生まれてくる子供のために、喜多に習って産着を縫う練習を始めた。 中学校卒業以来、裁縫なんてとれたボタンをつけるくらいしかしていない。 そんながいきなり産着を縫うというのは難易度が高すぎるので、まずは練習からだ。 それに、生まれる前に産着を縫うと、弱い子が生まれてくるという言い伝えもあるそうだ。 けれどその針仕事も、根を詰めるとすぐに気分が悪くなって、なかなか進まない。 「・・・・・ふう。」 「お疲れですか?」 針を動かす手を止めて小さくため息をついたへ、喜多が気遣わしげに尋ねた。 大丈夫という返事の変わりに微笑んで、は喜多の手元に目をやった。 「わ、喜多さんの刺繍キレイ・・・!」 「ありがとうございます。でも、まだまだですよ。」 苦笑する喜多の手元には、鞠の刺繍を施しつつある手ぬぐい。 なかなか進まない産着修業に付き合ってもらうのは申し訳ないので、 が他のことを同時にしていてくれて構わないと言うと、喜多は刺繍を始めたのだった。 しかも、この手ぬぐいはにくれるらしい。 「・・・産着もですけど、刺繍も練習してみようかな。 今度の出陣には間に合わないけど、いつか政宗さんの陣羽織に刺繍してあげられるかも。」 「それもいいですね。きっとお喜びになりますよ。」 「いやいや、多分『下手くそな刺繍すんな』って言って叩かれますね。」 喜多と一緒に声を出して笑うと、少し気分が良くなった。 それと同時に、朝から座ってばかりなので歩きたくなる。 「喜多さん、庵の前庭を散歩したいんですけど・・・無理ですかね? あの!でも!ダメだったらいいんですけど・・・・・。」 「作業中の箇所はお見苦しいですけれど、それでもよろしいですか? この時間でしたら、丁度皆休憩に入って作業をやめているはずです。」 「お願いします!」 の元気な声を聞いて、喜多はにっこりと笑った。 まだ増築作業がはじまったばかりの庵は、その増築部分の土台作りの途中のようだった。 庵そのものにはほとんど手がつけられておらず、なんとなくはほっとした。 前庭も相変わらず美しいままで、鮮やかな緑に心癒される。 「・・・・・。」 天気は良いが、風が少し冷たいのでやや寒い日だ。 揺れる木々の葉をぼんやりとながめるの心中は憂鬱だった。 政宗の出陣まであと3日。 慶次の一件で少しだけ戦に対する心構えができていたつもりだったが、 いざ目前に戦が迫ってくると、それは底知れない恐怖をに与えた。 政宗がとんでもなく強いらしいというのはいろんな人から聞かされるが、 それでもいつ何が起こるかなんて誰にも分からない。 加えて、例の『迷信』とやらが未だになんとなく引っかかっている。 妊娠でナイーブになっているせいもあるのだろうが、どうにも思考が暗くなる。 そんな浮かない顔のに、少し後ろに控えていた喜多はそっと言葉をかけた。 「・・・肌寒いですね。羽織をお持ちいたしましょうか?」 「でも・・・・・・いえ、はい、お願いします。」 「かしこまりました。少々お待ちくださいね。」 さっと歩き出した喜多は、を少し一人にしたいのか、 それともできるだけを一人にしたくないのかよくわからない。 ――と、一人になってもぼんやりとしていたの視界にちらりと人影が入った。 「・・・・・?」 驚いてそちらのほうへ目をやると、中学生くらいだろうか、 1人の少女が箒を持って前庭の隅を掃除をしていた。 喜多も気がつかなかったことから、恐らく今まで庵の影になっている所にいたのだろう。 次の瞬間、は自分にめぐってきた小さなチャンスに気がついて、 知らずその少女に歩み寄っていた。 「あの・・・そこの、あなた。」 「!」 少女はに気がついていなかったらしく、突然声をかけられて弾かれたように顔を上げた。 そうしてしばらくぽかんとを見つめていたものの、『が誰なのか』に気が付いたのか、 いきなり箒を投げ出して地面に座り込んむと深々と頭を下げた。 「あっ、あのっ、私っ・・・何かご無礼を致しましたか!?」 震える声で言葉を発する少女に慌てるとともに、悲しい気持ちになる。 政宗の妻なのだからそれらしく対応されることが必要なのはわかるのだが、 それでもまだまだこんな風に恐縮されるのには慣れない。 「そ、そんなことないよ! それに怖がらなくていいんだよ? ほらほら、顔上げて!着物が汚れちゃうし・・・!」 「は、はい・・・・・。」 おろおろとしながらも、少女はそっと顔を上げた。 それでもと目を合わせようとはせず、やや俯きがちだ。 「私物知らずでね、ちょっと訊きたいことがあるの。」 「わ、私にお答えできることであればなんなりと・・・!」 どういう風に尋ねればいいのかと、は言葉を探す。 「なんていうのか・・・出産妊娠にまつわる迷信みたいなのって、ある・・・? ――そう、この東館が建てられる理由とか! 知らないかな?」 「迷信・・・東館の、理由・・・・・? それは、その、勿論奥方様のためでは・・・?」 「それはそうなんだけど・・・。」 「は、い・・・。」 最初のうちは、緊張のためか少女は本当に思い浮かばなかったようだが、 そのうちにだんだんと難しい表情を浮かべ始めた。 やはりあまり好ましくない話なのだろう。 言おうか言うまいかと迷っている様子の少女に、は優しく尋ねる。 こういう聞き出し方は、本当はあまりしたくないけれど・・・ 「あまり私にとってよくない理由だっていうのは分かってるの。 だけどそれでもいいから、物知りそうなあなたに教えて欲しいな。」 「え・・・・・。」 お殿様の奥方に褒められて、少女は素直に頬を紅潮させた。 やはり少し躊躇ったものの、今度はさっきより幾分はっきりと言葉を発した。 「あの・・・昔から、女というのは不浄な存在とされています。 妊娠中や出産前後の女性に関しては特にです。 例えば出産前後の女に触れると、穢れが移って必ず討ち死にするだとか、 妊娠中の女に軍衣を触らせるのは非常に縁起が悪いだとか・・・。 その習慣に従えば殿の御座所の隣室でのご出産も好ましくないでしょうから、 東館が建てられるのかと。」 「・・・・・・。」 「ですが尾張の織田のご正室は自ら武器を持って戦場に赴くくらいですし、 最近ではそういう考え方も少しはやわらいできたのかもしれません。 それに我らが殿は、そのような習慣を気にされないか・・・おっ、奥方様!?」 口元を押さえて急にしゃがみこんだに、少女は悲鳴のような声を上げた。 冷や汗が出て軽い吐き気がこみ上げてくる。 ――眩暈がした。 陣羽織に刺繍だなんて言った自分に呆れる。 自分の存在がそんなに縁起の悪いものだったなんて。 実際政宗はそんなそんな風習なんて気にするような人ではないのは分かっている。 けれど信憑性のない習慣にだって吐き気がするほどの不安と恐怖を覚えるのは、 果たして妊娠中でナーバスになっているからなのだろうか。 政宗のこの前の台詞からして、古参の重臣たちはこうした迷信を未だ信じているようだ。 だから東館は、や生まれてくる子どもの印象を悪くしないための配慮なのだろう。 ああ、それとも古参の重臣達もそんな迷信はもう信じていないけれど、 どこの出身とも知れない女は認めないという意味で、そうした態度をとっているのだろうか。 わからない。 政宗や喜多が東館の理由を最初から教えてくれていればこんな気持ちにならなかった? もっと自分がこの時代の風習を知ろうとしていればこんな気持ちにならなかった? 新しい愛しい愛しい命を宿したこの身は不浄なのだろうか? 自分が今感じているのは、悲しみ?憤り?後悔?嫌悪感? それは何に対して? わからない。 「――様!? そこのお前、一体何があったの!?」 「わ、私は・・・・・!」 戻ってきた喜多が少女に向かって鋭い声を上げている。 それに答える少女の声が泣きそうに震えている。 違う、怒らないであげて。 悪いのは私。 悪いのは・・・私? 「様、今人を呼んできますから、ほんの少し耐えてくださいませ!」 耐えるよ。 政宗さんとお腹のこの子のために、なんだって耐えるよ。 ああでも、眩暈がする。 「政宗さん・・・・・。」 ぽろりと、涙が零れた。 |
戦国時代って武装して戦った女性もいる時代なのに、同時に「女性は不浄」として、
合戦前には縁起の悪いものとする風習(習慣?迷信?)もあったのが、不思議ですよね。
ただ、こうした風習も戦国時代末期にはかなり適当になってきてたみたいですが。
ところでもしかしたらヒロインのリアクションが大げさだと思われたかもしれませんが、
妊娠中の情緒不安定な状態ではこれくらいでいいと私としては思ってます。
なんのかんのいっても特殊な環境下で心を許せる相手が少ない中の妊娠ですからね。