step04:研究施設
「……ちっ。ここも違うのか……。……まったく」
恨み言のように独り言を零しながら、サムスは一人溜息を吐いた。
頭の高い位置で結った、長い金髪がさらりと揺れる。
奪われたらしいパワードスーツを取り返すために潜入したこの場所は、
無機質で人工的な白い壁と、耳障りな機械音が続く、奇妙な施設だった。
工場 だろうか。もしくは、何かの研究に使われているのだろうか。
出会うのは簡単な見た目の機械兵ばかりで、血の通ったような生き物はさっぱり見当たらない。
怖がることを知らないらしい機械兵の相手は面倒で、サムスは再び溜息を吐いた。
黒いスコープの視界の死角を突いて、足取りも軽やかに駆け抜ける。
それにしても、この施設はいったい、“世界”のどの辺りに位置しているのだろう。
窓が無いおかげで、サムスには、外の情報がまったくわからない。……皆は、果たして無事なのだろうか。
スーツを取り戻して、こんな場所からは早く脱出したいところであったが、
未だ目的のものは見つからず、辿り着く部屋は先程から空振りばかりだった。
「……なんて有様だ。はあ……」
空調が効いていて涼しいことだけが、とりあえずは目先のささやかな幸せだろうか。
サムスは三度目の溜息を吐くと、気を取り直して、何の気配の無い細い通路へと侵入した。
「…………」
こつん、こつんと、足音が響く。敵が出てくる様子は無い。
窓も無ければ扉も無い、カーブが続く長い通路。
これはもしかしたら、床が円状になっている部屋の周囲を歩いているのだろうか。
ふとそんなことを思いついたその瞬間、サムスは前方に何かを発見して立ち止まる。
「…………?」
視線の先、左側の壁にあったのは、入り口 扉だった。
思いつきは、どうやら当たっていたようだ。
入ってみない手は無い。若干急ぎ足で、サムスは見つけた扉へ向かう。
白い壁と同じ色の、白い自動ドア。目の前で止まり、すう、と深呼吸した。
中で、敵が待ち構えていないとも限らない。
グリップを握り直して、サムスは一歩踏み出した。
真ん中から二つに割れて、扉が開く。
刹那。
「……たすけて……!」
「……!」
思わず耳を塞ぎたくなった。それほどに苦しげな声が、耳に届いた。
サムスは目を見開き、呼吸を忘れる。
そこには 自分の頭を疑いたくなるような、光景があって。
「助けて……助けて、助けて! 助けて……!」
「ぁ……っ、」
広い部屋の中央、天井と壁から伸びる無数のコードと接続された機械。
取り付けられたカプセルの中に、なにかいる。
視界を潰すほどに眩い閃光が走る。それは、その『なにか』から 、
電気エネルギーを搾取している。 生きているものから!
ろくに空気が通っているのかもわからない。
狭く透明な密室で、『なにか』は痛みに喘ぎ、呻き、叫び続ける。
なにか、が一体何なのか、サムスは一瞬わからなかった。
我に返ったその瞬間、叫んでいた。
手の中の武器を振り上げながら、その、小さな子供の名前を。
「 ピカチュウ!!」
プラズマウィップが、ピカチュウを拘束しているカプセルをコードごと切り砕いた。
ピカチュウが床に落ちるのと同時に、部屋にはサイレンが鳴り響く。
「……ッ邪魔だ!」
サイレンを聞きつけたのか、それともそんなふうにプログラムされているのか知らないが、
赤い光と共に表れた大量の機械兵を、サムスは振り返りの一撃で破壊した。
部屋に集まった敵を全て倒してもけたたましい音は止まないが、サムスは構わない。
鞭を収束させ、慌てた様子で、床にうつ伏せになっているピカチュウに駆け寄る。
「ピカチュウ! ……ピカチュウ、しっかりして!」
「ぅ……っ、」
小さなからだを小さくまるめたまま、ピカチュウはわずかに声を漏らした。
手足やしっぽがぴくぴくと痙攣している。
あまりにも痛々しくて、だけど目を逸らすことなど出来るわけがない。
一体いつから、ピカチュウはあんな目に遭っていたのか。
なぜ、もっと早くここに辿り着かなかったのか 。
あらゆる思いに掻き立てられながら、サムスは再び名前を呼ぶ。
「ピカチュウ!」
「……っう……、」
背中に手をあて軽く揺すると、ピカチュウの耳がぴくんと動いた。
続いて、閉じられていたまぶたが三、四回、ぱちぱちと瞬く。
誰よりも早く本質を見つける、真っ黒な目が開かれる。
「ピカチュウ……!」
「……、……ぁ……」
ピカチュウは瞬きを繰り返しながら、ゆっくりと顔を上げた。
焦点の定まらない瞳は、安堵するサムスには向けられず、辺りをぼんやりと見渡す。
円柱状の部屋、サムスが撃退した機械兵。そして、破壊された機械を見つけた、
その瞬間。
「………………!!」
「っ!?」
びくん、と大きくからだを震わせ、ピカチュウはすごい速さでサムスから飛び退いた。
頭を撫でようと伸ばされたサムスの手が、行き場を無くして宙で止まる。
光をとりもどした瞳が、サムスの目の前で、恐怖と、痛みと、怯えに染まる。
歯をかちかちと鳴らせるピカチュウに、サムスは困惑げに話しかけた。
「ピカチュウ? どうし……、」
「……にん、げん」
ピカチュウはサムスの言葉を聞かず あるいは、聞こえなかったのか 、
ぽつりと、そう言った。
「にんげん……。人間、人間、人間、人間、」
「……ピカチュウ?」
「人間……人間、人間、にん、げん……っ」
サムスを見ているような、なのに何も見ていないような。
そんなうつろな目をして、ピカチュウは何度も何度も呟く。
がたがたと震える体。
その異常な姿に、サムスは怪訝そうに眉を寄せた。
「ピカチュウ、……ピカチュウ、どうしたの」
「人間、人間、にんげん、……人間、にんげん」
「ピカチュウ。ピカチュウ!?」
目の前にいるのが誰であるのか、ピカチュウにはわかっていないのだろうか。
ピカチュウはひたすら呟き続ける。人間、人間と、壊れたおもちゃのように。
「ピカチュウ……っ」
サムスは一歩踏み込んだ。離れた距離を埋めて、そしてピカチュウに触れるため。
しかし。
「……ッ来るなあっ!」
「!!」
ぴん、と耳を立てたピカチュウが、少年のような高い声で叫んだ。
同時に周りの空気が震え、ばちっ、と爆ぜるような音がたつ。
小さなからだから生まれた白い電流は、勢い良くサムスの手を弾いた。
「つっ……!」
「来ない、で……っ、来ないで、にんげん、人間、が……っ……!」
痛みに顔を顰めたサムスには目もくれず、ピカチュウは俯き肩で息をする。
怯えている、怖がっている、痛がっている、それから……後は、何だろう。
攻撃を受けた手の甲を見ると、スーツが裂けて傷口が焦げていた。
これはきっと火傷になっているだろう。
痛みを誤魔化すように軽く頭を振り、サムスは再度ピカチュウに近づいた。
足が震える。けれど、こんなピカチュウは見たことがなかった。
リンクは以前、ピカチュウのことを、ちょっと人見知りなんだと言っていたけれど。
「……ピカチュウ、」
「……いや、だ。嫌だ、嫌だ、人間、人間……が、人間が、また……っ」
かかとがこつん、と音をたてる。ピカチュウが何事か喚きながら、必死で首を振っている。
また、とは、何だろう。
ピカチュウに何があったのか、サムスにはわからない。昔のことも、そして今のことも。
二度目の攻撃は、サムスの左頬を掠め、その向こうの壁で飛散した。
血が筋になり落ちる感覚があったが、構わず前へ進んでいく。
「人間が、人間が……っ。……たす……けて、助けて……っ」
「ピカチュウ」
ピカチュウの、たすけて、なんて。
こんなことになる前までは、一度も聞いたことがなかった。
「助けて、助けて……助けて、助けて、助けて……!」
「ピカチュウ……っ、」
「助けて、助けて……っ。
助けて、たすけて、たすけて 助けて、リンク……!!」
ピカチュウの。
こんな、涙も。
「……ピカチュウ!!」
「…………っ!!」
抱きしめた直後、ほんの一瞬、サムスは三度目の攻撃を受けた。
しかし、全身を貫くような電撃はすぐに止む。
鈍い痺れに苛まれる体を無理矢理動かして、サムスはそっと囁いた。
「ピカチュウ」
「…………、」
胸に抱きしめた小さい背中を、ゆっくりと撫でる。
「ピカチュウ。……ピカチュウ、大丈夫?」
「…………」
「私が、わかるね? ……ね、ピカチュウ」
サムスの腕の中で、ピカチュウの瞳がうごく。
墨のような黒は濡れていたけれど、それは確かにサムスを見つめていた。
「…………サムス……さん……」
「うん。
……ごめんね。もう大丈夫だから」
「…………っ、う……」
張り詰めていた気が緩んだのか、ピカチュウはふにゃりと耳を垂れ、
そのまま声を上げて泣き出してしまった。
サムスはターコイズ色の瞳に今度こそ本当の安堵を浮かべながら、
何度も何度も、ピカチュウをぽんぽんと撫で叩いてやった。
普段の言動から、大人びた子どもという印象が強かった。
そんなピカチュウが、こんなふうに。小さな子どもみたいに、泣いている。
安心させるために平静を装ってはいたが、サムスは不安で仕方がなかった。
ありふれた日常。ささやかな幸福。
全部、全部、反対のものにそっくり入れ替わってしまった。……どうして?
ピカチュウのすすり泣く声が、静けさに満ちる部屋に響く。
考えても、考えても。
現状も、過去のことも、この先何がどうなるのかも、
わからない。
「……ピカチュウ。あのね……」
「……ん……なあに……?」
喉の奥を引きつらせながら、それでもピカチュウはのろのろと視線を上げた。
きょとん、と見つめ返してくる幼さに、サムスはつらそうに顔を歪ませ、躊躇する。
「よく聞いて。
……嫌だったら、答えなくてもいいから」
「……?」
「……。……きみは……」
火傷をした手の甲と、切った頬が、じくじくとまた痛み出してくる。
「……どうして、こんなことになってたの?
……誰が、こんなことをしたんだ?」
その後サムスとピカチュウは、二、三言の短すぎる話し合いの結果、
まずはパワードスーツを奪回する為に、行動を共にすることにした。
倍の数になって強襲してきた機械兵を退け、
一人と一匹は白い廊下をひたすらに走り、逃げて、逃げている。
あんな場面に遭遇してしまったこともあり、サムスはピカチュウが心配だったが、
ピカチュウはでんきぶくろをパリパリ鳴らせて、大丈夫、とはっきり言った。
怪我のこと、ごめんなさい。と。ひどく申し訳無さそうな謝罪と一緒に。
壁伝い、床伝いに電気を走らせ、ピカチュウは次々と機械兵を黙らせてゆく。
相変わらず身のこなしが軽くすばしっこい彼は、敵に捕まることもない。
走り続けるピカチュウは、とてもいつも通り、しっかりしていて冷静なのだけれど。
サムスはどうしても、脳裏から、カプセルの中の姿を消すことが出来なかった。
走りながら、サムスは考える。
こんなに捕まりにくいピカチュウが、どうしてあっさり捕まったのだろう。
こんなに強力な攻撃手段を持つ彼が、抵抗しなかったはずは無い。
ピカチュウを捕まえた『何か』は、どうやってそれを切り抜けたのだろう。
抵抗されても、無事だった。
それとも 抵抗すら、させなかったのだろうか。
「…………」
「サムスさん! ……あそこ、ドアがある!」
五メートルほど先行していたピカチュウが急停止した場所で、サムスも立ち止まる。
一見すると模様のように見える溝はやはり自動ドアで、二人が近づくと勝手に開いた。
中は暗い。
壁一面に並んだモニターの明かりが、ぼんやりとお互いを照らしている。
「…………あ」
中央の一番大きな画面に、見覚えのあるものが映っていた。
鈍いオレンジ色の光沢。主を無くしたそれが、甲冑の模型のように、そこにある。
「あれだよね。サムスさん」
「うん。あそこに行けばいいみたいだね。……あそこは、どこだろうな」
「ちょっと待ってて。……どこかに、地図とか、無いかな」
何か、ここ、『しれいしつ』みたいだもんね。
前、マルスさんに借りた本に、そういう部屋が出てきたんだよ。
ピカチュウはそんなことを言うと、ちょこまかと動いて部屋中を探り始めた。
屋敷を使っての、大掛かりなかくれんぼ。そんなことを思い出させる様子だ。
それは、空が闇になり、世界が戦場になるより、ほんの少し前のこと。
彼は、『ちょっと人見知り』でも、知らない場所で気後れするような性質ではない。
ならば、どうしてだろう。
抵抗すらさせなかったというのなら、一体どんな方法で?
それとも、……これは、自分で考えておきながら、サムスは全く信用出来なかったのだが。
まさか、 抵抗しなかった?
ピカチュウが、自分の意思で?
ありえない。ピカチュウを捕まえ、あんな目に遭わせたのなら、それは明確な敵だ。
なのにどうして、抵抗しない、などということがある。
頭を軽く振るって、サムスは更に考える。
ならばもしかしてピカチュウは、罠にかかったのだろうか。
あの部屋で、あの機械が、何らかの罠を仕掛けた。
罠というのであればそれは突然のことであっただろうし、
あの機械自身は電撃を受け付けないつくりのようだった。
ならば、ピカチュウは咄嗟のことで抵抗出来なかったとも取れるし、
抵抗も無駄だった、とも言える。
だけど。
「…………」
忘れられない。何度も何度も、あの残酷な光景を思い出す。
小さな子どもの自由を奪い、生命(いのち)にも近いであろう力を奪う。
死に至らない程度の、けれどまったく終わりの見えない苦痛。
助けて、と言っていた。
そして、
人間、と言っていた。
あれが、ヒトの手で行われたことではないのだとしたら。
どうしてピカチュウは、あんなに“人間”を怖がっていたのだろう。
「…………」
あれが、ヒトの手によって行われたことだと言うのだろうか。
それも、ピカチュウの抵抗も許さず……もしかしたら、抵抗する気さえ起こさせず。
ならば、なぜ。
なぜ、こんなことをしたのだろう。
「……あ! サムスさん、サムスさん、見て!」
「……え、ああ。どうしたの?」
「これ。このモニター。ここ押すと、地図……というか、見取り図か。
うん、見取り図、出てきたよ」
「本当?」
助かるね、ありがとう、と微笑み、サムスはピカチュウの背中を撫でた。
ちょっとくすぐったそうにするしぐさとは、とてもじゃないけど結びつかない。
人間、人間、人間、と。
呪いのように、痛みのように、苦しみのように。
悲しみのように、繰り返していた。
どうして、こんなことになってたの?
誰が、こんなことをしたんだ?
そう問うと、ピカチュウはまんまるく目を見開いた。
首を傾げて、何事かを一生懸命考えていた。
そして、導き出された答えは、こうだった。
『……わからない。僕、どうして……ここにいたんだろう?』
『覚えてるのは……痛いこと、だけ。……すごく、痛かった』
『なにが? ……それとも、だれが?』
『だれが……こんなことをしたの?』