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[翡幸]想双歌 〜20〜

「さて。面倒事もこれで終わり。救われる謂われのない京も救えて、神子殿も守りきった。私の仕事はここまでだと思うのだが?」
 楽しげな翡翠の声で我に返る。
 ついにこの時が来た。
 なんと切り出したものかと口籠もる私を置いて、翡翠は迷いなく言を続ける。
「どうかね。私としては今すぐこのまま、君を伊予へと連れ去りたいところだが」
 まさに『私を連れて行け』と申し出ようとした刹那の言葉。出鼻を挫かれる形となり、しばらく間抜けにも口をパクパクさせたままで固まってしまう。
「い、今すぐなど出られるわけがないっ」
 ようやく発した言葉は‥‥さすがに我ながら、素直とは縁遠いものだ。
 ところが翡翠は気を悪くする素振りもなく上機嫌な笑顔を咲かせて、壮絶な色気を垂れ流しながら流し目をよこした。
「ほう。‥‥今すぐでなければ、応じる気があると」
 腹立たしい。
 なんとも、腹立たしい。
 そんな私の気持ちを汲んだかのように、神子殿が呑気な笑顔で腕を絡めてきた。
「幸鷹さんは、私と一緒に元の時空に帰るんですよね?」
 翡翠には背を向けて、悪戯な上目遣いでペロリと舌先を覗かせて‥‥。その愛らしい仕草のままで「どうします?」と首を傾げた。
 自然、笑顔になる。
「お連れ頂けるのですか?」
「もちろん幸鷹さんさえよければ、龍神様にお願いしてみますよ♪」
「っ、神子殿」
 さすがに慌てた顔の翡翠が愛おしい。
「なんですか〜、翡翠さん。だって幸鷹さんは元々、龍神様が無理な力で強制的に連れて来ちゃった『向こうの世界の人』でしょう。龍神様には応じる責任があると思うんですよね?」
「それは‥‥‥」
「神子殿、その辺で」
 これ以上は冗談にもなりませんから。
 それに、この問答を万が一にも龍神に聞かれて、選択の余地もなくここから消えることがあってはたまらない。
「翡翠。‥‥少し時間が欲しい」
「如何ほどの」
「仕事の引継と、実家‥‥‥両親への、挨拶を」
「‥‥幸鷹?」
 今すぐこのまま、というわけにはいかない。それは心の準備などという不確かなものではなく、もっと現実的な部分で。
 ‥‥本当に、飛び立つつもりで。
「大急ぎで片付けます。待っていては、くれませんか」
 実質的な了解のサイン。今になって、そんな当然のことを驚く翡翠に『私を信じていなかったのか』と嫌味の一つも零したい気持ちはあるとして。
 不似合いなほど手放しの笑顔が、あまりにも美しかったから。
 そんな翡翠に息を飲む仲間の、そして神子殿の反応が、とても楽しく思えたから。
 満足して笑う。
「先に向かっていても良いですよ」
「まさか。それでは幾年かかるものかとヤキモキしてしまいそうだよ」
「見くびられては困ります」
「ふふ‥‥‥いや、一刻が一月にも思えそうだと。ところで皆に聞かせてもよいものだったのかい?」
「今更でしょうね」
 かまわない。滅びるはずの都が救われたのだ。私一人の世迷い言など、砂塵のように消えて無くなるだろう。
 それに‥‥‥。
「いや、幸鷹殿の居場所を誰も知らぬ方が、問題がありましょう」
「そうだな。‥‥‥まぁ、知ってても困るような場所ではあるが‥‥」
「いーじゃねーか!こんなめでてぇ日に頭抱えてグチャグチャ云ってんじゃねーよ、勝真!」
「あのそれでは、幸鷹殿は今一度『伊予の国主』という形で旅立たれては如何でしょう。微力ながらお力になれるかと」
「ええ。その方が自然かと存じます‥‥」
「力が必要とならば呼べ」
「そーですねっ。私も京に残りますから、あっちの世界が恋しくなったら会いに行きます。沢山お喋りしましょう♪」
 どうやらここでは、それはそれということにして頂けるようですし。甘えてしまいましょう。

 紫姫の屋敷で催される宴は、やんわりと辞退して。
「さて、祝杯といこうか」
「‥‥せめて差し向かいになりたいものですが」
「それは聞けない相談だねぇ」
 背後霊よろしく背中に張り付いて離れない翡翠は、まるで子供のようだ。
「甘ったれるな。海賊の頭が聞いて呆れる」
「海賊は宝を抱いて眠るものだよ、別当殿」
「もう、別当などでは」
 急かされたせいばかりではない。決心の鈍らぬうちにと、検非違使の役を降りた。まだ内々の話ではあるが‥‥。
「国主の任は、受けるのかい?」
「どうだろうな」
 正直を云えば、またお前を追う立場になるのは気苦しい。
 だが、理不尽な国主を迎えて、伊予の国が歪むのも耐え難い。
「住み良い場所になればと思うのだが‥‥」
 生真面目に悩む私に「ならば君がやるしかないだろうねぇ」などと、のんびり笑う。
 やはり、そうなるのだろうな‥‥。
 海賊という言葉が悪いのならば、水軍として管理下に置けばよい。
 規律や規則で縛るのではなく、私が伊予に留まるために、彼らが自由に生きるために、目的を確認するだけでいい。そんな案を話せば、翡翠は「別当殿も変わったねぇ」などとからかうだろうが。
 どうあれ、穏やかな土地であればと願う。私が‥‥翡翠が、その場所に生きると決めたのなら。
「まぁ、難しい顔は、その辺にして」
「‥‥そうですね」
 私達は、独りで生きていくわけではないのだから。


 私をこの時空へと呼んだのは、翡翠かもしれない。

 誰もが『出逢うべき対』を待つものならば、それは貴方なのだと断言できる。
 だから時空を越えて、引力は働いたのではないかと。私はただ貴方に出逢うために、此処へと降り立ったのではないかと。

 それはきっと、遠い昔に交わした約束のように。
 この星に海が生まれた奇跡のように。

 悠久の誓いを綴るように。
 
 
 
 
 
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