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・「十六夜弁慶ルートっぽいあれwithout神子様、で弁慶だけ助かったら」っていう仮定の物語です。つまり九郎は死んでる

・九弁前提で弁ヒノ未満、という名分だけど、弁慶が九郎を好きなのとヒノエが弁慶を好きなこと以外はなにも明記してない
・結果、九弁も弁ヒノも否定しているようにも見える
・その上どうみても攻めヒノで受け弁に見えるしそう見てもらっても構わないですが書いた人は一応弁ヒノ好き
・昔の人の日記の書き方とか知らぬ




三月三日
 唐突に、朔が熊野にやってきた。彼女とは、半年ほど前、白龍の神子と八葉の戦いが終わって、しばらくの後に別れたきりだった。何故なら彼女は今鎌倉の梶原の家に、実の兄景時によって軟禁されているはずだったからだ。その彼女が息を切らして熊野にやってきた。嫌な予感しかしなかった。案の定、予感は当たった。彼女は兄に託された書状を手にしていた。「兄上の事は今でも許していないし、頼みをききたくだってなかったわ。けれどこの手紙に書かれている事を知ってしまったら、そんなことどうでもよくなってしまったの」震える手で渡されたそれに書かれていた言葉は短かった。ただ、どこかの地名と、どこかの家の特徴と、そこに船で行くための航路が書かれていて。「深手を負った弁慶殿がそこにいます」ということは、朔の言葉を聞くまでもなく理解していた。


三月五日
 準備にやや手間取ったが、熊野を出港する。九郎義経討伐を理由に、秋の終わりから鎌倉が平泉へ攻め込んでいることはオレも当然知っている。だからもしかしたら罠かもしれない、が、今オレ一人、こんな誘いで殺したところで景時にはたいした特もないだろう。熊野はそれしきでは揺るがないし、オレも自分かわいさに熊野を売ることは死んでも御免だ。それよりよほど、九郎の軍師である弁慶を鎌倉へ突き出した方が手柄になるだろうし、なにより平泉はほぼ陥落したと聞く。だから…………なんてのは、ただの方弁か。結局オレはただ弁慶の名を聞いていてもたってもいられなくなっただけだ。現に、支度だって急がせた。海はやや荒れていたが構わず船を出した。景時の示した航路は、おそらくそこだけ通れるようにしておいてくれた、ってことなんだろうが、それがいつまで持つかなんてわからない。なにより、弁慶の傷がどれほど深いかだって分からない。


三月六日
 それにしても、どうして弁慶一人なんだろうな、と思う。九郎はどこに行ったのか。ただ単に、景時も九郎を庇いだてするのは無理だっただけなのか、それとも……あいつが逃がしたのだろうか。壇ノ浦で清盛を鎮めた後、望美や譲をとっとと追い返した時のように。


三月十二日
 平泉の小さな港に接岸。どうやら本当に源氏の軍はいないらしかった。最低限の人数で教えられた場所へ急ぐ。


三月十三日
 思ったより雪が残っていて、歩きにくかった。どこもかしこもぬかるみだらけだ。お陰で小屋で一泊する羽目になったが、無事船に帰還。
 弁慶は生きていた。ただし意識はない。そんな弁慶を診てくれてた景時の忠臣という男に礼を渡して平泉を離れる。一刻の予断も許されない、そんな状況に見えた。


三月十四日
 風がなく、船が思うように進まない。熊野から連れてきた薬師の表情も芳しくなく、焦る。手を握って名前を呼んでも返事はない。せめて早く揺れない暖かい場所に連れていってやりたい。


三月二十日
 行きより難航したものの、熊野に帰還。本当ならそのまま本宮まで連れて行きたかったが、しばらく勝浦で様子を見ることに。相変わらずに意識はない。薬師が傷口を洗うのを横で見ていたが、おびただしい数だ。命がある方が不思議なほどだった。
でも、こんなところでどうにかなる奴じゃない。


三月二十一日
 どうやら傷は塞がっていて、状態も落ち着いてきたらしい、ということで、本宮へ行く事になった。神域の清浄な空気が治癒を高めてくれるかもしれない、と薬師は言う。けれど同時に、それで駄目ならもう自分には手の施しようがないという。行くしかない。彼より有能な薬師をオレは一人しか知らない。


三月二十二日
 本宮に到着。相変わらずに目を覚まさない。親父に任せてオレは久しぶりに働く。伊勢の野郎がさっそく不在だった事に関して嫌味を行ってきたが今は聞き流す。後で三倍にして返してやる。


三月二十四日
 そういえば、景時の郎党の話では、弁慶は九郎を逃がすべく囮になったらしい。ほらみろ、やっぱり予想通りじゃないか。馬鹿だよ、馬鹿だ。

 だけどオレだってあいつを熊野にかくまえやしなかった。九郎ならまだしもあいつ一人だったらどうにでもできたのに。


三月二十七日
 弁慶が目を覚ました。嘘か真か、親父の野郎が鼻歌を歌いだしたらうるさそうに呻いたらしい。なんだよそれ。でもきっかけなんてなんでもいい。
 当たり前だが弁慶は状況を全く分かっていなかった。だから親父と説明した。平泉で敵に討たれた事、生死の境をさまよっているところを偶然にも景時に拾われた事、そして匿われ、熊野へ連れてきたこと。全てを聞き終えた時、弁慶はぽつりと「そうですか」と一言言った。分かってないんじゃないかって疑いたくなるくらい、それきり何も言わず、再び眠った。もう目を覚まさないんじゃないかと恐怖した。でも夜中に目を覚まし「水が飲みたい」と思いの他はっきりした言葉で言った。白湯を匙で救って少しずつ飲ませた。「おいしい」と幾分やわらいだ顔で言われた時には泣きそうになった。


三月二十八日
 ずっと寝ていたんだから当たり前だが、弁慶はほとんどまどろんでばかりだった。たまに意識が昇ってきた時には親父が甲斐甲斐しく世話を焼いていたらしい。「まさかあの人に看病されるなんて」夜に部屋に行った時に弁慶はそう、複雑そうに言ったが、オレからすればあの隠居親父の有効な使いどころが見つかって丁度良かった。ラッキーだっけ?神子姫や譲が言ってたそれだ。ま、たまには兄弟水入らずでいいんじゃねえの。実際、他の誰より親父は頼れる。能力的にも、あと、あいつからの信頼も含めて。親父の方がより弁慶に近いつながりをもっているんだから、オレが言うのも変な話か。


三月二十九日
 覚醒している時間が随分と増えた、と、うちの薬師のじーさんも驚いていた。しかも、起きているときはあの親父がそばにいるもんだから、終始二人で喋っているらしい。オレは日が落ちてからしか行ってないから真偽は知らないけど想像はつく。オレはあまり言葉を交わしていない。夜にも何度か目を覚ますが、夜は寝るものだ、あまり長く話はしないようにきめてる。でも実際、オレに淡い微笑みを向ける弁慶を見ていると名残惜しくてついもっと喋っていたくなる。昔じゃありえないほど無防備な顔してやがるから、眠りを妨げてでもオレの方を向かせたくなる。……でも、それは完治する時までとっておこう。その時には今と違って、以前みたいにあの意地の悪い笑みばっかり浮かべてるんだろうけど、それでも。


三月三十日
 回復は思ったより早い、というか、本人がかなり無理して体を起こしたり、自分の事をしようとしてるらしい。今日は親父に手伝ってもらって粥まで食べていた。


三月三十一日
 危惧している事がある。あいつにそれを聞かれた時、オレはなんて答えるんだろう。


四月一日
 今日は仕事を休んだ。ってことで、一日中付き添った。オレが粥を食わせてやろうとすると心底嫌そうな顔をされた。親父には大人しく食わされているくせに、と言ったら、お前とは格が違うとか、この人相手に嫌がりでもしたら飢え死にするしかないとかそれぞれに返された。昔と変わらないこんなやりとりが嬉しいなんて、オレも堪えてたのかもな、認めたくないけど。


四月二日
 目を覚まして一週間。容体は大分落ち着いてきて、もう大丈夫だろうと本人が言っていた。あいつに関するあいつの言うことはあてにならないけど、薬師のじーさんも言っていたから平気なのだろう。
 オレは伊勢に向かうことにした。伊勢の奴ら、くだらないことで呼び出しやがって、向こうの言い分をすんなり聞いてやると思うなよ。


四月三日
 仕方なかったとはいえ桜の時期に本宮をはずしたのは悔やまれる。今日通ってきたあちこちの花も見頃で美しさには目を見張るものがあったけど、あいつと見たかったな。


四月四日
 伊勢の狸どもマジで許さねえ


四月十日
 やっと本宮に帰還。散々な目にあった。三倍返ししてやったから少しは気も晴れたけど、お陰ですっかり遅くなった。とはいえ熊野も本宮も弁慶も変わりなかったようだ。桜は散ってたけど。
 弁慶は腕が大分動くようになったとかで、身の回りの事は大分自分でこなせるようになっていた。日頃の鍛え方が違うんですよ、とか、見え透いた嘘を吐く。昔から忙しく色々やるのが好きなやつだったから、そういう意味では体力がついていたんだろうけど。かわりに、親父の奴がまた暇を持て余し始めていた。


四月二十五日
 恐れていた知らせがついに届いた。いや、どっちかといえば遅かった、のか。弁慶の報せが届いた頃には戦はほとんど終わっていたように見えたのに。景時がわざと遅れてよこしたのか。でも熊野の烏からもなにも報告は受けていない。
 報が届いたのは夜更けだった。でもオレはそのまま弁慶にその知らせを見せた。「そうですか。ありがとう、ヒノエ」と一言だけ言って涙をはらりと零したかと思ったらすぐに泣き叫んだ。


四月二十六日
 昨日から口もきかなくなったし食事も食べなくなった。水だけは親父が数人がかりでかなり無理やり飲ませたとか言っていた。

 目を覚ましてからの今までのひと月、あいつは普通を装っていただけで少しも本音を言ってなかったんだな、と今更気がついた。
 なんで気付かなかったんだろうな、オレは。


四月二十七日
 「兄に暴れられるのは御免ですから」という理由で、昨日よりは多少マシになった、と聞いた。


四月二十八日
 あいつにはじめて会ったのはオレが10とかそれくらいの頃だ。第一印象は優しい叔父さん、だった。にこりと微笑みながら頭を撫でてくれた彼は勘違いじゃなく優しかった。今思い返してもそれは自信がある。ほんの数日しかいなかったけど、ヒノエが話しかければ振り向いて言葉をかえしてくれた。どこから来たとか何してるんだとかそんな問いにも答えてくれた。草や花や鳥の話もしてくれた。完璧な叔父だった。出会ってから数年はそんな感じが続いた。でも3、4年目くらいからだったか、今度はいきなり突き放しに来た。質問には答えてくれるけど、隔たりを感じた。多分、鎌倉に行って名実ともに源氏の者となったから、熊野との過剰な繋がりを切ろうとしたんじゃないか、と、今なら思う。けどそんなこと知らない当時のオレは傷ついた。けどそれ以上に燃え上がった。避けれるもんなら避けてみろ、とだから逆につきまとうようになった。それでもあいつは微笑みを崩さずに声を荒げて怒ったりしなかった。かわりに陰険な嫌がらせで反撃されたりしたけど、そんなのオレにとっての挑戦状でしかなかった。だから八葉になったってのは、そういう意味ではサイコーだった。春の京で加わったオレをあいつは心底嫌そうにみてたけど、むしろそれさえ鼻をあかしてやった気分だった。それからオレはあいつの色んな姿を見た。でもそれで知る。あいつはオレだけじゃなく誰からも壁を作ってる。それはもしかしたら軍師としての生き方。今日は味方でも明日誰と敵対することになるか分からないから、常に距離を開けておく。オレとだってそうだ。身内です、って風を徹底的に装って、でも実際「身内」の扱いさえされてない。強いて言えば子供扱い。でも一人だけ例外がいた。そいつにはいつも気を許したって風にくつろいだ顔を向けるんだ。笑みも向ければ怒りも向ける。それが悔しかった。それがオレにも欲しかった。同じじゃなくていい、それこそ叔父から甥へのそれでもよかったけど、なんにせよあいつが牽制し隔てる内側に入りたいって、思ってるうちに本気になっていた。そうなった以上、ただ指くわえて眺めてるなんて譲みたいな真似、オレはしない。少しでも隙をみせたら浚いに行く、そう思ってた。でもこんな形を望んでたわけじゃない。


四月三十日。
 夕、オレが部屋に入ると、どういう心境の変化か大人しく飯を食っていた。話かければ前みたいに返事もするし、煮付が美味しいと笑みを浮かべもした。理由は知らない、でも一歩前進。


五月二日
 あれだけ聞かれたくないと思っていたのに、あいつが目覚めて報せがくるまでの間「九郎はどうしました?」と聞かれなかった事が恐ろしく思えてくる。どうしてあいつは、一度も問わなかったんだろう。分かっていたのだろうか、九郎が逃げ切るなんて無理だろうということを、もしくは、ヒノエが何も知らなかった事を。


五月五日
 端午の節句。オレやら皆には関係あっても弁慶には今年は無縁の祭り。それでも馳走は親父も含めて三人で食べた。三人で飯を食ったのは相当久しぶりで、正直複雑だった。たまにはいいけど。
 弁慶はすっかりと、この間までのように、食事をとり、体も動かし、他愛のないやりとりもするようになった。でも今度は分かる。相変わらずに、いや、前以上にあいつは自分の心を言葉に載せていない。こちらの言葉に相槌を打ち、ひねくれた返しをしたりする程度。  親父と二人の時はもしかしたら違うのかもしれない。親父に本心を漏らしてくれてるならこの際それでもいい。一人の時に泣いてるんでもいい。本当は、こういう時には無理やりにでも本音を引きずり出させるべきだと思う、でもできない。もしかしたら、あいつは死ぬ気なのかもしれないと思うと。


五月三十日
 随分暑くなってきた。梅雨の入りももうすぐか。田畑の稲も伸びてきていい季節だ。
 弁慶は誰かの助けがあれば歩けるようにまで回復した。惑う。あいつが一人で歩いてどこにでも行けるようになったら……。そんなことを考えるなんてらしくないし、腹が立つ。でも痛感はしてる。今のオレはあいつにとって無力だ。こんな風に見張る真似しかできやしない。


六月三日
 なんなんだよ、なんであんなこと言うんだよ。


六月四日
 「君はそろそろ君の為に生きなさい」昨日言われた言葉がまだ頭から消えない。ふざけるなの一言しかオレは言えなかった。言えるもんか。どうせあいつにはオレの気持ちなんてお見通しで、それこそ……それこそずっと前から知ってて、だからいい加減自分を見るのをやめろって意味で言ってるんだろうけど、余計なお世話だ。そもそも今この状況で言うのが許せない。オレが今なら……今のあいつには強く出られない事を見越してるんだ……あいつは。いや、それともそれを狙ってたのか? オレに好きだとでも言わせる為に?それで振って終わりにするために? それとも挑発か? ホントに『オレはオレの好きにする』なら怪我だろうがなんだろうが構わずあいつをオレのものにしてる。そうされたいのか?ついに自棄を起こしたか? だとしたら更に許せない。
 なんにせよ、あいつなら口先ひとつでオレを思うように操ることなど容易い筈だ。……そうはさせない。見抜いてやるよ弁慶、お前の本心を。


六月五日
 やっぱり、オレにとっての弁慶ってのはどこまでも絶対的なんだろう。子供の時に出会ってて、8つも上のあいつは当たり前にオレより物を知っていて、頭がよかった。だからなんでもできると思ってた。でも、そうじゃなかったんだよな、と、オレはそろそろ気付くべきなんだと思う。あいつが万能……とはいかずとも、幼いオレが抱いていた「素敵な叔父」そのままだったら、親父は負けなかったし、九郎が討ちとられることもなかった。あいつは、そんなに有能じゃないんだ。
 だったら本当に、オレの気持ちに答えられない、ただそれだけの理由であの言葉を言ったのかもしれない。バカな奴。あいつが誰かに本気になるとかそんな理由以外で諦めるつもりなんてないのに。
 だからまた明日、あいつの顔を見に行こう。



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