「ロイ。
 ……その怪我、どうしたんだ?」
「え? ……あ、いや、……その、……なんでも、ないけど」
「……何でもないなら、怪我なんかしないだろ」
「……。
 ……そうだとしても、あんたには、関係無いよ」

「……っ……。」


**********

ゼロ・フォーチューン
第五話  

**********


「……」

屋敷の一階、廊下を、マルスは歩いていた。
途中で何度も立ち止まり、そのたびに振り返っては、溜息をつきながら。
額に手を当てて、目を伏せ、何を期待しているんだろう、と笑う。
……自分勝手に傷つけたのは、こっちなのに。

深い深い溜息をついて、マルスはリビングへと続くドアの前で立ち止まった。
冷たいドアノブに手を触れたところで、ふ、と気づく。

   キッチンの方が、妙に騒がしい。

「……?」

ドアノブに手をかけたままの姿勢で、マルスは首を傾げる。
何だろう。今は、時間にすれば夕方の四時過ぎだ。夕飯にはちょっと早い。
それに、声の数。
ざっと、三つくらいは聞こえるのだが。気のせいだろうか。
しかも、女の子の声ばっかり。
あのキッチンの広さから、基本的に食事当番は、二人なのだが。

キッチンへのドアをじっと見つめて、マルスはリビングのドアノブから手を離した。
ちょっと歩いて、キッチンのドアノブに、手をかける。
心の準備をしてから、がちゃん、と回した。引いて、キィ、と音がたつ。
そして。

「あの、何かして……、」
「あ! ちょうどいいとこにっ! はいっ、マルスッ!!」
「!?」

おずおずと覗き込み、声をかけた瞬間。
目の前に誰かがいて、口の中に何か放り込まれた。思わず口を押さえる。
『目の前の誰か』が、ピーチだとわかったのはその直後だった。
粉が溶ける感覚。ふんわり広がる、ちょっとだけ苦い、甘い、味。

ああ、チョコレートだ、と、ぼんやりと思い立った、その時。

「……っっ!!?」

急に、口の中がからくなった。
からいと言うか、すっぱいと言うか、わさびっぽいと言うか、全部と言うか。
口を押さえたマルスが、思わず床に座り込む。顔が蒼い。
何だろう。何だ、この味。チョコレートにしてはおかしい。
かと言って、吐き出すわけにもいかない。でも、とてもじゃないけど食べたくない。
そんなことを考えているうちに、頭の中が完全に停止したらしく、
その場で動かなくなったマルス。
こんなときに限って、飲み込めばいい、なんて考えは出てこなかった。

「……ッぅ……、けほっ……、」
「わっ、わーっ、マルスくんっ、しっかりー!」
「マルス君!! あの、大丈夫ですかっ……!?」
「やった! 成功!!」

とうとう咳き込んでしまったマルスに駆け寄ったのは、ナナだった。
同じ位置までしゃがんで、必死に背中をさすってやっている。
キッチンの奥の方で、おろおろとしていたのはゼルダで、
ナナの少し後ろでガッツポーズをキメていたのは、ピーチだった。

「大丈夫? じゃないと思うけど、はい、お水」
「……、あ、りがと……っ、」

咳をしながら、マルスはなんとか、水の入ったコップを受け取った。
チョコレートだった物体を、無理矢理水で流し込む。

「……っ、は……、」

やがて。
口の中が正常になった、マルスの怒りの矛先は。

「……ピーチさんっ!!」

当然のことながら、ピーチに向かった。

「ああ、マルス。ありがとうね」
「え? あ、いえ……。……じゃなくってっ、何なんですか、今の!!」
「チョコレート改。」
「チョコレートの味がしたのは、最初だけじゃないですか!!」
「だから『改』ってわざわざくっつけてあるでしょ!!」
「……あ、あのね、マルスくん」

珍しく、特定の一人以外と口喧嘩をしているマルスに、
おずおずと、ちょっぴり及び腰でナナが声をかけた。
言い合いを途中で切って、マルスがナナに目を向けると、
ナナはゼルダと顔を見合わせながら、苦笑いを浮かべた。

「……ロシアンルーレット、って知ってる?」
「え? ……あ、ああ。……一つだけ外れ、っていうゲームの総称だろう?」
「うん。それをね、その、ピーチさんがね、チョコでやろうって言い出してね」
「……何を入れれば、一番、破壊力があるかというのを……、
 ……先程から、試行錯誤していまして……」

あっち。
ゼルダが、カウンターを挟んで向こう側の、リビングを指し示す。

「……」

そこには。
蒼い顔でうずくまっている、男性陣の一部がいた。
クッパにフォックス。ファルコンに、ミュウツー。
それから、テーブルに突っ伏している、リンク。
彼は甘いものが苦手だから、きっとダブルパンチだったことだろう。

そして、最新の被害者が、自分。

ようやくそこまで合点が行って、マルスは溜息をついた。

「……何を入れたか、訊いてもいいですか?」
「えーっと……。……何だったかしら?」
「確か、醤油、入れてましたよね。みりんは分離しそうだったからやめて、
 えっと……。……ああ、唐辛子。結構入れてたと思いますけど」
「わさびと辛子も入れていらしたと思います。それから……、」
「……ああ、ケチャップ入れたわね。色がちょっと変わった気もするけど」
「……たまねぎ刻んで、潰して入れなかったっけ? あれ?
 それとも結局やめたんだっけ? 上手く混ざらないから、って」
「さあ……。どっちだったでしょう……。」
「にんじんのペースト入れようって案も出たわね。どうしたかしら」
「……。」

次々と上げられていく、調味料、と食べものの名前。
ああ、訊くんじゃなかった、と、ちょっぴり涙目でマルスはうつむいた。
口の中が気持ち悪くなった気がする。気のせいだと思うけど。

というか、あのチョコレートを、誰かに食べさせる気なのだろうか。ピーチは。
それともランダムだろうか。できれば、というか絶対、二度と食べたくはない。

「っというわけで、大成功よ! ありがとうね、マルス」
「……いえ……。」

言い返す気力も起こらない。

のろのろと歩いて、カウンターの横の通路をとおって、
マルスはリビングのテーブルの、リンクの向かい側に座った。
はああぁぁ、と溜息をつくと、リンクがふ、と顔を上げた。

「……あ、よお、マルス」
「リンク……、……うん」

やはりのろのろと手を上げて、それでも律儀に挨拶をするリンク。
でもやはり、その顔色はこころなしか、悪い。……気が、する。
こっちはたぶん気のせいじゃない。

複雑そうに苦笑しているマルスを見て、リンクはああ、と頷いた。
マルスも被害にあったのか   と、察したらしい。

「……バレンタイン、だっけ」
「ああ。そーだよ。……大変そうだけどさ、楽しそうだよな」
「……うん。そうだな」

ふ、と微笑んで、キッチンで騒いでいる、ピーチ達に視線を向ける。
その視線の先を追いかけた後で、リンクはふ、と、辺りを見回した。
目は、少しうつろだ。まだ意識が飛んでいるのだろうか。

「……あれ? マルス、なあ、」

そして。
何気なく、こう、言った。


「ロイは、一緒じゃないのか?」


「……。」


何気ない、そんな言葉。今までの日常の中の、自然な疑問。
リンクを真っ直ぐに見つめる、マルスの視線を受けて、

「……あ……、」

リンクがようやく、自分が何を言ったのかに、気づいた。

「……ご、ごめん……」
「……別に……。」

途端に、微笑みが消える、マルスの顔。氷のような無表情。
怖くて、悲しい、そんな顔だった。……少なくとも、リンクにとっては。
ぼーっとしていた自分の発言の甘さに、目眩まで覚えそうだった。
ただでさえ、最近のマルスは、不機嫌だというのに。
   もちろん、向こうも。

悲しい。
二人が一緒にいないのが、こんなにも不自然に思えるなんて。
リンクは、自分の気持ちには自覚があったが、
それでもこんなふうに思えた。理由なんか知らないけど。

「……なあ、マルス」
「……」
「……何があったんだよ? ……そんな顔して、ただごとじゃないだろ」
「……」

そう、いつも、とても楽しそうだった。
マルスが笑っていた理由のおおよそが、ロイだったのだろうな、と思う。
同じくらい喧嘩もしていたけど、それだって楽しそうだった。
だから。

心配そうに、マルスを見つめるリンクの視線。
マルスには、それが少し、刺さるみたいで、痛い。

「……あいつが、」
「……?」

マルスが、ぽつり、と呟く。
言いたいのに言えない言葉たち。

「……あいつが……。……関係無い、なんて、言うから……。」
「……。」

自分の肩を抱きしめるように、マルスがうずくまる。
何て、やっかいなんだろう。人の気持ち、というものは。

キッチンから聞こえる、女の子の楽しそうな声。
もうすぐ、恋人達のお祭りだ。
それなのに、この二人だけが、町中でたった一つ、浮いていた。



   ******



「……そんなもの、なんだな」
「……?」
「……確かに、関係無いけど、……でも……、」
「……、」
「……怪我のことくらい、教えてくれてもいいだろ……。
 ……確かに、お前と僕は、何の関わりも無い、
 ……他人同士、なのかも、しれないけど……っ!」
「……な……っ、」
「……」

「……他人同士、って、なんだよ」
「……もういい」
「良くねーよ!! 俺が言ってるのは、そういうことじゃなくって……!!」
「僕には、そう聞こえるんだ。
 ……ああそうだな、僕なんか、所詮、別の世界の人間、だから!!」
「……ッ。……あんたっ……、本気で言ってんのかよっ!!」

「お前が、……お前が勝手に、気まぐれに、付き纏うだけなんだから……!!」


「……ッだから、そうじゃねえって言ってんだろ!!」



「……俺が必要無いなら、……最初から、そう言えばいいんだよ!!」


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