この3ヵ月半、振り返ってみるとひたすらつわりに苦しんでいた気もする。 けれど大切な大切な赤ちゃんのためだと思えば耐えられたし、 離れた土地で政宗や国の人々が自分よりずっと頑張っているんだと思えば励まされた。 春が終わり梅雨を迎え、お腹も心なしか少し膨らんできたようで、 それらは3ヶ月半の長さをしみじみと感じさせたが、今日この日を無事に迎えられたことが嬉しい。 ――政宗が、帰ってくる。 「―――っ!」 遠く小さな姿が見えた途端に、急激に心拍数が上がった。 こんなに興奮してはお腹の子に障るんではないだろうか。 そう思うほどに心臓が早鐘を打って、頬がどんどん紅潮していく。 少しずつ大きくなってくる姿。 家紋入りの幟や派手な大漁旗をつけたたくさんの兵士を後ろに従えている。 知らず二、三歩前へと踏み出してしまい、横にいる喜多が苦笑した。 「様、お願いですから走らないで下さいね。」 「わ、分かってます!」 戦の経過を知らせる文がまめにきていたので、政宗の無事はよく分かっていた。 そして勿論今回の戦が勝ち戦であったことも。 それでも、一刻も早く直に会って元気な姿を見たいのは当然のことで、 逸る気持ちが抑えられず、今は、無理を言って城門の外に出て待たせてもらっている。 すぐ後には兵士が何人も控えているし、にはさっぱり気配が読めないが、 草の者もそこかしこでの警護に当たっているらしい。 「先頭にいるのが政宗さんですよね?」 「左様でございましょうね。」 それを聞くなりは前方に見える小さな姿に、力の限り手を振った。 こちらに気付いて手を振り返してくれるだろうか。 そう期待して腕がだるくなるくらい頑張って手を振るも、一向に手を振り返してくれる様子がない。 少し寂しく思っていると、ふと、先頭の姿がさっきよりも早いペースで大きくなっていることに気付いた。 単騎でこちらへ徐々に迫ってくる人影。 馬の駆ける音が耳に届く。 冑の前立てが陽の光を浴びて輝いている。 もう胸が張り裂けそうだ。 堪らず、大声で叫んでいた。 「政宗さ――ん!!」 「!」 懐かしくも愛しい声とともにすごいスピードでこちらへ馬が駆けてきた。 それにびっくりしているに、間近に迫った政宗が小さく笑んだ気がする。 もう表情が見えるほどの距離。 政宗は手綱を強く引いて、砂埃をあげながらもなんとも見事にの近くへ馬を止めた。 高いいななきを上げる愛馬には目もくれず、飛び降りた政宗は冑を放り投げて、へと向き直る。 そんな彼へと、喜多の言葉など早速忘れても小走りに駆け寄った。 「お、おかえりなさい!!」 「ああ、帰った。元気か?」 「はいっ!」 久しぶりに真正面にお互いを捉えて、どこかぎこちない言葉を短く交わす。 たくさん話したいことはあるけれどそれよりもまず・・・。 「あ、あの!政宗さん!だっ、抱きついていいですかっ!?」 「Ah!?」 眉をしかめて不機嫌な顔を作ることで照れを隠していることが、今のにはもう分かる。 決して柔らかくはない彼の黒髪にわさわさと触りたい。 その首根っこに思い切り腕を絡めたい。 どうしようもない愛しさがこみ上げて、政宗の返事も聞かずに両手を伸ばした、その途端。 「だめだ。」 予想だにしない政宗の返答に、の身体がそのままのポーズでかちんと固まる。 「・・・・・へっ?」 「汗臭いぞ。」 「あなたどこの男子校生ですか!そんなの気にならないですから!」 ここは笑いとばすべきなのか、悲しむべきなのか、それとも納得すべきところなのか。 取り敢えず半笑いで突っ込んでみるも、照れ隠しにしては政宗らしくない言葉に戸惑いを隠せない。 「鎧が埃っぽいから、お前の着物まで汚れるだろ。」 「そっ、それはそうですけど・・・! でもいつもの政宗さんならそういうこと気にしないじゃないですか! あ、いや、だからって別に着物を汚すことに抵抗がないわけじゃなくって! ・・・・・っ、あ〜!もうっ!なんなんですか!!」 ぎゃーと叫んで癇癪を起こすに、政宗は真面目な表情を向ける。 さっきまでとうってかわってどこか強張ったようなその顔に、は余計に戸惑った。 「なら逆に訊く。」 「な、なんですか?」 どんな言葉が飛び出すのかと不安で、思わず目線をそらした。 「――触れて、いいのか?」 鼓膜を震わせたその一言に、は一瞬言葉を失った。 そして次の瞬間には彼の心の内が一気に理解されて、今度は言葉に詰まる。 出発前の出来事がフラッシュバックする。 あのときと今では、まるで立場は逆だけれど。 だから、彼の言葉をそのまま借りよう。 「・・・触れちゃいけない理由なんて、ないでしょう?」 あのときと同じように手を差し伸べれば、腕を引かれて政宗の胸に倒れこむようになる。 そのまま痛いくらいに強く強く抱きしめられた。 硬い鎧がごつごつと身体にあたる。 首もとに顔を埋めれば感じられる鼓動が、確かな存在を教えている。 喜びと切なさに息が詰まる。 「俺が怖くは・・・ないか?」 滅多に聞くことのない切羽詰まった声。 「怖くないですよ。 だって、政宗さんは私に誇れないようなことはしないでしょう。」 「血の匂いがするするかもしれない。」 「そんなの分かんないです。つわりはほとんど終わりましたし。」 「嫌じゃないか?」 「もう!次そういうこと訊いたら怒りますから!! ・・・無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しい!」 「・・・・・。」 名前を呼び返したかったのに、その前に唇を塞がれた。 いきなりの吐息さえも飲み込まれそうなキスにくらくらする。 久しぶりでうまく息が吸えなくて鼻に抜けた変な声が出たが、 それがまた政宗に火をつけたらしく、ただでさえ熱いキスがより深まる。 随分長く唇を確かめ合って、最後に上唇をちゅっと吸われてやっと離れた。 鏡を見るまでもなく、真っ赤になっている自分がは容易に想像できた。 喜多をはじめいろんな人がこの場にいるのもよく分かっているが、 それを本気で気にし始めると恥ずかしくて倒れてしまいそうなので忘れたことにしておく。 潤んだ瞳で上目遣いに政宗を見れば、左目が愛しげに細められた。 「痩せたな、お前。」 「頑張って食べるようにはしてるんですけどね。 でももう焼き魚とかお漬物も食べられるようになってきたんですよ。」 「そうか。」 こめかみに唇を落とされて、気持ちが良くてうっとりと目を閉じる。 と、さっきより周りがざわつきはじめたことに気がつく。 城の中から次々と人が出てきているものの、政宗やがいるせいか、 どうも城門の外のほうまで出てきて騒ぐのはためらわれている様子だった。 帰還してくる兵士達とこちらをそわそわと見比べている。 それぞれが大切な人の帰りを喜んでいて、 けれど負傷したり亡くなった人もいるはずで嬉しいばかりではなくて。 複雑な思いに胸が詰まったが、はぐっと顔を上げ、 出てくるのをためらっている人達へと手招きをした。 そして近付いてくる兵士達に向き直ると、再び大きく手を振って、叫んだ。 「おかえりなさい――!」 |
「怖くない」と言い切れるのは、実際の戦を見ていないからというのも絶対あります。
ヒロインがそれに気付いているかどうかは読み手の方の解釈に任せるとして、政宗様は9割がたそれに気付いています。
それでも、拒否されなかったことに安堵して、わざわざ引っ掻き回したくなくて、気付かないふりをしている。
慶次編とこの澪標編で、こうしたことについては政宗様とヒロインに何度か話をさせてますが、
簡単には解消されることではないですし、ヒロインが未来生まれで政宗様が戦国の人である限り、
多分一生解消されないままのことだと思います。
そんなわだかまりをそっと抱えつつも、戦国で夫婦になった以上、2人はもう後戻りができません。
・・・という、せっかく無事帰還したのに嫌なあとがきでした。(笑)