原因は、たったの、ひとつだけ。

   そんなはずないのに。


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ゼロ・フォーチューン
第三話  

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気にしないようにしていたつもりだったが、どうしても。
気づいたら、視線の先には、彼がいる。
自分は何か、あれ以上言いたいことでもあるのだろうか、と考えるが、
あれ以上、言えることもなかった。あれが全てだったからだ。

静かな部屋で、言った。
自分が必要無いのなら、最初から、そう言えばいい、と。
結局あの後、一度も言葉を交わさずに、今日まで。
謝罪の言葉は捜さなかったし、向こうから、何かを言ってくる気配も無い。
これはこれで、それなりに気楽だ、なんて、
そんなことを、思い始めていた。

「……」

そんなことを、思い始めて、ふと、ロイは、頭のかたすみに思い出す。
ポポから聞いた、ダークリンクの疑問。「『好き』、って、何?」という、やつだ。
少し前までなら、さらっと答えられたような気がするが。

好き、って、何だろう。
今の状態には、あまりにも合わない言葉。だからこそ、わからなくなる。
無条件で気になること。
守りたくなること。
大事に、思うこと。……どれも違う気がしてくる。

今の自分は、守りたいとも、大事にも、思っていない。と、思う。
あの人のことを、今の自分は、いったい、どう思っているんだろう。
嫌いとか、憎いとか、そうじゃない。
ただ、顔を合わせたくない。……だって向こうは自分に対して、迷惑だ、と言ったのだから。
現に自分も会いたくないし、だったら好都合じゃないか、と、
だから突き放して、睨むように見て、それだけだ。
なのに気づけば視線は、彼を追いかけていたりして、……でも好き、じゃない。
そう思いたい。

ただ、向こうが、自分を、『迷惑だ』、と言ったのは、事実だ。
向こうが悪い。
だから自分が謝る理由は無く、向こうを気にする理由も無い。
視線が彼を追いかけるのは、
……今、庭には、彼しかいないから。それだけ。

庭の隅の、四角い花壇に、青い髪の、あの人が、いる。
ロイはぼんやりと、ずっと、マルスを見ていた。曰く、理由も無く。
そう、理由なんか。動くものが、気になるだけだ。……それだけ。

くだらない。考えるだけ、無駄だ。
そう、自分の中で解決して、はあ、と溜息をついた、瞬間。

「……イ、ロイ?」
「っ! ……え? ……あ、」

ようやく自分が、呼ばれていることに気づいた。
ソファーに座り、窓の外をぼーっと見ながら、物思いにふけっていたので、
どうやら今まで気づけなかったらしい。自分でも、唖然とした。
……最近、どうも、こういうことが多い。頭のどこかで、ボケたかな、とぼんやり思う。
見上げてみると、そこにいたのは、呆れたような、青年の顔。

「……リンク」
「どうしたんだよ、ボーッとして。何か、いたのか?」
「……」

言えるわけがない。

いくら何でも、とっくにもう、気づいているだろうから。
ロイとマルスが、仲違いをしていること。

「……別に。」
「…………。」

適当に、そっけない返事を返す。不満そうな、リンクの顔。
そんな顔にはまったく構わず、ロイはいつものように、ぱっと笑った。
表情の切り替えに少し驚くリンクにも、まったく構わない。

「で、何だよ? 何か、俺に用か?」
「……いや……、別に、用事って程でもないんだけど……」
「……?」
「……あの、さ。……あいつ、最近、元気、無いだろ」

あいつ。
そう、ぽつりと呟いたリンクの視線の先には、彼がいた。
青い髪が、冬の風に、揺れている。
外は相当寒いだろうに、マルスは庭の隅の花壇の、世話をしてやっていた。
遠くから見る限りでは、その花壇は、ただの土ばかりのように見えるのだが。

彼を示した、リンク。これは、リンクのいやがらせなのだろうか。
どうして自分は、考えるだけ無駄だ、と、さっき解決した人について、
今更第三者と、話なんかしているのか。

「……で?」
「……お前なら、何か、知ってるんじゃないか、と思ったんだ。それだけ」
「さあ? ……俺は、知らねーよ」

半ば、意地になって答える。
そう、自分は何も知らない。


「あの人、いつも、俺には何っにも、言わねーんだから……   


何も、知らない。
何も、言わないから。


「……え……?」


そう、言った瞬間。
ふと、ロイの動きが、言葉と一緒に止まる。

「……」
「……ロイ?」

訝ったリンクが、怪訝そうに尋ねても、ロイは反応を示さない。

「……俺……、」
「……?」

ゆっくりと、まばたきを繰り返す。驚いたように、目を見開いて。
そんな顔をする理由が、リンクには、わからない。
ロイの心の中だけが、荒れていた。
何か、大変なことに気づいたような気がする。

マルスと、あんな言い合いをした、理由は。
彼が、自分に、ひどいことを、言ったから。

それだけだと思っていた。そう、今までは。

深く考えることもせずに。

「……」

いい加減、迷惑、だって。
マルスは、そう言った。なら、どうして普段、そう言わなかった?
彼は普段は、そんなことを言わない。
自分の意志で人を無意味に傷つけることなんて、絶対にしない。
普段は絶対に言いそうもないことを、どうしてあの時に限って、言ったのだろう。
あの人は。
何で、あの時に限って。   あんなに、不機嫌だった、理由は。

「……おい、……ロイ?」
「……!」

何か、思い当たった気がして、ロイの胸の中が、凍りつく。
リンクの声は、耳に届かなかった。ロイの目は、見開かれたまま、床を見つめている。


以前までを思い出す。
そう、あれは。
やっぱり、マルスと、些細な喧嘩をしたことだった。
あの時は、ほんのいつもの、痴話喧嘩だったけれど。
喧嘩の理由も、ちゃんと、覚えてる。

マルスが何か、ひどく悲しそうな顔をしていたから。
なのにそれを、必死で隠そうと、ごまかしていたから。

何も、言わなかったから。

   信じてもらえてないのかと、悲しくなって。


「……。」

急に、不安になった。自分が、ひどい卑怯者のように思えた。
リンクが、怪訝そうな顔をするくらいに、ロイは混乱していた。

喧嘩の原因。
こんなに、複雑にこじれてしまった、理由。
たったひとつだけだと思っていた。
……そんなはず、ないのに。

部屋の静寂。……いやに、重い。

「……物事には、表と裏がある、か」
「……リンク……、」

やがて。そんな静寂を、拒否するように。
ロイの様子を見ていたリンクが、視線をどこかにずらして、ぽつり、と呟いた。
それにようやく反応したロイを、リンクは再び、やや冷めた目で見つめる。
そして、呆れたように、溜息をつく。お人好し、という言葉、そのものの表情で。

「お前に言ったんじゃねぇよ。
 ……。あ、……そういえば、ロイ」

自分は他人だ   とでも言うような、リンクの態度。
それが今は、ほんの少しだけ、ありがたかった。

「ナナが、探してたぞ」
「……へ?」
「何か、お菓子作りがどうこう、とか。訊きたいことがあるらしいけど」
「……え……。……あ、ああ……。」

急な話題転換に、頭がついていかないロイに、リンクはすらすらと言う。
『そういえば』、ということは、見かけたら言っといて、くらいの用事なのだろうが。

「じゃあ、確かに伝えたからな」
「……ああ……、……って、あ、ちょっと、待っ……!」

思い出した用事もしっかり済ませて、さっさと踵を返すリンクを、
ロイは慌てて呼び止める。ソファーから、転がるように立ち上がって。

「?」
「……あの……、……さ……」

不思議そうに振り返るリンク。
気まずそうに、窓の向こう、庭の隅の花壇にいる、彼を見る。
居心地が悪い。……だって。

「……あの人……。……元気、かな……。」
「……? ……何言ってんだ? お前」

怪訝そうに、リンクはロイを見ている。
変な質問だということくらい、わかってる。

「お前の方が、オレなんかよりずっと、あいつのこと、わかってるだろ?」

「……。」

そう。
それなりの時間を重ねて。
それなりにわかっていた。
わかっていたのに、傷つけた。
   ほとんど、売り言葉に買い言葉で。

庭の隅の花壇。
白い手を口元によせて、温めながら。

一人で立つ、彼が、いた。


   *


「……っ、寒……、」

首元を撫でた冷たい風に、マルスは思わず、声を漏らした。
手を口元によせて、息を吹きかける。
根本的な解決にはならないが、少しは温かくなるだろうと思って。

庭の隅の花壇。
の、前で立ち止まり、目を向ける。焦げ茶の土だけがあるように思えるが、
よく見てみると、ちらほらと、緑色の芽が顔を出している。
安らいだ表情でそれを見つめるマルスは、ふと、何か視線を感じて、首をかしげた。
何だろう、と思って、辺りをぐるりと見回してみる。
すると。

「……、」

窓の向こうに、ロイとリンクが、いた。
碧の瞳が、何か、こっちを見て   感じた視線は、ロイのものだったようだ。

マルスが視線に気づいた途端、ロイは、ふい、と顔をそらす。
その動作がますます気に喰わなくて、マルスも一瞬後に、目を花壇に向け直した。
いらいらする。
自分は何も悪くないのに、どうしてこんなに苛立つんだろう。
そんなことを思ってしまい、マルスの苛立ちは更に増した。

あの言い合いをした日から、ロイとは全く喋っていない。
どうしても用事ができてしまった時だけ、一言二言の、短い会話をする。
それも、「ああ」とか「うん」とかで終わるくらいの、短さ。
到底、「喋った」、という範囲には含まれなかった。

何でこんなに、ロイのことで苛立たなければならないのだろう。
浮かんでは消えていく疑問は、ほとんどそのようなことばかり。
何が原因なんだろうと、マルスは、あの言い合いのことを、無理矢理思い出す。

迷惑だ、と思ったから、迷惑だ、と言った。
ただ、それだけだ。
そうしたら向こうも、了承したような言い方をしたから、
それならそれで楽だと思った。……それだけ。

何も、疑問に思うようなことも無い、単純な原因だ。
悩んでる方が馬鹿馬鹿しいと思い、マルスは溜息をついた。

「……マルスさん?」
「?」

そんなマルスを、呼んだ声。思考にふけっていたマルスは、突然のことに目を見開く。

「……ポポ」
「あ、ごめん、……いきなり声かけたら驚く……よな」

振り返ってみると。
ポポが、少し困ったような顔で、こちらを見ていた。

どうやら、脅かしてしまったと思っているらしい、後ろめたそうにしているポポに、
マルスは難しい顔をやめて、ふわりと微笑みかける。
綺麗な顔をしているくせに普段が無愛想なために、時折こういった顔をすると、
相手はますます混乱するのだと、マルスは当然、知るはずも無かった。

「驚いたわけじゃないよ。……大丈夫」
「え……。……あ、いや、うん、その……。……ごめん、なさい」

大丈夫、と言っているのに。
自分のせいであるとは知らず、謝るのは、ポポの素直さのせいだと思い込む。
苦笑するマルスの隣に、ポポはふ、と歩み寄ってきた。
黒い瞳は、花壇に、そして、続いてマルスに向けられる。

「? 何だ?」
「……。……え……っと。……ちょっと、話でもしようかな、と思って……」
「話?」

少しの時間の後で。
ポポは、ようやく見つけた話題を、ふった。

「ダークに、訊かれました?」
「え?」
「……『好き、って、何?』、って……」
「……」

純粋な疑問、というよりは、どこか詮索を含むような表情だった。
ポポの質問に、マルスは言葉を少しの間、失う。
そうだ、確かに、訊かれた。好き、って、何? って。

確かあの時は、変な感情にかられて、答えずに逃げ出してきた。

「……訊かれた……、けど、それが、どうかしたのか?」
「……」

あの時の心の中を悟られないように、注意深く。
マルスはあくまでも、「いつも」を装って、答える。
そんな態度のマルスに、少しの疑問を感じたらしい、ポポの表情が変わる。
何かを訊きたいけれど、訊けない。そんな顔だった。

マルスから目をそらして、あれこれと考えている様子を見せるポポ。
ポポが考え終わるのを、マルスは大人しく、待っている。
やがて。

「……いや、マルスさんって、好きな人とかいるのかなーとか思って」
「……え……。」

こんな、質問をされた。
予想していなかった、あんまりにも意外な質問。
マルスは今度こそ驚いて、目をまるくした。

「……好きな、人、って……」
「あ、いえっ、やっぱ何でもないですっ、すみませんっ!
 答えにくいっていうか、答えたくないですよねこんなの」

ゆっくりとまばたきをしながらポポを見るマルスに、ポポはあたふたと返事をする。
これじゃあ何だか、マルスをそういう意味で好き、みたいじゃないか。
俺はノーマルだ、と、どこかの誰かに言い訳をしながら、
ポポは一応、落ち着きを取り戻した。

「いえ、あの、マルスさんって何か、……何て言うんだろう、こう……。
 俺とは違って、大人びてるっていうか。
 だから、マルスさんみたいな人がどんな人好きになるのか、気になったんです」
「……僕は、ポポのことも好きだけど?」
「……っ」

こくん、と首をかしげて、ポポを覗き込むマルス。
そんなカオでそんなコト言われて、その気が無くてもドキッとするくらい、
仕方が無い。と、思いたい。
ごめんナナ、ごめんナナ、と、何故かナナに心の中で何度も謝るポポ。
鈍感も過ぎれば問題だと、ポポは真っ赤な顔でマルスを見ながら、思った。

「……いや、だから……」
「……?」
「……あー、もう本当、何でもないんです。
 すみません、一人で勝手に慌てて」

自分が何を言ったのか、マルスはちっともわかっていない。
……やっぱり、鈍感っていうのは、たいした問題だ。ポポは、溜息をつく。
そして。
ポポは今度こそ落ち着きを取り戻した様子で、世間話レベルのことを喋り出した。
マルスは、それを聞いている。何で慌てていたんだろう、と思いながら。

「本当は、あいつに訊いたんですけど。知らない、って言うし」
「……あいつ?」

それは、自分のことを?
そういう顔をしたマルスに、ポポは頷く。

「うん。……ロイに、一度。」
「……」

その、名前が出て。マルスは思わず、顔を強張らせた。

「……どう、して、」
「んー……、……マルスさんって、ロイに何でも話してるイメージがあったから」
「……そんなこと、ないよ。
 ……僕は……あいつには、別に、何も」

話したりは、していないから。
静かに、そう続けた。

「……、」

何も、話していない。自分は、あいつに。
そう、声にして、かたちにした、瞬間。

「……ぁ……、」
「……マルスさん?」

マルスの顔が、凍りついた。   何か、重要なことに、気づいたように。
ポポが、驚いた顔でこっちを見ているのにも気づかず、唇に、指を寄せる。

自分の言ったことを、頭の中で反復する。
今、何て言った? 何も、話さない、って。
そう、いつもそうだ。
自分はロイに、何も話してはいなかった。
そのたびに、悲しそうに。
もう少し、話してくれてもいいだろ、と言うのを、知りながら。

何か、大切なことを見落としていた気がする。
マルスは、あの日、こんな状況を作った、ロイとの言い合いを思い出す。
ずっと、向こうが悪いと思っていたけど、
でも。

「……っ……!」

どうして、自分本位でしか考えていなかったのだろう。
今になってみてようやく、マルスは冷静に、あの日のことを考える。

なんで。
あの日に限って、冷静になることができなかったのか。
少し考えればわかったようなことなのに、
ここまで事態がこじれて、やっと気づいた。


物事には必ず、表と裏がある。一つのことに、二つのできごと。
喧嘩の原因が、一つであるとは、限らない。……わかっていたはずなのに。


向こうが悪い。
でも、向こうだけじゃ、ない。


傷つけて。


「……、」
「……マルス、さん? あの……、」
「……っ、あ、……ご……めん……」

ポポの声に気づき、反射的に謝った。ポポは不思議そうにこっちを見ている。
不安を隠せていない、声。……自分が今、どんな顔をしているのか、見たくなかった。
そのまま言葉を失ったマルスに、ポポはふ、と微笑む。

「……マルスさん、昨日の夕飯」
「……え?」
「かぼちゃの煮物。おいしかったですか?」
「……え……。……あ、……うん……」

素直に頷くマルス。
ポポは、にっこりと笑う。

「そっか。だったら、良いんだけど、」
「……」
「……元気、出してくださいね。
 マルスさんが元気無いと、ロイが心配しますから」
「……」

じゃあ、俺はこれで。
そう言って背中を向けたポポは、屋敷の中へ入っていった。

「……」

その、背中を、視線で追いかける。
視線の先にはもう、ロイはいない。

喧嘩の原因が、たった一つでないとしたら。
なんて自分勝手な理由で、向こうを責めていたのだろう。
罪悪感で、いっぱいになる。
傷つけた。
とても、わがままな、独りよがりの、被害者のふりをして。


容赦無く、ふいに吹いてきた、冷たい冬の風。
指の先が冷たくなっていることに、マルスはようやく気づいた。


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