step07:空中都市
「なぜだろう?」
「ああ、なぜだろうな?」
石畳の上にきっちり正座したオリマーは、包帯留めまでしっかりと施し手当てを終えた、
ファルコンの二の腕をじっと見ながら呟いた。
姿勢を楽に崩したファルコンは、呆れ返った顔のオリマー……から外した視線を、
石の隙間から顔を覗かせている幼い緑に泳がせながら、それに答える。
ファルコンの答えに対して、オリマーがまた言う。今度はちゃんと、聞かせるために。
「なぜ君は、こんな怪我を放置していたんだ?」
嫌と言うほど非難の目を向けられ、否と言うのを許さない追及の声を浴びせられ、
ファルコンは大きく溜息を吐いた。
「あんたこそ、何でそんなもの持ってんだ。用意が良すぎるだろ」
そんなもの 白い救急箱をじろりと睨みつけ、ためしに話題を逸らしてみる。
オリマーは手元のそれを労うようにぽんと撫でると、
「やはり、普段から用心するべきだな。ドルフィン号に積んであったのを思い出したんだ。
それで、その怪我のことは、どう説明してくれるのかな?」
やはり、騙されてはくれなかった。
ファルコンは後ろめたさありありの舌打ちをすると、彼の右手側、
整備された道から外れた草むらの方へと顔を向ける。
そこには先程オリマーとの会話に出てきた宇宙船、ドルフィン号があった。
正しくは、墜落していた。
地上から見て一番怪しげなところを目指した、というオリマーに付き合わされた結果、
なんとか大破は免れたらしい宇宙船は、しかし、見るも無惨な姿であった。
未だに煙を吐いているし、窓はヒビだらけで、白いボディもすっかり汚れてしまっている。
もっとも、長年舵を取ってきたキャプテンからしてみれば、
汚れているのは元からで、だからまったく気にしていない、とのことだが。
洗車が趣味で、愛車は常に美しく磨かれているファルコンからしてみれば、
そわそわするし、気になるし、落ち着かないことこのうえない。
おまけに、
「このくらいだったら、道具と、代わりのものさえあれば、修理できるさ」
こうである。どうやら彼は、想像以上に修羅場をくぐり抜けてきているらしい。
ファルコンは自身が踏んできた場数には自信があったが、人は見た目によらないものだ。
と、こういうことなので、熱と炎に強い赤ピクミンは宇宙船の内部の捜査をしているし、
その他のピクミン達はほぼ全員 オリマーが自衛のために残した少数以外 は、
島のあちらこちらへと、破損した部品の代替品を探しに行っているわけである。
ドルフィン号の熱が引かなければそちらへは近づけない手持ち無沙汰なオリマーは、
ファルコンの腕の傷に目をつけ、手当てをし、更に説教までつけてきた。
ああ、だから、その説教のせいで、こんなことを考えなおす羽目になっているのであって。
つまり、何もかも、こいつが宇宙船を墜落させたのが悪い。
深く考えるのが面倒くさいファルコンは、適当に結論を出し、再び深い溜息を吐いた。
その姿を見て何か勘違いしたのか、オリマーもまた口を開く。
叱っているような、しかしちゃんと諭すような、そんな口調はさながら保護者である。
彼は故郷へ帰れば妻と子のある父親であるらしいから、そのもの、と言うべきだろうか。
「君が強いのは知っているが、だからと言って無茶は良くない。
……少なくとも、今、この“世界”がどうなっているのか、わかるまでは」
「それが知りたいから、無茶もするんじゃねえかよ。
俺は丈夫なのが取り得だからいいが、女とか……ちびどもが、こんな目に遭っていたら。
俺には、そっちの方が気になってしょうがねえ」
じっとしていても、欲しい真実は、こんな空からは降ってこない。
代わりに降るのは影虫ばかりで、いい加減辟易していたところだ。
責めるような視線を送っていたオリマーは、主張を聞くと、仕方無いとばかりに微笑んだ。
ファルコンの無茶が自暴自棄から来るものではないこと、また、
彼の有り余る正義感や、普段はあまり気づかれず、また気にされない心配性ぶりを、
オリマーもけっして知らないわけではなかったからだ。
「まあ……私とピクミン達が合流したことだし、無茶も半分くらいで済ませてくれないか。
私では力不足だろうが、それでも、一人でいるよりはずっと良いはずだ。
会えて良かったよ」
「ああ。こっちもな。ありがとうよ、これ」
腕の包帯をつつきながら、ファルコンは快活に笑った。
「なぜだろう?」
「あん?」
様々な物質を手に帰ってきたピクミン達の手も借りながら、
オリマーはその後、ドルフィン号への、ひとまずの修理を済ませた。
ほとんど応急処置程度ではあるが、地上までは飛べるだろうと言う。
島の簡単な地理を調べに行くと言い出したオリマーは、
同行するというファルコンの申し出を、一度は断った。
それは傷の具合や、疲労のことや、今後何があるかわからないから、等々、
様々な懸念から来たものであったのだが、ファルコンは譲らなかった。
何かしていないと気が済まない、考えるより動きたい という言う彼に、
最終的にオリマーが折れることになったのは、いつものことと言えばいつものことである。
この承知もまた、無茶をしないか見張っておけるし、一人よりは二人の方が、等々、
様々な思案から来たものであるのだけれど。
とりあえずは島の外周をぐるりとしてみよう、と、
島の内陸部から外側へと向かうその道中であった。
オリマーが、ひどく真剣そうな顔つきで、「なぜだろう」と呟いたのは。
「……なぜ、って、何がだ?」
「気にならないか?
この“世界”をこんなことにしただれかは、なぜ、こんなことをしたのだろう?」
その発言に、ファルコンはぎょっとした。
よっぽど変な顔をしていたのか、オリマーがファルコンを見上げ、首を傾げる。
「ん? ……どうした?」
「いや……。あんた、これが、なにか……“だれか”の仕業だと思ってんのか?」
「だってこうして、ヒトが二人も、立ち向かっていこうとしているじゃないか。
もしこれが天災なら、そんな気も起こさずに逃げるだろう。ならば、これは人災だよ」
「…………」
淡々と話すオリマーは真面目そのものだが、
何だかとんでもないことを言っている気がする。
「……そんなもんか?」
「なら、こうしよう。
天災か人災か、今はわからない。だったら、半分の確率に備えて動いておくべきだ。
天災ならば滅ぶしか無いが、人災ならば、ぎりぎりで止められるかもしれない」
備えあれば憂い無し、ということだ、と続けられ、ファルコンは頭を捻る。
ここまで堂々と言われると、なんとなく正しい気がしてくるから不思議だ。
実際問題、空には敵軍をばらまく戦艦がいるし、
この“世界”に被害をもたらしているのは、その敵軍である。
天災であると言うよりは、人災であると言った方が、納得もできるというものだ。
あまりにも規模が大きいので、にわかには信じ難い話であるが。
「人災ならば、犯人がいる。ではその犯人は、なぜ、こんなことをしたのだろう?」
「……。ありがちな話なんじゃねえのか?
世界が欲しいとか、どうとか……そんなとこだろうよ」
「では、なぜ? なぜ、世界が欲しいんだ?」
「……それは、」
軽く握った手を鼻先に当て、思考を巡らせるオリマーの後ろを、
赤青黄色白に紫、五匹五色のピクミンが、一列になってついてくる。
何も考えていなさそうな、ぽかんとした表情が恨めしくて、
ファルコンは言葉を飲み込んだ。
「まだある。
世界が欲しいというのなら、なぜ、この“世界”でなければならないのだろう?」
もはや、ファルコンに聞かせるためだけに話しているわけではないだろう。
自分のあらゆる考えを一つの筋に整理するために、オリマーはひたすら喋り続ける。
普段はどちらかと言えば物静かだが、まさか、こんな一面があるとは思わなかった。
「世界とは、どうやら、私が考えていた以上にたくさん存在するらしい。
数多の世界の中から、どうして、この“世界”が選ばれた?
偶然か? ……だが、偶然にしては、あまりにも計画的では無いか?」
「……あの戦艦は、メタナイト殿のものだったな。
あんなものを、あのヒトから奪うなんて、並大抵の努力じゃねえぜ」
彼は、何かを知っているだろうか。
それとも、彼もまた、現状に踊らされ、後を追っているだけなのだろうか。
「戦艦を奪う途中で、何かあったらどうするんだ。最悪、失敗だってあるだろう。
世界を覆して、戦場に変える程の力があるんなら、
それだけでどうにかできる世界だって、きっとあるんだろうに」
「危険を冒して……犯人は戦艦を奪い、世界を侵略した。
何だ? この“世界”には、何がある?
確かに、この“世界”は異質だろう。……そこが、理由になり得るのだろうか?」
この“世界”を中心に、たくさんの“世界”が門扉でつながっている、この世界。
そんなものは、ここ以外の、どこにもないから。
世界を欲しがるものの手で、あらゆる平穏が、あまたの戦場に変わってしまった。
そんな非常識な力を持ってしてもなお、完全には落とせなかった強固な“世界”。
それでも向こう側の何者かは、ここでなければならないらしい。
数え切れない兵を使い捨て同然に投下して、蹂躙しなければならないらしい。
「なぜだろう?」
なぜ。
なぜ、この世界でなければならないのだろう。
「……それでも、」
「?」
ファルコンは、ぽつりと口にする。それだけははっきりとわかる、自分の心のかたちを。
「どんな理由であれ、だ。
そいつはこの“世界”をこんなことにして、俺達を戦いに巻き込んだ。
しかも、怪我の程度じゃなくて、生死を案じるしか無いレベルのな。
許せるわけがないだろうが。 絶対に、一発、ぶん殴ってやる!」
「……そうだな。……そういうものだろうか」
それでも私は理由を考え続けるよと言い、オリマーはファルコンの前を行く。
ファルコンは一つ鼻を鳴らし、そのまま苛立たしげに辺りを見回した。
真っ直ぐ続いていた道の先が、すっぱりと切り落とされているのが見える。
「…………ん……?」
崖――ではなく、完全に島の終わりだった。薄く雲が伸びた空と、青い水平線が見える。
ファルコンは海の上に、何かを見つけて立ち止まった。
その何かは、海の上を飛んでいる。プレートのような形状の体に、何かを搭載している。
「!」
「っえ、」
搭載された何かの姿を認めた瞬間、ファルコンはオリマーの首根っこを引っ掴んでいた。
持ち前の脚力で石畳を蹴り、全身全霊で走り出す。
慌てて縋るピクミン達を受け止めながら、細い目を懸命にファルコンへと向ける。
「な、ファルコン殿? いきなりどうした、」
「誰か助けられそうだぞ! 跳ぶぞ、気絶すんなよっ!」
「は!? おい、何を考えて 」
だが、オリマーの言葉は、最後まで紡がれなかった。
この時まだ、オリマーは知らなかった。自分の着眼点が、どれほど重要であったのか。
自分が考えていたことが、どれほど真実に近かったかさえ。
オリマーはこの“世界”に来て、まだ日が浅かった。何もかもが、上手くは行かない。
あるいは彼が、日常の事情に近ければ、もっと早い段階で犯人を特定できたのか。
確かめる術は無い。
島の終わりで思いっきり踏み込む。ありえないほど高く、身体が宙に浮く。
跳んでいるというよりは、投げ出されているような感覚があった。
だって下には何も無く、強いて言うなら、波がゆらゆら揺れているだけだったのだから。
「ぅええぇあああぁぁあぁーーーーっ!?」
「ドンキー! 今行くぞ、待ってろ!」
海の上を島の方角へ向かってくるフライングプレートへ、ファルコンはダイブした。
そこにはいたのは、見張り用と迎撃用の亜空軍。
そして、命の色の無い人形と化したドンキーコングが、鎖で繋がれて、そこにいた。
***
一方その頃。
「大丈夫? サムスさん」
「うん。もう大丈夫だよ」
サムスとピカチュウは、研究施設の長い長い廊下を歩いていた。
突き当たりに見える自動ドアの隙間から、
この建物の中ではお目にかかることが無かった、明るい光が漏れてきている。
奪還したパワードスーツを装着しているサムスは、
よく見ればその上からひどい傷を負っていた。
人体で言えば鎖骨にあたる部分の装甲が剥げ落ち、
更にそこから中の回路が一部飛び出している。
火花が散った跡まで見えるが、彼女には既に、慌てる様子は見られない。
「自動修復機能が働きだしたから、このくらいなら、もう心配いらないよ」
と、いうことらしい。
真っ黒な目の奥に様々な思いを燻らせていたピカチュウは、それを聞くと、
心の底から安堵したのだろう、深く短い息を吐いた。
「そっか。なら、いい」
「うん。守ってくれて、ありがとう」
サムスに微笑みかけられたピカチュウは、耳の擦り傷を引っ掻きながら、
子どもっぽくにこりと笑った。
「リドリー? だったっけ? 翼があったでしょう?」
「うん」
「翼があるものには、かみなりは“こうかはばつぐんだ”から」
「……?」
ちょっぴり得意気に言ったそれは、ピカチュウの世界のルールだったので、
サムスにはわからなかった。
「あ。出口だね」
話しているうちにたどり着いてしまったらしい件の自動ドアの前で、二人は立ち止まった。
よくよく耳をすませば、ごく自然な葉音が僅かに聞こえてくる。
この扉の向こう側は間違いなく外なのだろう、顔を見合わせ頷きあい、
まずはサムスが一歩踏み出した。
壁が真ん中から外側に割れ、目が眩むような光が二人を襲う。
次の瞬間、身体中に、強く冷たい風が吹きつけた。
「……うわあ……」
「はあ……やっと出られた」
二人は遺跡の一部なのであろう、円を描いた広場に出た。
メットを取り、サムスは髪をかきあげる。
ひんやりとした空気がうなじを掠めて気持ちが良い。
若干疲れた様子のサムスとは裏腹に、ピカチュウはひどく落ち着きが無い。
遠く水平線を見たかと思えば忙しなく首を回して辺りを窺い、長い耳をぴくぴくと動かす。
目は大きく見開かれ、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返していた。
「どうしたの?」
「ここ、こんなところだったの?」
「ん……ああ、そうか……」
ピカチュウの言うことはもっともだ。海上より遥か高く、空に浮かぶ岩のかたまり。
目の前には、ひどく原始的な遺跡。なのに今しがた脱出した研究施設は、
サムスでも全てを理解出来ないほど高度な文明を凝縮させたところだった。
こんなところ、とは、言い得て妙である。
自分の現在地に対して一通り驚きの声を上げた後、
ピカチュウは広々としたこの場所が嬉しいのか、ちゅう、とかちゃあ、とか言いながら、
うんと大きく伸びをした。その愛らしいしぐさを先程の言葉に照らし合わせたサムスは、
この小さな子どもが、ぎりぎりまで短くして量っても、
丸々三日はこの建物 あの無慈悲な機械に捕らえられていたのだと改めて思い知る。
たった一人きりで、あんな拷問のような仕打ちを受けて。
一体どれほどつらかったことだろう。
「……ピカチュウは、もう大丈夫?」
訊かずにはいられなかった。
しかしピカチュウは、思いの外あかるい顔、あかるい声で返してくる。
「うん。もう大丈夫。
外に出たら、けっこう前向きなことも、頭の中に浮かんできたよ」
「……?」
ひとまず元気そうであることには安心したが、その答えはよくわからない。
首を傾げたサムスを見てピカチュウは、言葉が足りなかったね、と言う。
「こんな戦いには、前向きなことは思いつかないよ。
僕が言ったのはね、ピチューのこと」
「ピチュー?」
「ピチュー、この間、自分の“世界”に帰ったでしょう?」
唐突に出てきた名は、ピカチュウの小さな弟のものだ。
無邪気で甘えん坊で泣き虫で、まだ幼児と言っても良かったその子は、
この“世界”で、あの屋敷で、ピカチュウや大人達にくっついて暮らしていた。
あの日、管理者達から何の理由も無く突然帰還を言い渡され、
それに従い自分の在るべき場所に戻って行った、その前までは。
みんなといっしょがいい、と、あの時ピチューはずいぶん泣いていた。
最終的には、ミュウツーさんもプリンも一緒だし、
僕もときどき会いに行くからというピカチュウの説得を受け入れたのだが、
胸が痛んで仕方がなかった。
「今、ピチューがいたら、僕、もっと混乱してたと思うから。
少なくとも、今この場では、あの子の心配はしなくていいからね」
「……そうか」
ピチューのみに発揮されるピカチュウの過保護っぷりは、屋敷の七不思議の一つだった。
それはさぞかし前向きな考えだと、サムスは思わず微笑む。
「サムスさん、誰かに会った?」
「え?」
当たり前と言えば当たり前の、しかし予測していなかった問いに、
サムスはターコイズ色の目をぱっちりと見開いた。
「……そこの施設に侵入する前までは、私はスネークと一緒だったよ。
ハルバードの中にいた。
あの戦艦がこの島に一度だけ降りた時に、私だけ出てきたんだ」
「ハルバードって、メタナイトさんの? いつから乗ってたの?」
「街が引っくり返って、戦場に変わってから、すぐだよ。
丸一日か……もう半日くらいは中にいたかな」
「サムスさんは、それからずっとこの島にいるの?」
「うん。そうなるね」
島中調べたり、遺跡壊してみようかと思ったりしてたら、
怪しい施設があったから入ってみたと続けたサムスのこれまでの経緯を聞いて、
ピカチュウは若干しょんぼりと耳を垂れる。
「それがどうかしたの?」
「ううん。なんでもない。
リンク、元気かなあ、って。それだけ」
「…………、」
ああ。そうか。その返答でサムスは理解した。
先程の質問は、つまり。
リンクと会わなかった? と、そう訊いていたのだ。
緑色の衣を身に纏った青年の姿を思い出す。
穏やかな印象のその中に、鬼神の如き底知れぬ強さを秘めた彼のことだ。
何が起ころうとも、最悪の事態にだけは陥っていないだろうが。
「……そうか。ごめんね」
「ううん。べつに……、」
わかりやすい気づかいに有り体な言葉を返しかけた、そのとき。
「!」
二人きりでいた空間に何かの気配を感じ、一人と一匹はほぼ同時に振り向いた。
足元には不思議な模様が描かれた石畳、頭上には陽があるだけで何も無い。
二人は視線を、自分達の立ち位置から少し離れた場所に向ける。
ほっそりと伸ばした枝に褪せた色の葉をさみしくつけた木が、ぽつんとそこに立っている。
気配は、そこにあった。そして、
「……え?」
「…………」
そこにいたのは、予想外のものだった。
闇のように暗い黒の衣。病的なまでに白い肌。
肩を少し過ぎた辺りでおざなりに切られた髪が、空の明るさを反射して銀色に輝いている。
そしてその顔は、二人にとって、非常に見慣れたものだった。
二人は振り向いたままの格好で、言葉を失う。
「やっと……見つけた」
声も、よく聞き慣れたものだ。
生物らしい色をほとんど感じられない中、血のように赤い瞳だけが、
彼のある種の印象を際立たせていた。
サムスはまるく見開いた目で彼を見ていた。
そのままの表情で、確かにそこにいるそのひとの名を呼んだ。
「ダーク」
正確には、愛称だろうか。それとも、ただの呼び名と言えば良いのだろうか。
ダークと呼ばれた青年は、ピカチュウの親友とまったくおなじ形の顔で、
ほんの一瞬、ちらりとサムスに目を向けた。
そして。
とてもいたずらっぽく、笑った。
「…………」
「ダーク。無事だったんだね? でも、どうしてこんなところに」
サムスは警戒心を半分程ほどいて、ダークリンクに歩み寄る。
しかし彼はそれをきっぱりと無視して、再び口を開いた。
「悪かったな。助けてやれなくて」
それは、間違いなく、ピカチュウだけに向けられた言葉だった。
ピカチュウは何も答えず、耳をぴんと立てて彼を見ている。
「怖いことは、もう無くなっただろう。良かったな。
それで、おまえは、思い出したか?」
「……。何を?」
やっとピカチュウは口を開く。
一切の無駄を省いた短い返事に、しかし、ダークリンクは満足げだ。
サムスは対峙する一人と一匹の会話を聞き、彼に言い様の無い違和感を覚えた。
何だろう。見てくれは、どこからどう見てもダークリンクだ。
銀色の髪も赤い瞳も彼のもので、纏う気配もあの、冷たい水によく似た気配だ。
あらゆるものを取り込み無に還してしまう、痛くなるくらいに孤独なもの。
誰かに何かを話しかけられていながら、
視線を寄越すだけで声を返さないのもいつものことだ。
それなのに、この違和感は気のせいではない。
この違和感は、一体どこから来るのだろう。
サムスの怪訝などには微塵も興味の無い様子で、ダークリンクは続ける。
「犯人だよ」
犯人。それを聞いて、サムスは先程よりずっと驚いた様子で彼を見た。
「おまえを、あんな怖いところに閉じ込めた犯人。
そして この“世界”をこんなことにしやがった、犯人だ」
「……!?」
あんまりにもあっさりと形にされ、一瞬、何を言われているのかわからなかった。
犯人。こんなことをした、犯人?
二の句が継げない二人のうち、先に口を開いたのは、ピカチュウの方だった。
「……何が?」
「何が、は無いだろう。今、語ったことが全てだ」
「……僕は……覚えてない。
僕はどうして、あんなところにいたのか。だれが、あんなことをしたのか」
「覚えていない、とは覚えているんだろう?」
にい、と意地悪く吊り上がった唇に載せられた反論に、
ピカチュウはらしくなく、わかりやすく動揺した。
「知らない、とは言わないだろう。
おまえの言う通りだ。覚えていないんだ。忘れているんだよ。
おまえは、忘れたんだ。おまえを痛めつけた犯人を」
「……何、……ちょっと、待って。ダーク」
ピカチュウだけを見ていたダークリンクは、間に立ち入ってきたサムスに顔を向ける。
見た目はまったく同じだが、やはり違和感は無くならない。
「……忘れた……って、……一体、どういう」
「だから、忘れたんだよ。言っておくが、魔法をかけられたわけじゃあないぞ。
そんなものを使った馬鹿は三つくらい昔にいたが、
結局、望んだ結果は得られなかったし、良いことにもならなかったからな」
「そんなことは考えてないよ。というか、何、それは。
……そもそもどうして、きみがそんなことを言えるの?」
ピカチュウを捕らえたもの、この“世界”を戦場へと変えたもの。
どうして、彼が、それらを知っているかのような口ぶりで話すのか。
不信感を募らせながら、サムスは尋ねる。
しかし彼は、少しも動じることは無かった。
「見ていたからに、決まっているだろう?」
言いたいことはたくさんあるはずなのに、何も出てこなかった。
「世界が引っくり返った時、ちょっとした事故があったんだ。
その事故のせいでピカチュウは、犯人にとても近いところにいたんだよ。
だから、ピカチュウは捕まったんだ」
一刻も早くピカチュウを引き離すため。余計なことを喋らせないため。
閉じ込められた場所があの研究施設であったのは、警備が厳重であったからだろう。
つまりはあちら側にとって、非常に大事な拠点でもある、ということだが。
「なあ、ピカチュウ」
ピカチュウは俯いたまま、顔を上げない。小さな背中が震えている。
「おまえはその時、知ったんだよな。
おまえを捕まえた犯人を。そしてその犯人が、この事態の犯人であることも。
そして 忘れたんだ」
サムスは、自分の推測を思い出す。「敵」がどうやって、ピカチュウを捕まえたのか。
この手で解放したピカチュウは、明確に人間を怖がっていた。
そして彼は、人間を相手にしたって、驚くほど無力だというわけではない。
ああ、そうだ。ピカチュウは、人間に捕まったのだ。
そう考えていたではないか。
あの状況では、どう考えたって、その結論に辿り着くしかなかったのに。
ではどうして、ピカチュウは、大人しく“犯人”に捕まった?
どう考えた?
「それが……本当なら……。
どうして、自分を捕まえた犯人が、この事態の犯人だと、わかったの?
どうして、そんな大変なことを……ピカチュウは、忘れたの?」
ダークリンクの声は、現実そのものだ。まるで容赦が無く、手加減も無い。
「わかったから、さ」
彼は、ぽつりと呟いた。
「わかってしまったから、ピカチュウは忘れたんだ。
忘れなければいけなかったら。……そうだよな?」
「…………」
ピカチュウは、答えない。
ピカチュウを捕まえたもの。世界を混沌へと至らしめたもの。
その二つが一つに繋がったとき、ピカチュウの心は、記憶を割いた。
忘れなければいけなかった? どうして?
「そんなことだろうと思ったから、俺は、おまえを探していたんだよ。
おまえたち 」
ダークリンクは両腕を広げて、真っ直ぐに二人を見据えた。
目が、何かを強く訴えていた。
彼の後ろに広がる、空の青さが眩しかった。
「おまえたちは、流石だよ。
何もわからないなら、何もわからないなりの手を打とうとしている。
だが、まだまだだ。
何もわからないなら、どうして、何もわからないかを考えなければ」
その時、やっと。彼に感じる違和感がどこから来るものなのか、サムスにはわかった。
笑っているのだ。
彼は、その唇に乗せて。ずっと。
「どうして、忘れなければいけなかった?
これは簡単だ。記憶の全てに通ずる。忘却とは、前進するために存在する。
忘れなければ、ピカチュウは前へ進めなかったんだ。では 、
ピカチュウは、何を知った? 忘れたくなるほどの、何を知ったんだ?」
思い出と言うにはあまりにもささやかな日々を辿る。
ダークリンクの、無そのものの心には、最近ようやく感情の芽が生えてきた。
感情を出すことを知らない水の魔物は、表情の出し方も知らなかった。
だが、目の前の彼は笑っている。
無機質な色彩に、獰猛な赤い瞳と笑みだけが、ひどく浮いて張りついていた。
「全てのヒトが行う全てのものには理由がある。
ゆえに今回のことだって、どんなこともけっして偶然ではない。
考えろ、考えろ。
この“世界”には、何がある?」
考えろ。考えろ、考えろ。
「この“世界”には、何がある? 何があるから、この“世界”は狙われた?
この“世界”に、何かがあるのなら。
何をどうすれば、この“世界”は、最悪の事態を回避できる?」
考えろ。考えろ、考えろ。
なぜ、この世界でなければならないのだろう。
「おまえたちは、さっき、とてもいいことを話していたな。
おまえたちはもっと、いろんなものに目を向けるべきだ。
こんな状況だ、無理も無いかもしれないが。平常心を忘れるべきじゃない」
「……。
……ダーク? ……きみは……、」
「しっ。静かに」
サムスが何か言いかけた途端、ダークリンクは自分の唇に人差し指を当てた。
猫のように細めた目で、子どものように笑うその姿。
違和感の正体は、やはりこれだ。ただ、笑っているだけなのに。
「どこで、誰が聞いているか、わからないぞ?」
誰か、とは、誰だろう。
「だから俺は、こんなことしか出来ないんだ」
こんなこと、とは、どのことを指すのだろう。
「……あなたは……これからどうするの?」
俯いていたピカチュウが、いつの間にか顔を上げて彼を見ていた。
その声は落ち着きを取り戻した、至って冷静なものに聞こえるけれど。
「逃げるよ。俺は、逃げるのがいちばん良い。
俺が捕まったら、この“世界”は、おまえたちの抵抗を待たずとも、破滅する」
「…………」
「俺が捕まったら、何のために二つに分かれたのか、わからないだろ。
悪いな。
この件に関しては、おまえたちにばかり、面倒をかける」
「そんなのは、いいけど……」
溜息を吐いたピカチュウを、ダークリンクは見下ろしている。
一瞬、彼の微笑みがどこかさみしげに見えたのは、サムスの目の錯覚だろうか。
確かめる術は無い。
「犯人は、おまえが犯人のことを忘れることまで計算に入れていたはずだ。
そうでなければ、わざわざ自分から、のこのこ姿を現したりはしないさ。
気をつけろよ。
ヒトの感情を計略の内に含んでおくなんて、並の心情では出来ないぞ」
ダークリンクはくるんと踵を返す。
銀色の髪がさらりと流れ、黒い服に影を落とした。
「面倒をかける代わりだ」
歩き出す途中の格好で、彼はぴたりと足を止めた。
ひょい、と振り返ったその顔には、一見、勝気に思える笑みが浮かんでいた。
「俺の片割れを助けてくれ。俺の大切な片割れだ。
助けてくれたなら、何でも願いを叶えてやるよ。
ただし、一つだけだがな」
そんな文句を、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「じゃあな 」
ぽつんと立つ木をひとり残して、彼は、島の向こう側へ消えた。
風のように通り過ぎた彼を見送ったままの格好で、
二人はしばらく、ただその場に立ち尽くしていた。
かなり長い間を置いて、サムスとピカチュウはお互いに視線を向ける。
同時に首を傾げた後、サムスの方が、やがて呟いた。
「……今のは……信じて良いのかな?」
「信じて良いと思う。
……サムスさん、さっきの、どこまでわかった?」
「違う、ってことだけ。……きみは全部わかった?」
「うん。たぶんね。リンクに聞いてみなくちゃ、確信は持てないけど」
「……そう」
彼がいなくなった後の風景は、彼が現れる前と、驚くほどに変わらなかった。
おそらく一人で対峙していれば、あれは夢か幻だったかと思ったことだろう。
しかし、ここには二人いる。だからあれは、夢でも幻でもない。
青く澄み渡る空を見上げて、今度はピカチュウが呟く。
「……僕は、なんだか……けっこう重要なことを、知っているんだね」
「……そうみたいだね」
「サムスさん。……本当にね、僕、覚えてないんだ。
何も覚えてないのに……それなのに、思い出すのが、すごくこわい。
……でもね。でも……」
それこそが、先ほどの彼の言葉が真実だという証だ。
ヒトは嘘をつけるから、なにもかも虚偽であったとしてもわからない。
だが、彼がその口で語ったことは本当だ。
ピカチュウ自身が、そう思い、そう感じているのだから。
誰よりも人の心を見ることに長けた真っ黒い瞳が、サムスをとらえる。
その眼差しに、迷いはどこにも存在しない。
「頑張って思い出すよ。
何かに間に合うのかどうかは、わからないけど」
後戻りをする時間も、迷う余地も、もうどこにも無い。
許されたのは、考え、前へ前へと戦い進むことだけだ。
だって。
「だって この“世界”には、大切なヒトがいるんだから」
その時、冷たい風がいっそう強く吹いた。
風は高い位置で結ったサムスの髪をなびかせ、遥か遠い空へと抜けた。