「幸鷹‥‥‥っ」
余裕のない腕に抱き留められた時、もうダメだと感じた。
もう、お前を拒めない。
錯綜する記憶の中、探し求めた面影が手を振る幻影を見て、心が壊れそうになる。
「あ‥‥‥あ、ああああー‥‥っ」
言葉にならない声を上げる間も、そんな私を持て余すことなく包みこむ腕に守られていた。
見つめる瞳から伝わる温度。重なる唇から流れ込む想い。
気付けば私は、やはりあの頃の私ではなく。
そうだ。
あのまま始めても、あの時の続きを歩めるわけではなかったのに。
「‥‥‥ひすい‥‥‥」
頬を撫でて名を呼べば、記憶の中のそれからは想像もできない雫が、溢れた。
無表情の頬を伝う涙。
拭うことも隠すことも恥じることもせず、ただ滾々と湧き出る感情の雫を受けながら、吐息のように愛が溢れていく。
私にとっての貴方がどんなものかは、この際どうでもよいのだ。
意地や誇りは我が身のものなのだから。
「翡翠」
目を閉じて、唇を押しつける。
私は何も知らない。
ただ与えられる快楽に踊るばかりで夜は更けてゆくものと教えた、貴方との夜以外‥‥何一つの知識もありはしないけれど。
貴方の全てを受け止める自信ならある。
「私でいいのかい」
「当然だ」
私も焼きが回ったものだな。こんな男がこの世に二人と居てなるものか。
船の上を『我が家だ』と言い切った笑顔も、男であるこの身を何より愛しげに抱く腕も、皮肉気な言葉も、意地の悪い眼差しも、二人とない。‥‥‥ここにしか存在しない。
抱える腕の強さに、想いを込める。
私の迷いが不安にさせたのなら、もう躊躇うことはしない。
翡翠の指が触れるのを待つ数瞬に、焦れる。
いっそ私がお前を抱いてしまえたらいいのにとさえ思う。
そんなことができるわけでも、そんなことをしたいわけでもないのだが、愛しさを自覚した途端、どうしてこれほどまでに飢えてしまうのか。
独りで居ることが不自然なほど、その熱が恋しい。どうにかなってしまいそうだ。
「翡翠、あ‥‥っ、ヤ、そこ‥‥っ」
「それでは止めさせたいのか求めているのか解らないよ」
「言わせたいのか」
「そうだね‥‥無粋な願いかもしれないが」
皮肉気な笑顔に、翡翠の不安が見え隠れする。そんな顔をさせたくなくて、わざと卑猥な言葉を選んで瞳を覗き込む。
「欲しい。翡翠‥‥お前に翻弄されたい」
思うより挑戦的に響くそれに驚きながら、反応を伺う余裕さえ消し飛ぶほどの視線に射抜かれる。
「後悔させたいね‥‥」
情欲に掠れた声が流れ込むのと、耳朶に熱い痛みを伴うのは、殆ど同時だった。
背筋を走る快楽を持て余す間にも首筋へ背中へ脇腹へと蠢きながら移動する唇に、ただ啼くことしかできない。声を出し続けていなければ、気が触れてしまいそうだ。
堪えることなく嬌声を上げると、それまで苦しくて堪らなかった愛撫が蜜のような甘さを帯びて、脳髄をドロドロに溶かしていった。
「イく‥っ、もう‥‥んあぁっ、早くっ‥‥ぅ」
「一度出してしまいなさい。まだ眠らせてやれそうにない」
「ア、ア、‥‥‥アァアアアッ」
言うが早いか吸い付いた舌先の刺激に、呆気なく果てる。
攣りそうなほど爪先に力を込めて、腰の辺りに散る髪に指を絡ませて、口内に放つソレを飲み下す音を聞く。
一度、二度、三度‥‥ギュッと吸い付く感覚の後、もう一度。
「‥‥すまない」
「何故だい?‥‥美味しくてタマラナイよ、それが君の欲望なら」
「馬鹿を言うな」
軽口ならば幾らでも出るが、腰には全く力が入らない。
それを知ってか、腰に回した腕が無理に姿勢を変えて‥‥常ならば殴りつけているほど羞恥を煽る格好にさせられた。
無理に抱き上げられた腰は有り得ぬほど高く上がり、それを支える足に力が入らぬせいで、押しつけられた肩に重心がかかる。
「ひあ‥‥っ」
文句を言う間もなく、熱い舌が蕾をこじあけて無理矢理に犯していく。
恥辱すらも悦楽を煽る要素にしかならず、溢れる唾液が布団を濡らしていくのを感じながらも、声を抑えることすらままならない。
「可愛いよ、幸鷹殿」
そんな言葉を口惜しいとすら思えない自分は異常だ。
乱れた私に幻滅しないのなら、もっと激しく暴かれたいと願ってしまうなんて。
快楽に疼く箇所が悲鳴を上げる。
早く貫かれたいと、翡翠の熱を待ち続けている。
はやく、埋めて。
快楽は切なさばかりを煽る‥‥。
「翡翠、早く‥‥っ」
「‥‥‥‥たまらないね。壊れてしまいそうだ」
今さら馬鹿なことを言うな。見事に全壊した私を‥‥こんな、隠すべき秘所を全て見せつけて、果てたはずの欲望を滾らせる恋人を前にして。
壊れてしまえ。
「はやく‥‥おまえに、犯されたい‥‥」
ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
殺気の混じる沈黙が、二拍。
「手加減は、できないよ‥‥‥?」
望むところだ。
「う、ああああああっ‥‥あ、あ、ああああー‥‥っ」
涙が溢れるのは、酷い刺激のせいだと解る。悲鳴は悦びのせいだと。腹の中を翡翠が突き上げるたび、頭の皮まで淫欲に支配される。
射精感もないままに先走りが流れて太股を伝う。
限界まで続いた悲鳴に喉は嗄れ、掠れた声で、それでも啼き続けた。
意識を飛ばしたまま、泥のように眠った。
重い体に容赦なく降り注いだ朝日は、無邪気なほど油断しきった顔で眠る翡翠の姿を照らして‥‥‥そんな眺めにさえ幸せを感じて泣き出しそうな自分を、持て余していた。
--
小説TOP ≪ 07 || 目次 || 09
--