〜第三幕〜 |
「ぴーちゅ、ぴーちゅっ」 都から少し離れたところに、幅の狭い小川がありました。 大人のお兄さんなら、ちょっとまたげば向こう岸にいけるような小川の裾には、 鮮やかな緑、小さくて綺麗な花が、ところ狭しと咲いています。 「ぴーちゅ、ぴーちゅっ」 そんな小川の裾を、散歩するものがありました。 黄色いからだの、小さなこねずみでした。 こねずみは、小さな身体にくっついた大きな耳としっぽをぴょこぴょこはねさせながら、 小川の裾を歩いています。よくわからない歌なんて、歌いながら。 「ぴーちゅ、ぴー…… ……ぴちゅ?」 小川の裾を歩いていたこねずみは、ふと、何かに気づきました。 なんと、上流から、何かがどんぶらこと流れてくるではありませんか! 残念ながら大きな桃ではありませんが、 こねずみはとりあえず、かなり小川に近いところまで、走り寄ってみました。 「ぴちゅ……」 どんぶらこと流れてきた何かを、こねずみは、口ではしっと捕まえました。 あまりやわらかくはないので、どうやら食べ物ではなさそうです。 こねずみはちょっぴり残念がりながら、それを地面に、ぼとっ、と落としました。 そして、ごろごろと、手のような前足で転がしたり、ばしばし叩いたり、 ちょっぴり電気を流したりしてみました。しかし、反応はありません。 それは、赤い髪に、袴姿、剣の代わりに針を持った、小さなお人形でした。 「……お姫さまにあげるでちゅー」 ぴくりとも動かないそれを、もう一度口でくわえて、 こねずみはうきうきと歌いながら、小川を後にしました。 ****** 「……だから、絶対に、嫌です!」 柱はありますが、壁は無い、やたらと開放的な、広い広い、質素だけれど威厳あるお部屋。 長い着物をずるずると引きずった、青い髪のお姫さまの声が、響き渡りました。 さて、ここは都です。更に言うなら、帝(みかど)さまの御住まいです。 花が舞い、鳥が鳴く美しいこの国は、今、 冷淡で見栄えだけは良い帝さまと、かわいくて綺麗なお姫さまによって統治されていました。 帝さまは銀髪に赤い瞳、お姫さまは青い髪に藍の瞳と、 二人は親子というにはまったく似ておらず、 ついでに言うならどう見てもニッポンジンには見えませんでしたが、 別に異人さんというわけではないようです。片方は人間ではないという噂ですが。 部屋の奥でぼんやりとしている帝さまから少し離れたところに立ち、 お姫さまは、ぜえはあと肩で息をしていました。 綺麗な顔は怒りに満ち、ぎっ、と帝さまを睨んでいます。 そんなお姫さまを諭すように、帝さまは静かに、静かに言いました。 あるいは、何も考えていないのかもしれませんが。 「……仕方ないだろう。……あの鬼の要求だ」 「嫌です! ……絶対に、嫌ですっ! どうして僕が、顔も知らない鬼のところへ嫁がなければならないのですか! 第一、僕は男なんです! わかってるんですか!?」 男が何故お姫さまと呼ばれているのか、そんな疑問は胸の中に留めておきましょう。 「わかってる。でも、要求は要求だ。 お前を差し出さなければ、北方の国が、失われてしまうんだ。 意味はよくわからないが、失うことは良くないだろう」 こくん、と首をかしげて、帝さま。 国を失う、ということも、曰くよくわからない帝さまは、 今までどうやって国を治めてきたのでしょうか。 「……っ。……そ、れは……」 「……それに、どうしても嫌と言うなら、俺が行けばいいのだし……」 「……え?」 なにやら不穏な呟きが聞こえたような。 しかも、聞き間違いじゃなければ、国の王たる帝さまの声で。 「……父様? ……今、何て……」 「……鬼の要求は、俺かお前、だったからな。 別に俺はどうでも良いし、お前が嫌と言うなら……、」 「……っ、駄目に、決まってるでしょう!! 僕が行っても、新たに後継者を選べば良いだけですが、 父様が行かれたら、この国を落とされたも同然ではありませんか! ……ああもう、とにかく……!」 既に何から説明すればいいのかわからず、 お姫さまは溜息をつきながら帝さまを睨みます。 「あまり、民を不安にさせるようなことはしたくありません。 ……どうしてもと言うなら、僕はこの身くらい差し出しますが、 それより前に、その鬼とやらに会うのが先ですっ!」 まずは気楽なお付き合いから、ということでしょうか。 「……だから、どうしても嫌というなら、俺は構わな……」 「だから、それは駄目だと言っているでしょう! 父様! 先ほども言いましたようにっ……」 お姫さまの言い分をまったく理解する気が無いらしい帝さま。 お姫さまが半ば呆れながら、再び同じことを言おうとした、 その時―――。 「みかどさまーーー!! お姫さまーーーーー!!」 「!」 可愛らしい子供の声が、二人の耳に届きました。 見てみると、二人が可愛がっているこねずみが、庭を駆け抜けて、 こちらへ向かっている姿がありました。 よく見れば、こねずみは口に何か小さなものをくわえていましたが、 帝さまとお姫さまを呼んだ瞬間、その何かは、遠くまで吹っ飛んでいました。 ばしゃん、と小池の中に落ちてしまったそれを慌てて拾った後で、 こねずみはまず、お姫さまに抱きつくように跳びつきました。 「ピチュー。おかえりなさい」 「ただいまでちゅー。お姫さま、これ、あげるでちゅ!」 「え?」 お姫さまの腕の中で、頭をぐりぐりと胸に押しつけた後で、 こねずみはお姫さまに、さきほど小川で拾ったお人形を差し出しました。 このこねずみは、拾ったものをお姫さまにあげる習性があるので、 渡されたことに関しては、お姫さまはさほど疑問を抱きませんでしたが、 渡されたものについては、大いに疑問を抱きました。 「みかどさま、ただいまでちゅー」 「……ああ。……おかえり」 お姫さまから跳び下りたこねずみは、今度は帝さまに懐いていました。 お姫さまはお人形を手のひらに乗せて、よく見える高さまで持ち上げました。 白いハチマキのようなものを巻いた、はねた赤い髪。 袴姿の腰には、剣の代わりのように、大きめの針が刺してあります。 その目はぐったりと、眠っているように閉じていました。 お人形にしては珍しい、と、お姫さまは思いました。 そして、なによりも。 「……人形……? ……それにしては、小さいような気がするんだけど……」 「……そうだな。……小さいな」 「ピチューより小さいでちゅー。小さなおにんぎょうさんでちゅ」 「だよな……。こんな小さな人形、一体何にするんだろう」 小さい、小さいと。 お姫さまの手のひらの上のお人形を、好き勝手に評価していた、 その時。 かっ!! っと、閉じていたお人形さんの目が、急に開きました。 春の新芽と青空を連想させる、碧色の瞳。 そして。 「うるっせぇ!! 小さいって言うなーーーーーーーーーッッ!!!」 ―――お人形さんが、叫びました。 その、小さい身体に見合わないくらいの、大声で。 「ああもうしつけーな、だから小さいって言うなっつってんだろーがッ!!」 空に向かってお人形さんこと一寸法師は叫びますが、 あえて無視をすることにします。 「…………」 「…………」 「…………」 「あーもういい加減にしろってんだよな、人の気にしてることをざくざくと……! 折角あのへたれた勇者と性悪ねずみから逃れてきたってのに、 やっぱりここでも言われるのかよ! どいつだ小さいって言ったのは!!」 お姫さまの手のひらの上でひたすら喋っている一寸法師は、 きょろきょろと辺りを見回します。 そして。 「……あっ! お前かっ!! 何だよ、人よりちょっと背が高いからって―――……」 ようやくお姫さまに気づいたらしい一寸法師が、腰に手を当て、 一応かっこつけながら、びしぃっっ!! とお姫さまを指差しました。 それはきっと、小さいと言うな、と言いたかったはずなのに、 なぜか。 「…………………………」 一寸法師は、お姫さまの顔を見上げたそのままの姿勢で、 ぴた、と、動かなくなりました。 「……え……。……あの、えっと……。……??」 「…………………………」 「……お前、……人間……なの……か? その、」 「…………ま、まあ、俺が小さいのは事実だしな……」 !! なんということでしょう!! あの一寸法師が、小さいと言ったお姫さまを怒らず、 しかも自分が小さいと認めてしまいました!! 自分がどれほどの偉業を成し遂げたのかもつゆ知らず、 お姫さまはわたわたしながら、手のひらの上の一寸法師に謝ります。 「え……、あの、気にしてた……んだろ? ……ごめ、ん……」 「……っ。……い、いいよ、別に、……あんたなら、な……」 しゅん。と、悲しい様子で謝るお姫さまの顔を、やや頬を染めながら、 一寸法師はやはりちょっとかっこつけながら、横目でじーっと見つめます。 透き通るような白い肌、宝玉のような藍色の瞳、それを縁取る長い睫毛。 中性的な面立ちを飾るのは、空とも川とも違う、さらさらの青い髪。 着物の襟元からわずかに覗く首筋も、手首の細さも、 何もかもが思わず守ってあげたくなり、かつ、 うっかり自分の方に引き寄せてどうにかしたくなるような美人さかわいさです。 早い話が一寸法師は、このお姫さまに一目惚れをしてしまったのでした。 やばいどうしようめちゃめちゃ好みだ、などと頭の中でぐるぐる思いながら、 ひとまず一寸法師は、お姫さまに話しかけました。 「あの、あんた、名前は?」 「え? あの、……マルス、……だけど……」 「マルス? ふーん、綺麗な名前だな。 やっぱ、美人は名前も綺麗なんだなー」 にこにこ笑いながら、事も無げにさらりと言う一寸法師。 一寸法師は女の子の口説き方くらいマスターしているのです。 お姫さまは男ですが。 「俺はロイ。話的には、一寸法師って呼ばれてる」 「……一寸法師?」 「ああ。それで―――……」 わたわたするお姫さまの手のひらの上で、一寸法師は何かを探します。 きょろきょろと辺りを見回して、そして。 「あ! いた! お前だな!!」 こねずみに懐かれている帝さまを見つけるなり、 一寸法師は、お姫さまの手のひらからぽんっ、と飛び降りました。 たたたっ、と全力で走って、 帝さまの前できっちり正座をします。 「帝さま。見た目は全然似通ってねーけど、役柄的にお前がお姫さまの父親だな?」 「……ああ。……多分、そういうことだと、思う」 実際帝さまは、父親というものが何なのかも、よくわかってはいないと思いますが。 「それじゃあ帝さま。長さもいい加減うっとうしいし、単刀直入に言う。 あのな―――……」 がばっ! と、額をたたみにぶつける勢いで頭を下げる一寸法師。 特に驚くこともしなかった帝さまの瞳が、わずかにそちらに向けられました。 「お姫さまを、俺に下さいッッ!!」 「……ああ。いいだろう。ただし、条件がある」 「……へっ?」 なにやら一瞬で話が流れてしまいました。 「……ち、ちょ、ちょっと待ておいこら義父上!」 一寸法師は帝さまを勝手に義父上呼ばわりしていますが、この際無視して良いでしょう。 たたみから顔を上げた一寸法師が呼んだのが自分だとわかったらしい帝さまは、 頭の上に「?」を浮かべて、こくん、と小首を傾げました。 一寸法師の後ろでは、お姫さまが、事の成り行きを見守っています。 こねずみは、お姫さまの周りをくるくる回っています。 「……それは俺のことでいいのか?」 「そーだけど、いいのかよそれで!」 「……何がだ?」 「自分で言うのもアレだけど、普通断るだろ! どこぞの馬の骨がかわいくて綺麗で美人な娘をお嫁さんにくれって言ってんだぞ!? 何でそんなにあっさりはいいいですよーなんて言うんだよ!!」 「…………。 …………何で、と言われても……」 相変わらず無表情の帝さまは、片手でごそごそと、床の辺りを探りました。 自分の座っている座布団の下に手を突っ込んで、何かを探しているようです。 そして、引っ張り出したそれは――― 「『実は今、姫は、鬼に求婚されているのだ。 断ればどうなるかわからないが、受けるわけにもいかない。 だから、鬼を退治してくれれば、姫はお前にやろう』 ……と言えと、台本に」 「ちょっと待てーーーーーーーーー!!! おまっ、言わなくていいこと言うな! それはしまえ!!」 「…………。 ……わかった」 鬼気迫る勢いの一寸法師に説得されたらしく、 帝さまはせっかく引っ張り出した何かをしまってしまいました。 何だか本のようなものに見えましたが、一体何だったのでしょうか? そんなことはともあれ。 「とにかく、そういうことだ。 ……鬼を退治してくれるのならば、姫はお前にやると約束しよう。 ……姫、それでいいか?」 「いいか、って聞かれても、僕に選択権ありませんよね……」 言ってはいけないことを言っているお姫さまです。 「……わかりました。……それで国が救われるのならば、それで良いです」 「……国が、かよ。自分の価値、わかってねぇなあ……、 ……まあ、いいけど」 はあ。と溜息をついて。 一寸法師は右腕を引き、胸の前に手を当てると、 お姫さまの前にひざまずきました。 「じゃあ、お姫さま。 ……あんたの為に、俺は全力であんたを守るよ」 「うん。……こうなったものは仕方ないし、 ……だけど、気をつけて。……鬼は、とても強いと聞くから……。 ……お前の身に何かあったら、とりあえず心配だし」 ましてやその小さい身体だから、とは、お姫さまは言いません。 「……二日後に、鬼が姫を迎えに来る。 ……その時に、頼む」 「よし、二日後だな? まかせとけ!」 お姫さまの身がかかっているとは思えない程淡々とした帝さまですが、 一寸法師はそれでも、勝手にやる気になってくれました。 一体鬼とは、どんなものなのでしょうか? その小さい身体で、勝てるようなものなのでしょうか? というかこのままだと一寸法師が次の帝さまになるのだと思いますが、 はたしてそれでも良いのでしょうか? 様々な疑問は残ってますが―――…… つづきます。 |
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