、優しく振る舞いたくなるのです」
上辺ばかりの優しさで笑いながら、人を軽んじていた頃を思い出す。
人のために人のためにと想う気持ちは、ただ自分を落ち着かせるための呪文に過ぎなかった。
自分を大切に想えぬ者が、真に他人のためを想えるはずもなく。
大切な者を大切にするためには、己を愛する必要があるのだと……それは、この香りが教えてくれたのだ。
ふふふ。
神子殿が不意に鈴のような笑い声をあげた。
「そうですか。この香りの方は、鷹通さんにとって『優しくありたい存在』なんですね」
小さく跳ねた鼓動に、しかし赤くなる程の驚きも覚えず。
「お見通しなのですね」
諦めて、笑い返す。
貴方の居ない、心穏やかな午後。
しかし零れる花や、くすぐる香の中に、貴方を感じて。
ふと、泣きたいほどに優しい気持ちが降る。
侍従。
未だに一人で香を焚くことはないけれど、貴方を迎えるための心得として、その香を備えるようになった。
「だって……同じ香りが、します」
目を伏せて笑う彼女を優しく小突きながら、頬が少し熱くなったのを自覚した。
それは仕方がありません。
この香りと触れ合わぬ夜は、数えるほどしかないのですから。
小説TOP ≪ 目次
当直の日とかあるだろうし。毎日って言っちゃうと嘘になるけど、それ以外は浮気なんかしないで通ってくださいね、侍従の君(笑)。鷹通は香を焚きしめるイメージがないです。好きな香りは侍従だけど、それは単純に「好きな人の香り」なんでないかと(マテ) |