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 待ち人は今日も来なかった。

 彼はけして何も言わずに約束を反古にする性格ではない。ゆえに、おそらく何か問題が起きたのだと、覚悟をしなければならないのだろう……突きつけられた運命に、弁慶はぎりと奥歯を噛む。
 いつかの決死の呪詛のみならず、今この悲願さえも叶わぬというのか。
 空を仰いだ。雲は薄くたなびき、白き龍の姿のようで……けれど力を持たぬそれは、弁慶を救わない。



 白に滲んだ秋空も、夕暮れになれば姿を変える。赤色はいつにもまして眩しくて、最盛期の過ぎた山々の紅や橙を一層さびしいものにする。それはどこか、残酷だ。
 行き交う人も家路を急ぐ慌ただしい時刻。弁慶はそこに溶け込めず、黒をゆらゆらと浮かばせ、枯れ落ち壊れた紅葉の葉を躊躇わず踏みつけながら、景時の屋敷の門の前まで戻ってきた。
 一度立ち止まり、大きく深呼吸して切り替えてから足を踏み入れる。どうやら、源氏の用で出ていた景時や九郎も、怪異を調べる為に京の街へ出向いていた他の八葉も皆帰ってきていたようで、奥から声が聞こえる。そちらへ進んでいくうちに、主である景時に出くわした。
「ただいま戻りました。随分とにぎやかですね」
「あ、おっかえり〜弁慶」
 彼はいつもどおりに呑気そうに笑っていて、普段を思い出すには持ってこいだ。
「そっちはどうだった?」
 問いに、従うように微笑みを返し、
「ええ。上々とはいえませんが、なかなか有意義な一日でしたよ。そちらはどうでしたか?」
「うん、鎌倉殿への報告もつつがなく終わったよ」
ついでにしれっと嘘までつくが、景時がそれに気付いたそぶりは全くない。彼は明るく言った後、がっくりと肩を落として続ける。
「でも、怪異の方はさっぱりだったみたいだね。今日も骨折り損って、ヒノエくんが言ってたよ」
「なかなか難しいですね。そういったことはすぐに噂になると思っていたんですが」
「そうなんだけどね……あ、とりあえず座る? それとも弁慶も庭に行く?」
「庭?」
「そうそう、ヒノエくんが面白いことを教えてくれてるんだよ〜」
 すると、誘うように景時が歩きはじめるから、弁慶も後を追う……ただし、甥の名にはつい眉をひそめてしまう。
「ヒノエが?」
「ん? ああ、別に変なことじゃないよ〜。ほら、ヒノエくんは熊野水軍だから、紐の結び方をたくさん知ってるよね、それを聞いた望美ちゃんや譲くんが教えて欲しいって言いだしてね……ほら、あんな感じ」
 と、景時に連れられて渡殿を進むと、
「こうして、こう、と、ほらできた」
「ほう、器用なものだな」
庭でヒノエに神子、譲、だけでなく、敦盛や朔、九郎までもが頭を寄せ合って、確かになにやら真剣な面持ちで、それぞれに縄を持ち、箱のようなものに向かい合っていた。
 一見、確かに真摯な光景。けれど。
「えーっ、どうなってるの? 真似できないよヒノエくん」
「ふふっ、オレの神子姫様はあんなに可憐に剣を振るうのに、こういう事は苦手なんだね、可愛いよ望美、どれ、ここはこうして……」
「ちょっとヒノエ殿、どうしてそこで望美の手をとる必要があるの?」
「こうして教えた方が早いだろ?」
「先輩には敦盛が教えてくれよ」
「えっ、いや私は……」
「敦盛はこの結び方知らないだろ」
「待ってヒノエくん、いくらなんでもそれは近すぎ」
「そうかい? これでもオレとしては、我慢してる方だけど」
「ヒノエ!」
 あっさりと脱線をはじめたのは、予想通りといえばいいのか。
「……確かに、『変なことじゃない』だったんでしょうけどね」
「ま、でもこれくらいなら微笑ましいよ」
 なにやら言い合う神子たちを見て、隣の景時はにこにこと楽しそうで、弁慶だって確かにそうは思うけれど、
「……僕も君の立場なら、そう言えたと思うんですけどね」
 叔父としてはこのヒノエを見逃すわけにはいかないだろう。ふう、と溜息ひとつ落としてから、くいっと頭の衣を引っ張って、弁慶は足を一歩、庭へ踏み出そうと、
したけれど、
「やめないかお前たち」
と、制する声に立ち止まる。見れば、ついさっきまで箱を必死に睨んでいた九郎が顔をあげていた。
「九郎殿」
 朔がほっとしたように彼を呼ぶ。けれど、九郎の紡いだ言葉は彼女の期待とは正反対。
「ヒノエの案、いいんじゃないか? 実際、俺と望美は最初にヒノエの向かいにいたから、少し分かりにくかったし、それにこういう事は、手をとって教えて貰った方が早いだろう」
「……まさかあんたに擁護されるなんてね」
「そうですよ九郎さん、ヒノエを甘やかすとろくな事がない」
 ヒノエも譲も予想外だったと言わんばかりに言うが、九郎は彼らの不満などそれこそ想像の外なのだろう、柔らかに微笑んで皆を見た。
「別に何も特別なことじゃない。先生が昔、そうして様々な事を教えてくださっただけだ。ほらヒノエ、はやく望美に教えろ。それが終わったら俺にも頼む」
「げっ」
「ああ……そうだな、確かにそれならいいかもしれない。ヒノエ、俺もお願いするよ、九郎さんの後に」
「ふふっ、そういうことなら望美に触れても構わないわ、ヒノエ殿」
「ヒノエくん酷い言われようだね」
「日頃の行い、ということなのだろうな、ヒノエ」
「敦盛まで」
 肩をすくませるヒノエに、皆が声をあげて笑った。ひとしきりそうしたあと、ヒノエは望美の手をとり、敦盛や、譲と朔、最後に九郎もまた元通りに箱と縄に視線を落とす。
 弁慶の隣では、景時が胸をなでおろし盛大に息を吐いた。
「ふう〜、随分丸く収まったね」
「全く、ヒノエには本当に困らされます」
「でも、そこがヒノエくんのいいところでもあるよね」
 景時はまるで彼らと共にいるように楽しそうに、目を細め見守っていた。かける言葉もなかったので、弁慶もならって、しばらくそうして遠くから彼らを眺める。
 ヒノエは実際に手取り足とりで望美に教えはじめたていたけれど、あれ以降、過剰に色めいた事は言わなかったし、皆も真剣に見入り互いに指摘しながらで、随分とはかどっている様子。
 特に、元々手先が器用だからだろうか、九郎と譲はすんなり覚えたようで、今度は敦盛と望美に教えはじめている。譲の手がぎこちないのは、先日背に負った傷のせいだろうか、それとも、似たように緊張している望美のせいだろうか。
「おい譲、さっきオレに散々言ってくれたけど、自分は望美に近づきすぎなんじゃねえの?」
「なっっ」
「ちょっ、変なこと言わないでよヒノエくん」
「それよりヒノエ殿、それよりここがどうなってるのか、教えてくれないかしら?」
「……ったく、朔ちゃんは過保護だよ」
「ヒノエ殿もね」
 朔とヒノエはそんな感じで、隣で九郎と敦盛が笑う。
 景時が言うとおり、それらはあまりに微笑ましい、戦を忘れそうな穏やかな一場面。表情をほころばせずにはいられない……筈なのに。
「……しだね」
 ぽつりと景時が唐突に言った。見入っていた弁慶は聞き返す。
「え?」
「ん?兄弟子だね〜って言ったんだよ。敦盛くんに教えてる九郎なんて、まさに兄、って感じじゃない? 望美ちゃんだけじゃなくて最近、みんなのお兄ちゃんって感じだよね、九郎。うーん、見てて和むよ〜」
 それは心の中を読まれたかのような言葉だった。弁慶は微かに眉を目をひそめてしまうけれど、景時は無邪気で呑気に喜んでいるので、ただの偶然だろう。
「君こそ九郎の兄みたいなことを言いますね、景時」
「ん〜〜? そうなのかな、あんまり考えたことはなかったけど、でもたまに心配とかはしちゃうよね、やっぱり」
 言えば照れなのか、随分と複雑に微笑みながらも視線を九郎たちから反らさない。弁慶もそちらを見ると、彼は続けた。
「宇治川の頃はガッチガチで、オレも、みんなもこの人とうまくやってけるのか心配だな〜って思ったものだよ。でもなんか、今は皆を良く見てる。表情も柔らかくなったしね、将としても頼もしい限りだよね」
 九郎はどちらかといえば、京でも平泉でも、皆より年下で可愛がられてばかりいた。現に弁慶だって彼より年上だ。だから、望美と八葉たちのような年若い者に出会い、囲まれるようになって無意識に張り切り、自然大人びたのだと、それで頼もしさが増したのだと景時は言いたいのだろうけれど、
どうだろう? 弁慶に言わせれば逆で、九郎が落ちついたから、彼らに兄として接することができるようになったにすぎない、そんな風に見えている。
 結果と原因の関係、そんなことはどうでもいいのだけれど、
「これでいいんです」
静かに、弁慶は誰に言うでもなく呟いた。途端、景時がこちらを見たけれど……それを、ましてや庭の九郎たちをも遮るほどに、慌ただしい声が飛び込んできた。
「九郎殿!九郎殿!」
 突如、庭に現れたのは、源氏の雑兵。
「何事だ」
 即座に源氏の将の顔に戻った九郎が立ち上がる。景時も弁慶もそちらへ向かう。
「申し上げます。先日白河で暴れていた怨霊ですが、どうも佐々木殿の屋敷から現れたご様子です」
 白河の。記憶に新しい言葉に九郎だけでなく、八葉たちの顔も雲る。
「佐々木殿の?……それは本当なのか?」
「恐れながら」
 ……面倒なことになった。どうしてこうも、と弁慶は内心舌打ちをする。
 もう十日ほど前だろうか、京は白河で突然怨霊が現れたという報告を九郎が受けていた。それなりに騒ぎになったというが、間の悪いことに神子も八葉も、丁度反対側に位置する嵐山の方にいたものだから詳細を知らないし、封印もできなかった。それでも武士団がなんとか追い返し、幸いにも死人は出なかったのだけれど……場に居合わせた武士が言うには、怨霊は源氏の鎧を纏っていたらしい。顔は苦しみで歪んてしまっていたからそれが誰であるかは分からなかったそうだが、きっと平家に捕虜として連れ去られた者だったに違いない、と思っていたのに。
「う〜ん……それは困ったね」
 腕組みしながら景時が口にすると、庭の面々が振り返った。
「景時さん、それに弁慶さん」
「話は聞かせてもらったよ。……で、九郎、佐々木殿の、というと」
「ああ、福原の戦いでご子息を亡くしたといっていたが……何か関係があるんだろうか」
 弁慶も隣に並び、問いかける。
「……佐々木殿、といえば、福原の戦いから戻る際、不審な荷をお持ちでしたね」
「うん、でもそれは、息子さんの亡骸、って聞いてたけど?」
「僕もそう聞きました。けれど、撤退の道中、夜中に何やら、がたことと暴れているような音を聞いた、という噂は報告されていますね」
 静かに言うと、九郎が顔をこわばらせ、弁慶を仰ぎみる。
「まさか……まさか、平家に通じて怨霊として蘇らせたというのか!?」
「いや……そうではないだろう」
 けれど彼を否定するのは敦盛だ、
「昔は確かに、平家が呪詛と、三種の神器を用いて怨霊を作り出していた。けれど今は違う。葬られなかった死者はことごとく怨霊になる。それは、敵も味方も、武士も誰も関係ない」
静かな声は真実の重さを増すようで、それに皆、それぞれに愕然とした。
「そんな、望美が龍脈を正しているというのに」
「ええ、望美さんの力は確かです。けれどまだ足りていない」
「全く……面倒だな」
「……平家が」
 中でもぎり、と奥歯を噛みしめながら言う九郎の声は重く憎しみを含み、しん、と場が静まり沈む。
「九郎さん…」
 神子が困惑しながら言うも、九郎は俯いたままで……やむを得ない。ぱさりと外套を揺らしながら、弁慶も彼を呼んだ。
「九郎」
 彼は弁慶の方を向くが、その目は鋭いままだった。いつになくそれが不快に感じた。
「確かに死者を怨霊と化すのは平家の過ち、けれど、今はそれどころじゃないでしょう」
「弁慶」
「過去を悔むのはどうでもいい。問題は、起こってしまったことに対する責です。……理由はどうあれ、佐々木殿は怨霊を京へ連れ込んだ。これは立派な罪ではないでしょうか」
「弁慶さん」
「ちょ、ちょっと待ってよ弁慶」
 神子に重ねて景時が慌て遮る、弁慶は彼を睨んでしまう。景時はそれに一瞬言葉をのんだけれど、結局いつもの調子で続けた。
「君の言うとおり、もし戦場で怨霊化したご子息を連れ帰っていたなら、それは問題だと思うよ……お偉い方にも結構危険が及んでたしね。でも、佐々木殿は今まで、九郎を随分助けてくれたし、なにより鎌倉殿の信頼も厚い方だよね、そういう方を処罰するってなると、……ちょっと面倒なんじゃないのかな」
 実際それはもっともだ。けれど弁慶は首を振る。
「ええ。僕だってできれば穏便に済ませたい。けれど、今後も同じことが起こったら? それこそ尊い方を、院を傷つけるようなことが起こってしまったら? それからでは遅すぎる。だったら亡骸はきちんと、そして迅速に葬らなければならない、そう知らしめるためにも、今回の処罰は必要です」
「見せしめってわけ?随分陰湿なやり方を選ぶね」
「事の重大さが分からないなら黙っていなさい、ヒノエ」
「……あのなあ、」
 横やりを入れたヒノエは一蹴されてもなおも続けようとした。が、
「分かった」
遮ったのは九郎だ。
「……分かった。ただ、まだ噂にすぎないのだろう? 明日佐々木殿に直接お会いしてくる」
 彼はこちらをまっすぐに見上げていた。けれど、威圧感は全くない。目には迷いが浮かび、体が強張って、こらえるように手のひらが握られている。そんな彼に、弁慶はどうしてか躊躇した。らしくない、自分でも思いながら、けれど続く言葉が刹那止まった。
 その間に周囲にも目が止まった。年若い八葉と神子は、不安そうに彼を見ている。きっと見たことない御家人に同情している。それを見れば更に弁慶の心はやわりと痛んだ、けれど、
(ええ、君なら大丈夫ですよ、九郎)
呑みこんで、さらりと笑う。冷ややかに。
「くれぐれも、きちんと追及してください」
「当然だ」
 九郎は全く納得などしてないと、そんな顔を向けていた。それでも弁慶は、傲慢な笑み共に彼を一瞥しただけで、ひらりと衣を翻す。
「弁慶さん」
 響く声は神子のもの。
「……僕は先にお暇します。望美さん、また明日」
「弁慶さん……」
 彼女にも一度だけ振り返り……ただし向けるのはいつもの微笑みだったけれど、にこりと頭をさげてから、今度こそ庭に背を向け後にする。
「弁慶殿、夕餉は」
「ほっときなよ朔ちゃん、あんな奴」
「ヒノエ殿、だけど……」
 吐き捨てるようにヒノエが言ったが、そんなものは全く心に届かない。
 けれど、最後に……最後に聞こえた言葉は別だ。
「……九郎さん、元気だしてください。九郎さんならきっといい結末にできますから」
 望美の朗らかで明るい声。
 たった一言、それだけで弁慶の濁らせた気が巡り、屋敷の中が和むのを背中越しにも感じた。
 ちくり、と刺さる。思わず胸元を手繰ってしまう。

 だってそう、九郎が皆の兄になれたというならば、それは他ならぬ彼女の、その言葉のせいだ。







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サソ