景時の家から一旦離れ歩きつつ、弁慶はつい景色を眺めてしまう。
久しぶりの鎌倉だった。
何か用があっても使者か景時に全てを任せていたので、弁慶と九郎はもうずっとこの街へ近づいていなかったのだ。
そう考えると、同じ八葉で同じ源氏の軍にいても、弁慶と景時は随分と違う立ち位置なのだと、改めて感じる。
主が違うのだから当然かもしれないが、なにより距離を感じるのは、景時がとにかく忙しそうにしているからだ。
弁慶も街を歩いたり九郎と話し合ったり薬草を集めたりで忙しくしている方だと思っていたが、景時にはかなわないかもしれない。
休みの日に彼が嬉しそうに洗濯をしているのをみると、弁慶の心も一緒に洗われているようだった。
けれど、だ。
弁慶は薬師や軍師となったのは自分の意志で、九郎は生まれ持っての御曹司だが、
あの景時を戦奉行という役目に置いた鎌倉殿の先見には今更ながらに驚かされる。
ふいに気にかかる。
どうして景時はああも働くのだろう?
弁慶と違って、罪でも抱えているわけでもないだろうに。
A 景時と僕はあまりにも違う、僕には彼は分からない
B その前にきっと僕が聞いてもはぐらかされてしまうんだろうな