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 長いような短いような、不思議な道程だった。けれど石段を昇り門をくぐりはしても、九郎は屋敷にはあがらず、庭へ向かった。
 弁慶もそちらへついてゆくと、彼は雪の積もった踏石に腰を降ろした。
「冷えますよ九郎」
 館を出た時よりも気持ち雪かさは増えていて、しっかりと閉められた板戸も白い。泥まみれなのに、九郎はそこへ溶けてしまいそうにみえた。
「九郎」
 伸ばし、手を握ろうとするも、触れるより先に逃げられた。
「……すまない、ひとりにしてくれないか」
「お断りします」
 きっぱり言うと、九郎が弁慶を見上げた。彼は睨んでいたが、そもそも弁慶からすれば、それくらいで引き下がると思っていること自体がありえない。
「もうすぎてしまったことだと慰めるとでも言うのか?」
 そして、優しい言葉などかけると思っている事が甘い。
「まさか。もうすぎてしまったことを嘆いても無意味だと言いたい」
 九郎と弁慶の付き合いはそれなりになる。なのに未だに彼はそれを理解しないのか、弁慶の言葉に思いきり傷ついた顔をした。
「あの夜盗を信じて見逃したんでしょう? その結末です。僕も同罪ですけど」
「愚かだというのか」
「ひとの話は最後まで聞きなさい。信じたんなら仕方ないじゃないですか。九郎が言うと説得力がありますしね」
「違う……」
 馬鹿にしてると怒るかと思ったが、九郎は予想外に更にうつむいた。
「違う、信じていたんじゃない、本当は疑ってた、信じていなかった」
 そして、はじめて垣間見た彼の胸中に驚いた。
「信じられなかった。でもそんな自分が嫌で、信じようとした。今までずっとそうだった。今までは多分、たまたまうまく行ってただけだったんだろう。だけどとうとう、俺の弱さが人を殺した」
 九郎は今まで多くの人間と対峙してきた。ここに来てからは大人しくなったが、京では彼がのした夜盗や僧兵の数は数多で、誰も彼の正体を知らずとも、彼の事は知っていた。腕はたつが、相手の命を奪わない甘ったれた童だと有名だった。
 弁慶は彼のそんな潔癖なところが結構好きだったのだけれど、
「俺は、今までずっと人を疑って来た。でも、もうそんなのは嫌だ。誰かを信じられる人になりたい」
 告げる言葉は意外なものでしかなく、凍る雪よりも重かった。闇の黒と白のはざまで、永遠にとけないような重さで弁慶に降り積もる。
 ひとなど信じられなくてもどうってことないだろうに。
 言葉は口からこぼれかけたが、すんでのところでとどまった。
 多分、そういうことではないのだ。
 弁慶と九郎とでは、境遇が違いすぎる。落ちぶれたとはいえ有力な武家の子だ。詳しく聞いた訳ではないが、怨みで幾度か殺されそうになったり、懐柔しようと近づいてきた者もいたという。
 それでも皆を拒絶するのではなく、皆を信じたいというならば、それは、
……彼が信じたいのは、彼自身なのかもしれない。
 少し年上の弁慶は、首をかしげ九郎を覗きこむ。
「信じられるひとはいないんですか?」
「そんなことない、先生も、御館も、泰衡も、皆、俺は信じている!」
 九郎は、彼らに笑顔を向けている。あんなにくっきりと笑う事は弁慶にはできない。だからどれだけ彼らを想っているのか、当人でなくても分かっている。
 そして彼らもきっと九郎を大事に思っている。先生という人の事は知らないが、御館も泰衡も九郎を案じ気使っている。
 なのに、それなのに九郎は、自分の両の掌を見つめていた。無意識なのだろうけれど、そこになにもないことを嘆いているように……見えて。
 弁慶はその片方をとった。
 九郎はくぐもった声で弁慶を見上げた。
「弁慶?」
「だったら、試してみますか?」
「何を?」
 そしてそれに答えずにただ、九郎の手を強くひいた。
 九郎の手はすっかり冷え切って氷ほどに冷たかった。
「弁慶!?」
「信じる人が欲しいんでしょう?」
 一度だけ立ち止まって、目を覗きこみそう言うと、九郎はごくりと息をのんだ。


 九郎を部屋に放り込むと、しっかりと板戸を閉め、御簾やら衝立やらなにやらで部屋を内側から囲み、火桶に火を入れた。人のいなかった部屋はすっかり冷え切ってしまい、吐く息さえも凍り落ちそうだ。
「……ずいぶん、囲むのだな」
 火が暖まるのを待たず、今度は弁慶は九郎の服に手をかけた。
「そんな泥だらけでは屋敷が汚れてしまいます」
「ああ、そうだな」
 九郎は大人しく彼の言う事を聞いていたけれど、弁慶が今から何をする気なのか気になって仕方がない風な、不安と期待の入り混じった顔をしていた。
 少し笑ってそれにこたえる。
「大したことじゃないですよ」
「……そうなのか?」
「ええ、でも言葉で何か言うよりも、九郎にはよほど有効だと思います」
 そうこうしているうちに上着はもとより中の着物もおおかた脱がしてしまい、最後に小袖に触れたとき、はたと気付いたように九郎が言った。
「……弁慶、どこまで脱げばいいんだ?」
「勿論全部ですよ」
 ちらり、と、九郎を見上げながら弁慶が言うと、どうやら状況を把握したのか九郎は、ばっと身を引いた。
「あれ、最後まで君は気付かないんじゃないのかと思ったのに」
「なっ、何を言っているんだ、お前は!」
「試してみましょうって言ったでしょう?」
 なのに九郎は低い声で、
「冗談にしては性質が悪すぎるぞ」
と言うが、さすがの弁慶でも、そこまで性格は悪くない。見当違いな彼を一歩ずつ追い込む。
「冗談でやるようなことではないでしょう」
「昼間あんなことがあったのに」
「昼間あんなことがあったからです」
「俺を慰めようと思ってるなら、要らぬ世話だ」
「いい加減僕がそんなに優しくないと学んでほしいんですけど。いちいち傷つきます」
「じゃあどうして」
「だから、今のままでは駄目だと思ってるんでしょう?」
 真面目な九郎は本当に怒っていたようだったが、弁慶だって怒りを込めて言えば、それほどまでに夜盗の事を気に病んでいたのか、黙ってしまった。
 黙った九郎を見上げながら、ゆっくりと、近づいて、肩に触れる。びくりと九郎が身をこわばらせる。それでもかまわずに押すと、そのまま九郎は腰から褥の上に落ちた。
 彼の腰の両横に両手をついて覆いかぶさりながら、彼の瞳を上目遣いで捉えると、怯えつつも九郎は言葉を飲み込み、黙る。
「大丈夫」
 そのまま衣に手をかければ、それは俺がやる、と袖から腕を抜く九郎。けれど手持ち無沙汰ゆえにさらりと足に触れれば逃げられた。
 そして睨まれる。悪意こそないけれど、まるで人見知りする子供みたいで。
 ……はじめてなのだろう、とは思っていたけれど、これでは。
 とはいえ黙って向き合っていても話は進まない。弁慶はふう、と溜め息を落としてから九郎の首筋に手を伸ばした。
「っ!」
 それでも拒絶はしなかったのは、やはり昼間の事が相当答えているからだろう。そのまま弁慶は更に辿る。しなやかなな肌を撫で、あたたかな肉に舌を這わせれば、九郎はびくりと肩を震わせて、そのたびに大きく髪が揺れる。そんないじらしい彼の姿は思いのほか興をひかれたけれど、
だけど、どうしても、なんだか騙し討ちをしているような気分になる。
 どこに触れても……それこそ折れそうな程に力の込められた指先に触れるだけで彼は顔を赤らめ、言葉を飲み込み、身を震わせる。まるで少女のようだった。……今の彼と同じ年だった頃の自分もこんなだっただろうか? うまく思いだせないけれど、少なくともこんなに初心ではいられなかったのは間違いない。なにせ、今この九郎に仕掛けているくらいなのだから。
 とはいえ、さすがに惑うた。このまま手と指とで九郎一人を果てさせて終わりにしてしまった方がいいだろうか。幸いなことに、薄闇に透ける九郎のものは既に大きくなっている。致命的に嫌悪されてはいないのだろう、ただ、怖れられているだけで。
 でもそれだけのことにも、いちいち罪悪感を感じるのだ。
「……この僕が」
 思わず呟いてしまう。
 彼を心配していたし、弁慶なりにこの行為に意味もある。けれど……失敗だったかもしれない。まさかこんな気持ちを抱くことになるとは思わなかったのだ。
 友人なら泰衡がいた、家族なら秀衛がいた。先生と呼ばれた人はきっと師なのだろう。
 それでもまだ足りないというのならば、また別の関係を作ることで、九郎が笑えるのではないかと信じていたのに。たとえばそう、秘密を共有するような、あるいはもっと清らかな?
 けれど今更引き下がれない、そうしたらいよいよまっすぐな九郎は混乱してしまうだろう。弁慶は彼に悦楽を注ぐ行為を続けた。瞼に口づけ、耳に唇を寄せて一際柔らかく名を呼ぶと、ぎゅっとしがみつかれた。
「そう、そのまま……」
 怖がられない程度に内腿を手のひら辿り、舌先で追う。そうしているうちに九郎は堪え切れなくなったのか、素直に熱い吐息を零し始めた。緊張もほぐれたのか視線もおぼろになり、胸を上下させながらただ弁慶の動きを追いかけている。
 従順で純粋な九郎。まるで雪のような彼を色染める傲慢な自分。今、どんな視線を彼に手向けているのだろう。
 弁慶がばさりと纏っていた衣服を落とすと、九郎が小さく息をのんだ。
「……弁慶?」
 構わずに少し身を引いて、九郎のものへと手をかける。
「べっ……っく」
 そのまま咥え、唾液を絡ませ口の中で転がすと、彼はすかさず逃げようとしたが、腰を掴んで逃さない。
「やっ……無理だべんけ…っ」
 それでもじりじりと足で抵抗を見せる九郎だったけれど構わずに、何度かやわやわと吸っているうちに、やはり九郎の抵抗がなくなり、かわりに口内のものがどんどんと張りつめて苦しそうに脈まで打ち始めたものだから、唇を舐めながら弁慶は顔をあげる。
 途端、九郎は安堵した顔を見せたけれど。束の間。かわりにぐい、と、肩を押し、床へと倒した。
「え…?」
 唖然とする九郎の上にそのまま跨り、そして彼のものを自らの後孔へと受け入れる。
「っあぅ……!」
「静かに」
 京にいた頃には色々ありましたから、と嘘と真を織り交ぜつつ公言している弁慶でも、流石にいきなり受け入れるものは苦しく、冬だというのに一気に汗が額に浮かび、呻き声をかみ殺す。それでも押し出そうとする身を捻じ伏せるべく足を開き、無理矢理に腰を動かしてゆっくりと飲み込んでゆく。
「弁慶……」
 男の物を受け入れるなど不快でしかない筈だった。けれど、少しずつ割り入ってくる九郎は熱くて、めいいっぱいで、まさに弁慶を裂くようだというのに、嫌じゃない。
 それは自ら誘ったにしても明白で。
 ああ、何かによく似ている。不敵な笑みを浮かべたくなった。
 すっぽりと納めたところで息を吐き、九郎の髪を踏まぬよう、弁慶は彼の顔の両側に手を置く。衝立の向こうで火桶の赤が揺れているからかもしれないが、目が合った九郎は赤い。
「……なんですか?」
「いや……なんというか、すごく気恥かしい」
「だったら、こちらを見なければいい」
「……あ、ああそうだな」
 それきり黙ったので、弁慶は今度こそゆっくりと動き始める。粘度の足りない摩擦。痛くはないだろうか、と危惧もしたけれど、眼前の九郎は顔をしかめることはなかったから、平気なのだろうと判じた。
 少しずつ早め深めてゆく。圧迫にようやく慣れてきた、と思えば、今度は弁慶をも快楽が襲う。あんなに無理に繋げたと言うのに、思いの他に体が痺れ、前のめりになり呼吸が浅くなる。九郎にまで届いているのだろうか、彼はちらちらと視線を弁慶に向け始めた。
「……九郎」
「……お前だって見てるじゃないか」
「僕はいいんです」
 たしかに彼の言う通りで、しかも誘ったのは弁慶で、だから九郎に見られなくないと思うのは見当違いなのかもしれない。
 それでも……どうしてか、こんな夜の情事などには縁のなさそうな、整った九郎の顔が悦に歪んでゆく様から、細まる瞳から目が離せないから、九郎にこちらを見てほしくないと思ってしまうのだ。
「……ろう」
 なのに呼んでしまう。
「…………九郎」
 零れ出た自分の声音が思いのほか掠れて、自分で驚いた。無意識に身が強張る。けれど途端。予想もしなかった刺激が弁慶を襲う。
「っ…!?」
 それまでただされるがままだった九郎が、いきなり弁慶の張りつめたものを包み撫でた。おずおずと、ごく控えめな動きだった。それでもあまりに唐突で、膝震え体制が崩れる。腕が折れる。
「くっ」
「……ぁっ!」
 一段奥まで貫かれた。それが止めとなった。声を堪えた九郎の顔が大きく軋み、九郎が大きく息を飲み、そして弁慶の中を一層熱い感覚が襲った。どくどくと脈うつのはどちらの肉だろう。弁慶も、繕う間もなく九郎の上へと精を放っていた。


 事が終ると、九郎はとても複雑そうな顔で体を拭き、見苦しくない程度に衣を身につけた。
 そして、小袖を適当に体にかけただけの弁慶を見ると、また慌てて、何か言いたそうにしたが、結局、
「今日はすまなかった」
とだけ言い、丁寧に頭を下げて、出て行った。
 まるで逃げるようだ、と、素直に弁慶は思ったが、そもそも今日の朝からの色々を考えれば仕方がない事だろう。
「おやすみなさい」
 遠ざかる彼にそう告げたが、届いただろうか。それきり追う事もなにもしなかった。

 閉め切っていたから気付かなかったが、終わった頃には夕日が落ちていた。夕餉を食べる時間はなさそうだったが、体もだるいから早くに眠ってしまえばいい。
 けれどどうしてか雪が見たくなって、体を綺麗にし、夜着を纏ったあと、少しだけ戸を開けた。
 雪はすでにやんでいたけれど。あたりは静か。人の気配もなにもない。
 弁慶は座って白い雪を見た。
 相変わらず肌を刺すような寒さだったけれど、何故か今はそれが心地よく、落ち着く。
 それほどまでに自分の体が火照っていたということなのだろうか。思い巡らせながら銀の庭を眺める。
 たったこれだけのことなのに、何故かこらえ切れずに頬がゆるんでしまった。


 夜が明ければ晴れていた。庭の眩しさに手をかざしながら朝餉と取ろうと向かったところで九郎と鉢合わせた。
 彼は凄く照れながらも、
「おはよう、弁慶」
と、表向きいつも通りの笑顔だった。
 それが演技だったのか、彼の心からの笑みなのか弁慶は分からなかった。けれど、
「おはようございます、九郎」
と、弁慶が返すと、焦った顔で、あー、だの、うー、だの言った後、姿勢を正して言った。
「昨日は結局、お前が何を言いたかったのかはよく分からなかったが、何か吹っ切れたような気がしたぞ!」
 あまりにも彼らしい、色気もなにもない様子だ、弁慶は吹き出してしまう。
「なっ、何故笑う!!」
「いいえ、君らしいなあと思って……あでも九郎、昨日の事はくれぐれも内密にお願いしますよ」
「当たり前だ!」
「だったらよかった。君は事の重大さを分かってないようだったから」
「ばっ、馬鹿にするな!」
 髪をくるりと跳ねあがらせながら怒る九郎に、弁慶はますます笑ってしまった。



 結局この後、九郎はどうなるのだろう? と、弁慶は少し楽しみにしていたのだが、
何故か九郎はますます人を信じてしまうようになってしまい、街から厄介事ばかり抱えてくるようになったので、秀衛には褒められ、泰衡には睨まれ、弁慶の時間はどんどん彼に奪われるようになった。
 とはいえ、迷うことも、裏切られ傷つくこともあって落ち込んだとしても、九郎は必ずそのあとに立ちあがって、笑うので、弁慶がそれに関して九郎に苦言を言う事は、それ以降なくなっていった。

 彼は弁慶をどう思っているのだろうか、信じているのだろうか? それは知らない。
 ただ、そんな彼が弁慶にとって揺るぎないものとなったことだけは確かだった。



(24/01/2009)

サソ