彼の“世界”は、等しく戦いが起こりやすい仕組みだった。
誰かが治め、だから反乱も起こり、そして反乱を鎮める必要もある。
だから彼は、“世界”に呼ばれれば必ず帰るし、
帰った先で、怪我なんかしてきたって、おかしくはなかった。

そして赤い髪の彼は、あの日の少し前、大した怪我をして帰ってきた。


失うことを何よりも怖がる青い王子が、
一体その事実を、どう捉えてしまったのか   


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ゼロ・フォーチューン
第二話  

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「……『バレンタインデー』……?」
「うん、そうだよ」

朝のキッチン。
ボールの中身をしゃかしゃかとかき回しながら、ロイは隣のナナに尋ねた。
ナナは、焼きあがったオムレツを皿に載せながら、
ロイの問いに、丁寧に答える。

「最近、商店街が、ピンク色だったりするでしょ?」
「そうだな、……うん」
「この“世界”の風習らしいんだけどねー。
 好きな人に、チョコレートとか、そういうのを渡す日なんだって」
「……へえ……、」
「チョコじゃない人もいるみたいだけど……。
 ……まあ、手作りの何か、が、主流なんじゃないかなぁ?」
「……」

よくわからないんだけどね、と言うナナの顔を見ながら、
ロイは二、三日間の記憶をたどる。
紙袋に、板チョコがいっぱい詰まっていたり。
慣れない編み物に挑戦してたり、女性陣が妙にそわそわしていたり、

「……ああ、なるほどな。それでか……」

ようやく合点がいった。

溶いた卵を、フライパンに流し込む。
次の疑問は、無意識に、すんなりと口から出た。

「……ところでナナ、それって、女の子のイベント?」
「え?
 ……さー、どうなんだろう……。それって、男の子があげる、っていうこと?」
「うん、そうそう。……誰かに訊いてみよっかな……」
「誰か、あげたい人がいるの?」

ナナの疑問も、話の流れから考えれば、ごく当たり前に生まれたものだった。
そういうことを気にしていたわけじゃなかった、
……のに。

今自分はどうして、こんなことを訊いたんだろう。
ロイの心の中に、何か、言葉にできない気持ちが生まれる。

「……」
「いいなあ、その人。ロイくんのお菓子、おいしいもんね」

ちょっと羨ましいかも、と、ナナは笑いながら言った。
ロイはその隣で、言葉を失って。

「……ロイくん?」
「え? ……あ、うん、……サンキュ……、」

隣から、ひょっこりと覗き込んできたナナの顔を見て、慌てて笑った。
この気持ちの名前を、何と言うんだろう。

一体、誰を思って、こんな言葉、口にしたんだろう。

「……そうじゃなくて、フライパン……」
「……え、あ、やべっっ!!」

焦げ始めていた卵を慌ててかき回した。

キッチンの冷蔵庫の中には、チョコレートがいっぱい、入ってる。


   ******


「……うっとうしくなってきた」

ぱりぱりと、ほっぺたの電気ぶくろに電気を溜めながら、ピカチュウ。
リンクはその不吉な音とセリフを聞いて、ちょっとびくびくしながら言った。

「……わかったから、……人の頭の上で電気溜めるのはやめろ……」
「うん。……わかってるんだけど、ほら。
 ストレスが溜まると、勝手に電気も溜まっちゃうっていうかー」

かなりわざとらしいピカチュウの言い草に、リンクは溜息をつく。
何だかこのままじゃ、うっかり10まんボルトでも喰らってしまいそうだ。
……勘弁してほしい。

ピカチュウをなだめながら、リンクは正面に顔を向ける。

「……で?」
「……」

何故か自分の部屋にぼーっと突っ立っている、
……ダークリンクが、そこに。

少し嫌な顔をしながら、それでもリンクは訊ねる。

「お前はどうしてさっきから、そこにいるんだ?」
「……教えてほしいことがあるのだが」
「は? ……教えてほしいこと?」
「ああ」

少し長めの銀髪を、うっとうしそうに後ろに追いやり、
ダークリンクはリンクをじっと見つめた。
……どうもこう、ダークリンクの凝視というのは、何だか落ち着かない。
リンクは極力視線を外しながら、一応、話を聞く体勢に入る。

ダークリンクの「訊きたいこと」とは、いたって簡単だった。

「『好き』、とは、何だ?」

「……はい?」

ぽかん、と間抜けな顔をして、リンクは思わずダークリンクを見た。
頭の上のピカチュウは、平然としている。
リンクが呆気にとられている理由が、ダークリンクにはよくわからなくて、
ダークリンクは、不思議そうに小首を傾げた。

「……『好き』、って」
「だから、それは何なんだ、と訊いている」
「……。……えーと……、」

好き、というのが、何か、なんて訊かれても。
……ああそうかこいつ、影から生まれた魔物だもんな。
時々忘れるけど。
だからこいつは、恐ろしくものを知らないんだ。確か。
頭の中を、ぐるぐるぐるぐる考えが巡る。

リンクは、頭の上のピカチュウに視線を向けた。
どうしよう、と言わんばかりの目で。

「……『好き』、ねえ」
「……」

ピカチュウもまた、珍しく考え込んでしまったらしい。
首をかしげて、うーん、とかわいらしい声を出す。

おそらくそれは、人によって、異なるだろう。好き、というのは。

「……誰かが何かを、特別に思う気持ち、……かなぁ……?」
「……そうなのか?
 ……それじゃあ、俺の、勇者に対するのも、『好き』なのか?」
「……いや、それは、違うと思うけど……」

それは多分、いわゆる憎しみとかそういうものだ。
リンクは、ダークリンクのそんな台詞に、頭痛でもしたのか頭を抱えている。

気を持ち直して、リンクは顔を上げた。
何だか疲れてる気がするが、たぶん気のせいだろう。

「……あのな、ダーク」
「? 何だ?」
「……説明できるものじゃないよ。悪いんだけどさ。
 オレも実際、よくわかってないしな」
「……人間に、わからないものがあるのか?」
「あるよ。……ていうか、わからないものの方が、多い」

やや、苦笑気味に。
本当に、いつだって思う。

「全部わかるんなら、全部言葉にできるんなら、簡単なのにな。
 ……そうもいかないから、落ち込むし、喧嘩だってするんだよ」

「……」

ダークリンクを見ながら、静かに言った。
リンクを見ていたダークリンクが、ふ、と目を閉じる。
銀髪をうっとうしそうにかき上げて、リンクに背中を向けた。
部屋の出口、扉に向かう。

「どこ行くんだ?」
「……どこでもいい」
「……。」

あんまり答えになってない。
……まあ、どうでもいいか。

ダークリンクは、ちら、と一瞬リンクを振り返ると、扉を静かに開けた。
その間に身体を滑り込ませて、静かに部屋から出て行く。

「……」
「……」

部屋が静かになった、少し後で、
……ピカチュウが、口を開いた。

「……全部言葉にできるなら、……かあ……」
「……何だよ」

リンクの頭に、ぺったりとしがみつく。
ピカチュウの頭をぽん、と軽く叩くように撫でた。

「……本当に、そうだねえ。
 好きだって簡単に言えれば。思ってるひとは自分じゃないって納得できれば。
 気持ちが、一つの答えできちんとおさまれば。
 ……誰も、苦しまないのにねえ。悩まない」
「……。……そう、だな……」

ピカチュウを頭にのせたまま、立ち上がる。
ダークリンクは、子供のように疑問を心にいっぱい抱いたまま、
どこへ行ったのだろう。


   ******


ダークリンクは、屋敷の中をぼんやりと見て回った後、庭に向かった。
子供達の高さで作られたブランコが、キィ、と音をたてて、小さく揺れている。
そちらにゆっくりと足を運んだ。

「……あ……、」
「……」

小さなブランコに座って、どこを見ているわけでもなく、ボーッとしている、
マルスが、そこにいる。
マルスはダークリンクに気づいて、ふ、と、その場で止まった。
ブランコの紐を、無意識に強く握った。
ダークリンクのことは、少し苦手だった。

それでも、王子という身の上の為なのか、
いつだって、人を迎える準備は自然とできている。

「……どうしたんだ?」

微笑み、マルスはダークリンクに問いかけた。

しかしダークリンクは、常の如く、沈黙を守っている。

「……」
「……ダーク?」

不思議そうに首を傾げて、マルスは再度、問いかける。
口を開いたダークリンクが次の瞬間、呟いた疑問は、

確実に、マルスを惑わせた。

「……『好き』というのは、」
「……え?」
「……お前の……、赤い剣士への視線が、そうだと思っていたのだが」

赤い剣士。
これが誰のことを指すのか、……今は一人しか、思い当たらない。

「……違うのか?」

「……、」

ブランコの紐を、ぎゅっと握る。

手が汗ばむ。
頭のどこかが痛んで、気持ちが悪い。
胸の鼓動が、速くなる。
……誰かの背中が、頭のかたすみにちらついて。

必要無いと、
迷惑だと、
自分からそう言ったはずなのに。

どうして、一体誰が、自分をこんなに苦しめるんだろう。

どうして、こんなに痛いんだろう。

「……ごめん……っ」

すっとブランコから立ち上がって、何とかそれだけ、言う。
ダークリンクの顔を見ずに、横をすり抜けた。
純粋なその瞳から、逃げるように。

どこかへ走り去るマルスの背中を、ダークリンクは視線で追いかける。

「……」

自分はただ、訊いただけだ。
知らないことは訊けばいいと、言われたから。
手っ取り早いと思って。

「……あいつに、訊いた方が、早いか……。」

紫色の防寒着を着た、茶色い髪の青年。
彼もまた、パートナーという名前の、恋人がいる。

目的の人を探して、ダークリンクはその場を離れた。


ブランコが、まだ、小さく揺れていた。





   ******





夕方の商店街は、とりあえず、人が多い。
いつものスーパーで、カートを押して、ロイはポポと、歩いていた。
今日の買い物当番は、本来なら、ポポとリンクなのだが、
リンクには、前、代わってもらったから、今日はその借りを返しているのだ。

「なあー、ポポ」

買い物当番、ついでに、食事当番でもあるポポに、
ロイは尋ねる。

「ん? 何?」
「今日の夕飯。何なに?」
「んーとね、かぼちゃの煮物」
「……かぼちゃ?」

そういえば、野菜のコーナーに向かっているような気がする。

「……かぼちゃねえ。ふーん」
「あれ。嫌いだっけ?」
「……いや……。」

にんじんの隣に置いてある、かぼちゃ。
何だか、何かを思い出す。

「……マルスさんがさ、最近、ちょっと元気無いみたいじゃないか。
 それで、前マルスさん、かぼちゃの煮物おいしいって言ってたから、
 また、作ろうっかなーと思ったんだよ」
「……。」

ポポが、少し悲しげにそんなことを言った時、
思い出した何かは、確実なものになった。

自然に、表情が曇っていく。
消えない怒りと、何か、言葉にできない気持ち。

「……ロイ?」
「……え? ……ああ、」

うつむき加減だったところ、下から覗きこまれて、声をかけられる。
ちょうど、朝と同じように。
つい、暗い顔になっていたのを、慌てて笑顔を取り繕う。
自分から突き放したのに、
自分が気にすることは、ないんだと。

「……何でもないよ」
「……そうか? ならいいけど、」

そういう顔してると、皆気にするよ?
そう言われて、更に、黙り込む。


どうして、一体誰が、自分をこんなに苦しめるんだろう。


彼と一緒にいて、楽しいことも、苦しいことも、痛いこともそれなりにあった。
それに少し、嫌気がさして、
あれはちょうどいい、きっかけだったんだ。
突き放されるふりをして、突き放した。

楽しいことも、
それなりにあったのだけど。


思考を断ち切って、ポポの方を振り向く。

「……ポポ、」
「ん?」
「かぼちゃ、これでいいのか?」
「え? ああ、うん。それでいい……、……あ。そういえば、」

手渡されたかぼちゃを、カゴに入れて、ポポはふと、顔を上げる。
ちょっと面白そうな、そして不思議そうな顔で、ロイに言った。

「ダークにさ、ヘンなこと訊かれたよ」
「ダークに? ……変なことって?」
「うん。『好き』って、何? だってさ」
「……は?」

思わず、間抜けな声が出る。

……『好き』って、『何』?

「……好き?」
「うん、そう。『好き』。俺に訊く前に、もう何人かにも訊いてたみたいだったな。
 誰に訊いてもわからなかった、って言ってたから」

あいつ、最近、変わったよな。
そんなポポの声が、右から左に流れていく。

「……それで、」
「ん?」
「……ポポは、何て、答えたんだよ」
「俺? ……えー? ……んっと……、」

照れくさそうに、頬をほんのりと赤く染めて。
ひどく幸せそうな、そんな顔で。

「俺の、ナナに対するのがそうだよ、って言っといた」

「……。」

何か、刺されたような、

痛みが胸に募る。
こんな風に、痛くなるのは、誰のせい、誰のため?





自分は悪くないと、信じているのに。
そんな顔をされると、どうしても途惑う。心配になる。



どうしてだろう。自分に原因が無いのなら、心配になんか、なるはずがないのに。


認めたくない。
自分は悪くない、……あれだけのことを言われて、許せるはずが。


「……イ、ロイ?」
「っ……、」

ポポが自分を呼ぶ声で、ロイは、はっと我に返る。
慌てて見れば、大丈夫かー? なんて言いながら、心配そうな顔を向ける、ポポがいて。
ごめん、と言って、ロイは、カゴの中のかぼちゃに、そっと触れた。


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