「あ、あの‥‥天真殿‥‥」
「ばか、殿はやめろって、ここ教室だぞ!?」
「え、あ、ス、スミマセン」
ビクビクと謝る姿に苛つく自分を持て余す。
優しくしてやりたい。
俺ですら、異世界に飛んだ時はそーとーショックだったんだ。元々気の小さいコイツが、そんなに早く馴染めるわけがないのは、わかりきってたことなのに。
「あ‥‥‥‥‥あの‥‥‥」
教室の椅子にドッカリと腰掛けてイライラしてる俺の肩口で、気弱な指がウロウロしていた。
「なに?」
優しく‥‥‥が、無理ならせめて、傷つけるような言い方は避けようと視線を投げると、真っ赤に熟れた顔で耳打ちしてきた。
「あの‥‥それでは、なんとお呼びしたらよいのでしょうか‥‥」
「呼び捨てでいいだろ。男同士なんだし」
「敬称を抜くのですかっ!?」
なんだその悲鳴みたいな声は。
「抜きたくないなら勝手に付けろよ。でも『殿』は無い。この世界じゃそれはオカシイんだから、しょうがねぇだろ?」
あー、でも‥‥天真、くん?‥あかねならともかく、コイツが呼ぶ姿は想像できない。天真、さん?‥なんかイタイことやるガキ共のボスみたいでキショイな‥‥。天真ちゃん、却下。天真様、却下。‥‥消去法じゃ、全部消えちまうな‥‥。
「いいんじゃねーの、呼び捨てで」
ダメだ。俺のボキャブラリーじゃ何も浮かばない。
「そんな‥‥っ」
だーもー、泣きそうな顔すんなーっ。
‥‥‥あれ、ちょっと待て?
「お前、頼久のことは呼び捨ててなかったっけ?」
「‥‥‥‥‥はい」
あれって身分の違いなんだろうな。
頼久は武士だから、敬称なんか付けちゃマズイ。
その頼久は俺のことをテンマテンマ呼び捨ててた気がするぞ。
んー‥‥‥‥。
「武士だと思え」
「は???」
だーかーらー。
「俺を武士だと思えばいいんだ。そーすりゃ呼び捨てるのがアタリマエだろ?」
「そ、そんな」
「そんなも何もねーよ。あっちの世界でだって、頼久の下で働いてたコトがあるくらいだ。問題はないはずだぞ」
「それは、あの‥‥」
「練習」
「はい?」
「習うより慣れろってヤツだよ。天真って呼んでみな」
結論が出てホッとした俺は、そのまま永泉を観察した。
熟れすぎて落ちそうなくらい真っ赤に染めた顔で、横見て下見て、視線を散々彷徨わせた後で、でかい瞳に涙を浮かべてフルフルと首を振る。
マズイ。
相手は男だ。
だから‥‥可愛いとか、絶対マズイ。
くそーっ、そんな縋るような視線を投げてくるんじゃないっ。俺はそーゆーのに弱いんだーっ。
「無理、です‥‥天真殿‥‥っ」
バカッ、泣くな!!!
「距離がっ」
あ、ヤバイ。変なこと言いそう。
「距離が近くなんだろ? 名前ってのは相手との距離だとか言うぜ?‥‥お前は、俺の傍には来たくないってことか」
何言ってんだ俺のバカーーーーー!!!
「そんな、そんなことは」
オロオロと首を振る永泉に苛ついて、制御が利かなくなる。
「せっかくこっちの世界に来たってのに、まだ僧侶だとか仏の教えだとか辛気くさいこと言う気か。お前は俺に付いてきたんじゃなかったのかっ」
ちょっと違う。
あのまま、若いのに人生を捨てたような生活じゃダメだと思ったから、無理言って引っ張ってきたんだ。
たぶん、俺が、無理矢理。
「天真殿‥‥っ」
認めたくない。
お前の意志で俺の傍に来たんだって、勝手でもワガママでも、そう思いたいんだよ、俺はっ。
「兄上様の所に帰りたくなったのかよ」
「そんなことありません。天真殿の‥‥天真‥‥‥の、傍に、居たいデス‥‥‥」
消え入りそうな声で、上着の肩をキュッと掴んで俯く姿が頼りなくて。
「二人だけの時なら、なんて呼んでもいいから‥‥」
自分の顔まで赤くなるのを自覚しながら、途方に暮れていた。