一 寸 法 師 ?
〜第四幕〜


さて、そんなわけで、あっという間に二日後です。

広いお庭の一角に茣蓙(ござ)を敷いた、その上に、
お姫さまはちょこん、と正座をしておりました。
いつもより裾の長い着物を何枚も重ね、
さらさらの青い髪には、桃色の珊瑚の髪飾りがさしてあります。
薄く紅をひいた唇に、元よりの白い頬は、
いつも綺麗なお姫さまを、よりいっそう綺麗に見せていました。
庭に咲く花も、ついつい見劣りしてしまいそうなほどに。

「……うわー。綺麗だな」
「……男に綺麗、なんて言って、楽しいか?」

お姫さまの肩に乗った一寸法師の正直な感想は、
お姫さまの冷え切った顔と言葉に一蹴されました。
何故男がお姫さまと呼ばれているのか、そんな疑問は以下略。

一寸法師は、肩からぴょん、と飛び降りると、
お姫さまの襟元、重なった襟の間に忍ぶように入り込みました。

「まあ、うん。ともかく。鬼、来るんだよな」
「……ああ。多分」
「じゃあ俺ここに隠れてるから。鬼が来たら、助けるよ」
「……うん。わかった。ありがとう」

にこにこと笑って襟の間に入っていった一寸法師にふわりと微笑みかけ、
お姫さまは深く、深く息を吐きました。
正座をしたまま、じっと前を見据えます。

事情はどうあれ、今から鬼がやってくるのです。
この国のお姫さまである、自分を貰いに。
今までこんなことが無かった方がおかしいのだと思いながらも、
やはりお姫さまの心の中は、あまり穏やかではありませんでした。

頼りになるのかならないのか、よくわからない護衛を襟の中に隠して。

お姫さまは、はあ、と溜息をつきました。


   ******


さて、お姫さまが待ち続けて、およそ一時間後。

「!」

じゃり、と誰かが石を踏むような音が遠くに聞こえて、お姫さまははっと顔を上げました。
音は門の方から聞こえました。
……そうです、鬼がやってきたのです。多分。
しかし襟の中の一寸法師は、反応がありません。……寝てしまったのでしょうか。

まあ元から期待もあまりしていなかったけど、と、
のん気な一寸法師を池に落としたくなる衝動をなんとか抑えて、
今になってようやくお姫さまは、鬼って一体どんな姿をしているんだろうと、
何気なく考えてしまいました。
外の門からこのお庭に来るには、もう一つ門をくぐらなければなりませんので、
お姫さまにはまだ考えるだけの時間があるのです。

「……鬼……。……鬼、ということは……」

@赤い皮膚に虎縞パンツの大きい身体
A小さな身体にアフロに小さい角の子供
B白い皮膚に口が裂けた般若面みたいなあれ
C雲をまとって太鼓をいっぱい持っているお爺さん

「…………。…………ん?」

近づく足音にお姫さまは色んな姿を予想したようですが、
途中でいろいろなものが混ざったようです。

どのみちきっと、自分と似たような姿はしていないことでしょう。
異形のものに対する偏見は、このお姫さまにはありませんでしたが、
やはり怖い、怖くないは別なのです。
手をぎゅっ、と握って、震えそうな身体を押さえ込み、
お姫さまは、足音の近づく方に顔を向けました。

すると。

「待たせてしまいましたね。……すまなかった」
「…………え?」

お庭に入るための小さな門から、ひょっこりと、鬼があらわれました。

縁に縫いつけられた半分透けた布が、幕のように顔を覆ってくれる笠を被っています。
背はお姫さまよりも大分高くて、体型はどちらかと言えば細め。
嫌味なほど長い手足に、白地に薄墨の桜模様の着物をかけ、灰色の袴を穿いて。
腰を縛る紐に、刀が提げてあったのが見えました。

思い描いていた姿とはずいぶん違う……ほぼ人間そのものの……背格好の鬼が現れて、
お姫さまは呆然としてしまいます。
顔はまだ見えませんが。
笠の布に隠れた顔が、般若面だったらどうしよう―――などと心配をしながら、
お姫さまは、おずおずと鬼を見上げました。
決意をしたような、そのくせ怯えたような目を見て、鬼は実に感動したようにのたまいます。

「…………」
「ああ、やはり貴方は変わらず美しい。
 水の清冽を映した青い髪。夜明けを深くした藍の瞳。透きとおるような白い肌。
 その美貌の前では、この国の春を彩る桜の花でさえ自ら姿を隠してしまうでしょう。
 そんな貴方を伴侶に迎えられるとは……私は何と幸せなことか」

というか、そっちが脅してきたくせに。

「……はあ。……ありがとう、ございます……」

自分をさらおうという鬼に対して、思わずお礼を言いますが、
おそらく鬼の言うことの半分もお姫さまには伝わっていません。
お姫さまは自分の見た目にはかなり無頓着なのでした。

茣蓙の上にちょこんと正座したままのお姫さまに、鬼は近づきました。
鬼が笠を脱げば、お互いの顔がはっきりわかる距離。
よくわからない褒め言葉に、つい気を緩めてしまいましたが、
目の前の鬼はやはり鬼なのです。たぶん。

「……顔を、見せては下さらないのですか?」

着物の上でぎゅっと手を握りしめ、お姫さまは鬼を睨みつけました。
国のことはとても大事だけれど、やすやすとお嫁に行く気なんかありません、
とでも言うように。

すると鬼は、

「ああ、そうですね。至らなくて申し訳無い」

相変わらず飄々とした物言いで、
顔を隠していた笠を、ぱさ、と外しました。

……そこには。

「…………………………」
「これで、宜しいでしょうか? 美しい姫君」

炎のように赤い髪。
春の新芽と青空を連想させる、青碧色の瞳。

「…………ロ、……イ?」

そうです。
一寸法師という名前の、ロイというとっても小さい豆粒サイズの少年と。

そっくりな男性が、いました。

「……? どうかなさいましたか、姫」
「……。……い、いえ……。……何、でも」
「……そうですか? 何でも無いなら、構いませんが」

優しく微笑む顔を見つめて、お姫さまはぐるぐると考えます。
一寸法師を人間サイズにして、大人に成長させると、きっとこんな顔になることでしょう。
それほどまでに、一寸法師とこの鬼は、よく似ていました。

一体、どうして、一寸法師と、鬼が?
ドッペルなんとかっていうやつかな。
偶然って、あるんだな。
そんなすっとぼけたことを、お姫さまが思っていると。

「では、姫。……宜しいですか?」
「え? 何……」

お姫さまの肩に、鬼の大きな手がかかりました。
あまり見たことの無い、しっかりとした手。
そして。

「……わっ!」

どさっ、と。
音を、たてて。

「……え、……あの……?」

鬼の手はお姫さまの肩を押し、その身体を茣蓙の上に縫いとめてしまいました。
お姫さまの視界がぐるっとまわり、今では、鬼の顔、その向こうに、青空が見えます。
―――有り体に言えば、鬼がお姫さまを押し倒しましたよ、という。

その瞬間、お姫さまの襟から何かが転がり出て地面に落ちたようですが、
鬼は別段気にしなかったし、お姫さまはそんなことには気づきませんでした。

「……あ、あの、えっと……」
「怖いのですか? 大丈夫ですよ、姫」

一体何が大丈夫だというのか。

「怖い……じゃなくて、その。……何、を?」
「これはまた、ご冗談を。
 ……光の無いところの方が、宜しいですか?」

お姫さまに覆いかぶさって、細い腕を取り、鬼はお姫さまの耳元に、そっとささやきました。
鬼はどうやら本当に冗談だと思っていたようですが、
このお姫さまは本当にお姫さまでしたので、まったく意味が通じていません。

というか、光の無いところの方が、一般的には普通だと思われますが、
そんなところにつっこむ知識が、残念ながらこのお姫さまにはありませんでした。

「え、えっと……」

鬼は左手でお姫さまの手を取ったまま、右手で顔の輪郭をなぞりました。
こつん、とぶつかる額。お姫さまの間近に、鬼の青碧の瞳が見えました。
なんて綺麗な色だろう、とのんびり思う暇も無く、
輪郭をたどっていた鬼の指は、そのまま下へ、お姫さまの首筋を撫でました。

「……っ。え、あ、あのっ……?」
「初めてですか? ……まあ、それはそうでしょうが。
 大丈夫ですよ、私はそれなりの場数がありますので」

だから一体何が大丈夫だと言うのか。

「だから、初めてって、何が……」
「あまり喋ると、口の中を切ってしまいますよ。落ち着いて……、」
「……っ、や……!」

するり、と。
鬼の手が、着物の裾から、お姫さまの白い肌に触れました。
そのまま、ゆっくりと、
お姫さまの細い肩が、光に晒され―――


「……ふああああぁぁぁ〜……。」


……そうになった、ところで。

「……え?」

何やらお姫さまの頭の方から、ずいぶんのんびりとしたあくびが聞こえてきました。
鬼とお姫さまが、思わずそちらに目を向けると。

「っあー……。よく寝たー…… ……よく寝た? ん?
 俺、確か、お姫さまの護衛に…… ……!!!」
「…………」

先程、鬼がお姫さまを組み敷いた時に、裾から転がり落ちた一寸法師が、
茣蓙の上で、ようやく目を覚ましていました。
一寸法師は眠そうな目をこすりながら、辺りをきょろきょろと見回し、そして、
ようやくお姫さまを、そして、鬼の姿を見つけました。

「おいっ、てめえっ!!」

びしっ、と、鬼の赤い髪を指差して。
一寸法師は、勢いだけはかっこよく言います。

「何やってんだっ!? お姫さまを押し倒すなんてそんな羨ましい!!
 じゃなくて、いいからさっさとお姫さまから離れ―――…… …………」

しかしその言葉は、ぷつり、と途切れてしまいました。
理由など、一つしかありません。


「……おや……、」
「………………っ……、」


身体を起こし、立ち上がった鬼は、きょとん、とした目で、一寸法師を見下ろします。
一方の一寸法師はといえば、目を大きく見開いて、あんぐりと口を開けて。
指は鬼を、しっかりと指したまま。


「……っな、な、ななななななななななっ……」


まるでこの世の終わりでも見てきたような顔で。


「……っ何っっっで、てめえがここにいんだ、父上――――――ッッ!!」


ちちち、と歌っていた鳥が一斉に逃げ出すような大声で、
叫ぶように言いました。



そう。
もはや説明するのもとても今更と思われますが。


一寸法師によく似た鬼は、なんと、一寸法師の実の父親だったのです。


「やあ。久しぶりだな、息子よ」
「何っ、何でここにっ……! 相変わらず神出鬼没なっ……!」
「はっはっは。そういうお前は、相変わらず小さいな」
「うーるーせええぇぇ! 俺は小さくねえーーーっ!!」
「あからさまな嘘は笑いを取る時にしか吐くな、と教えたな?
 と、いうわけで遠慮なく笑わせてもらおう。ははははは」
「誰も笑いなんか取ってねえだろうがぁーーーッッ!!」

その小さな身体のどこからそんな大声が出るのか、
一寸法師は条件反射のように、実の父親に向かって叫びます。
背の高い鬼を見上げるのはさぞかしつらいのでしょう、
ときおり首の後ろをいたわりながら。

無意味な親子喧嘩を繰り広げている中で、
ようやく身体を起こしたお姫さまは、呆然とその光景を見ています。

「それで、どうしてお前がここにいるんだい?
 確か、山の中に放り出してきた覚えがあるのだがな」
「うっせーな。ちゃんと修行に来てるだろうが。
 都に来れば、腕を試せる仕事の一つでもあるかと思ったんだよ」

実際は、川に流されどんぶらこ、かなり成り行きだったわけですけど。

「なるほどな。
 ……ということは、お前の仕事は、あの姫君の護衛、ということか」
「……。……ああ、そうだよ」

お姫さまに向けられた、鬼の面白そうな瞳を見て、
一寸法師はさりげなく、鬼とお姫さまの間に、かばうように立ちました。
そんな小ささではもちろんかばえはしないわけですが、
一寸法師は負けないように、じっと鬼を睨んで、腰の針に手をかけます。


空気が変わった、と。
お姫さまは思いました。


守る一寸法師と、奪いにきた鬼。
そうです、二人は、戦わなければいけないのです。
お姫さまの身をかけて。

「……一寸法師、」
「大丈夫。お姫さま。絶対、俺が、守るから」

その小さな背中を見つめながら、お姫さまは不安そうに一寸法師を呼びました。
振り向くことはせず、声だけで、一寸法師は答えます。

静かな庭園。

ざあ、とざわめいた風の中、鬼は口元だけで笑いながら、
低い声で言いました。

「……私に勝てると思うのか? ロイ」

それだけで、空まで震えさせそうな程の威圧感。

身体の震えを隠しながら、一寸法師は、腰から針を抜きました。

「……思ってません。けど、勝たなきゃいけないんだ。
 ……父上、いくら貴方でも、」

針。それは、剣と同じ意味の。
それを見て、鬼も、腰の刀に手をかけます。

一寸法師は一歩踏み出して、

「……マルスを、渡すわけにはいかねーんだ!!
 覚悟っ……―」

鬼の顔目掛けて、高く跳躍し―――



「……!!」



―――ようとした、その、時。



「……待って! 待て、ロイ! やめろ!!」
「えっ!?」

お姫さまの声が飛んできました。
同時に、後ろから伸びてきた何かに、一寸法師はすっぽりと包まれてしまいます。
何か、がお姫さまの白い両手だと気づいたのはその少し後で、
鬼は刀を引き抜こうとした格好のまま、目をまるくしてお姫さまを見ていました。

鬼に斬りかかろうとした、一寸法師を。
お姫さまが、腕を伸ばし、彼をその両手に包んで、止めた。
つまりはそういうことでした。

「は!? おい、ちょっ、あんた、何すんだよ!!」

お姫さまの手のひらに包まれた一寸法師は、思いきり出端を挫かれて、
思わずお姫さまに向かって叫びました。
手のひらを開いて、上に一寸法師を乗せ、お姫さまはその声をあえて受け入れながら、
それでもゆっくりと首を振りました。
そして、呆然としたままの鬼を見て、尋ねます。

「貴方のお名前を、聞いていませんでした。
 僕は、マルスと申します。……お名前を、教えていただけませんか?」
「……。
 ……そうでしたね。至らなくて申し訳無い」

刀の柄から手を離し、ふ、と微笑んで。
育ちの良さから来る動作で、鬼はお姫さまに礼儀を尽くします。

「申し遅れました。私は、エリウッドと申します。お見知りおきを」
「エリウッドさん。……はい、ありがとうございます」

笑顔で鬼に返すと、お姫さまは再び、手のひらの上の一寸法師に目を向けました。
不機嫌そうにお姫さまを睨む一寸法師に、お姫さまはやわらかな声で言います。

「一寸法師。……やっぱり、駄目だ。やめて、お願いだから。
 ……お前が鬼と戦わなくちゃいけないくらいなら、僕が自分で戦うから」
「ああ!? 何言ってんだよ!!」
「だって、ロイは、エリウッドさんの、家族なんだろう?」
「!」

家族、という響きを聞いて。
一寸法師は、はっと何かに気づいたように、目を見開きました。
視線の先では、お姫さまが笑っています。
花のように優雅な、でもどこか寂しそうな瞳で。

「家族で戦うなんて、絶対に駄目だ。
 ……本当は、どんな理由でも」
「…………」
「……だから。……おねがい」
「…………。
 ……あんたな。……そのカオで、お願い、なんて、反則だろ……」
「……え?」

居心地悪そうにそらされた視線。一寸法師は、どこか不機嫌そうに呟きますが、
その声にもう、怒気やその他は含まれてはいないように聞こえました。
しかし、手のひらの上の呟きの内容までは聞こえなくて、
お姫さまは、かわいらしく首をかしげます。

「何? ……何か、言ったか?」
「あー、何でもねーよ。
 ……ところで、いい加減下ろしてくんねーか?」
「え。……あ、うん」

慌てた様子でお姫さまは、一寸法師を茣蓙の上に下ろしてあげました。
剣代わりの針を腰に戻して、一寸法師は、鬼をじっと見上げます。
それに気づいた鬼は、あの飄々とした笑みを顔に戻して、ぽつり、と言いました。

「勝負は、おあずけといったところかな」
「……くそ。どーせ、勝たす気なんか無かったくせに」

だから父上は、などと言いながら、がしがしと赤い髪をかき乱して、
一寸法師は、はあぁ、と溜息をつきました。
そして、改めて言います。譲ってはいけない想いのうちを。
戦う気を削がれたからと言って、譲るわけにはいかないのです。

「……父上。お姫さまを、渡すわけにはいきません」
「そうか。
 ところで息子よ、尋ねたいことがあるのだが……」
「……え?
 ……え、あの?」

何だか一瞬で話が流れてしまいました。

この世界の父親というものは、そういうものが好きなのでしょうか。

「ちょっと待っ、『そうか』、って、おい父上!」
「どうした。何か問題があったかな」
「いや別に問題は無っ……、いやでもっ、そんなあっさり引かれると俺の立場がっ」
「立場がどうした。そんなものは、平和の為に有効利用するべきと教えただろう」
「うっ……」

さらりと笑って言ってのけましたが、何だか妙に説得力がありました。
少なくとも、思わず黙ってしまった、一寸法師に対しては。
平和がどうこうと言いながら、鬼の目的はお姫さまだったような気がするのですが。
まあそんなことはともあれ。

一寸法師の高さに(合うわけはありませんが)合わせてしゃがんだ鬼は、
お姫様に聞こえないひっそりとした声で、一寸法師に尋ねます。

「と、いうわけだ。それでだな。
 ……私を退治して得られる報酬が何なのか、尋ねたいのだが」
「……は?」

きょとん、と一寸法師は鬼を見上げます。

「……報酬、って。
 ……お姫さまを、お嫁さんにほしい、とは言いましたけど」
「あの銀髪の帝殿は、それを了承したのかな」
「ええ。やる気は無さそうでしたけど、多分」
「そうか。それならいいんだ」

一体何が良いというのか。
首を傾げる一寸法師ににっこりと笑って、鬼は立ち上がりました。
そして。

「……あの子が息子のところに嫁入りしてくるというのなら、
 どちらにしても手元に置いておける、ということだからな」
「……はい? 何か言いました?」
「いやいや。何でも」

何だか物騒なことを口走りましたが、一寸法師には聞かれなかったようです。

そんな二人の様子を不思議そうに見ているお姫さまに、こっそりと目をやって。

「……さて、と。
 それでは私は、自分の国へ帰ることにしよう」
「……え?」

鬼は唐突に切り出しました。
童話の類で悪役がこうもあっさり引き下がるという展開は滅多に見たことが無かったので、
お姫さまはそのあまりの唐突ぶりに、ますます鬼を不思議に思います。
鬼はそんなお姫さまの前に跪(ひざまず)き、華奢な手のひらを取ると、
真っ直ぐに瞳を覗きこみました。
一寸法師によく似た、けどもっと青い瞳を見つめながら、お姫様は首を傾げます。

「帰る……のですか?」
「ええ。……あんなしつこい守り役がついているのでは、敵いませんでしょうから」
「おいこら!! 何がしつこいだ、誰が!!
 つーかお姫さまにさわるな!!」
「と、いうわけなので、美しい姫君。
 慣習に従い、貴方にはこれを差し上げましょう」

一寸法師のつっこみはきっぱりと無視して、鬼は袂から何やら取り出しました。
茶色い長い棒の先端に、黒い金属のかたまりがくっついている、それは。

「……これは?」

手渡されたそれをまじまじと見つめながら尋ねるお姫さまに、
鬼はにっこりと笑いながら、答えます。

「この世界に伝わる秘伝の武器で、打出のハンマーと言うらしいですよ」
「……うちでのはんまー?」
「何でも、頭が抜けたりしなければ、どんな願いでも一つだけ叶えてくれるとか。
 使い方は私の息子が知っていると思うので、あの子にお尋ねください」
「……願いを……?」

手で握り締めた打出のハンマーを、お姫さまは興味深そうに眺めます。
ハンマーはかなり大きく、そのうえかなり重そうでしたが、
持った感覚だけならば、それほど重くは感じませんでした。

大事に使ってくださいね、と鬼はお姫さまにささやくと、
くるりと踵を返して、お姫さまに背中を向けました。

「あ、あのっ」
「? 何か、美しい姫君」
「その……。……どうして僕に、このようなものを?」
「……難しい質問だな。強いて言うなら……」

広いお庭の出口に向かう、その途中で。
一寸法師に、元気でいろよと声をかけて。

「いかに私と言えど、脚本に逆らうわけにはいかないということさ」
「…………きゃくほん?」

言ってはならないお約束を、笑顔でさらりと述べて。

鬼は、一寸法師とお姫さまの前から、その姿を消してしまいました。



   ***



「……鬼は、帰ったのか?」
「ぴぃちゅー」
「父様……。……ピチューも」

それからしばらくした後。

余計な面倒を起こすといけないからと、お庭から離れていた帝さまが、
こねずみを連れて、ひょっこりと姿を現しました。
お姫さまはその手にハンマーを握ったまま、微笑みます。

「はい、よくわかりませんが、帰ってしまいました」
「そうか。……無事なら、良い。ところで……、」
「ぴちゅー。お姫さま、それ何でちゅー?」

当然というか、何というか。
帝さまとこねずみの視線と疑問は、真っ直ぐに打出のハンマーに向かいました。
予想はできたのでしょう、お姫さまは少し困り顔をしながら、
後ろに控えて目立たない一寸法師に、ちらっと視線を向けました。
どれくらい目立たないかというと、台詞を全く思いつかないくらい目立ちません。
そもそもが豆粒サイズですので、叫ばないと主張はできないはずなのですが。

「あああああっ、うるせええぇぇ俺は小さくねえーーーっ!!
 都合に合わせて俺を罵るな! 畜生そもそも何っっで俺がこんなっ……!!」
「……誰につっこんでるんだ? ロイ」

もはや今更と思われるつっこみをお姫さまがしていますが、
この際無視して良いでしょう。
お姫さまは一寸法師を適当になだめると、帝さまに向き直りました。

「それで、父様。これのことなのですが……、
 ……鬼が、僕にくださったものなのです」
「……鬼が?」
「ええ。うちでのはんまー、という名前のものらしく、
 何でも、願いを一つだけ叶えてくれるとか……、それで……、」

ふわりと着物の長い裾をひるがえしながら、お姫さまは一寸法師の傍に寄りました。
空に向かって喚いていた一寸法師が、それに気づいてお姫さまを見上げました。

「? ……何だよ」

ちょっぴり怪訝そうにお姫さまを見上げる一寸法師を、しゃがんで覗き込んで。
お姫さまはさらりと言います。

「お前に、あげる」
「…………は?」
「これ、何でも願いを一つだけ、叶えてくれるんだろ?
 一寸法師。お前に、あげる」
「…………。
 ……え、ちょ、……えええっ!?」

言われたことを瞬時に理解できず、
一寸法師は一拍おいてから、いつものオーバーアクションで驚きました。
だって、何でも願いが叶ってしまうのです。
巨万の富でも、永遠の美貌でも、甘いものをおなかいっぱい食べることでも、何だって。
ああでもお姫さまはお姫様だし、この人は今もびっくりするくらい美人だしと、
一寸法師には、そんなことを考えるくらいの余裕はあったのですが。

「で、でも、いやあの、いいのかよ?
 てゆーか、何でっ……」
「だってお前は、僕を守ってくれたじゃないか」

頭の中が大混乱したままの一寸法師に、お姫さまはふわりと微笑みかけました。
どこか儚げな、でもとても綺麗な、花のような笑顔。
とても心がこもった声と、そんな微笑みに、一寸法師は思わず言葉を失くしました。

「守ってくれただろ? ちゃんと、約束通りに。
 ……そりゃあ、ずっと寝ていた時は、流石にちょっと池に落としてやろうか、
 とかも思ったけれど」
「…………。」

いまさら蒸し返されて、一寸法師はちょっぴり居た堪れなくなりました。

「……約束してくれたことも。……守ってくれたことも、とても嬉しかったから。
 ……だから、これは、お前のものになるべきだよ」
「…………。……いい……のか?」
「うん」

にっこりと笑う、お姫さまは。
自分の願いが叶うより、お前の役に立つ方が嬉しいと、そんなことを言って。

「何でも、言ってごらん。お前の願いを、僕は叶えてあげたい」
「…………。
 …………あの、じゃあ……」

納得した、というか、ついに折れた一寸法師は、お姫さまをじっと見つめてから、
居心地が悪そうに、ちょっぴり視線を外しました。
あーとかうーとか唸りながら、なんだかとても言いづらそうに。
やがて、

…………く、……なりたい
「…………え?」

………………でかく、なりたいっつってんだよ……ッッ!!」

「…………。」

とっても、とっても不本意そうに。
顔を真っ赤にしながら、ぽつりと言いました。

それを聞いて、お姫さまは、

「……ごめん。やっぱり、気にしてたのか……」

言ってはならないことを口走りました。

「だああああああ、るっせえええぇぇぇぇ!!
 いいだろ別に男なんだからでかくなりたいのは当たり前だろ!!」
「あ、う、うん。そうだよな。
 ……それじゃあ……、えっと……」

お姫さまは慌てた様子で、打出のハンマーを握り返し、立ち上がりました。
こくん、と首をかしげて、一寸法師にもう一つ、尋ねます。

「ところで、これ、どう使うんだ?
 確か、あの鬼が、お前なら使い方を知ってる、って……」
「え? ああ、うん。簡単だよ。
 それでこう、ずがーんと。俺の頭を殴れば」
「…………え……」

身振り手振りで何かを殴る動作を見せてみる一寸法師。
その動作を見ながら、お姫さまは今度こそ不信そうな顔をしました。
ああそんな顔まで美人だなあ、などと思いながら、
一寸法師は首を傾げます。

「何だ? どうしたんだよ。まさか、人を殴れませんって言うんじゃ」
「いや、そういうことじゃなくて……」

即答かよ。

「……これで、お前を殴るのか?」
「? ああ」
「……でも、あの……。
 ……こんな重いもので殴ったら……」

とっても不安そうな顔をして。
お姫さまは、ぽつりと言いました。

「……お前、潰れちゃうんじゃあ……」
「うーるーせえええぇぇぇ!!
 潰れねーよ! あんた俺のこと何だと思ってるんだよ!!」
「……何って、小さ」
俺は小さくねえっつってんだろうがーーーーーーッッ!!

既にノリだけでつっこんでいるような気がする一寸法師の目の端には、
ああああどうして俺ばっかりこんなメに、という悔し涙が浮かんでいる、
ような気がしました。

「いいからっ、大きくなれ〜大きくなれ〜って思いながら、
 とりあえず俺の頭を殴ればいいんだ! わかったか!」
「……う、うん」

俺の頭を殴ればいい、というのも、何だかとんでもないセリフですが、
まあこの場合は仕方ありません。
お姫さまはやはりどこか慌てた様子で、ハンマーの柄をきつく握り締めました。

「それじゃあ、やるぞ」
「ん。オッケー」
「……せーのっ!」

ぶんっ、と大きく腕を振り上げたお姫さま。
着込んだ着物の袂(たもと)が揺れ、細い手首がちらっと見えた瞬間、
一寸法師はああ手首細いなーーー、などとのんびり思いました。


そして。


「っ……!」

ばこんっっ!! と大きな音をたてて、お姫さまは容赦無く一寸法師の頭を殴りました。
一寸法師は頭がちょっぴり痛くなりましたが、そんなことは気にしません。
ただ、ほんの少し、お姫さまを見上げる距離が近くなったような、
そんな気がしました。

一寸法師の些細な変化は気にも留めずに、
お姫さまはばっこんばっこんと一寸法師の頭を殴り続けます。
何だか本当に痛そうな音がするのですが、お姫さまにはそんなことを思う余裕がありません。
ちなみにBGMはもちろん例のピコピコ音です。

「…………、」

少しずつ、少しずつ。
一寸法師は自覚していました。
お姫さまを見上げる距離が近くなっていることが、気のせいではないことに。
豆粒サイズだった一寸法師は、どんどん大きくなっていきます。
豆粒からこねずみへ、こねずみからねずみへ、
ねずみからうさぎへ、うさぎから人間の子供サイズへ。

そしてお姫さまも、だんだんとわかるようになりました。
子供のような、だけど大人にも近い、
意志の強いとはっきりわかる、一寸法師の表情が。

少しずつ、少しずつ。
一寸法師は大きくなっていきます。
後少し、あと少しで、
お姫さまの身長を追い抜こうと――――――



――――――した、その時。



「…………」
「…………。…………え?」

お姫さまの身長に、後およそ4寸、現代風に言えば後12センチ、
ハンマー的に言ったら後ひとふりのところで、
一寸法師の背は、ぴったりと止まってしまいました。

「…………え? ……えーと、」
「あ……」

いきなり成長(?)が止まって驚いているところ。
お姫さまの手の中から、打出のハンマーがこつぜんと消えてしまいました。
どうやら時間切れのようです。
例のBGMもぱったり止んでしまいました。

ああああああぁぁぁーーーーーーっ!!!

ハンマーが消えた瞬間絶叫したのは、もちろん一寸法師でした。

「あ……。……消え、ちゃった」
「なっ、何だってーーーーーー!!!
 おい、じゃあまさかっ……!!」

お姫さまの身長に、少し足りない160センチ。
そこには、ちゃんとした人間サイズの。

とっても立派な、少年がいました。

「おいっ、ちょっ、待てこらーーー!!
 一体何っ、ふつーこういう場合少年じゃなくて青年だろ!? 若者だろ!?
 何なんだおい!! 後12センチじゃねーかよ!!」
「……ロイ」

きょとん、とするお姫さま。
その目の前で、叫びっぱなしの少年。

「ぴちゅー。
 ロイおにーたんが、おっきくなったでちゅ!」
「ああ。でも、大きくなっても、小さいままなんだな」
小さいっていうなそこ!!

ちょっと離れていたところから見ていたギャラリーには、しっかりつっこみを入れて。

「……ロイ、」
「! っ、マルス……! いや、あんたには何の落ち度も無っ……!」
「……いや、そうじゃなくて……。
 ……良かったな。ちゃんと、大きくなれたじゃないか」

嬉しそうにほわほわと言いながら、にっこりと笑うお姫さま。
どうやらお姫さまには、一寸法師の切ないお願いの本質がわかっていないようです。
確かに大きくなりたい、とは願いましたが、
言葉どおりの意味ではなくて。

「でかくねーよこんなの! 充分小さいだろ!?」
「だから、人間の縮尺だったなら、ロイは元々その大きさだったっていうことだろ?」

ぐさっと少年の心を突き刺すお姫さまには、まったく悪気はありません。

「良かったな。おめでとう」
「……っ、いや、違っ……! 俺はっ……!!
 ……〜〜〜〜〜〜ッ……」

青い空。
白い雲。
小鳥の声に、
ほわほわ笑う綺麗なお姫さま。



「……良えーーーーーー!!!



青い空の馬鹿野郎、とばかりに。
まるで世界中を揺るがすように、一寸法師の悲痛な叫びが響き渡りました。



無事人間サイズになることができた一寸法師が、
はたしてお姫さまをお嫁さんにもらうことができたのかはわかりませんが、
このお話はここで終わりです。


めでたしめでたしv



第三幕

ネタを投下して下さった某様に多大なる感謝を込めて
楽屋裏

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