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「青空の下」


 最初に九郎を見た時に目を奪われたのは、とにかくその立ち姿の美しさだった。景時も武士だし、そう年若いわけではないし、なのでさまざまな武士を見てきたけれど、あんなにも凛と立つものを他には知らない。
 その彼は、出会って二年ほどたっても相変わらずの美しい姿勢で……立ちつくし、遠く去ってゆく影をただ見ていた。
「弁慶、出かけるの?」
「そのようだ」
 馬に乗った黒い影は振り返ることなく、ゆっくりと遠ざかってゆく。九郎はただ、それを見ていた。
「どこへ?」
「さあ、俺に行き先を言う事は少ないから、知らない」
「……弁慶も、忙しいね」
 景時が話しかけても、彼はこちらを振り返ることなく、ただ遠ざかる影を見ていた。
「ああ。本を読んだり薬を摘んできたり調合したり、忙しい。少しは羽根を伸ばしたりすればいいものを」
「それ、九郎にも当てはまると思うけど? 君も随分忙しそうだよね」
「俺はその為に鎌倉にいる。一日も早く武勇を上げて兄上をお助けしなければならないのだ。忙しくなどしていない」
「うーん、そう言われちゃうと耳が痛いよ〜。オレも九郎をみなわらなきゃね、うん」
「お前は十分働いているだろ」
「そ? 九郎に言われると、自信ついちゃうな〜」
 景時と、九郎と弁慶は特別に親しいわけではない。ただ、九郎が清流の滝のようにまっすぐ爽やかな性格で、年もそれなりには近く、ついでに、景時が源氏の軍に加わった頃によく同じ責務を負かされていたし、なにより九郎の敬愛する鎌倉殿が、兵を率いるということは景時に学べ、なんて彼らに言ってたものだから、他の御家人よりも少しは距離は近かったけど、それだけだ。
 だから、彼らの事を詳しく知っている訳ではなく、景時も弁慶の行き先なんて知らないから、ただ無言で遠ざかる影に視線を移し、見送った。
 九郎も言っていた通り、弁慶というのはいつも忙しそうにしている。本人が柔和な態度を崩さないから一見気付かないけれど、用があって探すと、捕まらない。特に、鎌倉にいないことが多くて……九郎が知っているかは分からないけど、今も熊野水軍となにやら企んでいる、という噂も耳にする。彼は熊野の出身だというからただ里帰りをしているだけなのかも、しれないけれど、
 それでも、弁慶曰く、彼は九郎の軍師だというのに、主である九郎が彼の行方を知らないというのは、いささか不思議に思えた。
「どこへ行くか、聞かないの?」
 問いかけたのは、軽い気持ちだった。ただの好奇心。
「もう聞かない」
 九郎は振り返ることなく返した。
「そんな事を問う間があったら、兄上の為に動くことに費やしたいからな」
「はは……胸に刺さる言葉だね〜」
 その言葉は軽やかだ、
凛とした立ち姿もそのままで、彼の好む白の羽織が音を立ててばたばたとはためく。
 長い髪もたなびいて、立っているだけで絵になるその姿、
なのに、
「……その為に俺は鎌倉にきたのだからな」
表情だけは違っていた。きっと無自覚なその姿は、それゆえやりきれなさを引き起こす。綺麗な姿勢も相まって、どこか俗世の欠落した離れした悲しい清令さは目に焼きつくようで見ていられなくて、
景時は、もう一度遠ざかる駒影を見た。
 それはただの一度も振り返ることがなかった。
 ……振り返って欲しかったのだろうか。
 最後まで彼を見送ってしまった後、ようやく踵を返しその場を離れた九郎の背を見やりながら景時は思った。




(06/2009 - 13/08/2010)


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