「・・・逃げんなよ?」
「誰が」
無意識にビクつく自分が嫌いだ。
バカみたいに甘い声で僕をやんわりと縛り付けるサザキが、もっと嫌いだ。
「スカしても前科は消えないぜ」
「うるさいな。僕は無駄なことはしない主義なんだ。どうせ逃げ切れっこないだろ」
好き勝手言いながら、伸ばされた腕を邪険に振り払う。
だけど本当は、どこまで逃げても追いかけてきてほしいとか、ムリヤリ捕まえてほしいとか‥‥‥情けない。
なんで僕は、こいつの愛情を信じているんだろう。
暗い気持ちで見上げた顔は面白いほど、態度を決めかねて揺れていた。
「あのな。・・・・・・どうしても」
「ん?」
「どうしても逃げたいってんなら、ハッキリそう言えよ?」
あっさりと挑発に乗ってしょげかえる顔に、なぜかイラッとする。バカ言うな。逃げたいに決まってるだろ。
平気な顔して留まるには、この腕は優しすぎる。
「ハァ。‥‥お前は本当に馬鹿だな」
「なにーっ!?」
「馬鹿でないなら、僕を見くびりすぎだ。って‥‥‥ちょっ、何す‥‥っ」
いつかは迷惑をかけると心が警笛を鳴らしているのに、僕は人を不幸にすることしかできないのに、そしてまたいつかは独りにされるんだと‥‥知っているのに。
「誘うようなこと言う方が悪いだろ」
「どういう理屈だっ、誰がいつ誘ったって!?」
本当は、逃げようと思えば、いつだって逃げられる。
恐怖を覚えるのは、この場所から‥‥こんなバカみたいに優しい腕の中から『逃げたくない』と思う、妙な執着心だ。
「アレだろ?『本気で逃げたら逃げられる。だけどオレが好きだから逃げない』そういう意味だろ?」
「意訳すんなーーーっ」
図星をつかれて狼狽するなんて、ホント僕らしくもない。
「‥‥‥‥‥‥‥シーッ」
宥めるようにキスを繰り返す横顔が、酷く切なくて‥‥困る。これじゃまるで無駄に抵抗してる自分が子供みたいだ。
「っ、ど‥‥して、そんな強引‥‥っ」
「そりゃまぁ、一番欲しいお宝は強引に奪わないと。海賊なんだから?」
「宝、なんかじゃ‥‥」
「ば〜か。お宝が自分で『宝物です』なんて言うもんかよ。何を以て価値とみなすかは、オレが決めるんだ」
「ガラクタでも?」
「ああ。よその奴が後生大事に抱えてる金銀財宝の方が、よっぽどガラクタかもしんねーだろ?そんなの他人に決められてたまるかってんだ」
一瞬。
ほんの一瞬、気の迷いが生じた。
抱かれてみたいだとか。
大事にされたいだとか。
アリエナイ。
「‥‥‥馬鹿じゃないの?」
「かもなーっ!」
この男なら、葦の小舟に流された無価値なガラクタにも、価値はあると言い切るんだろう‥‥‥なんて。
何を血迷ったか。
だんだんと、自分の矛盾と戦うこと自体に嫌気がさしてくる。
「好きに‥‥」
「ん?」
「好きに、しろよ。そうする価値があると思うなら、だけど」
別に。
サザキの価値観が正しいだなんて期待してるワケじゃない。
「お。気前がいいね〜♪」
「は?」
この世界にとっては取るに足らない命。
それはそれでも構わない。
「そんじゃ気が変わる前に、遠慮無く頂くとするかなっ」
「ちょっとは遠慮しろ」
「無、理ぃ〜っ♪」
「あっ、バ‥‥‥カッ」
僕がどんなに否定をしても、お前だけは否定しないんだろ?
僕が捨てる僕を後生大事に抱きかかえて、笑いながら軽々と飛ぶんだろ?
「バカ、何そんな、焦って‥‥んんっ」
鬱陶しいのに、心地よくて。
生まれて初めてワガママなんて言いたくなる。
「心配すんな。焦ってない。発情してるだけだ」
「もっとタチが悪いだろっっ」
ガラクタでいい。
ただ、愛してくれないかと。
「タチが悪い?‥‥褒め言葉にしか聞こえねぇな」
「んんっ、んんんんーっ」
こんなこと言えるわけがない。
「シー。黙って力抜いてろよ、警戒しなくてもこのサザキ様は、好きな奴を傷つけたりはしないぜ」
「好きじゃなくなれば話は別だろ」
「ん〜?」
ニヤニヤと意地悪く笑った顔を見て、さすがにゴネすぎたと気付いた頃には、時既に‥‥。
「そんなに言わせたいなら、何度でも言ってやるけどな?」
「いいっ、いいっ、言わなくていいっっ」
「遠慮すんな。信じる気になるまで何万回でも言うぞ。心変わりはしない。オマエだけが愛しい。‥‥那岐」
「言うなーーーーーっ」
僕も大概子供だと呆れて。
そんな自分が昔より好きなんだと気付いて。
絶望的な気分で、やけに高い空を見上げていた。