大地がある。しかし、自分の知っている大地ではない。
太陽は無い。月も、星も無い。
誰もいない。どうしようもないので、歩いてみる。
歩いているうちに、本当は、大地なんか無いことがわかってしまった。
気分が悪いが、歩き続ける。
死ぬまで歩き続けると、いつか自分自身に誓う日が来るからだ。
見知らぬ景色が流れていく。
行き止まりにぶつかるたびに、元の道に戻っては、また歩く。
纏わりつくような重い闇に、青年は舌打ちした。
せめて足場が砂か何かであれば、訪れた道に印をつけることができるのに。
抜き身の剣を担いだまま、青年はひたすらに歩き続ける。
唐突に、おまけに不自然に設置された扉に、しかしどうしようもないので入ってみた。
やはり知らない場所に出た。どうせ全部知らない道なので、今更気にしたりはしない。
だが、そこは、今までとは明らかに何かが違っていた。
空気、空間の閉ざされ方、足場の感触。
そんなものは些細な違いだ。誰にだってわかる違いがある。
目の前に。
何かが、いる。
『…………』
目の前のそれに、青年はなぜか見覚えがあった。
よく知っている形。よく知っている色、髪、瞳。
だけど彼には、それが何なのかわからなかった。
剣を前に構える。
『……違う』
ふいに、それが喋った。その声には聞き覚えがあった。
よく知っている声。
だけど彼にはやはり、それが何なのかわからなかった。
剣を前に構えたまま、一歩踏み出す。
『……違う。君、じゃない……』
「……?」
なにか喋っている。なにかが、なにかのことを。
それは、ひとりで。目の前の青年を見ながら、だけど本当はどこも見ていないような。
そんな瞳で、喋りつづける。
『……どうにもならなかったから。どうしようもないんだ。
叫んでも、喚いても、泣いても。
お前は、もう、ここにはいない。だから……』
綺麗な瞳だった。とてもうつろで、たったひとつのことしか考えていない。
そのことに気づいた瞬間、青年はなんだかとても不機嫌になった。
しかし、それが何であるかわからないから。青年には、不機嫌の理由がわからない。
だけど、それは喋りつづける。青年の心も、なにもかもを置き去りに。
『……せめて、笑っていようと思ったんだ。
……お前が、教えてくれた。
人を好きになること。……手と手でさわること。
抱きしめられるのは、とてもあたたかいこと。
名前を呼ばれるのは、とても嬉しいこと……。』
聞き覚えのある声で、ずっと喋っている。知らない何か。知らない『誰』か。
そう、それは、人だった。
よく知っている、人だった。
その人はとても美しくて、とても悲しくて、とても寂しい。
そんなことを、はじめて知った。そんな簡単なことに、はじめて気づいた。
『……全部全部、お前が教えてくれた。だから笑っていようと思ったんだ。
お前のせいで、僕が不幸になる、なんてことが、あってはいけないから。
そんなことになったら、お前が悲しむから。だから、だから、僕は……』
それが何なのか、『誰』なのか。やっと思い出せそうな気がした。
わかったような気がした。
目の前のそれは、何かを探して踵を返す。足の先から消えていく。
『……だけど。……お前は、もう、この世界には、いないから。
……だけど。……だけど、僕は……』
「…………!」
くるりと背中を向けられた。その背中を追いかけた。
手のひらでつかめそうなそのとき、その姿は消えてしまった。
消えた瞬間。
彼にはやっと、それが何だったのかがわかった。
「…………」
張りつめた糸によく似たさみしさ。
花を思い出す強さと儚さ。
あれは。さっきの、あの影は 。
「……後、少しだったのに……」
ふいに呟かれたその声の冷たさに、青年は表情を凍りつかせた。
声は背中の向こうから聞こえたが、気配など何も感じなかった。
後ろに、何か。誰か、いる。
わかっているのに、動けない。逃げなければならないと、本能が報せているのに。
気のせいであれば良い。幻聴だったなら良い。
青年の心の声に反して、その声は続く。
「後、少しだったのに。……あれを捕まえれば、あの人を取り返せたのに。
なんで、邪魔するんだよ?
なんで、俺の邪魔をするんだ? 何が? ……誰が?」
こつんこつんと足音を響かせながら、その声は近づいてくる。
逃げなければ。
柄にもなく、青年はそう思っていた。
どんな強敵を前にしても、臆することなどなかったのに。
やがて、足音はぴたりと止んだ。青年の、すぐ側で。
「……お前か ……」
それには馴染みはなかったが、聞き覚えだけはあった。
誰だっただろう。思い出せない。否、思い出したくない。
では、どうして思い出したくないのか。
なぜか指の一本さえも動かせなくて、青年はひどく困惑した。
「……ああ、馬鹿みたいだろうさ。ガキっぽいだろうよ。
……だけどな、どうしても、理解したくないんだ」
言葉は淡々と続く。子どもが大人になる過程にいる、少年の声だった。
「……なんで、あの人の隣に、当たり前のようにお前がいるんだよ?
……あの日まで……、あそこにいたのは、俺だったのに。
なのに、どうして……俺はゆるされなくて、お前がゆるされたんだ?」
ひどく独りよがりな呟きだった。
ただ。
その悲痛だけが、染み入るように伝わってきた。
青年も。まったく逆の、しかし、本質的にはまったく同じことを思っていたから。
「馬鹿みたいだろうさ。ガキっぽいだろうよ。わがままだ、わかってるよ。
だけどな。
それならそれで、構わない。俺は、あの人を取り返す。
あの人を取り返せるなら、俺はそれでいい。他には、何も望まない」
少年の悲痛が、徐々に姿を隠されてゆく。怒りという、わかりやすい色によって。
肩に担いでいたはずの剣を、抜かれ奪われる。
どうして抵抗しないのだろう。どうして、体を動かせないのだろう。
自分の体が自分のものではないような、不思議な感覚だった。
「……それ、お前も“禁忌”にやられたんだよな。死ななくて良かったな。
お前のことは嫌いだけど、やっぱ、死なれるのは後味が悪いし。
あの人は、強いぜ? だから、利用させてもらったんだけどな……」
青年は、知っている。
この言葉の、少年を。
「……ああ、大嫌いだよ。お前なんか。
お前さえいなければ、なんては、思わないけどな。
羨ましくて、しょうがないんだ 俺はもう、あの人の傍にはいられないのに!!」
怒声が空間に響き渡った、その瞬間。
青年は、左肩に鋭い痛みを感じた。
自分の剣で突き刺され、砕かれたのだとわかった。
声は出なかった。
「みんな、意外としぶといな。
やっぱ、戦わなくちゃいけないか。一応、予想はしてたけど。
恨み言なら、その時に聞こうか。…………、」
やがて、音は消える。
息づかいも、何も聞こえない。
自分は今、呼吸をしていないのだ。人形になっているから。
そして。
「じゃあな。アイク」
別れを告げられたその直後、青年の記憶は途絶えた。
「……アイクくん! アイクくん!? 大丈夫かい!?」
「アイク! アイクッ!」
「安心しろ、命はある。しっかりするゾイ!」
体を揺すられた衝動で、アイクはゆっくりと目を開いた。
まず視界に飛び込んできたのは、心配そうにこちらを覗き込んでいるネスとリュカの顔。
一度目のまばたきの後、その隣にルイージが、そしてデデデがいることがわかった。
仰向けに倒れたまま、首だけを動かして辺りを見渡す。
が、
「……ッ」
左肩の強烈な痛みに邪魔されて、それは叶わなかった。
左肩。
アイクは、痛みに顔を顰めたと同時に閉じてしまった瞼を上げる。
傷口は見えなかったが、垂直に突き立てられた神剣が見えた。
「…………」
「おい、団長さん。大丈夫か? 悪いけど、剣、抜くからな。
痛いだろうけど、我慢しろよ。そんくらい、できんだろ?」
相変わらず無意味にえらそうなピットの声が聞こえたかと思えば、
その内容の通り、今度は肩から剣が引き抜かれた。
歯を喰いしばって衝撃に耐える。頭がくらくらするのは、血が流れたせいだろうか。
「はい。返しとくぜ」
「ああ。すまない。……ところで、ここは……?」
「亜空間、とでも呼べばいいんだろうね」
上体を起こし、ネスとリュカの頭を順番に撫でてやりながら尋ねると、
サムスから答えが返ってきた。
「アイクは、覚えている? みんなでここに来た、その後のこと」
「……。……いや」
「なんか、でっけェ翼のあるやつに、えらい攻撃を受けたんだ。
で、みんな人形になっちまったらしい。
そんで、ネスとルイージとデデデが、みんなを助けて回ってたらしいな」
すらすらとそう告げたファルコの顔を見やると、アイクはその視線をデデデへと向けた。
アイクの脳裏に蘇るのは、先ほどまで見ていた夢の声。
正確には、夢ではない。あれは確かに、自分の身に起こったことだ。
怪我の痛みが、それを証明していた。
マントを裂き、傷のある肩や腕を無理矢理縛りつけながら、アイクは尋ねる。
「……おい、あんた……」
「アイク! ケガ、もう大丈夫……じゃないよね?
っていうか、どうしてこんなことになってたの?」
「ん、ああ……」
デデデに話しかけたところでネスの乱入を受け、思いきり出端を挫かれた。
が、アイクはめげずに続けた。
ネスの問いは、これからの話に、関係のあることではあったから。
「この怪我は……、おそらく、この件の犯人、とやらにやられたんだ。
おい、あんた 」
アイクは今度こそ、デデデを呼んだ。デデデが複雑そうに返す。
その表情で、アイクは確信する。デデデはやはり最初から、すべてを知っていたのだ。
隠していた理由も何もかも、アイクにはわかってしまった。
そして、あんなことを言われた以上、もう、隠しているわけにはいかないことも。
「俺は、あいつに会ったぞ。……何で覚えてるかはわからんがな。
あんたが隠す理由はわからんでもないが……今ここで喋るべきだと思うが?」
「…………」
「アイク。……デデデ。 ……それって、まさか……」
「……流石、あんたは勘がいいな」
不穏をはらむ言葉に、サムスが首を傾げる。
言いにくそうに語尾を濁しながら。
「いや……。……これ、もう、言っていいのかな。
実は、ピカチュウが……その、いろいろあって、犯人に会っていたらしいんだ。
だけど、あの子は、犯人が誰だかを忘れていて……」
「……ショックだったんだろう。あの子はあやつと仲が良かったゾイ。
だから……信じられなくて、いや、信じたくなくて……」
「……デデデさん? ……え、何、それって……え?」
リュカが不安げにデデデを見上げる。
だから言いたくなかったんだとばかりに、デデデが俯く。
「……いや、今は……先を急ぐゾイ。まだ、全然足りていないゾイ。
まずは、みんなを元に戻してから……あやつに、追いついてから」
「問題を、先延ばしにする気か?」
「……それでもいいゾイ。どうせ、真実は変わらんゾイ。
ならばせめて、皆が無事だとわかってからでも良いではないか」
「……。……そうか」
なら、それでいい。そう言って、アイクは立ち上がった。
傷は痛むが、先に進まなければならない理由がいくつもある。
サムスやピットが不信そうな表情をしているが、おおよその見当はついただろう。
選択肢はあまりにも少ないのだから。
「……さあ、気を取り直して、次に行くゾイ! 皆を助けなければな!」
「うん。がんばろうね、デデデさん!」
わざとらしい号令とから元気で歩き始めたデデデの後に、ネスとリュカが続く。
アイクに怪我の具合を尋ねた後、ルイージとサムスも三人についていく。
溜息を吐いてファルコが、そして、ひどく苛立った様子のピットが。
最後に、アイクが歩き出した。
歩きながらアイクは、自分の見た夢のような現実のことを思い出していた。
彼に肩を貫かれた時、身動きができなかったのは、自分が人形になっていたからだ。
ならば、この亜空間を、延々と歩き続けていた、あのことは?
「…………」
アイクは確かに彷徨っていた。この景色の中を、ひたすらに。
そして あの影に出会った。
自分の知らないことを、ずっと呟いていた、あの影に。
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。あの青い眼差しに。
あの影は、マルスだった。
マルスのかたちを、していた。
あれは夢だったのだろうか。
真実だったのならば、マルスは今もどこかを彷徨っているのだろうか。
この、暗く深い、迷宮を。
亜空間がこんなに複雑なのは、彼が自分たちを迷わせるためなのだろうか。
それとももっと、別の理由があるのか。
アイクには、わからなかった。考えるのは、元より得意としてはいない。
今は目の前のことに集中しようと、やがてアイクは考えるのをやめた。
いくつもの足音が、闇に響き、消える。