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 弁慶をどうして目で追うのだ、という理由にはじめて向き合い気付いたのはそんなに最近のことではなく、平泉に来てしばらくした頃だったろうか、おもむろに泰衡が
「あれはお前のなんなんだ」
と、単刀直入に問いかけてきたことがきっかけだった。
 その時何をしていたかまでは覚えてなかったが、きっと二人でいたということは伽羅御所あたりで泰衡と学問の手ほどきでも受けていた時なのだろう。問われた意図も分からないまま、きっと九郎は即答していた。
「友だが、それがどうした?」
「御曹司殿が護衛一人でここまでやってくるというから、どれだけ屈強な、もしくは忠臣が来るのかと思っていたというのに、あんな年若い、しかも怪しいことこの上ない薬師殿をお連れになったもので、びっくりしたんだ」
「ああ」
 きっと泰衡も、そんな失礼な物言いで即答していた。
 もしかして今同じ話をされたなら、弁慶はそんな奴じゃない、と反論したかもしれないが、当時の九郎からしたら、彼の言葉は一字一句、思っていたことだったので、素直に頷いた。
「それでも、あいつは俺の無二の友だぞ。弁慶は面白いし、なにより志が高いから、一緒にいて勇気づけられる」
「いつかお前など踏み台にして裏切りそうな顔をしてるが」
「そうかもしれないな」
「……さらりと言うな」
「そうか?」
 すると、泰衡は随分とつまらなそうな顔をして、それきり黙ってしまったから、九郎は一人で首を傾げた。きっと会話はここで止まったけれど、
 でも、九郎にとっては当たり前だったのだ。
 幼いころから人質として育ってきた九郎にとって、弁慶の普段纏う、あの他人行儀な顔など日常茶飯事だった。誰もがそういった顔を九郎に向け、九郎の扱いに困ったように距離を置いていた。
 だから誰かを信じるとか、そういう事を教えてくれたのは御館だった。掛値なしに怒り、泣いてくれたあの人に出会い、ああ、己はずっと、こうして誰かと屈託なく会話をしたかったのだと気がついた。平泉に行くことになったから、自然離れることとなった京での師リズヴァーンとの別れがひどく辛かった意味が、また、母を想えば胸が痛んで眠れなかった意味が本当に分かったのは御館に出会えたからだった。
 だから、当時、やってきていかほども経っていなかったというのに、九郎は既に平泉を愛していた。愛と言うものがなんなのかもよく分かってなかったが、いつだか弁慶に愛とはなにかと問いかけたところ、愛とはかけがえのないものだと思う事ですよ、とにこにこと教えてくれたので、そういう事なのだと思った。
 平泉の人と言葉をかわすのが楽しかった。特段、泰衡と言葉をかわすのが好きだった。彼は、九郎が接してきた全ての人間と違い、ずばずばとなんでも言う。今でこそ泰衡の口の悪さには顔をしかめてしまう九郎だけど、当時はそれが嬉しくてよくまとわりついていたものだ。
 彼や御館に比べれば、京から同行してきた弁慶など、よほどよそよそしい。何を思ったのか四六時中九郎に張り付いては何かを探っていたようで、だから、泰衡から裏切られる、と言われても、九郎からすれば、そう見えるだろうな、と返事をするしかなかった。
 九郎は彼の事を知らない、比叡の荒法師で、夜な夜な五条の橋で誰かを待ちかまえていて、そこで九郎とあって、そのくせ昼間は薬師で、京で人助けなどしているし、どうやら平家を憎んでいる。
 そんなことは分かっても、結局九郎をどう思っているのかなど知らず……というか、そもそも御館や兄に迷惑をかけなければ、他人が自分をどう思っているか、ということに興味がなかったせいなのだけど、それでも九郎は、一見怪しげな弁慶を厭んだことも疑ったこともなかった。
 それがどうしてなのか、なんて理由はいよいよ九郎にとってはどうでもいいことだったので、考えることもなかったけれど、泰衡に問われたので、そこでああ、と、ようやく気付いたのだ。

 館を出たところで、いつものように弁慶が迎えに来ていた。
「お疲れ様です、九郎」
「お前もよく来るな」
「ええ、僕の大事な君に何かあったら、大変ですからね」
 そんな口調はまさに鞍馬の僧を思い出し、普段なら嫌気のするところだったけれど、九郎は微笑まずにはいられない。
「律儀だな」
「九郎ほどではないですよ」
 すると弁慶も笑う。嬉しくて、九郎は更に笑った。
「行きましょうか」
「ああ」
 弁慶はくるりと踵を返して少し前を歩く。ゆらゆらと揺れる髪を見つめながら九郎はそれを追い、あぜ道を進む。
 彼が好んで纏う鶸萌黄の衣が、梅雨の合間にまるで眩しく揺れていて、なんでもなく、九郎は走り出して、横から彼の腕を浚ってしまいたい気持ちにかられたけれど、そうすると見つめることができなくなってしまうから、と、手をおずおずと戻し、なんでもなく彼の後を追いかけた。

 それが彼らの日常だった。
 そう、本当は、いつだって九郎は、少し離れたようににこにこと見つめる弁慶に触れたくて仕方なかったけれど、何でもない風に、こっそり遠くから離れて、彼の事を窺っていたのだ。
 短気だと言われ育った自分には珍しいことで……その欠点を直したかったとか、そんな理由ではなく、ただ単に、
だって、真正面から覗きこんだら、いつもこちらを見ている彼に見つかってしまうから。
 結構我慢してたんだな、と、気がついたのは、それこそ平泉に来てから季節がゆうにひとまわりした頃だった。


「で、何がどうなったら、その話がここへ飛躍するんですか」
 と、弁慶は、それこそ以前だったら考えられないくらい不機嫌に九郎を真下から見上げ、そう言った。言葉は冷たく刺さるよう。だけどはだけた衣から見える肌はほんのり赤く、目に毒で、九郎はそこに再び唇を寄せたくなる。が、いくらなんでも今そうしたら、今度こそ怒られると思って、体を離しながら返した。
「だから、俺はずっと、お前が繕って、俺の事を見てばかりいるものだから、緊張していたんだが、あの山の日以来、いきなり態度が変わったじゃないか、なんというか」
「おざなりになった?」
「そう、それだ」
 身を離してみたはいいものの、すると今度は自分のだらしない恰好が気になって、九郎は誤魔化すように、袖だけ通ったままの自分の衣を手繰り寄せようとする。でも結果上手くいかなくて、ますます見苦しくなったので、更に誤魔化すように続けた。
「この前まで、それこそ寺の僧たちと同じように俺に接していたくせに、突然まるで泰衡みたいにずけずけとものをいうようになったから、最初は嫌われたのかとひやひやしたんだからな」
「まあ、ある意味、近からず遠からずかもしれないですね」
「そうなのか!?」
「……で、それで?」
 さらりと出た言葉に肝が冷える思いがしたが、弁慶が更に冷たく促すから、九郎はたどたどしく続けた。
「だけど、そのおかげで、今度は俺がお前の事を探れるようになった。ちゃんとまっすぐから見て、一体何を考えてるんだろう……なんてことは、どうせお前の考えは難しいから俺には分からんだろうけど、でも好きな物とか、そういうものがなんでか気になって」
 そう、最初はそれだけだった。姿を現した弁慶の本性が嬉しくて、まっすぐ彼を見れることも嬉しくて、それに夢中になっているうちに、思いだしてしまったのだ、
あぜ道の帰り道、彼がどれだけ遠かったかを。
「で、見てるうちに、触れたくなって、手を伸ばしたら、目があってしまって、」
「目があってしまったら、そのまま唇まで重ねてしまって、で、これですか」
「すまなかった!!」
 言う前に言い当てられてしまった九郎は、手を拳をあててきっぱりと謝った。大人の事情は分からない、けれど、
「でも、最初に顔が離れた時、お前がすごく驚いた顔をしていたから、焦って肩を掴んでしまったら、更に」
「実況してくれなくて結構です」
「だが!」
「恥ずかしいって言ってるんです!」
 言う弁慶の声は鋭くて、九郎は落ち込みそうになったけれど、でも……実際弁慶がいつになく動揺しているようにも見えるから、
すごく困る。
「……そんな顔するな」
「!」
 指摘すると、無自覚だったのか、弁慶は更に顔を赤らめて、九郎がさっきしたように、服を引き寄せながら、ゆるゆると起き上がった。
 その仕草が、またさっきまでの出来事を思い出させるから困るんだと、九郎は言いたかったが、また怒りそうだったので、一応本気で反省している九郎はここは黙って、黙った。
 そう、いくらなんでも、九郎だって今すぐどうこうするつもりなんて全くなかったんだ。
 なのに、くちづけたら彼は身じろいで、なんというかその仕草があまりに予想外で、つい今度は舌を差し入れてしまったら、弁慶も九郎の腕にしがみついて、挙句に小さく息まで漏らすものだから、
そうしたらもう、なにか、そう今まで見つめていた、弁慶の後ろ姿に手を差し伸べられなかった、なにかの気持ちがするりと溢れだしてきていて、気付けば夜闇に紛れるように押し倒していた。弁慶は途中、なにやらかなり混乱していたみたいだったけれど九郎を嫌悪するようなことはなく、むしろ…これは九郎の勝手な勘違いかもしれないけれど、むしろ悦んでいるようにさえ見えたので、結局そんな彼の言葉や姿がどんどん九郎を追い立てるものだから無我夢中でかき抱いて、腕の下の弁慶が身を振るわせながら果てるのを見、煽られそのまま彼の中に精を放ち、はあ、と大きく息を吐き、なにか今すごいものを見たような気がする、
思ったところで事の重大さに気がついて、青ざめた。
 そして今に至る。
「はあ、まさか君にこんな甲斐性があろうとは」
 前髪かきあげながら弁慶は言うが、汗で重そうな前髪がまた九郎を誘うようで、やめて欲しいと思ってしまうのに、目が離せない。挙句の先程までのあでやか、というか、いくらなんでも無防備すぎる姿まで思いだしてしまうから本当に困る。そもそも彼は三つも年上で、なんだかそういうことに手慣れていそう、というか、日頃から弁慶というのはなんでもそつなくこなしていた印象がとても強かったので、なんというか、どう考えても上手くはないだろう九郎よりも先に達したのが、意外だったというか、もしくは、それだけ慣れているからなのだろうか、だから九郎がいきなりこんなことをしても……今だって、理由を問うばかりで、口調こそ荒いものの、九郎をさげずむ言葉を使ってはいなかったのだ。
 それが九郎は少しばかり不安で、問いかけた。
「怒らないのか」
「怒ってますよ、ええ怒ってます。いきなりこんな事さ……」
 けれど言いかけた弁慶は、途中で口を閉ざして、そっぽを向いた。なんだか顔が更に赤いのは、火が少し強くなったからだろうか?
「……こんな事? さ??」
「ああもう、調子が狂う」
 と、自棄気味に弁慶は言うけれど、そう言われても九郎だって困る。
うろたえていたらそのままの勢いで弁慶は続けた。
「君はずるい」
「なっ、なにが!?」
 そして膝を抱えるように顔を伏せてしまった。
「弁慶?」
 心配になって九郎は彼に身を乗り出し、顎に手を差し入れ強引に上向かせた。ら、今度こそ怒られて、指をかじられた。
「痛っ!」
 でもちらりと見えた顔。目は涙ぐんでいて、一瞬うろたえたけど、それよりもっと顔は熱を帯びていて。
「君ばっかり僕の心を掴んで離さないから、ずるいです」
 言われ、どうしようもなく鼓動が早まった。息が詰まる。きっと弁慶と同じように、顔がかあっと赤くなってゆく。
 それでも照れだとか困惑だとか、そんなものよりもっと、胸に突然溢れてきたのは、ああ、こうして自分は弁慶とたくさん言葉をかわしたかったんだ、そんなことで、
どうしても彼をもっと知りたいと、今までになく思ってしまった。怒られるかな、と、少し怯えてしまうほどに。
 九郎はもう一度、弁慶の髪に手のひらを落とした。何を言えばいいだろう、分からないまま、それでもゆっくりと耳に頬に触れ、おずおずと顔を上向かせた。弁慶の顔はやっぱりまだ火照っていて、目がくらみそうになる。こんな顔をされたらそれこそずるい。そんな言葉が浮かんだけれど、でも、それを言ったら怒られそうだから、先に九郎は、一緒に思い出した、もっと伝えたい言葉を紡いだ。
「でも、先に心を掴まれたのは俺だ」
 少し前なら言えなかった言葉を、まっすぐに瞳を見て言った。
「今ならいえるが、俺にとって、お前はよくいる、ありふれた僧の一人とあんまり違ってなかった。でもいつからか、お前は俺を見る時、嬉しそうに、なにか楽しくて仕方がないという風に見えはじめたんだ。それがどうしてだったのかは分からなかったけど、でも、そんな風に俺を見るお前が俺は好きで、多分、愛だ」
 言うと、弁慶はこの前まで見たこともなかったような顔で、呆然と九郎を見上げていた。
「……愛とはなんだって、僕に聞かなきゃ知らなかったくせに。そもそもあれ、適当ですよ」
「お前に通じればそれでいいからいい」
 とうとう最後まで弁慶は九郎を咎めはしなかった。だったらもういいのかな、と、いい加減九郎は勝手に都合よく解釈することにして、弁慶がまた何か言う前にその唇を塞いでしまった。






(03/03/2010)



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サソ