運命や偶然に頼らずに、
もうひとつだけ、つみ、かさねて。
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ゼロ・フォーチューン
第七話
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2月14日。 セント・バレンタインデー。
昨日の突飛な約束の通りに、ロイとピカチュウは、一緒に出かけに来ていた。
出かけにきた場所はというと、何故か昼間からスーパーマーケットで、
更に現在地はもっとわからず、期間限定のチョコレート売り場、だった。
赤やピンク、白で埋め尽くされた、商品棚に、ポスター。
前に来たときは、紅白で正月だったよな、と、ロイは溜息をついた。
「……で?」
「んー?」
ロイは、首の後ろに片手をやって、もう一度溜息をつく。
そして、キレイー、などと言いながら、包装されたチョコレートを見ているピカチュウに、
つまらなそうに、話しかけた。
「どーして、俺がついてこなきゃいけなかったんだよ」
「ロイさんも、用事、あるかなあ、と思って」
「……。……別に、こんな場所に、用事なんか……、」
「じゃあ訂正。ロイさん、チョコレート、好きかなあと思って」
「……そりゃあ、好きだけど……」
じゃあ、って何だ。と、つっこむ気力も失せた。
相変わらず、この小さなねずみは。
人が嫌がるようなことを、さも当たり前かのようにやってくる。
何が嫌かって、それが正しい行動であるとわかっているからだ。
心を見透かされているみたいな。そんなのは苦手だった。
何で昨日、あんなことを口走ったのだろう。
ひどいこと、言ったから、……なんて。
いくらでもごまかすことはできただろうに、それができなかったのは、
ピカチュウの言ったとおりだったからだ。
このままでいい。
はずは、無い。
「…………」
綺麗に包装されたチョコレートの箱に、そっと手をかける。
……こんな、小さな箱に、お菓子に、どれだけの想いを込められるか、なんて。
無意味だ。
無意味に、決まってる。こんなものが、きっかけに、なんて。
「決めるのは、ロイさんだから」
「…………」
うん、これにしよ、と、ピカチュウは箱をひとつ、取る。
薄緑の包装紙に、白いレースのリボンがついていた。
自分で食べるつもりなのだろうか、そんなことは知らなかった。
「いつもだったら、きっかけになんか、ならないかもしれないね。
でも、今日は、お祭りだから。いつもと違う、特別な日」
「……たかが、祭りだろ? ……クリスマスではしゃいでおいて、矛盾するけど……、」
「たかが、かどうかは、終わってみないとわからないと思うけれど?」
「…………、」
相変わらず、目の前のこの、小さなねずみは。
人の痛いところを、ずけずけと言ってのける。……要するに、本音を。
ピカチュウは、純粋そのものの色の瞳で、
真っ直ぐに、ロイを見ている。
「ロイさん。……僕は、あなた達の事情は、全部は知らないよ。
どうあがいたって、僕はあなた達の他人だから。
……だから、僕達にできるのは、おせっかいと、手助けまで。
後は、あなた達が、どうにかしなくっちゃ。終わりなんか、嫌でしょう」
「……それは……」
「……だから。僕はこれ買って、帰るね」
そう言って。
ピカチュウは、チョコレートの箱を、頭に載せる。
ふらふらとバランスをとりながら、くるりと背中を向けた。
そのまま歩いていくのかと、思えば。
いったん立ち止まって、急に振り向いて。
「それじゃあ、さよならー」
「……。」
ひらひらと、短い手を振った。腹が立つほどの、満面の笑みで。
チョコレートを落とさないように歩くピカチュウを、ロイは見つめる。
頭の中で、何度も思い出す。
喧嘩の原因。理由と、ピカチュウの「おせっかい」を。
ほんの、すれ違い。
左の肩の怪我のことを、マルスに黙っていたこと。
不安にさせたくなかったから黙っていたけれど、なんて勝手な理由だったのだろう。
普段の自分は、何でも話してほしくて、たびたび怒っていたというのに。
……いざ、自分のことになったら、黙ってた、なんて。
わかってる。
向こうだけじゃない、悪いのは、自分もだ。
わかってるけど。
「……どうしろ……ってんだ……、……ったく……」
ぽつり。と、うめくように呟く。泳がせた視線は、商品棚に向かった。
女の子が好みそうな、かわいらしい色が散らばっている。
……だいぶ、前。
あまり、無表情を崩すことのなかった、マルスが、
ちょっと幸せそうに、チョコレートを食べていたことを、ふと思い出した。
ロイの表情が消える。
「……中央区の公園、か」
まるで他所事のようにささやいた声は、喧騒の中に消えた。
***
やわらかなベージュ色のマフラーを巻いて、リンクは街の中を歩く。
その隣で、相変わらず薄着のマルスが、苦しそうな顔で歩いている。
マルスがもう少し背が低いか、女の子のような格好をしていれば、
もしかしたら二人は、喧嘩中の恋人同士に見えたかもしれなかった。
「……何、複雑そうな顔してるんだ?」
「……別に……、」
苦笑を向けるリンクを、マルスは八つ当たりのように睨む。
そんなマルスの手の中には、小さな箱が一つ。
淡いクリーム色の箱に、綺麗なピンクのリボン。 チョコレートだ。
それに視線を注いだまま、マルスは更に表情を曇らせる。
こつん、と手の甲で頭を軽く小突いて、リンクは笑った。
「買ったのは、お前だろ?」
「……そうだけど……」
少し、前。
リンクとマルスは、昨日の約束の通りに、一緒に外に出かけた。
買い物って何だろう、と思いながら連れて行かれたところは何故かケーキ屋で、
マルスはかなり驚いて、リンクを見た。彼は、甘いものが、苦手だから。
少し待っててくれな、と言い残し、
ちょっぴり嫌な顔をしながらショーケースを覗くリンクを横目に、
マルスも何気なく、視線を向けた。小さな、チョコレートケーキに。
そして。
ほぼ衝動的に、買ってしまった。
手の中に納まるくらいの、小さなチョコレートケーキを。
何を思ったのか、「バレンタインデー用ですか?」という店員の問いにうっかり頷き、
この通り、ステキな包装までされてしまった。
もしかして、女の子と勘違いされたのだろうか、と考えが及んだのはついさっきで、
さすがにもう、怒る気にはならなかったが、苛立ちはした。
一体、何を思っていたんだろう、自分は。
別に食べたかったわけではないし、どうして。
ぐるぐると考えても、答えは出ない。
何か、してやったりー的な気持ちを目の中にちらつかせているリンクが腹立たしく、
八つ当たりもしたりした。しかし、それでも、わからない。
「…………」
それとも、わからないフリを、しているだけかもしれないけれど。
自分の浅ましさに溜息をつくマルス。
リンクは、微笑ましいほどに、親友、の色をした瞳を向けた。
世間話、といった口調で、話しかける。
「……なあマルス、知ってるか?」
「え?」
ふいに話題を振ってきたリンクに、マルスは思わず、といった様子で尋ね返す。
知ってるか、と言われて、知ってる、と答える人間もそうそういないとは思うが。
手の中のチョコレートを落とさないように気をつけながら、
マルスはリンクの、話を聞く。
「バレンタインデー、って、本当は、チョコだの恋だの、とかいうのとは、
全然無関係の日なんだってさ。……確か、誰かが殺された日だとか、どうとか」
「……え……。」
すらすらと、何でもないことのように話してくれた、その内容は。
ちょっぴり、どころかかなり、物騒なような気がした。
目をまるくするマルスを見て、からかうようにリンクは笑う。
「……そう、だったのか……。」
「ナナに聞いた話なんだけどな」
「…………。」
「……そんな、難しそうな顔しなくても。
だからどうだってわけじゃないよ」
まるで、子供でも見ているかのようなリンクの表情が気に入らず、
マルスはふい、と視線をそらしてしまう。
ごめんごめん、と、あまり申し訳なくはなさそうに謝ったリンクは、
その目を、空に向けた。
夕暮れの近い、不思議な色合いの空。いつか見た宝石みたいで、綺麗だった。
明日もきっといい天気だろう。リンクは一息ついて、続ける。
「……そういう、日なんだけどさ。
誰が始めに、恋人のお祭りにしよう、なんて考えたのか知らねーけど、
何かちょっと、すごいよな」
「……すごい?」
「この日に助けられて、幸せになったカップルっていうのは、
きっと、いっぱいいるんだろ?」
チョコレートに、想いを隠して、相手に渡す。
普段は不思議に思われるような出来事も、この日だけは。
ただ一つの、きっかけになるから。
「……」
「だから、すごいな、って、思うんだ」
親友そのものの顔で、リンクは笑う。
綺麗な、夕暮れの近い、空の色。
マルスは、説明のつかないほどの複雑な気持ちで、リンクを見ていた。
******
「……この辺だったかな……、すっかり遅くなったけど」
しばらく経った後。
マルスは、リンクに連れられて、中央区の公園に来ていた。
リンクが、「ここに用事がある」、と言ったからだ。
この微妙な時間に、何の用事があるのか気になったが、特に理由は聞かずに、
結局ここまでついてきてしまった。
自然的に、というよりは近未来的につくられた公園には、
あまり人は見えなかった。
等間隔に並んだ木を遠くまで見ながら、マルスは溜息をつく。
不思議な色をしていた空は、いつの間にかいつもの夕暮れになっていた。
真っ赤な、空。何かを思い出しそうになって、逃げるように目をそらした。
手の中の、小さな箱に入ったチョコレートの存在が、
マルスを現実に引き戻す。
そらした視線の先では、ようやく探しものを見つけたのか、
リンクがマルスを、手で呼んでいた。
「マルス、こっち」
「え……? ……ああ、うん……」
呼ばれたまま、慌てて、リンクに、ついていく。
「……誰かと、待ち合わせでも、してたのか?」
「え? あー……うん、まあ、そんなもんだな」
曖昧に答えるリンク。マルスは、不思議そうに首を傾げて。
少し早足で歩く、その後ろを、何があるんだろう、と思いながら、
マルスは歩いた。
夕暮れの風は冷たくて、それでも、興味は、失わないまま。
人気(ひとけ)の無い公園の中を、
子供のように、期待して。
*
つれていかれた、場所は。
静かな、公園の中央。広い場所だった。
少し暗くなった空は、まるで絵のように綺麗で。
星がふたつ、ずっと向こうで、白い銀色に光っていた。
自分が何も、ロイに話さなかったのは、どうしてだっただろう。
……なんとなく、だ。よくわからない、理由ひとつで。
そんなに信用できないか、と、少し怒った様子で、訊かれた。
どうしてそんなことで怒るんだろうと、あの時は疑問だったけど。
きっと、あの時の彼は、こんな気持ちだったのだろう。
理不尽な、悲しみ。
ずっと昔のことのように思える。
「……」
「……あんなとこにいたのか、ったく……。」
この公園、広いからなあ、と愚痴るリンクの声が、遠く聞こえた。
公園の中央、昼間は多くの人が行き交う、この場所。
目印のように、ぽつんと立っている細い木が、遠くに見える、その場所に、
マルスの視線が、心ごと、向かう。
マフラーを口の上まで上げて、コートのポケットに両手を突っ込んで、
たった一人、立っている、
「……どう……して……、」
ロイが、いた。
まるで、誰かをずっと、待ち続けているように。
木の下に、立っている。
「……探してたの……、……って、……あいつのこと、だったのか?」
「ああ。そうだよ。……つっても、オレが探してたんじゃないけどな」
彼の姿を見つけて、あきらかに動揺するマルスに、リンクは微笑みかける。
「お前はずっと、ロイのこと、探してただろ?」
「……。」
ロイの姿と、リンクの瞳とを、交互に見て。
マルスは、迷う。
どうして、リンクについてきて、来た場所に、彼が?
わけがわからなかった。
「……マルス、」
「……え……?」
そんな、マルスの心の中を、すべて知っているような声で。
リンクは、かぎりない優しさを秘めた声で、マルスを呼ぶ。
精一杯の、勇気と、心づかいを持って。
「……オレ達に出来るのは、ここまでだ。
後は、お前が、どうにかしなくちゃ、……な?」
「……」
「……お前達の事情は、オレは、全部は知らない。
だからオレ達は、おせっかいと、手助けしかできない。
後は、お前達次第だよ。終わりは、嫌だろ?」
ぽん、と。
マルスの背中を、優しく叩いて。
「行ってこいよ。……その、チョコレート。
……渡したい相手は、いるんじゃないのか」
「……リンク……。」
小さな親友が、言っていた。
勇気を出すのは、もっと難しい、と。
リンクは、ふ、と笑う。
マルスの瞳が、揺れたのを、見逃さない。
「じゃあな」
「……うん……。」
やがて。
マルスは、一歩、踏み出す。手の中のチョコレートを、確かめながら。
遠い場所。
ロイがいる、木の下へ。
ゆっくり、一歩ずつ、確かに歩いていくマルスの後ろ姿を、見送ろうとした、
その時。
「……遅かったねえ?」
「ああ、ちょっとな」
後ろから、ピカチュウが、ひょっこり現れた。
「……これで、良いんだよな?」
「うん、たぶん」
「……あの二人、仲直りするかな」
「さあ? どうだろう」
相変わらず淡々とした声が、静かな公園に響く。
言っていることは冷たいけれど、きっと。
思っていること、考えていること、ほとんど、合っているはずだ。
当たり前のように浮かんできたそんな考えに笑うと、ピカチュウは不思議そうな顔をした。
「そっち、いっていい?」
「ん。いいよ」
一言、小さな断りの後で、ピカチュウはリンクの肩に飛び乗る。
肩から、そして、頭に乗って。
ようやくいつもの位置になったところで、ピカチュウはふと、疑問を口にした。
「……リンク、このマフラー、どうしたの?」
「え?」
ベージュ色のマフラー。
純粋に疑問、といった調子の声。
マフラーの裾に触れながら、リンクは答える。
「ああ、朝、姫様に頂いたんだ」
「……ゼルダさん?」
「ああ。なんか、いつもお世話になってるから、って。
オレ、マフラー失くしたろ。……気、遣わせたかなと思ったんだけど……、
……お陰であったかいよ。良かった」
「…………。
……鈍感」
ぼそっ。
と、おもいっきり呆れを含んで、呟いた。
「え?」
「……なんでもなーい。それより、帰ろ、リンク」
「……? ……そうだな」
何が、鈍感、なのか。
よくわからなかったが、気にしても仕方ないだろう、と思う。
ピカチュウが言わないのならば、それで。
自分の役目を終えたら、後は完全に興味を無くす、子供らしいところ。
その様子にどこか安心した様子で、リンクは遠くを見た。
白い銀色にひかるふたつの星が、寄り添う空。
明日もきっと、いい天気だろう。
大丈夫。天気のいい日は、いいことがある、と、思う。
ロイのもとへ、歩くマルスの後ろ姿。
まだ少し、頼り無いけれど。
泣きそうな優しさに満ちた微笑みで、リンクはそれを見送った。
*
一歩。
また、一歩。
近づくたびに、周りの静けさが嫌になる。
いつも、思う。
どうして、彼じゃなければいけないんだろう、と。
彼が怪我をしていたことが、
それを知らなかったことが、
どうしてあんなに、悔しかったんだろう。
結局いつも、わからないまま。
歩いて、遠くに見えた場所が、近くなって。
「……あ……、」
「……!」
ロイの、もとに。
たどりつく。
あの、喧嘩の時以来の。
二人きりになるのは、久しぶりだった。
「…………」
「…………」
薄暗い、静かな公園。目印のような細い木が、一人、立っていた。
ロイとマルスは、お互いを見つめたまま、何も言わない。
沈黙が更に、辺りを重くする。……不安、だった。
ここに来たのは、間違いだったのではないだろうか、と。
逃げたくなる。
逃げたくなるたびに、頭のかたすみに聞こえる。
『後は、自分達が、どうにかしなくちゃ』、って。
わかってはいるけれど。
……勇気を、出すのは。
でも。
そうだ。逃げ出すわけには、いかないんだ。
相手の気持ちも考えずに、自分勝手に傷つけた。
傷つけたのは紛れもなく自分で。
その事実から、逃げたかった。
「……っ……、」
「…………っ、」
手の中のチョコレートが、存在を主張する。
せいいっぱいの勇気を持って。
また一歩。 ちかづく、ために。
「「……あのっ、……この前は……!!」」
なんとか、これだけ、言った、そのセリフが。
「「…………」」
……見事に、かぶってしまった。
「…………」
「…………」
目をまるくして、ロイはマルスを、マルスはロイを、見つめる。
なんとか言おうと思ったのに、ますます言えなくなってしまった。
……気恥ずかしすぎる。かなり時間をかけて切り出した言葉が、
二人、一緒だった、なんて。
「…………」
「…………」
どうしよう。
二人は同時に、視線をそらす。
静けさがまた、辺りを重くしようとしていた、その時。
「……この前……は……、……ごめん……。……僕……、」
「…………、」
マルスが、口を開いた。
ロイの瞳が、うつむくマルスを見る。
時間が、うごきだす。
「……自分のことなんか、話さないのに……、
……ロイには、話せ、なんて、……自分勝手で……」
「……! ……んでっ、あんたが謝るんだよっ……、」
一言、かたちにすれば。
次から次へと、心の中が、声になる。
ずっと言いたかった。
「……俺だって、自分のことは黙ってた、って……。
……いつも、信用ねーな、って怒ってたの、俺の方なのに……っ」
「……そんなことっ、僕がわがままだったんだから、ロイは別に、悪くはっ……、」
「違ぇよっ、俺が悪かったんだよっ! ガキみてーなこと言って……」
「違う……って、言ってるだろ……っ! ……僕が、もっとちゃんと考えてればっ」
「だーかーら!! 俺が悪かったんだって言ってんだろーがっ!!
大体マルスはいつも …… ……」
「…………」
「…………」
かけがねがはずれたように、二人は言い合う。
この前のそれとはあきらかに違う、どこか幼い言い草で。
気づいたら、また、口喧嘩のようになっていて、
二人はまた、黙ってしまった。
くだらなくって。……こんな時間が大切だと、気づく。
「……あーもう、めんどくせーな、わかったよっ、ああそーだよっ、くそ……っ!」
「……?」
「……俺も悪かったし、あんたも悪かったんだよ!!
それなら平等だろ、それでいいんだろ!?」
「……う、うん……?」
本当にそれでいいのだろうか。
なげやりな言い方のロイに首をかしげながら、マルスはとりあえず、勢いで頷いた。
居心地の悪そうな顔で、髪をがしがしかき乱すロイ。
ふてくされた、という言葉を、そのままかたちにしたようだった。
そんな動作を見て。
マルスはふと、ロイに問いかける。
「……怪我……。……大丈夫、……なのか?」
「え? ……あ、ああ。手当ては済ませてきてたし。ふさがるの待つだけ」
「……そう……、……か……」
そんな、ロイの適当な答え。
それを聞いて、マルスは、自分の心が、急に軽くなるのを感じた。
つかえていたものが、とれたような。
……そうだ、心配だったんだ。ようやく、思い出した。
マルスは、ふわりと微笑む。
「……よかった」
「……っ……」
隠し立ても何も無い、素直な気持ち。わかるような、微笑み。
わかるからこそ、うっかり途惑ってしまった。
こんな、タイミングで、そんな、顔。……反則すぎる。
「……っの、鈍感……」
「……? ……何だ?」
「なんでもねーよっ!」
つい、抱きしめて、そのまま押し倒したくなった、……なんて。
言えるわけがなかった。
「……あ! そうだ、マルスッ」
浮かんできた衝動を誤魔化すように、ロイはコートのポケットに手を突っ込む。
何をそんなに慌てているんだろう、と不思議そうな顔で見つめるマルスの目の前に、
ロイは何かを、差し出した。
「……これ……、……いやあの、そのっ、べ……っつに、そういうんじゃねーけど……」
「……? ……これ……、」
受け取れ、と言わんばかりに差し出された、ロイの手の中には。
ロマンチックとか、そういう雰囲気を一切、感じさせない、
どこにでもあるような、板チョコだった。
「…………」
マルスは思わず、目をまるくする。
その視線が痛かったのか、ロイは言い訳を始めた。
「いやっ、だから、……それっぽいのもどうかと思っ……、
……あんた前、これ、おいしいとか言ってたろ!?
そのっ、今日……は、そういう日だって知ってるけど、好きなものの方がっ……、」
「…………」
「……だー、もう! とにかく、あげるんだから受け取れ!!」
別に何も言ってないのに。
ずい、と、手の中に、無理矢理渡す。
パッケージをまじまじと見て、そういえば、とマルスは思い出した。
確かに、言ったような気がする。
ロイにはんぶんわけてもらった、このチョコレートを、
おいしい、と言ったような。……気がした。
……覚えて、いた?
「……ふ……っ、」
「……な……っ、」
込み上げてきた笑いをこらえきれなくて、押さえた口の端から、笑い声が漏れた。
何がこんなにおかしいのかわからないけど、無性におかしかった。
「……あはは……っ、……っ、ロイ、……らしっ……、……あはは、」
「なっ……に、笑ってんだこらーっっ!!
別に、笑いどころじゃねーだろーッ!!」
どうやら笑いのツボに入ったようだ。
笑う、というよりは爆笑しだしたマルスに、ロイは真っ赤になりながら、何か、怒鳴る。
本当に、何がこんなに、おかしいのか、わからない。
けど、今は。
「ったく、どーせ俺はこんなだよっ!!
これでもすっげー考えたんだからっ……、」
「うん……、……ごめん、」
涙までにじんできたらしい、目元を指で拭って、マルスは言う。
もう遅い、と気恥ずかしさを込めた瞳でマルスを睨む、ロイ。
だが、ロイの瞳はマルスを捕らえると、持っていた感情を、すぐに忘れた。
「……ごめん、な。」
やわらかい、瞳を向けて。
申し訳無さそうに、苦笑していた。
言葉の奥を、くみとって。
ロイも、微笑む。
「……うん、……俺も。……ごめん。」
「……うん……、」
真っ直ぐに、お互いを、見つめて。
時間が止まったように、静かになる。
空はいつの間にか夜になっていて、
星が、まばらに、いた。
「……帰ろ。」
「……そうだな」
やがて、いつもとは少し違うように言って、ロイは右手を差し出す。
板チョコを、服のポケットにしまった後で、
ロイが差し出した手を、マルスはとった。握り返してきた手は、少し冷たかった。
そのまま、引かれるように、歩きながら。
「(……あ……、)」
マルスは、ふと、忘れものに気づく。
つないだ手とは逆の手の中の、チョコレートケーキ。
「(……どうしよう、)」
ロイに、渡すつもりだったのに。
既にロイは、自分の手を引いて、歩き始めている。
小さな箱を見ながら、マルスは少しだけ考えた。
「(……後で、渡せばいいか……。)」
「……マルス?」
「っ!」
ふいに名前を呼ばれ、マルスは慌てて、手の中の箱を後ろにかくした。
あきらかに怪しい動作である。案の定、ロイは、訝しげな目を向けてきた。
「……何? 何か、いた?」
「い、いや……、……なんでもない」
「……そっか」
なら、いいけど。
そう言って前を向いたロイの背中を見て、マルスはほう、と溜息をついた。
手の中の、小さな、チョコレートケーキ。
喜んでくれるだろうか。
「……ロイ、」
「? ん?」
急に、名前を呼びたくなった。
そのままに呼ぶと、ロイはやっぱり、不思議そうに自分を見て。
マルスは、にっこりと笑う。
子供のような顔を向けた。
「……ううん。なんでもない」
「……??」
それは、それこそ子供じみた、イタズラに近かった。
マルスは、楽しそうに、幸せそうに笑って。
一歩。
勇気を渡してくれた、いろいろなものに、ありがとう、と思いながら。
二人は、帰り道を、一緒に歩いた。
←前
運命や偶然に頼らずに、現実的な方法で、いざこざを解決しましょう?
……っということで、「ゼロ・フォーチューン」でした。
いかがでしたか、と聞くのもはばかられるほどの素晴らしく地味な内容……。
要するに「ドラマチック展開ナシ」という制限があったのですが、
大していつもと変わりませんでした……。
本当は、まわりの手助けも無し、としたかったのですが、それは無理でした。
でもまあ友人の手助けは現実的な方法のうちに含まれるでしょうということで納得させて……。
一年越しになってしまいましたが、ともあれ完結です。
最後までお付き合いくださった方、ありがとうございました!
05,03,27 完結
おまけ
SmaBro's text INDEX