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(2)

 九郎と弁慶はリビングのソファに並んで腰かけて、にこにこと同じものを見つめていた。
「さすがだな」
「ええ、見るからにふかふかで、おいしそうですね」
 二人の前には低めのテーブル。その上にはホールのチーズケーキが鎮座していた。
 直径は20センチほど、二人で食べるにも十分すぎる大きさのそれは、譲が作ったおすそわけ。味も保証されているに同じ。
 早速いただこうと、弁慶は紅茶をいれ、九郎は皿とフォークを用意して、あとは最早切り分けるのを待つばかり。
「緊張するな」
 ナイフを握りしめた九郎は若干強張る。弁慶は笑った。
「ふふ、先週を思い出しますね」
「ああ……そういえば、そんなこともあったな」
 九郎はただ、綺麗なケーキに傷つけるのが勿体なかっただけだったのだが、記憶がよぎり、更に身構えてしまった。
 だって、あの惨状。
「九郎、はりきってプリンを作るから」
 そう、先週、色々あって、九郎は山ほどプリンを作ったのだ。弁慶と、あと譲や望美にもあげようと思っていたのに。
「あれはお前が悪い」
「ふふ、そうかもしれないですね」
「そうかもしれない、じゃなくて、事実だ」
 だってまさか、食い意地張った弁慶が『九郎のつくったお菓子は僕が全部食べます』とか言い出して……でもとうてい一人で食べきれる量ではなかったので、結局九郎まで巻き込まれ、次の日の夕飯まで仲良くプリンを食べ続けたのだった。
「大丈夫ですよ、今回は僕も大人しくしてます。九郎が作った訳じゃないし」
「そうだが……」
 それでも、なんとなく嫌な予感はするのだ。しかし、優柔不断はよくない。ケーキを待たせる訳にもいかない。
 九郎は息をのみ、決意を固めてからいよいよ刃をその柔らかな身に……
「じゃあ、こういうのはどうですか?」
当てる直前に弁慶がにこにこと言った。
「僕がふたつに割りますから、九郎が好きな方を選んでください。それだったら、たとえ僕の手元が狂って綺麗に二等分できなかったとしても、互いに禍根も残らないでしょう?」
 その提案に、九郎の顔も輝いた。
「成程、さすが弁慶だな」
「ふふ、ありがとうございます。ではその包丁を僕にくれますか?」
「ああ」
 九郎が渡すと、弁慶はさっそくケーキにさくりと刃を沈ませた。この世界のものはなんでも美味だが、チーズケーキが特に大好きな九郎はわくわくとそれを見守っていた、が、
「あ」
「……手が滑りましたね」
「!!!」
 弁慶が切り分けたケーキは、二等分なんて言うにはおこがましいほどに偏った大きさで……片方がもう片方の倍はあるように見えた。
「弁慶これは手が滑ったなんて話じゃないぞ」
「すみません。やっぱり九郎に任せればよかったかな」
「……」
 そう素直に謝る弁慶とケーキを、九郎は交互に見つめ。
「いや、気にするな」
 慰めるが、さて、これは、九郎からすれば、また別の責任が生じている気がする。
 だってすごく選びにくい。弁慶も言った通り、切る方を選んでおけばよかった、が。
 まあいいか。弁慶も九郎がチーズケーキが大好きなのは知っている筈だし。
 ほとんど躊躇わず、九郎は大きな方に皿とフォークを伸ばした。
 でもその時。
「これって、なんだか騙し討ちみたいですね」
 弁慶の言葉に、九郎の手が止まる。ついでに、九郎の顔が歪む。
「……何の?」
「決まってるじゃないですか、愛の大きさを測っているような気分、です」
「お前、まだそんなこと言うのか!」
「なにがですか? 僕は九郎がどちらを選ぶのか、それを見守りたかっただけですよ」
 にこにこにこにこ。弁慶は穏やかに笑うが、九郎が笑える筈がない。
「この前俺が似たようなことを言ったら怒ったくせに!」
「九郎が大きい方をとろうとするからいけないんです」
「さっき、俺が作ったものじゃないから興味ないって言ってたじゃないか」
「ええだから九郎とちゃんと半分にしようとしたじゃないですか、九郎が僕に作ってくれたものだったら抱えて全部食べてます」
「まだ懲りないのか」
「ふふっ」
 何故か得意げな弁慶。しかしそんなのお構いなしに、九郎はぐさっと遠慮なくフォークで、大きな方のケーキを引きちぎってそのまま食べた。
「ああっ!」
「人を試すような真似するお前が悪い」
「酷い!!」
 が、これで黙る弁慶ではない。すっ、と体が浮かんだかと思うと、九郎が止める間もなく、がぶりとケーキそのものに食らいついてしまった。
「汚いぞ!」
「ふふっ」
 ぺろり、と唇舐めながら、弁慶は再び視線をケーキに落とすが、そうはさせない。九郎が彼に体当たりしたからだ。どすん、と音を立てつつ、二人の体がソファに沈む。
「痛っ」
「うるさい!」
 そのまま九郎は弁慶を押さえこもうとするが、弁慶もじたばたと暴れることをやめないから、どんどん本気になってくる。
「そもそも、いくらなんであの切り方はないだろう」
「不器用なのは生まれつきです。ちょっと手先が器用だからって、皆が君と同じようになんでもこなせると思ったら大間違いですよ」
「いいや、それにはいくら俺でも騙されないぞ、絶対わざとだ。絶対だ!」
「人を疑うなんて最低だって言ってた九郎がそんなこと言うなんて」
「お前がそうやって無茶苦茶ばかり言うからだ!」
 最低限、両手だけは押さえておきたいと、九郎は必死になるけれど、弁慶の左手がどうしても掴めない。ソファの上という限られた中、覆いかぶさり追いかけるも間に合わず、そのうちぐい、と頭を下に引かれた。
「痛」
 しまった、だから押さえておきたかったのに。先手を越された。弁慶の左手は九郎の髪を掴んでいた。
「九郎、大人しくなさい。これ以上僕に危害を加えようとするとどうなるか……君なら分かりますよね」
「卑怯だ!」
「軍師に卑怯、は、褒め言葉ですよ。……ああ、でも僕もう軍師じゃなかったんでした」
 前回に続いて今回も!!そう憤っていた九郎だけれど、でも、その、どこか遠いものを含む声音には、動きを刹那、止めてしまう。
「……弁慶」
 まだそんなに時間は経っていない。なのに、どうにも遠いような気がしてしまう京での日々。ふっと、心が過去へ過った。けれど、
「隙あり!」
 途端、掴んでいた方の手が振りほどかれた。弁慶が動いたのだ。どこまでも汚い!思いながらも、九郎もまるで戦場で振る舞っていたように、稲妻の如くに動き、
「させるか!」
間一髪ではあったが、ケーキ手前ではじき返した。かわりに弁慶の鋭すぎる視線が刺さる。
「いい加減、譲ったらどうですか、お茶が冷めます」
「お前が大人しく、ちゃんと半分にすると約束したらな」
「半分? 僕たちそれぞれ、もう食べてしまっているから、正確に半分になど、できるはずないで…しょう!」
「そうだな……っ!!! お前が随分食べてくれたからな!」
 会話をしながらも攻防は止まらない。一瞬一瞬のせめぎ合い。刃のように手と手がぶつかりあう。
 だけど、その時。
 どさり。
 と、聞き慣れない音がした。
 そちらを見れば、いつの間にかあがっていたらしい望美が、口元を両手で覆いながらそこに立っていた。
「……信じられない!」
 悲痛な声に、二人の血の気が一気にひいた。
「望美さん」
「違うんだ望美!」
 九郎も弁慶も、即、そう叫び否定したが、望美は彼らをそれ以上見ることはなく、
「……ごめんなさい私帰ります!」
と、落としていたらしい鞄を拾って逃げるように去っていった。

 残された二人は、互いに互いをしばらく呆然と見つめていた。けれど。
「うわあああ!!」
 同時に叫んだ。
「まずい、勘違いされた、絶対勘違いされた!」
「どうしよう、もうおしまいです」
「望美に会わす顔が無い」
「僕の今までの努力が」
 だが、弁慶の言葉に、九郎はぴたりと動きを止める。
「……努力?」
「そうですよ、今まで作り上げてきた、弁慶さんって大人ですね素敵ですね、ていう印象が」
「安心しろそんなものない」
「君と一緒にしないでください。ああもう、望美さんはどこから見ていたんだろう」
「そんなネコかぶりどうでもいいだろう!」
「ねっ……!?」
 それに、弁慶も固まったが、九郎はなおも深刻だ。
「それより今の俺たちの体勢を見ろ! こっちを誤解されたに決まってる」
 九郎さん昼間からなにしてるんですか最低です。そんな妹弟子の声が聞こえたようだった。なのに弁慶は鼻で笑う。
「そんなの別に、事実じゃないですか。昨日だって朝から随分張り切ってましたよね?」
「あれはお前が起きないから」
「僕のせいですか? せこいですよ」
「お前と一緒にするな!」
「大差ないです」
「俺は生き方だ、お前のは取り繕ってるだけだ」
「九郎も屁理屈なんていうようになったんですね、ふう、ますます見苦しいですよ」
「!!!!!」
 ひとつひとつはいつもの聞きなれた悪態だ、回りくどい言葉遊びだ。でも言葉の束は、結構九郎にぐさぐさと突き刺さった。
 それでもなおも、弁慶はなにかを言おうと息を吸い、唇を薄く開いたから、九郎はそれにかじりついた。弁慶の抵抗がぱたりと止まる。口内はほんのりチーズケーキの味がした……ような気がした。
「……どうあがいても、望美に見られてしまったことは、もう取り返せない」
 きょとんと九郎を見つめる弁慶に、身を起こしながら九郎は言った。
「もう過ぎたことだ、だから、それよりも」
 九郎が武士だったことも、望美に目撃されたことも既に過去。ならばせめて、堂々としていたい。そう思い、九郎は言葉を紡いだ。けれど弁慶はあざとく笑み、遮る。
「過ぎたこと? ふふっ、そうですね」
 そして、返り討ちに合い戸惑ってしまった九郎の髪を引き、肩に手をまわし、ぐいと九郎を抱き寄せた。
「君のそういうところ、僕、好きですよ」



一方その頃。
「譲くん!!!」
「せっ、先輩!?」
 望美は勝手知ったる幼馴染の家に突撃し、泣きついていた。
 ……というより、
「なんで九郎さんたちのケーキ、あんなに大きいの!!」
「え、だって二人分だから……わわっ、ちょっと、せんぱ」
「だからって酷い!」
 暴れていた。


調子に乗った続編。望美+有川兄弟も書きたかったんです
(19/MAR/2010)(29/JUL/2011)



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