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あちこちから繋がってる弁慶ルートで九弁の話、ラスト
最初は補足的弁←望なので気になる方は(中編)からどうぞ


 結局、平家との戦いは、白龍の神子である望美が見たものとも、弁慶が描いたものとも少し違う形で終わりを告げた。
 彼女も弁慶も無事だった。他の八葉たちも無事で、勝った気がしない、と、ヒノエさえもが言った程に短期決戦。そうして望美の戦いは終わった。
 彼女には本当に救われた。京を救う事ができたのも弁慶が生き延びたのも、もしかしたら、九郎や景時、ヒノエが無事だったことさえも彼女のお陰なのかもしれない。それくらい危ういところを通って来たように、今更ながらに思えた。

 全てが終わってしまうと、次には彼女たちとの別れの時が迫る。帰らないで、せめてもう少しゆっくりしていって欲しいと朔は涙ぐんだけれど、そうしていると本当に帰りたくなくなってしまうから、と、彼女の手を取り望美は言った。それで、役目を全うした白龍の神子は、最後の戦場となった厳島からまっすぐに彼女の世界へ帰ることになった。
 別れの為の時間はたったの二日。彼女はその間を朔やヒノエに引きずりまわされて過ごしていた。必死な朔や悲しそうな敦盛とは対照的に、望美は常に微笑んでいて、
最後の夜に開いたささやかな宴の席でも笑顔でふるまっていた。
 宴は、見た目としたら酷いものだった。場所は元の平家の本陣、こちらも戦装束のままで、市も近くにあるわけではないから食材もきちんと揃わない。ろくなものが作れなかったと朔と譲がとても残念そうにしていたけれど、私たちらしくていいじゃない、と、月灯りの下、望美は笑っていた。そんな姿はとても望美らしかった。他の八葉や白龍の真ん中で、その光景だけを眺めていれば、とてもこれが最後とは思えぬほどに日常の光景になっていた。
 弁慶はそれを少し離れた場所から見ていたけれど、いよいよ夜も更け松明もすっかりと短くなってしまった頃、こっそりと彼女がやってきた。
「お別れですね」
「そうですね、一年間ありがとうございました」
 いつもの華やかな声で望美は言うけれど、今宵は満月、神子の名を冠した月は、けれど彼女の背から昇っていて、望美の表情を隠してしまっている。
「本当に、君にはいくら感謝しても足りません」
 稀なまでに明るい夜で、小さくなりはじめた炎だって彼女の白い肌をちらちらと赤く染めているのに、肝心の彼女を映しはしない。まるで天が弁慶に彼女を見せまいとしているようだった。
「そうですよね、弁慶さんには本当に振り回されてしまいました」
 だから、望美のこんなささやかな一言も、本音か冗談か見抜けなくて、困ってしまう。
「まいったな、それは僕の専売特許なのに」
「うーん、最近ずっと一緒にいたからうつっちゃったのかもしれないですね」
 その上、それこそまるきり弁慶の口調を真似する望美。戸惑ってしまうと、彼女は口元に手を当ててくすくす笑った。
「『それは嬉しいですね』って、もう言ってくれないんですか?」
 こちらを見上げる目が、かすかに細まり光を帯びる。じっと見つめられてそんなこと言われたら、弁慶は苦笑いするしかない。
「……手厳しいですね」
 優しいふりをする弁慶に恋をして、そのために自分の身を危険にさらしてくれた、挙句、全てを綺麗に救ってくれた彼女に、いくら弁慶でももう、そんな風に心を隠すように笑えない。
 神子を想ってやれないことが口惜しいのではなく、冗談でもそんな、それこそ自分が口にするような性格の悪い言葉を言わせてしまったことに、らしくなく胸が痛んだ。
 望美は一度ゆっくりと瞬きしてから、空を見上げた。
「綺麗な月ですね」
 彼女の長い髪がさらりと音をたてて広がり、落ちる。昼間の光の下で見るとはなやかな色の髪は、月下だとまるで姿を変え、さらりという音さえも優しくて、弁慶はますます言葉を失った。
 そんな弁慶に、望美は呟いた。
「ごめんなさい」
「……なにがですか?」
「ちょっと、意地悪言いすぎました。悔しかったから」
 振り返った彼女の言葉は軽やかだ。
「弁慶さんは、優しい人ですよ」
 蝶のように、彼女の声がひらひらと弁慶の心を鮮やかに飛び回る。
「だって、私、やっぱり弁慶さんは、九郎さんを守りたかったようにしか見えませんでした」
 美しい台詞は綺麗な彼女に似合いだった、けれどそれも儚きものだ、
「それは、君が優しい人だからですよ、望美さん」
結局弁慶はそう言って、笑った。
「君が清らかだから、世の中の汚い感情に無縁だから、そういう風にしか見えないんです」
 それこそきっと、彼女が弁慶を守りたいと思ってくれていたからだとしか思えなかった。『あなたと同じです』といつだか言っていた、それと。
「……そうですね、私はとても幸せに生きてきました。両親がいて、暖かい家があって、友達もいて、将臣くんや譲くんもいた、病気になっても誰も死なない、そんな世界で暮らして来ました。だから、結局のところ、弁慶さんがどうしてそんなに京を救いたいのか、とか、罪を償うとか、たぶん、分かってないのかもしれないです」
 望美の声が少し蔭る、
「君はそれでいいんですよ」
けれど弁慶は違う。残念ながら彼の過去は複雑になってしまった。確かに九郎を守りたかったという気持ちがないわけではないが、他のものの方がずっと大きいし、重い。
 とはいえそう告げても彼女は納得しないだろう。それはそれで構わない、自分と同じところへ堕ちてしまった望美など……見たくもなければ、そもそもありえないのだから。
 なのに望美はなおも言うのだ、
「だから、私、弁慶さんのことは分かりません。でも、他の事なら分かる」
口調が変わった。今までもたしか何度かこういう事があった。その度に望美は刺すような瞳でこちらを見上げ、圧倒する。今もそうだ、ようやく光にさらされた彼女は微笑んでいて、それは月下の雪のように、まるで、京の街から見上げた比叡の冬山のように白く、そして……絶対に見えて、呼吸さえもが止まる。
「弁慶さんて、勘違いしてると思うんです」
「勘違い?」
「はい。多分弁慶さんが思ってるよりずっと、みんなあなたのことが大好きですよ」
 けれど、紡いだ言葉は意外なものだった。正直なところ……期待外れで、
「僕は皆を利用していただけかもしれないですよ?」
 返す声音も険しさを帯びてしまう。
 それでも望美はもはや動じなかった、遠い目で、けれど、何故か暖かい声で言う。
「それだけじゃないって、みんな知ってます。だから迎えに来てくれた。裏切り者だなんて誰も思ってない。一人で全てを抱えればいいってものじゃない。侮らないでくださいね。だから、九郎さんも、弁慶さんが思ってるよりずっと、弁慶さんのことを好きだと思いますよ」
「君は優しい人ですね」
 そう言って、弁慶はただ微笑んだ。
 本当にそう思うなら、優しい嘘のひとつでも吐けばよかったのかもしれない、もう二度と巡り合うことのない彼女の理想を演じればよかったのかもしれない。
 なのに、昔のように嘘をつけないのは、きっと彼女に一度、こちらの深くまで踏み込まれているからだ、
そしてそれは多分、互いにそうで、
「いい加減認めてください、弁慶さん」
「今の僕が認めたって、どうせ満足しないでしょう?」
「そうかもしれません、でもこれが、唯一の心残りだったから」
望美も似たような声音で言った。満月の下、こちらを上目遣いで見上げる彼女の美貌はいつにもまして凛として、容赦ない。
「私は京を救うためにやってきた、その中にはあなたもきっと、入っている」
「ええ、あなたは僕を救ってくれました」
「……」
 この彼女が早々に帰ってくれることを、弁慶は非情にも喜ばしく思っていた。
 これで彼女を傷つけることはもうないだろうし、それに、……そう、今にして思えば、はじめから離れることが決められていた彼に別れを告げる為に、弁慶は今度こそ本当に嘘をつかなければならない。その時に彼女がいたら、自分はきっと上手に嘘を吐けないのだ。
 弁慶が微笑むと、彼女はしばらく苦い顔を向けた後、目を伏せた。
「でも、私、弁慶さんに会えてよかったです。……楽しかったです」
 言った時にはもう微笑んでいた。けれど、瞳には憂いが浮かんでいて、胸が詰まった。同時に過る、宇治川から一年、めまぐるしいばかりだった日々、その重さ。
「いろいろ、ありがとうございました」
「……僕こそ、ありがとう」
 彼女がしたように頭を下げた。
 顔をあげた時には、望美はもう弁慶の元から走り去っていた。
「望美さん!」
 呼べば、望美は一度だけくるりと振り返って、手を振った。弁慶はそれを見送った。
「さようなら」
 傷つけることしかできなかったけれど、それでも、神子が彼女でよかったと思った。



サソ