step03:森

木洩れ日が注ぐ森でようやく剣を取り返したリンクは、
すぐ側にあった大樹に寄り掛かって深い溜息を吐いた。
かなり歩いたはずだが、リンクは未だに屋敷の住民と再会を果たしていない。
思っているよりも分散させられたのか、それとも、
自分が生活していた“世界”とは、それほどまでに広かったのだろうか。
皆の行方はわからず、そして状況から判断すれば、安否は危ぶまれて当然である。

それなのにリンクには、心配はあるが、その心に不安はほとんど無かった。
日常が唐突に非日常へ転落し、街が姿を変え戦場に代わっても、である。

「……おかしいかな。何でだろうな?
 あいつが、帰ってきてるからかな。
 剣を取り返したから、かな。それとも……」

リンクは右手を、す、と宙に伸ばす。
よく鍛えられたしなやかな腕に、清浄な青い光が絡みつく。

空色の瞳が、それを見て穏やかに微笑んだ。
リンクには、それが何であるのか   誰であるのか。
ちゃんと、わかっていたからだ。

「きみと一緒だからかな。……なあ、ナビィ?」

ふわり、ふわり、青い光が楽しそうに飛び回る。
リンクがナビィ、と呼んだそれは、彼には馴染みの深い、妖精という生き物。
かつて別れたはずの、かけがえのない相棒だった。



リンクはしばらく、道無き道を彼女と共に歩いていた。
こうしていると、まるで昔に帰ったようだとリンクは思う。
彼が幼少時代を過ごしたのは、こんなふうに深い、ひみつの森だった。
そこに妖精がいれば、疑うところは何も無かった。

久しぶりに会ったというのに、二人の間には会話も言葉もほとんど無い。
ただ、時折目を合わせて、嬉しそうに微笑むだけだ。
二人がお互い、別れた時から全く姿を変えていないことも、
懐かしさを通り越す理由の一つであるかもしれなかった。

森は深く、光はあるのに、出口は無くどこまでも続く。

「ナビィ」

リンクは、ふと、口を開いた。完全に思いつきだった。

同時に立ち止まると、隣をついてきていた彼女も同時に止まった。
青い光が粒子になりながら、地面に触れる前に消えていく。

「ナビィ。あのさ」

リンクは子どもっぽく笑って、彼女に視線を向ける。
リンクは自分の正確な年齢を知らないが、まだこんなふうに笑うことが出来たのかと、
自分で自分に驚いた。
実のところを言えば、特に訊きたいことがあったわけではない。
ただなんとなく、名前を呼びたかっただけだ。

返事はない。ただ、リンクをじっと見つめて、かわいらしく微笑むだけ。

「あのさ。
 みんなは……きっと無事だよな?」

するりと口から出てきた問いのそれらしさに、リンクはまた少し、自分に驚いた。

言葉のかわりにこくんと頷き翅をふるわせた彼女に、リンクは嬉しそうに笑う。

「……うん。そうだよな」

無事に、決まっている。なにもかも。
リンクは余所見もせず、ただひたすらに、真っ直ぐに。
どこに通じているのかもわからず。

そして、
何のためにここにいるのかさえわからなくなりそうなほどに、無心に。

深い森の中を、歩いていく。
ただひたすらに、真っ直ぐに。









雷が怖くて、泣いていたような時期があった。
冷たい雨が降る暗闇に、耳をつんざくような轟音が、あの頃の自分には本当に怖くて。

今でも雷は苦手だが、いつからか、泣くようなことは無くなった。
あの頃、本当は、何が怖くて、泣いていたのだろう。
そして、どうして   こんなことを思い出したのだろうか。

彼女が隣にいるからだろうか。青年は、とっくにわかっている。
本当は、彼女が……。

「……?」

何かが焦げるようなにおいと、微かな泣き声を聞いたような気がして、リンクはふと歩みを止めた。
不思議そうにこちらを見る彼女に、ごめん、と笑う。

リンクは、その瞬間、また、懐かしいことを思い出した。
彼女と出会ったばかりのころ、まだ子供だったリンクは何もかもが新しくて、
寄り道ばかり繰り返していた。
そして、そのたび、彼女に怒られたのだ。

先に行こう、と。

「…………」

こうしてここを歩いていると、さまざまなことが頭に、胸に、心に過(よ)ぎる。
それはリンクにとっては戻ることのない、そして間違いなく二度と取り戻すこともできない、
そんな記憶だった。

木洩れ日のあたたかさ、あやしい風のささやき、朝露の眩さに、濡れた土を歩く感触。
思い出と言うにはあまりにおぼろげで、本当はもう、ぼんやりとも思い出せないのだけれど。

わかっている。昔のことは、昔のことだ。
普通のヒトとはほんの少しばかり違う時間を歩んできたが、それでも思い出は思い出だ。
いつだって、決意したのは自分だった。何事も、どんなことも。

リンクは、歩き出そうとして、そこで立ち止まった。

目の前には、慈悲深い青の光を纏う妖精が、ふわりふわりと飛んでいる。

「ナビィ」

懐かしい名前だ。口にすることも、ほとんどなかった。
だけど、忘れていなかった。そんなことが、とても嬉しかった。

「……なあ。ナビィ」

彼女は、返事をしない。ただ、じっと、そこにいる。
リンクは子どもっぽく笑い、そしてとてもいとしいものを労るような瞳で、
彼女を見つめた。

「みんなは、無事かな」

森は深く、光はあるのに、出口は無くどこまでも続く。

リンクは、ぽつりとそう言った。それははたして思いつきだったのか、自分にもわからない。
青い妖精は透きとおった白い翅で浮かびながら、大丈夫、とでも言いたげにくるりと舞った。

「……うん。そうだよな」

同じように、返事をする。

「でも……、心配なんだ」


その瞬間。
森の木々が一斉に、ざわりと音をたてた。


音は水面に描かれた波紋のように、彼らを中心に外へ広がり、収束する。
やがて森が元の落ち着きを取り戻したころ、リンクは再び口を開いた。

「ナビィ。あのな。オレは、駄目だったんだよ」

やわらかな草の生える濡れた土に、木洩れ日はそれ以上にやわらかに降り注ぐ。
きらきらした宝石のようなそれは、遠い昔、自分の心を慰めてくれた。

「オレはもう、帰れないんだ。オレがあの時、決めたことなんだよ。
 オレには、勇気が足りなかったから……勇者が聞いて呆れるだろ?」

葉や枝の間では、名前も知らないような虫が鈴のように唄う。
子守唄にも聞こえるそれらは、遠い昔、自分の心を癒してくれた。

「心配なんだ。ここで、きみといても。この“世界”にいるヒトたちが、どうしても。
 たとえ世界が姿を変えても、オレはもう、ここの住民だ。
 オレはもう、思い出の中でしか、きみと一緒にはいられないから」

リンクの声は淀み無く、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
異常事態の中、誰とも再会出来ずにいると言うのに、リンクには不安はまるで無かった。

雷鳴に怯えていたころ、本当は何が怖かったのか。リンクは今更理解する。

今、不安を感じないのは   けっしてひとりではないことを、
ちゃんとわかっているからだ。

「なあ。ナビィ。
 オレさ。……こっちでも、大切なものができたんだ」

取り戻せない薄れた記憶にも、とても大切なものがあった。
大切すぎてどうにかなりそうで、どうにかなってしまった。
狂おしいほどに、取り戻したい。
そう思う気持ちには、けっして、間違いは無いのだけれど。

「……オレはさ、どうしてこうなのかな。不器用で、どうしようもなくて。
 どれかひとつだけなら……守りきれるかもしれないのに。
 きみと一緒にいたころと同じだ。オレはまた、全部、守りたいって思ってる。
 馬鹿だよな。……それで、オレは、そっちの世界に帰れなくなったのに」

何も言わず、彼女はただ、懺悔のような祈りを聞いている。
リンクは。

「それでも……。オレは、守りたいと思うんだよ」

木洩れ日のように優しく。少し困ったような顔で、微笑んだ。



ざわざわと、森が風に揺られ揺らめく音が、耳を優しくくすぐる。
長い耳は、神様の声を聞くためのものだという言い伝えがあるが、
リンクはそんなものは昔から、何の根拠も無く信じていなかった。

「ナビィ。
 ……オレは、この森を出る。外に出て、みんなのところに行く」

空の色を遮る程に複雑な枝の絡まり。その隙間から漏れてくる、外の光がある。
あんなに歩いて、出口らしき出口は一度も見かけなかったのに。
対峙している彼女の向こう側、うんと遠くではあるが、そこにはあざやかな空色が見えた。

「ピカチュウが、泣いてる気がするんだ」

それは、大切な親友の名前だ。

「それに……マルスの傍にいたいからな」

それは、けっして遂げられない、告げられない、かなわない。
大切な、恋の名前だった。

「だから、」

空から、ばらばらと。
不穏が、降ってくる。



「先に行くよ。……さよなら、ナビィ」









次の瞬間、上空から轟音が聞こえて、リンクは剣を抜き勢い良く顔を上げた。
葉と葉の間から微かに、でも確かに、空を行く濃厚な闇の色に包まれた戦艦が見える。
リンクには、それに見覚えがあった。メタナイトの所有する、名を確か、ハルバード。
戦艦は影虫を大量にばら撒きながら、森の出口がある方面へと向かっていた。

「……あれは……」
「……あれえ、やっぱり、リンクさんですかぁー?」
「っ!? ……あ、」

草を踏む音、唐突にかけられた声に、ほとんど条件反射で振り向く。

「……ヨッシーさん!」
「はいー。良かった、お元気そうですねぇー」

そこにいたのは、なぜか眠たげな目をしたヨッシーだった。
目の前でのんびりなごやかに笑う姿に、リンクは一瞬にして気が抜ける。
腕を下ろし、刃先を地面に向けると、安心したように一つ、息を吐いた。

「そっちこそ……良かった。
 ヨッシーさんも、森に飛ばされたんですか?」
「はいー。そうですねぇー」

安堵のためか、リンクは危うく聞き流すところだった。

「リンクさんがわたしのすぐ前を通り過ぎたので、追いかけて来たんですよぉー」

何事も無かったかのように告げられた、そんな言葉を。

「…………え?」

意味が理解出来ず、リンクは目をまるくしてヨッシーを見つめる。
今、目の前のこのひとは、何と言ったのか。
自分が、このひとの前を、……通りがかっていた、と?

「……どういうこと……ですか?」
「えー……どこからお話ししましょうかぁー?」
「……じゃあ、一応、全部」
「そうですかぁー。では、最初からですねぇー。
 先程も言いましたが、わたしはこの森に飛ばされたんですねぇー。
 目が覚めると、そこに、良さそうな切り株があってぇー……」

何か、とても良いものを褒める時のような目で、ヨッシーは続ける。

「さっきまで、そこで、お昼寝をしていたんですねぇー」
「……………………」

確かに昼寝と言った。昼寝。この状況で。
大した根性である。

と、いう言葉は飲み込んで、リンクは続きを要求した。

「わたしは、とっても気持ちよく寝ていたんですがぁー。
 目の前をあなたが通り過ぎる気配で、目が覚めました」
「…………」
「わき目も振らず、まっすぐ。わたしに気づく様子もありませんでした。
 それと同じころ、空から、戦艦が移動する音が聞こえてきましたぁー。
 ですのでぇー……」

追いかけてきたんです、そうしたら、あなたはいきなり立ち止まって、いきなり振り向いて。
空の戦艦に気づいたようだし、戦艦は何か降らせていたので、こうして声をかけました。

そう続けて締めたヨッシーの声を、リンクは何か、遠いところの出来事のように聞いていた。

「……ヨッシーさん、」
「はいー。何ですかぁー?」
「……。……いえ……」

リンクは、とっくにわかっていた。
本当は、彼女が。
本当で、無いことくらい。

「……すみません。何でもないです」
「そうですかぁー。
 ……ああ、そう言えば……」

首を軽く横に振ったリンクから視線を外し、ヨッシーは視線をふらりと彷徨わせた。

「いい夢を、見ていたんですよぉー」
「……夢?」
「はいー。わたしが、マリオさんと、はじめて会ったころの夢でしたぁー」

何の関係も無さそうに思えた。この場合、必要の無い話だ。
リンクは危機的状況では、普段の人の好さなど欠片も感じられないほど冷淡になれる性質である。
それなのに、リンクは何故か、ヨッシーの言う“夢”に惹きつけられた。

「マリオさんはあの頃、こーんなに小さくて……赤ちゃんだったんですねぇー。
 一人ではなんにも出来なくて、仲間と交代で、お世話をしながら冒険しましたねぇー。
 その頃の夢を、見ていたんですよぉー。なつかしかったですねぇー」

いろんなことを思い出しましたと、ヨッシーは言う。
リンクはそれを、口も挟めず聞いている。

「……そんなマリオさんも……すっかり強くなって。
 ……確か、リンクさんが、勝ったことも負けたことも無いのは、
 屋敷の中では、マリオさんだけでしたよねぇー?」
「……ええ、まあ。いつも引き分けです」
「ですよねぇー。本当に、時間が流れるのは、早いものですねぇー。
 いつでも、どんなときでも、誰といても……」

ヨッシーは、いわゆる人間よりは、ずっとずっと寿命が長い。
感じた時間で年齢を数えればどちらが長いんだろう、とほんの少し考えたが、
とてもくだらないことだったので、考えるのをやめてしまった。

優しい目をしている。父親が子供の頭を撫でるような、母親が小さな命を抱きしめるような。
記憶のどこを探しても、リンクにはもう家族の存在がどこにも見当たらない。
けれどヨッシーの目が、とても懐かしかった。失ってしまった何かなのだろうと思えた。

「だけど……そんなに強くなったのに、マリオさんはまだ、わたしを必要としてくれます。
 ああ、行かなきゃと   そう思ったら、あなたの気配がして、目が覚めました」
「…………」

リンクは沈黙の後、少しだけ目を閉じた。瞼を上げて、少し困ったような顔で、微笑んだ。

ふいに、森がざわめく。視線を上げれば、戦艦が、どこかへ行こうと高度を上げていた。
リンクとヨッシーは顔を見合わせ、頷き合う。
いつまでも、ここにいるわけにはいかない。   進まなくては。

「行きましょうかぁー。みんなを、探さなくては」
「ええ。……行きましょう!」

向かうべき方向へと、二人は走り出した。
自分達以外には誰もいなかったような気がする森には、いつのまにか亜空軍の姿が見える。
数の暴力を薙ぎ払いながら、空の見える方へと突き進んで行く。
離れ離れになってしまった仲間達を、ひっくり返った“世界”を、守るために。



森はだんだんと木の数を減らし、気づけばそこはただの平地だった。
戦艦には追いつかないと判断し、消えた方角だけを確認して、立ち止まる。

一度だけ、振り返ってみた。
そこにあったのは、罠に満ちた妖しい森だけで、懐かしい森はどこにも無かった。



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