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(1)

 ある日の夜、遮那王はある子供に出会った。
 子供と言っても向こうの方が多分年は上だ、だけどその体格は大人ではなかった。それでも丁寧な喋り方は遮那王にも分かるほどに冷めていて、あまり子供っぽくはなかった。
 そんな不釣り合いさが印象に残った。
 他にも気をひかれた事はたくさんあった。
 彼は僧兵としてはごくありふれた服装をしていた。だけど頭を隠すように布を巻いていて、そこからちらりと零れていた髪の色はありふれたものじゃなく、夜闇にも隠れない明るい髪色、
紡ぐ声音は美しく、
それなのに構えた薙刀から繰り出させる斬撃には驚くほどに容赦がなかった。
 自分の師が遮那王に剣を教えるやりかたに似ていた。力任せというわけではなく、本気でこちらを殺しにきているわけではない。なにより隙がない。なんとも言えないけど、そういうところで師と戦っているような気分になった……もちろん、腕前自体は遮那王と大差ないように見えたので、師のほうがずっとずっと上なのは間違いないけれど。

 遮那王は鞍馬の寺に預けられていた。源氏の血をひく御曹司。父も母も兄弟も平家に奪われた、その仇をとるのだと、ずっと決めていた。
 剣術は誇りだった。剣を握っている時は自分が武士であることを思い出した。なによりただ好きだった。だから遮那王は隙あらば寺を抜けだし、山を駆けあがりその特訓をし、夜になれば街へ降りて強いものと戦い腕を磨いた。特に平家の者がこちらに興をひかれようものなら徹底的に叩きのめした。
 金の髪の法師と出会ったのもその過程でしかなかった。
 そして仏の御心とは裏腹に、僧侶たちは争いが好きで、互いにそういうものに属していたので、そのあともたびたび夜の街で彼を見た。
 敵対することもあったが共闘することもあった。そのどちらの時も、その法師は相手に遠慮とか容赦とかすることがなく、特に、京の皆で結託して共に南都の兵を追い返した時には、あまりに冷静に策を示して一網打尽にした後、手ひどく追い打ちをかけていたので、その時は味方だったというのに遮那王は心底恐ろしく思ったほどだった。
 まわりの僧兵もたいがいで、その少年と同じように酷い事をやるものも多く、その度に遮那王は軽い怒りを覚えたものだった、共にあればあるほどに信仰心を失っていくような気がしていたけれど、ただその法師においてだけは、怒りよりも恐ろしい、と、刻みつけられるように思っていたのはきっと、細かいことは分からないけれど、どこか彼の冷たさが他の者たちと違うように見えたからかもしれない。だからといって何が違うのか分からなかったし、本人と何か言葉をかわすこともなかった。

 しばらくして彼と、ぱたりと出会わなくなった。
 どうしたのだ、とある夜に比叡の僧に聞いたら、とても忌々しい顔で『山を降りた』と教えてくれた。まだ幼い遮那王には良く分からない罵詈雑言と共に。
 その時はただ、あのまま仏に遣えようものならきっと彼に天罰が下るに違いないから、早めに山を降りたのは正解だ、とぼんやりと思っただけだったけど、
寺に戻り夜の静寂に身を忍ばせながら眠りにつこうとした時にふと、そういえば自分はここを離れることを考えたことがなかったな、と、思い立った。
 寺の誰にも、剣の師にさえも零すことはなかったけど、そうして遮那王は本気で鞍馬を去った後の事を考えるようになっていった。


 そのまま一月ほど過ぎた時、偶然にその黄色の荒法師と再会した。
 偶然だった。昼間に遮那王が御師たちと共に内裏へ赴いた帰り道、五条の橋の下で見かけたのだ。
「あ」
 と、思わず立ち止まってしまった。
「知り合いですか?」
 そんな彼に同行していた御師は柔らかく微笑んだ。はい、と素直に返したところ、
「だったら、話でもしていくといい。気になるのでしょう?」
と言ってくれたので、ありがたく言葉に甘えることにして、彼らを見送った。
 だけどすぐに橋を降りることはしなかった。何故なら彼は、あまりにも意外なことをしていたからだ。
 河原に小さな小屋がある。その前に列をなす人はどうみても怪我人や顔色の悪い者たち。そして、開けられたままの板戸の向こうで荒法師はにこにこと笑っていた、優しそうに。夜闇に不気味に浮かんでいた髪色はここではとても暖かに見えた。
 一体何をしているのか……遮那王の知っている知識と照らし合わせれば、それは寺の薬師が治療をしている様に似ていたが……だけど、どうして彼がそんな事をしているのか遮那王にはさっぱり分からない。
 だからそうして見ていたら、しばらくの後、目があった。気付かれたらしい。とはいえ目があったのは一瞬だった。そして、その刹那にすごく嫌な顔をされたような気がしたけれど、目の錯覚だろうか。
 遮那王が御師たちと別れたのは八つ時だったから、それから一刻ほどすぎたあたりだろうか、まだ空が赤くなるよりは早くに小屋に集まっていた人は去っていった。
 誰もいなくなったところで、改めて荒法師が小屋から出てきて、こちらを見上げて言った。
「さあ君も帰ったらどうですか」
 さっきまでの優しげな微笑みは消えてすっかりと、夜の街で見た冷ややかな表情をしていた。
 でも、怖くなかった。暗くないからかもしれない。その上遮那王にとっての彼はそれであるはずなのに、ひどい違和感を覚えた。だから、
「俺を覚えているか!?」
とっさに叫んでいた。彼は表情変えずに大きいような小さいような声で返した。
「鞍馬の遮那王でしょう」
「何をしてるんだ」
「見ての通りに薬をお配りしているだけですが」
「なんでこんなことをしている!?」
「何故って、僕は元々法師なんですけど。当然です」
 だからといってなんであれだけ街で暴れていたお前が、と、なおも聞きたいと思った。なのに、とても人を癒すもののものとは思えない気を彼から感じ、つい口をつぐんでしまう。
 遮那王はこの気を知っている。少しひっかかったけど、会話を途切れさせたくなくて、別の事を言った。
「じゃあ、俺が怪我をしたら診てくれるのか?」
「君はそうやすやすと怪我をしない。擦り傷は絶えなさそうですけどね、手当が必要な程の怪我を君がするなんてその時は、命を失う時でしょう」
「なっ!!」
「そもそも、鞍馬で診てもらえばいい」
 あんまりな物言いに絶句した遮那王に、高らかに荒法師は笑う。
「ふふ、さあ、今日はもうおしまいです。帰りなさい。さようなら。僕は君と違って忙しい」
「くっ」  血が昇った。だけど殴りに行くには遠かった。行き場ない拳を握りしめながら遮那王は相手を睨む。
 彼は勝ち誇ったように一度だけ笑って、ふわりと髪を揺らして小屋の中へと戻っていった。
 だけど……昼間の様子を見る限り、忙しいと言ったのは本当だろうし、なにより今のところ達者すぎる相手に言い返す言葉が見つからなかったので、遮那王はすごすごと鞍馬山へと戻っていった。


 預かりの身である遮那王は普通の僧や見習いたちと違いやることがあまりなかったので、そういう意味では実に自由だった。
 けれど、その時間の使い方を彼は知らなかった。仏の教えに耳を傾けるのは勘弁だったから、僧たちに混じってお堂の掃除をするか、師に剣術を習うか、で過ごすしかなかった。
 街に行くことはほとんどなかった。最近ようやく、焦るように、鞍馬を降りた後の行き先を求めて人を訪ねるようになったものの、それでもあまり近づいてはいなかった。
 昼の街が好きじゃなかった。彼は京の街と鞍馬山以外の土地の事を知らないけど、はっきりと嫌いだと言えた。大通りは憎い平家の人間が我が物顔で歩いているし、かといって裏路地に入ると途端にどんよりとした空気が遮那王を襲う。人々に精気がなくて、皆虚ろな目で通りゆく遮那王を見た。それがすごく嫌だった。だけど遮那王には彼らの為にできることはなにもなかったから、目を伏せて走り抜けるしかなかった。逃げ出した。近づくことを恐れた。ただ、山の上から遠くにかすむ、ぼんやりと白い京の街を見下ろして、煮え切れぬ気持ちを抱くばかりだった。

 それでも次の日、遮那王の足はごく自然に五条大橋へ向かっていた。
 その日も荒法師はにこにこと薬を配っていた。
 次の日も、その次の日も行った。やはり彼はそうしていた。
 遮那王はそれをただ橋の上から見ていた。話かけることはなかった。怪我をしてないから話してはいけないような気がしていた。向こうもこちらに気がついていた。彼も同様に見て見ぬふりをしていた。
 そんな事がしばらく続いた。


 遮那王が昼の街に降りない理由は、本当のところもうひとつあった。
 彼は夜の街で平家の武士をかなり襲っていたからだ。勿論闇討ちではない。相手が刀を抜くのを待ってからの勝負。殺してもいない。卑怯な真似は平家と同じまで落ちる気がして、嫌だった。
 でもそんなことをしていたから、遮那王はよく狙われた。名乗ったことはないが、寺の先達が言うには容姿が目立つらしい。だから昼間は大人しくしていようととうの昔に決めたのに、
忘れていた。
 五条へふらふらと通うようになって一月といくらか越えたある日、二条のあたりで待ち伏せされた。相手はあまり綺麗な身なりではないが、平家の武士と名乗るもの5人。仕返しだ、とも言った。
 勝てない。とっさに思った遮那王はすぐにその場を逃げだした。
 本当は鞍馬へ向かえばよかったのかもしれない。でも立ちふさがれて向かえない。やむなく南へ走る。
 遮那王は速かった。師にもいい脚だと褒められた。大抵の者は、大人でも遮那王に敵う者はなかなかいなかった。それこそ勝てないのは師くらいだと思ってた。でも、運悪く平家の者のなかにえらく足の速い者がいた。往来をすりぬける遮那王を懸命に追いかける、否、相手が『我は平家の末席なり! その子供を捕まえよ!』などぬかしながら走るので、人々が彼の為に道を空ける。遮那王を捕まえようとする大人までいる。
 三条、四条と駆け抜ける。次第に追っ手は減ってゆく。だけどどうしても二人だけは振り切れなかった。ついに橋の上で追いつかれた。背後から髪を引かれ、そのまま地面に殴りつけられる。
「いっ」
 その痛みよりも打ちつけられた、走り続けていた息苦しさで、胸が痛んだ。とっさに動けない。その間に今度は腹を思い切り蹴られる、
「くはっ」
欄干に背中からぶつかった。口から何か吐き出した気がしたけどそれどころじゃない。
 そうこうしているうちに足音は近づいてきて、またぐい、と髪をひかれ上向かせられる。
「よくもやってくれたな、ガキが。ただで済むと思ってるのか?」
「はな…せ……」
「今更何言ってるんだ? そんなの聞くわけねえだろう」
 頭の上で彼らは下卑た笑い声をあげる。なんとかしなければ、と、遮那王はとっさに腰の太刀に手を伸ばす、が、柄を掴んだところでそれごと手を踏みつけられた。短く悲鳴を上げてしまう。相手はますます満足げに哂う。
「先に取り上げろ」
「は」
 遮那王を掴んでない方の男が、腰のあたりに屈んだ気がした。
「やめろ」
「黙れ」
「黙るのはお前だ!」
「まだ言うか」
 まずい。こいつらの仲間が集まってきたのが見える。囲まれたら終わりだ。ここで済めばいい、だけど平家の邸まで連れ去られたとしたら。
 ……やりすぎた! 悔むも遅い。けれど状況は絶望的。男は遮那王が刀をくくりつけていた帯紐を解いた。そして太刀を奪おうと、
したところで、
「そこでなにをやっている!」
鋭い声がした。多分、検非違使だ。男たちが狼狽する。
「逃げるぞ」
 助かった、けれど思った途端に体が中に浮いた。ふわり、体が欄干を越える。
 逃げる間際に橋から放り投げられたのか! と気付いた時は時遅く、遮那王はそのまま地面に打ち付けられた。
「っ!!」
 河川敷の砂利が突き刺さる。さっきとは比べ物にならない痛みに意識が、目がくらみ、視界が白くなった。だけど再び目がみえるようになった時、橋の上に、逃げる平家と追う検非違使が見えたから、とりあえず安心だ、と、思って、遮那王はもう一度目を閉じ、深い息を零した。
「……どうなるかと思った」
 けれど。
「それは僕の台詞です」
 なおも頭上から落ちる声に、遮那王は驚いて飛び起きた。
 するとそこにはかの荒法師が、ひどく怒った顔をして立っていた。
「お前は」
「刀を抜いたならしっかり握ってください」
 言葉の意味を、最初遮那王は分からなかったけど、荒法師の足もとに……本当に足のすぐ近くに、遮那王の太刀が深々と刺さっているのを見、そういえば、さっきとっさに刀を握ろうとして、ああ、そのまま投げられた時に驚いて、離してしまったのか、と、思いだした。
「すまない」
 素直に謝罪しながら起きあがる。相手はなおも不機嫌そうに地面から刀を抜き、びゅん、と、まるで血飛沫を飛ばすように振ったあと、ついでにやはり共に落ちていた鞘にそれを収め、遮那王へつき返した。
「ありがとう」
 それでも彼は何も言わなかった。なのにじっとこっちを睨みつける。帰れと言いたいのかなと思った。だけどそれは嫌だったから、遮那王は立ち上がりながら慌てて他の事を聞いた。
「今日は誰もいないのか」
「休日です」
「それはよかった」
 関係ない人たちに迷惑かけなくて済んだ。
「全くです。だけど、僕はいますけどね、君の諍いに巻き込まないでください」
「だからすまなかったと……ん?」
 そうして少しずつ冷静になってゆくと、地面に草がたくさん散っていることに気がついた。
 薬草だろう。多分、彼が集めていたのを、遮那王が落ちてきた時に散らしてしまったんだろう。
 慌てて拾おうと、身をかがめようとしたとき、荒法師が口を開いた。
「君は一体何をしているんですか」
「何、って、薬草を拾おうと」
 突然だったから、少し驚きながら遮那王が返すと、忌々しそうに眉を顰め、
「……聞き方が悪かったです。最近、毎日来ますよね、何をしてるんですか、と、聞きたかった」
と、腕を組みながら言った。その言葉は随分と押しつけるようだな、と思ったけど、あまり気にせず遮那王は素直に返した。
「見ていた」
「どうして」
「不思議なことをしている」
「夜の街であれだけのことをしていた僕が誰かの為に何かをしているのがそんなに不思議ですか」
「不思議だ」
 間髪入れずに頷いた。それでもなお荒法師はしかめ顔だったけど、くるりと踵を返し、薬草もそのままに小屋の中へと入っていった。
 どうしよう、と、かすかに遮那王は迷ったけど、今日はさよなら、と言われてなかったから、後について足を踏み入れることにした。







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