後少し。後少しで。ようやく彼の願いは叶う。
だから、彼は彷徨っていた。
己の感覚だけを頼りに、当ても無く、ただ、闇の中。
深く暗く、悲しく淋しい、誰かの迷宮を、一人きり。
延々と、彼は彷徨っていた。
彼の願いを、叶えるために。
step13:亜空間
「……すごいね。ここは根本的に“世界”の理屈が違うんだ。
……本当に、みんな、ここにいるのかな? ねえ、デデデさん」
「うむ。間違いないゾイ」
そこには、方角らしい方角が無かった。なぜならば、空が無いからだ。
かろうじて残る高さの概念だけが彼らの行く先を導くが、
ここでは足場すら不安定だ。なぜならば、大地さえも存在しないから。
夜ではないのに夜より深い、ひどく奇妙な闇の中。
浮かんでは消え、歪んでは戻る不確かな道を行く、三人の者がいる。
太陽も月も星も無いのに、彼らはなぜかお互いの姿を確認できた。
不思議な世界だ。
一度立ち止まってしまえば、この空間に溶けて、自分がここから無くなってしまいそうだった。
「……兄さん、どこにいるんだろう。……無茶してないかなあ」
「む? ……命の心配ではないのか?」
「兄さんが、僕に何も言わずに、どうにかなるなんてありえないから。
ピーチ姫もいるしね。だから、たぶん大丈夫。だよね、ネスくん」
「うん。僕も信じてるよ、ルイージ」
「ふむ。兄弟とは、そんなものか。羨ましいゾイ」
先頭を歩いていたデデデは感心した様子で頷くと、立ち止まり、辺りを見回した。
後ろを並んでついてきていたルイージとネスも、倣って足を止める。
「その信頼に免じて、教えるゾイ。……皆、間違いなく無事だゾイ」
「! ほんと?」
「うむ。われらは、この“世界”の者だからな。
そうである限り、ワガハイ達はこの“世界”に護られる。
……と、いうことらしいゾイ」
「じゃあ……僕達が人形になってたのは、つまり、そういうことだったのかな?
どんな無茶をしても、命までは、奪われないのかな」
「しかし、全員が人形になってしまえばそこまでだゾイ。
われら三人がこうして皆を助けに行けるのは、ワガハイの頭脳の勝利だゾイ」
「そうだね。デデデさん、本当にありがとう!」
ぱっと明るく笑ったネスの頭をぽんぽんと撫でると、デデデは複雑そうに笑った。
先を見通して動けたのは。
そうとは知らなかったとはいえ、自分が敵に手を貸してしまったのが原因なのだから。
「…………」
「……デデデさん? どうしたの?」
疑わなかったのには、わけがある。
皆にすべてを隠していたのにも、わけがある。
デデデは、どうしてもこの騒動を一人でなんとかしたかった。
最悪の事態を選択肢に入れ、そのためだけに動く必要があっても。
どうしても。なんとしてでも。
この状況には、まだ希望がある。しかし、限りなく最悪に近かった。
亜空間に、足を踏み入れることになってしまった。
もう甘いことは言っていられない。この世界をかけているのだから。
わかっている。
わかっているのだけれど。
「…………」
「……デデデさん? 本当に、どうした……」
「……あっ! ねえ、あそこ……!」
ルイージの問いかけは、ネスが突然発した驚きの声に止められた。
何事かと指で示した先に視線を向けると、二人もまた揃って目を見開く。
色彩も質量も危うい段差に、人形がひとつ、転がっていた。
「 サムス! サムスだ! 今行くよ、待ってて!」
「あ、ネスくん! 一人じゃ危ないよっ」
「こら、ワガハイを置いていくでないゾイ!」
足を置いたところから消えていく大地を渡り歩き、三人は目的の場所へ向かう。
言葉通りの希望となって、暗い世界を飛ぶように歩く。
色の無い人形に命を取り戻すため。そして、ひとつの大きなものを守るために。
しかしデデデは、重要なことに口を閉ざしたままであった。
言えないわけではない。言いたくない、というのが正しい。
仲間たちを信頼していないわけではない。信頼しているからこそ、である。
深い闇の中、大地が消え失せてしまわないよう、足元をしっかり確かめながら。
皆は目的の場所へと行く。
なぜ、彼はこんな戦いをはじめたのだろう。
その答えを、問うために。
***
「……ビィ、おい、カービィ!」
「う……う〜ん?」
闇に青年の声が響く。沈んでいた意識を揺り起こす言葉に、カービィはふと目を覚ました。
半身を引き千切られたような奇妙な喪失感に襲われたのは、受けた痛みのせいだろうか。
しかし、寝ている場合でもないような気がした。
短い手足でぴょんと跳ねて起き上がり、辺りを見回す。知らない場所、知らない時間。
明けない夜を描いたような、知らない世界がそこにあった。
「……ううー?」
「カービィ。おい、カービィ! こっちだ、こっち」
「ふえっ?」
ああそうだ。自分は、この声に起こされたんだった。
気持ちよく寝てたんだけどなあ、とは言わず、カービィはぐるっと体ごと振り向く。
見上げてみると、そこには。
「まったく。……呼んでたんだから、すぐに気づいてくれてもいいだろ」
「……リンク?」
金色の髪を揺らせながら心配そうに覗き込んでいる、緑の衣を纏った青年の姿があった。
「無事だったんだな。……だけど、どうしてだ?」
「え? なにが?」
「いや……。……カービィは、何があったか覚えてるか?」
「ん? んー……」
何が。
何がと言われて、思い当たることはひとつしかなかった。
気を失う前の、かすかな記憶。
この闇に、“それ”はいた。息を呑むほどに美しい翼を広げて。
そして 。
「……ボクたち、倒された?」
「ああ。……みんなは……あの人形になったみたいだな。
……みたいなんだけど、お前は、オレが見つけた時はもう、人形じゃなかったからさ」
「ええ?」
ヒトで言えば首をかしげる動作にあたるのだろう、カービィはまるい体を傾けて、
素っ頓狂な声をあげた。
「なにそれー? リンクが元に戻してくれたんじゃないの?」
「いいや、違うよ。だから、こんなことを訊くんじゃないか」
「んー……。……んー?」
リンクの問いを受けむずかしい顔をしていたカービィが、ふと自分の口元に手を当てる。
そのままもごもごと口を動かす仕草に、今度はリンクが首を傾げた。
「ん? どうしたんだ?」
「んー。うー。なんか、のどのおくに……」
詰まってる気がする、と言いかけたその時。
「っくしゅん!」
「うわっ」
カービィが盛大にくしゃみをした。
勢いの良さにリンクが肩を竦めたが、一切気にしない。
その視線は既に、自分の喉の奥から飛び出し、今は大地に転がっている、
ささやかな異物に注がれていたからだ。
円に近い形の安っぽい金色を、リンクも同じように見つめた。
手のひらより少し小さめの、これは一体、なんだろう。
よく見てみれば、それはただのかたまりではなく、何かの形をしている。
「なんだ、これ……デデデさんの、顔?」
「んーっとねえ、えーっとねえ……えーとえーと……。……ああ!
うん、それね、へーかのお城の近くで裏で見つけた! 落ちてたの!
ほら、クッパが、お空に逃げていったでしょ? あのとき!」
「うん? ……うん。あの時か……」
カービィが語ったのは、デデデを追いかけて城に乗り込んだ時のことだ。
人形と化していた二人の姫に、あと少しのところで手が届かなかった。
やっと無事を確認したのに、また離れてしまうなんて。
しかし今は落ち込んでいる場合ではない。リンクは軽く首を横に振る。
「それで、どうしたんだ?」
「うん。あのねー」
続きを要求すると、カービィはにこにこと笑いながら、
「そのとき、ボクすっごいおなかすいてて!」
「…………。」
こんなことをのたまった。
すべてを理解したリンクは、がっくりと肩を落として溜息を吐く。
昼寝をしていたヨッシーさんといい、もっとこう、と呟いてみたが、
どうにもならないので諦めた。
「……とにかく、だ。そんなもの食べるのはカービィだけだろうし……。
それを食べていたお前だけが元の姿に戻っていたんだったら、
それが、理由なんだろうな。……デデデさんが用意してたんだろうな」
「ほらほら、でしょおー! へーかはねぇ、悪いヒトじゃないんだよ!」
「……それは、まだ……本人に訊いてみないとわからないけど」
その可能性が一番高いだろう。デデデの本質は、リンクも多少は理解している。
ぴょこぴょこはねてリンクに異論を唱えるカービィを撫でて宥めて、
リンクはゆっくりと立ち上がった。
「とにかく、行こう、カービィ。みんなを助けなくちゃな」
「うん! ボクがんばるよ!」
力強く頷いたカービィは、とてとてと歩き出す。リンクはそれについていく。
ヘンなトコロ、と言いながら興味深そうににカービィはこの亜空間を眺めていたが、
しばらくすると、何の前触れも無く、いきなり立ち止まった。
「……んん?」
「ん? どうした?」
「……リンク」
同じように足を止めたリンクを、カービィは見上げる。
不信も疑念も少しだって見当たらない、ただ純粋な不思議に満ちた表情で。
「リンクは?」
「え?」
「リンクは、どうしたの?
だって、みんな……人形になってたんだよね?
へーかのブローチ……リンク、知らなかった。
リンクは?」
淡々と紡がれる声に、青年の顔から微笑みが消える。
「リンクは?」
「……うん。……困ったな。どこから説明しようかな……」
リンクは、慌てたような素振りを見せなかった。
額を押さえながら、辺りを見渡す。
何もいない。耳が痛いほどの静寂に満ちた闇が広がるばかりだ。
しばらくした後。青年は、そっと口を開いた。
「あの翼の持ち主の、あの攻撃は……心の影を奪い、支配する攻撃だったらしいな。
影を奪われるのは、とても大変なことだから。……だから、人形になったんだろ。
カービィも、みんなも、たぶん……なんだか、足りないものを感じていると思う。
だけど、オレは、影を失ったことがあるからな。……もっとも、今は……」
カービィはリンクの声を聞きながら、先ほど目覚めた時に感じた喪失感を思い出していた。
それと同時に、銀色の髪の魔物の姿も。
それにしても、この騒動になってからの。世界が、覆されてからの。
この目の前にいる青年に感じる、微妙な違和感は何なのだろう。
「…………」
「いろいろさ、気づかれると、厄介だから。どこで敵が聞いているかわからない。
だからさ、カービィ。後で説明するから、今はこれで我慢してくれないかな。
それから……このことも。オレが、本当は、人形になっていなかったこと……」
青年は、まるで子どものように笑う。
唇に、立てた人差し指をそっと押し当てて。
「みんなには、ないしょだよ」
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