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(後)

 後ろ手に戸を閉める。中は薬草の独特の臭いで鼻がつんとした。今日は天気が悪いからか、薄暗い。色んな物が積んであって、ちょっと怖いような気がした。夜の街でみた彼とはちょっと違う怖さ。
「もう夜の街には出ないのか?」
 問うと、小上がりに腰を降ろしつつ彼はきっぱり言った。
「行きません」
「どうして。お前なら比叡の奴らがいなくても一人で徒党を作れるだろう? なんなら俺も」
「時間がありませんから」
 食い下がったものの、再びきっぱりと言われた。
「なんで」
「そんなことに時間を裂くならこうして皆を診ているほうがよほど有意義だ」
「有意義?」
 苛立ちはじめていた遮那王の口調は荒くなる、
「ああいうことはもう飽きたと言いたいんです」
けれど相手のそれは更に薄情だった。
 言葉に詰まる。この前もそうだったけど、なんだか気押される。まるで師を思い出す。
 だけど言い返せなかったのはそれだけじゃなかった。遮那王もうすうす分かっていたからだ……夜を駆けることに意味はないと。それも多分、この前彼に会ったのがきっかけだった。
 だから話題を変えた。
「だったら俺と手合わせしてもらえないか」
「興味ないです、別に僕は武術の腕を磨きたいんじゃない」
 それもあっさりと切り捨てられたけど、遮那王はなおも追いかけた、
「だからといって、薬を配ることをやりたいようにも見えない」
追いかけてしまった。口にして、しまった、と思った。だって荒法師の動きがぴたりと止まった。明らかに言ってはいけないことを自分は言ったのだ、と、分かった。この前の事が更によぎる。まずい、怒られる、追い出される。まだ話をしたいのに!
 でも……それは遮那王からすれば本当のことだった。
 ここ数日見ていて思った。彼はにこにことしていて、これが本来の彼なのだろうか、なんてぼんやりと思いもしたものの、でも違う。
 気付いたのはついさっきだった。再び言葉をかわして違和感を抱いた。それは多分、今や夜に彼が纏っていた気配のせいだ。たとえば鞍馬の寺主さまが持つような、たとえば自らの剣の師の帯びるような気。それがすごく、優しい顔とちぐはぐだった。
 薬師としての面が嘘だとは思わない。でも、あんなに強い気配、なにもないのに持ちえるとは思えない。
 持てるなら、この身にも欲しい。
「…………」
 また言葉で切り捨てられるのを覚悟で、嫌われるのも覚悟で、遮那王はじっと見つめた。
「……君は」
 幸いなことに、相手は怒りはしなかった。だったらついでだ、聞きたいことは全部聞いてしまえと思った。
「……一体お前は何をしたいんだ? あれだけ策を練れるんだ、なにか考えがあるんだろう?」
 彼は再び、無言でなにか考えながらこちらを見上げていた。
 探られるような目、大きな目で見上げられてなんだかどきりとするような気がしたが、身じろぎする余裕もない。じり、と背を汗が伝ったのを感じ、緊張で息をのんでしまう。それでも見つめていると、
「君は、今のこの世をどう思いますか?」
静かに彼は問いかけた。遮那王は即答した。
「平家は俺の敵だ」
 けれど、
「そうじゃなくて、……子供に話しても無駄ですね。ふふっ、僕もまだまだだ」
その答えはあっけなく彼に哂い飛ばされたものだから、いよいよ遮那王の腸は煮えくりかえった。
「そんなの、喋ってみなければ分からないだろう!」
 襟元を掴みたくなったけど、それこそ子供だと哂われると思って手を出すのは必死に堪えた。かわりにぎゅっと歯を食いしばる。ぎり、と音がしたが気にならなかった。
 一度、中腰になっていた荒法師は、こちらを見、再び腰を降ろした。そしてじろり、と一瞥した後、
「僕はこの世が気にいらない」
やはり静かに話しはじめた。
「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし。この街はすっかりと平家のものだ。彼らの栄華の為にその他多くの皆が貧しく飢え、病に苦しむ」
「だったら平家の敵か。俺と同じじゃないか」
「そういう話じゃないんです」
 口調は淡々として、まるで他人の事を喋っているよう。なのに目は痛烈に遮那王を責める。
「憚らずに言いましょう。僕だって平家は憎い。だけど君と違って平家の血が憎いわけじゃない、ただ、平家の支配が憎い」
「何が…違うんだ?」
「かつて、京が荒れ龍神の神子という存在が穢れを浄化した時代があった。その時、時の帝をはじめ、国を統べていた方々は揃って、民の事を一身に考えてくださった、という記述が残っている。あちこちに。それが失われた今が悲しい。僕はそれを取り戻したい、平家が穢す世ではなく、皆が笑って暮らせる未来を」
 荒法師はするすると言った。それを聞いて、ああ、彼はずっと苛立ってたのか、と気がついた。
 だけどそれより、言葉に驚いた。
「未来」
 紡いだ言葉はなんだかひどく大袈裟に響いた。
 でも、少なくとも遮那王にとっては大それたことだった。多分はじめて口にした。先生には何度か『未来にその剣が必ず役に立つ』なんて言われていたけど、深く考えたことはなかった。
 だけど今、過る。顔も知らぬ父、悲しく笑う母、人質として生かされる自分、裏路地のかわいそうな人たちの目、逃げだした日の重く悔しい気持ち、誤魔化して隠してしまった憤り、そして、最近ずっと眺めていた、この診療所に通う人たちの顔。
 優しい顔で笑う薬師の前で、彼らはいつだって笑顔だった。
「それで、薬師をしていたのか?」
「半分はそうですね。今の僕にはこれくらいしかできないけど」
 返事はやはり不機嫌だった。だけど、遮那王は笑顔になった。
「お前、すごいな!」
「はあ」
 言うと、ますます彼は不愉快そうにしたけど、関係ない。
「俺は小さかった。ただ平家が憎くて倒せれば、一族の汚名を晴らせればいいと思っていた」
「……馬鹿ですね、君は」
 放たれた口調は明らかな侮蔑を含んでて、普段の遮那王なら聞き流すことはできなかったと思う。
 でも今はとにかく、彼の言葉に夢中だった。
 だって考えたことなかった。この世の行く末など。それを自分が変えるなんて、今まで惨状から目を伏せ逃げだすことしかできなかった己には。
 ……とはいえ、知ったところで現状はなにも変わっていない。
「だけど、何をすればいいんだろう、俺は薬師にはなれないし、政ごとなどさっぱり分からない……お前にはなにか、手はあるのか?」
「薬を配るのが精一杯ですね、今の僕では…………力がないから」
 最後の方は小さくて、もしかしたらひとりごとなのかもしれなかったけど、そう言って彼は唇を噛む。力なんて、それこそ平家と同じじゃないか。そう言いそうになったけど、はた、と気がついた。
 そうか。ああそうか。
 手段なら最初からこの身にあった。
「決めた」
 気付いてしまえばなんと簡単な。遮那王は、晴々しく宣言した。
「俺はやっぱり京を出る。お前も来い」
「……出て、どこに?」
「平泉に縁のあるものにこの前出会った。平泉では、今面白い者をあちこちから募っているという。だから頼ってみようと思う。そこで、平家を打ち倒す機会を探る」
「……それじゃあ今までと」
「話は最後まで聞け! ……確かにお前からすればそうなのかもしれないけど、俺にとっては全然違う。京でこそこそ戦うのは終わりにする。きっと俺とお前の他にも平家を憎む奴はいるだろう、そういう人たちを集めて戦をすればいいと思う。正面から戦うんだ。で、倒した後の難しい政は、お前に任せる」
 胸を張り遮那王は言った。しかし言葉を進めれば進めるほど、どうしてか荒法師の顔は冷めてゆくように見えた。
「……」
「……駄目だろうか」
 不安になり、つい聞いてしまう。
「……そうですね、別に僕と君は、知り合いじゃない。君の頼みを聞くいわれもない」
「……そう、なのかもしれない」
「じゃあ、断る、と言ったら、君はどうする?」
「…………困るな」
 止めのように言われたそれに、胸が軋んだ。ひどく。だけど今更取り繕う術なんて、もともと遮那王は持ち合わせない。
「困るけど、頼むしかないと思う」
「僕がいなければ、馬鹿な君は何もできないから?」
「そっ、それもあると思う。やっぱり俺はお前の言った未来ってものを望んだところで、平家を倒すこと以外にできそうな気がしない。でもそうじゃなくて……なんていうか、きっかけはお前だから、隣にいて欲しい」
 確かに別に親しくない。会話を交わしたのだってたったの二度目だ。
 だけどそのたったの二度が、どれだけ遮那王の心を揺らしたのか彼は知らない。
 彼が未来という言葉を紡いだ時、遮那王の心がどれだけ踊ったか、きっと彼は知らない。
 その一言だったんだ。それだけで、それこそ自分の未来が見えた。出来上がった。
 そんな遮那王に、さらり、と、黄銅色の髪を揺らしながら彼は言った。
「平家を倒し、天下をとって、世を正す。本気で言っているのだとすれば、それは随分と仰々しい夢、いや、野望かな。君は馬鹿なのか、それともふてぶてしい子供なのか、どちらですか?」
 幾分か和らいだ声音。はじめて聞く声だった。どきりと胸が鳴る。それも押さえて、遮那王は返す。
「だけど、俺はもう、今のままでは平家と同じだと知ってしまった」
 ……そう、果たしあいのつもりでも、所詮闇討ちと変わらないんだ、遮那王のやり方じゃ、ただ悪戯にこの名を貶めるだけだったんだ。夜の京に行く意味などないと言った彼の言葉の意味が分かった。愚かさに身が千切れそうだった。
 だけど恥じたい気持ちをぐっと痛みで抑えつけて、必死に立つ。
 すると、唐突に荒法師は声をあげて笑った。
「ふふっ、はははははっ」
「?」
「随分と素直になんでも喋るものですね。面白い。君の事は嫌いじゃないかも」
「じゃあ!」
「だけど、部下になるのはごめんかな」
「部下!? なんでそんな」
 突然の笑いに突然の話の飛躍。なんだかとっても目まぐるしい。
「そういう話でしょう。違うんですか?」
「当然だ」
 それでも必死に否定すると、彼はまだ笑いながら問いかける。
「じゃあ何?」
「何って…………仲間じゃないのか? 同じ目的なのだから」
「……ああ……そうきましたか……ふふっ」
 そして、再び笑いだした。
「?」
 けらけらとあがる綺麗な声に、遮那王は言葉を奪われた。何が楽しいのか分からない。だけど笑う彼は楽しそうに見えた。そう、今までで一番楽しそうに。
 そんな彼に、荒法師はついに言った。
「仕方がない、面白そうだし、ついてってみようかな」
「!」
「痛い」
「あっ、すまない……」
 思わず身を乗り出し肩を掴んでしまった遮那王に、短く彼は言った。なのに言葉とは裏腹に、離れようとした遮那王にすっと頬寄せ、低い、だけど冷たくはない声で、
「ここいいても平家が憎くてはらわたが煮えくりかえりそうだし、なによりこの調子で君につきまとわれたら僕まで怪しまれる。正直、君が現れてから散々なんですよ、源氏の御曹司殿」
「お前、俺の事を」
「静かに」
 間近で目配せする彼に、遮那王もこっそりと気配を探る。
 気配を感じる。
「君を追っていた連中が戻ってきたらしい、まだ気付いてないみたいだけど、ばれるのは時間の問題かな」
「! あいつら!!」
 遮那王はとっさに立ちあがった。逃げなければならない。このままでは自分も、彼も危険だ。二人で戦えばどうにかなるような気もしたけど……もうそういうのはやめにしたんだ。
「じゃあまた」
 明日にでも、夜のがいいか?
 そう問おうと思った。なのに先に阻まれて、
「ああそう、言い忘れてました。僕を連れてゆくのなら、きちんと対価をくださいね」
「たい…何!?」
彼はまた意味の分からない事を言ったかと思うと、
「明後日が昇ると同時に、下賀茂の南で」
 急に立ち上がり……と同時に、唐突に、しかもすごい力で蹴飛ばされ、遮那王は板戸ごと外へふっとんだ。
「お前っ!!」
「二度と来るな!」
 目の前の敵より余程加減ない蹴りだった。むせながら必死に振り返る。
 冷たい声だった。でも、だけど目は全然冷たくない。
 敵を背にして、遮那王は彼に微笑んだ。
「……勝手にしろ!」
 そして必死に北へ駆け抜けた。






 遮那王が去った後、訝しげな平家の者に散々彼をひどく言って無関係を装い追い払った後、薬師は壊してしまった板戸をがたがたと直しながら思いだしていた。

 夜の京。比叡の僧たちと降りたそこは戦場というにはあまりに幼稚な、遊びというには性質の悪いものだった。祈りを捧ぐ事も忘れ、ただ自らの権威だけを振りかざしその為だけに戦う、あまりにくだらぬ目的の諍い。
 最初から彼は飽いていた。それでもやるからには意義のあるものにしようと率先して敵を蹴散らした。
 それさえも馬鹿馬鹿しくなったのはあの子供と出会った後だった。
 子供は明らかに周囲から浮いていて、どこかの有名な武家の預かりだともっぱらの噂だった。彼は口にこそしなかったものの分かりやすく平家に憎しみを向けていたので、誰なのかは簡単に見当がついた。申し分ない血、それを凌駕する剣の腕、なのにこんなにくだらない事に没頭しているらしい彼を見て、貴族というものにほとほと嫌気がして……ああでも、傍から見たら自分も同類か、と思ったその日の夕に、山を出て行った。
 つまり。薬師などはじめたきっかけがあの少年だったのだ。
 その彼が。
「全く、僕を巻き込んでくれるなんて」
 夜の京でうんざりしたのと裏腹に、ほころぶ顔を押さえることはできなかった。

 遮那王に話した事にはいくらかの嘘があった。本当のところ、平家をどうにかするところまでなら算段はあったのだ。まずここで薬師として名声を得、平家に取り入ってやろうという策が。そうして近づき口先で権力を掌握するもよし、壊してしまうもよし。後ろだての一切を持たぬ身では……否、熊野、比叡、と、権力というものに愛想を尽かしきっていた自分からすれば、そういったものに頼るのは死んでも御免だったので、それくらいが限度だろうと思っていた。
 だから遮那王についてゆく理由はなかった。むしろ相手は源氏の御曹司、貴きを厭う自分からすれば断る理由の方が枚挙に暇ない程だった。
 それでもついていってもいいかな、と思ったのは、彼がうろちょろと五条を歩き回るようになって自分も平家に目をつけられはじめたから。数日前からは遠巻きに探られている。疑いをかけられるのも時間の問題だ、こんなことで計画を潰されたらたまったものじゃない……たとえ平泉へ行こうとそれを取りやめるつもりはないのだから。
 というのが半分。
 残りの半分は、ただ単に、
同じ目的、というのが気に入った。それだけだった。
「仲間ね、ふふふ」
 くすり、と笑う。楽しくて仕方がない。彼と自分と、どちらが先に平家を倒すのだろう。負けるつもりも譲るつもりも全くなかった。
 けれど、ひとしきり笑った後、薬師はふと空を仰ぎ、呟いた。
「……もし君が本当に、僕にはないその血を掲げ捧げ失うまで戦うというなら、それもいいのかもしれない」
 矛盾だとしても、それもまた本音だった。彼と競うのではなく、それこそ彼が言ったように仲間となる、共に立ち共に向かう、そんな、何か。
「……考えたことなかったな、そんなこと」
 見上げた空は雲ひとつないのに薄白くぼんやり霞む。だけど果てなく広く、
彼みたいだな、と、なんとなく思った。





途中九郎が検非違使に助けて貰ってるんだけど、
別の事調べてて知ったんですが、この頃の検非違使別当はもろに平家だった……みたいですね
じゃあ不自然かなって思って別の何かに助けて貰う事も考えたんですが、
知識不足で思いつかなかったのでそのままにしちゃった
検非違使っていうと幸鷹さんのイメージしかない
いつもの事ですがその他色々適当知識で書いてます、すみません
(25/06/2010)



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サソ