また、唐突に世界が白に染まった。
朝焼けよりも更に白い景色、世界のはじまりや終わりがあるのなら、こんなに白い色をするのだろうか。
何回目かで少し慣れた弁慶はそう思いながら、ゆっくりと景色が落ち着くのを待っていた。
そこは予想外に室内だった。
しかも随分と狭くて、目の前には景時がいた。
「……弁慶?」
「景時、ですね」
彼は、どうやら銃の手入れをしているところだったようだ。床にそんな道具が転がっている。
暗いところで、彼の手元に置かれた火以外の灯りはない、塗籠の中だろうか。そこで、景時はひどく切迫した表情で、弁慶を見上げている。闇の中で瞳が鋭く光った。
「ここは、いったいどこですか?」
自然と弁慶の顔も強張る。焦燥にかられつつ問うと、最初はただ、こちらを睨みあげていた景時だったが、なにやら納得したようで、
「ああ」
と、言って淡く微笑む。
「……君は、弁慶だけど、弁慶じゃないんだよね」
「……多分、そういうことだと思います」
「それってまさか……生霊とか怨霊じゃないよね?」
そういえば、自分が生霊になっている可能性は今まで全く考えていなかった。弁慶は言葉を失う。
たしかに、全ての始まりのあの闇よりも前、京の梶原邸で矢でも討たれていたのだったら……それが口惜しくて、こんな夢のようなものを見ているというのなら……つじつまが合う。
「……弁慶?」
「いえ、残念ながら、そういう訳でもないです」
でもそんなことあってたまるかと弁慶は端からそれを否定する。根拠はない。でも、景時はほっとしたような顔をした。
「よかった〜、君と九郎が奇襲を受けて助けに来てくれって呼びに来たのかと思ったよ」
「ふふ。そんなことになったら、君は駆けつけてくれるんですか?」
「……うん、そうだね、そっちに行きたかったかな」
なのに途端、少し顔を陰らせたのは気になったが、彼はそのまま銃の手入れを再開してしまったから、あえて何も言わないことにした。
「念入りですね」
「これがないと何もできないからね」
布を細長く丸めて、器用に筒の中を掃除している。埃でもとっているのだろうか。陰陽術には詳しい訳ではない弁慶にはよく分からない。
九郎が剣の手入れを怠らないことや、弁慶だったら薬を切らさないようにするのと同じなのだろうが、そうしている景時は、とても不思議なことをしているようにみえた。
「景時も好きですね」
「だね〜、こういうの作るのと、あと朔が無事ならあとは何もいらないかな」
「ささやかですね、僕とは大違いだ」
雑談のつもりだった。なのに、微笑む景時の目がいきなり泳いだ。
「でも、うん、俺は、こんなことで生きていけたらいいなって、いつも思う」
「景時には似合うと思いますよ」
「……弁慶にそう言われるとは思わなかったな」
もう少し喜ぶかと思った、けれど帰ってきた反応が、鈍い。
それきり沈黙が流れた。
その間に、弁慶は静かに周りを観察する。
京の景時の家にこんなところはなかった。だから、鎌倉の家ではないだろうか?
そう推測できたけれど、けれど……ここはいつの鎌倉?
「どうして君が来たんだろうね?」
物想いに耽っていた弁慶は、その言葉と、ごとりと景時の銃が床に当たった音に我に返って、密やかに息をのむ。
ゆっくりと顔を向ければ、床を見つめている景時の眼は随分と鋭くて、弁慶は、ゆっくりと黒の外套を引き寄せる。
「九郎の方が良かったですか?」
「どうせ幻なら、そうだね」
幻、と、景時は言い切った。だったら弁慶はここにはいないと確信があるのだろうか……? 陰陽術で知ったのか?
「一度、聞いてみたかったんだ」
たじろぐ弁慶を見上げる目に、射抜かれるような思いがする。
弁慶の背丈程、六尺程の二人の距離はそのまま牽制し合う間合いのようだった。相手の顔がはっきり見えない分、視力の悪い弁慶はなんとなく分が悪い。
弁慶は彼の向かいに足を組んで座る。
「君は九郎にくっついて、何度か戦場に出ているよね」
「ええ、本当に数えるほどですけど」
「そこで、随分と効率のいい策をとったって評判で、鎌倉殿が喜んでいた」
「効率のいい、ですか」
「……それは、きっと何か覚悟があるから、なんだよね、それは一体何なんだい?」
静かな声に、静かな目だった。まっすぐ見つめる姿は彼らしくない、けれどそれこそが戦奉行梶原景時としての本質だと、宇治川や三草山、福原と攻めていった弁慶は知っている。
「言えるはずないでしょう」
返せば、景時は寂しそうにいつもするような顔をした。
「やっぱり信用されてないんだね」
「これでも、君を余計なことに巻き込むわけにはいかないって思っているんですよ。あと、景時は嘘が下手ですから」
口元でだけ微笑み弁慶は返す。が、それは嘘、実際は逆だ。景時ほどうまく嘘をつく人間はいない。弁慶のように四六時中嘘か本当か分からないことを喋っている嘘吐きも、彼のような、普段は誠実なことしか言わない人間にはけして叶わない、そこが……怖い。
「覚悟があるのは……君の方なんじゃないですか?」
今度はと慎重に斬り返すと、景時は更に言葉を詰まらせ、都合が悪いという顔をした。
こんな彼を見た事はなかった。たぶん、こちらが幻だから彼は自然でいるだけなのだろうけれど、それにしたって酷く弱っている。彼のそんな姿は、弁慶を不安にさせる。
弁慶は景時を知らない。
「そんなことはないよ、君たちは強いよね。自分の正義のためだけに進むことができる」
弁慶からすれば、九郎よりも景時の方がよほど鎌倉殿に忠実に見えた。だけど、景時には、兄に心酔しきっている九郎と違って、頼朝にああも従う理由がない。
最初は野心だと思っていた、けれど八葉として過ごしていれば、そんなものとは無縁だと知る。
どうして彼はあんなにも鎌倉殿に従うのか、ずっと疑問だった。
けれど、さっきまでの射抜くような瞳はすっかりと成りをひそめ、どこか遠くにいるような……そう、八葉として過ごすうちに垣間見るようになった、そんな彼の表情をこうして見ていれば、……ああ、その答えにようやく気付くのだ。
彼は弁慶と違って嘘付きではない。だから、いつだって肝心なことはきちんと口にしていたのに。
「……僕たちは、僕たちしか持ち合わせていませんから。君やヒノエと違って」
「……ヒノエ?」
「ああ、すみません、僕の知り合いです」
とりあえず、ここが過去なのは間違いないらしい。
だったならば、きっとこの時、弁慶は九郎と宇治川にいる。そして景時は……噂で耳にした、上総広常の暗殺の。
そう考えれば、全ての紐が解けたような気さえした。
きっと、彼はこのどうしようもない、追いつめられてしまった心情を誰かに聞いて欲しかった。
弁慶は、……ずっと彼をどこかで恐れていた、だから彼の心を聞いてみたいと思っていた。二人の心が多分、呼びあったのだ。
そういえば、景時とはこんな風に話したことはなかった。
なのに、景時はよく彼がやるように、力なく肩をすくめて苦く笑う。
「やっぱり九郎の方が良かったな」
「とことん嫌われてしまいましたね」
「だって君は冷静だからね、君の言う事はいつだって正しい。正しすぎて、自分が何をしているのか分からなくなるんだ」
「君がいなくなったら、朔殿が悲しみますよ。その為に頑張っているんでしょう?」
「……分かっているよ。もう本当にオレにはそれしかないからね。だから、少しだけ勇気が欲しかったんだ。でも……君たちの強さが、なにもないからだっていうのなら、俺には真似できないよ。だから、九郎がよかった。ただ、兄上と新しい世界をつくるんだ、って、お前は違うのかって、いつもの調子で怒って欲しかったんだ。……君たちは眩しすぎて、俺は消えたくなる。きっとその時をずっと探してるんだ。朔は怒るだろうけど、でも、もう朔に会わせる顔もないよ」
本当に景時は嘘が上手い。暗殺の事も当然確信を持てていなかったし、彼がこんなに追い詰められていたことも、この頃の弁慶は全く知らなかった。
そして彼の言うとおり、きっとこの頃言われても……何も返せなかった。
「この頃の僕は、君のことが実は嫌いだったんですけれど」
何故なら、景時はなにかあれば九郎に、今磨いていた銃を突きつけると思っていたからだ。だから彼には深入りしないようにしていた。
だから、景時の本質に気付けなかったんだろう。
けれど知ってしまった。一体強いのはどちらだろう?
弁慶は、他の誰かの為に自分の信念を曲げることなど許せない。もし万が一……ありえないけれど、例えば京を見捨てろと言われたら、九郎の頼みでも譲れないだろう、もしくは、九郎を騙すだろう……、
「僕、実は知ってるんですよ」
だからそれが少し……羨ましい。
「君はもうすぐ、守るべき人に出会うんです」
「鎌倉殿や九郎じゃなくて?」
「ええ。彼女はこの世界じゃないところから僕らの元へやってくる」
守るべきものなど、たったのひとつもなかった弁慶には、ただそれだけで強くなれる人が眩しくて仕方がない。
「彼女の隣にいる君や朔殿は幸せそうで、彼女は僕らの全てを容赦なく、晒してくれるんですよ。僕なんて、どれだけ酷いかを見つけられてばかりで」
「でも……幸せなんだね」
「ええ。とても穏やかな日々ですよ」
と、そこまで口にしたところで、また白く世界が光った。
「弁慶!?」
景時が驚いて手を伸ばしたが、それは弁慶をすりぬけた。
「潮時ですね、ちょっと喋りすぎてしまったかな」
微笑むと、景時はらしくなく泣きそうな顔をした。そんな顔を見せられても流石に困るし、流石に気まずい。
「本当に君は……弁慶だったのか?」
「いいえ、僕、実は白い龍の使いなんです」
だから弁慶はさらりとそう言った。
白が消えたら、さっきまでの闇が午後の光に変わっていて、景色も建物の中から、見知った京の景時の家の縁側に移っていた。
紅葉も赤い。間違いなく、元の世界だ。
「あれ、弁慶さんそんなところにいましたっけ?」
ふいに、背後から望美に声をかけられた。きょとんとしているが、本当にさっきのは彼女の導きなんじゃないだろうか。近づく彼女に弁慶は困惑する。
「はい。ここで紅葉を見てました」
「弁慶が紅葉狩りなんて珍しいね、いつも忙しくしているのに」
望美の後ろには景時がいた。そして随分優しい笑顔でそう弁慶に言った。
けれど、残念ながら、彼の視線は弁慶には向いていない。弁慶の隣に腰をおろした神子の方を向いている。
「綺麗な景色を見ていると、考え事もはかどりますからね。たとえば、」
その視線の種類を弁慶は知らない。推測もしない。けれど、どうみても好意だけは筒抜けのそれに、
「景時はやっぱり隠し事は下手ですね、とか」
と笑う。
「ん? 弁慶、いきなりどうしたの?」
景時は本当に何の事だか分からなかったようだけれど、
「僕のことは無理に心配してくれなくても結構ですよ。僕なんて所詮、望美さんのおまけの八葉で、九郎のおまけの軍師ですから」
と、いえば、さすがにこちらの言いたいことが分かったらしくて、
「えっ、えええええ!?」
と、いつになく慌てながら、随分と大げさに驚いた。
「景時さん?」
「でも、早めに手を打たないと、今はヒノエだけじゃなくて将臣くんもいますからね、幼馴染は手ごわいですよ」
「べ、弁慶、困るよ〜!」
その姿はまるで九郎を見ているかのようで、弁慶はくすくすと声を零して笑った。
遊んでくださってありがとうございました
ED type「C」 おまけ小話のためのパスワードは「N」です
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