例えばそんな日。/その2
妙に静かだ。それもこれも、毎日のように押しかけてくる奴がいない所為か。
がたんっ、
……リビングのテーブルに置いてある花瓶が、飾ってあった花ごと倒れる。
ちなみに、花の色はオレンジだ。
「……あ」
「……はい、マルスさん」
もはや溜息もつかず、ピカチュウはマルスにタオルを手渡す。
ごめん、とピカチュウに一言謝ると、マルスは倒した花瓶から零れた水を拭いた。
遠くから見れば、熱心に拭いているように見えたかもしれない。
マルスはやはりぼーっとした目で、機械的に零した水を拭くと、
水を入れ換えようと思った。
花瓶を持ち上げようとしたマルスの手を、フォックスが止める。
「俺が換えといてやるよ、水」
「え? ……でも、零したのは僕で……」
「いいからさ、な? それより、床に水が零れてないか見てくれよ。
滑って転ぶと危ないからさ」
「……はい……」
青い髪を揺らせながら、こくん、と頷く。
あの赤い髪の少年が見たら、かわいいかわいいなどと連呼しそうな仕草だ。
マルスがかがんで、テーブルの下を覗きこむ。
フォックスはそれを見、気づかれないように溜息をつくと、花瓶を持って台所に入る。
「……『今のお前にまかせたら、花瓶割りそうだからさ』」
「……でも、ピカチュウもそう思うだろう?」
後ろからピカチュウがついてきていたらしい。
「うん、まあね」
「……で、マルスがあーなってる元凶は? 何してるんだ?」
「五分前のピチュー曰く、二人で仲良く猫と遊んでいた、……だって」
「……へぇ」
レバー式の水道。レバーをつまみ、下に押し込む。
静かに流れる水が、花瓶を満たした。レバーを上げて、水を止めた。
「……どうするんだ?」
「ちょっと面白いからほっとく」
「……このままだとあいつ、屋敷中のものを壊しかねないぜ?」
「そしたら、それはロイさんのせい」
淡々とピカチュウは告げる。
「ついでに言うと、マルスさんのせいでもあるし。僕達には関係無いかな」
「……いや、そりゃそうだろ」
実際、加害者はマルスなんだし。
フォックスが言うと、ピカチュウは、そうじゃなくてね、と告げた。
「寂しいんなら、何か言うべきなんだよ。
気持ちって言うのは、態度で示さなきゃ伝わらないから」
「……。……でもさ、ピカチュウ」
「なあに?」
目を丸くして、首を傾げる。
「……あいつさ、……わかってなさそうだぜ? ……その、」
「……。 ……まあほら、」
ドアの外、少年と『美女』の楽しそうな笑い声が聞こえるたび、
マルスがぴくん、と反応を示す。
面白く無さそうに顔をしかめ、その後、視線がぎこちなく宙を見つめる。
「マルスさんはそういうキャラだから」
「……」
煮え切らない顔でドアを見つめた後、
……ばんっ、と乱暴にドアを開け放ち、どこかへ行ってしまった。
その後を、ピカチュウとフォックスがじっと見ていた。
はたして彼は、
自分の気持ちがわかってないのか、
自分の気持ちを認めたくないのか、
どっちなのだろうか。
*****
「……何なんだ、あいつは」
リビングを去った後、マルスは、屋敷の庭に来ていた。
大きな樹の枝からぶらさがっている、マリオとルイージ特製の、木のブランコ。
紐を持たず、腰だけ降ろし、足で軽く地面を蹴りながら、ゆらゆら揺れる。
豊かな葉が作り出す日陰が、少し暑い今日という日には、心地良い。
マルスの白い肌と青い髪を、葉の間からの木漏れ日が、ちらちらと照らす。
ギィ……と、枝のきしむ音がした。
「……買い物に出かけたと思えば、……急に怪我して帰ってきて……、
……随分元気そうにしてるし、……それに、」
小さな声で、ぽつりぽつりと呟きながら、
ふ、と上を見上げた。
「……猫なんて……助けるから……」
猫という生き物は、いたくバランス感覚に優れた生き物だ。
いくら子猫だとはいえ、放っておいても問題はあまり、無い。
落ちたとしても、そのバランス感覚で簡単に着地する。
ロイが枝から落ちたとき、わざわざかばったりしなくても、子猫は助かった。
……が、きっと、マルスが問題にしているのは、そこじゃない。
「……僕じゃなくても、……いいくせに、……」
やはり煮え切らない顔で、葉の間から空を見上げる。
爽やか過ぎる程に晴れ渡る、青い青い、空。
「……あのバカ、」
いつもは、しつこいくらいにくっついて来るくせに。
自分がちょっと怪我をしたら、過保護なまでに看病するくせに。
ヨッシーの背に乗せられて帰ってきた時、
慌てた様子でロイを覗き込んだ、自分に対して、彼が言ったのは。
『心配しなくていいよ、大したことないから』
「……大丈夫な……わけ、ないだろ……」
自分でさえ聞こえない程、小さな声で。
口に出したら、いよいよ腹が立ってきた。
この苛立ちを、どこにぶつけていいのかわからず、
感情にまかせて地面を蹴りつける。
すると。
「っ!? わっ、……っ!!」
紐をつかんでいなかった為、 マルスの身体が、後ろに倒れる。
「 ッッ!!」
視点がぐるりとひっくり返り、
これから襲ってくるであろう痛みを予測し、目を反射的にかたく閉じる。
……が。
「……何やってんだ、お前……」
「っ……、……え、」
予測した痛みも衝撃も、来なかった。
かわりに、優しい声が降って来る。少年らしさが大分抜けた、落ち着いた声。
「大丈夫か? ……コレ乗るときは、紐はちゃんと持てよ」
「……リンク……」
自分の身体は、後ろからリンクに支えられていた。
閉じていた目を開けると、……リンクと目が合った。
*
リンクは、マルスの目の前に座った。芝生は、やわらかくて気持ち良い。
マルスは、やはりブランコに乗っていた。今度はしっかり、紐を握って。
「……ふぅん……、」
「……」
何となく、リンクに訊かれると、何でも話してしまう。
それは彼がどことなく、何でも包み込んでしまいそうな、やわらかな雰囲気を持っている為だろうか。
自分がうだうだと考えていたことをとりあえずリンクに述べてみて、
マルスは紐を握ったまま、軽くブランコを漕いだ。
しばらく難しそうな顔をして、リンクがマルスをじーっと見つめる。
何を言われるのかとどきどきしていると、
……急に。
「……はは……、」
「……?」
「……ごめ、……マルスらしっ……。 ……あはは、ははっ」
「……」
……笑い出した。
今まで必死で堪えていたらしい、お腹を抱えながら、飽きるまで笑っている。
時々マルスに、ごめんと謝りながら。
「……笑うなっ!」
「あはは……、ああ、ごめんマルス、うん……」
面白くなさそうに、ついに怒鳴るマルスに、リンクが必死で笑いを止めようとする。
何度か深く息をした後で、リンクはマルスに、言った。
「……マルスはさ、結局、何に怒ってるんだ?」
「……別に、怒ってなんか……」
「怒ってるだろ。……それは、誰に? ロイか? 姫様か?」
「……」
居心地悪そうに、視線を泳がせるマルス。
別に、今答えなくてもいいよ、……ゆっくり考えて、と、リンクは言った。
待つのは嫌いじゃないから、と、そうも言った。
「……わからない、……けど」
「……」
マルスが、小さく、ぽつぽつと呟く。
「……ただ……」
「……」
「……いつも……あいつが来るから、……今はいないから……、
……あいつは自分に心配するななんて言うし、なのにゼルダさんとは……」
「……」
「……」
ぎぃ……、と、枝のきしむ音が聞こえる。
手製のブランコの、揺れる音。
「……マルス、」
「……?」
うつむいたマルスが、顔を少しだけ上げる。
何て無防備な顔をするのだろう、彼は。
少しだけ、どき、と心臓が脈打って、……でも彼は、自分のものではないから。
「……あいつの見舞い、行った方がいいんじゃねーの?」
「……え?」
「だってマルス、そんな風に行ってるけど、今日ちゃんと、あいつには会ったのか?」
「……朝に、ちょっとだけ……」
「ちょっとだけ? ……何か、話は?」
「……した……けど、そんなには」
「……マルス、……どっかの誰かの受け売りなんだけどさ、
……気持ちは、“言わなきゃ伝わらない”んだって」
「……」
微笑んだまま、それでも芯のしっかりとした、強い微笑みで、言う。
木漏れ日が、彼の金色の髪を、ちらちらと光らせて。
「マルスがそんなに頑なにあいつを拒んだら、あいつだって、伝えたいものが伝えられないだろ。
……お前も、あいつに会わなきゃ、伝えられないだろ?」
「……僕は別に……伝えたいことなんか、……あいつだって。
……ゼルダさんと一緒にいて……楽しそうだったから……」
風に、葉と髪とが揺れる。
「……いいじゃねーか、その……いつもみたいにさ、『バカ』でも何でも、言ってやれば」
「……」
「それに、マルスはあいつじゃない。
マルスがそう思ってなくても、あいつはそう思ってるかもしれないだろ?」
「……」
リンクが、ゆっくりと立ち上がる。
腕を組んで軽く伸びをし、マルスは、その動作をじっと見つめていた。
マルスの視線に気づき、リンクが笑った。
「食べ物で釣るとか、そういうずるい手でもいいから。
少しだけ、姫様には立ち退いてもらって。……あいつと話してみろよ、マルス」
「……」
「たまには、『お前があいつと一緒にいる』のも、いいと思うぞ? オレは」
それは、ほんの少しの、ニュアンスの違い、
だけれど。
「……リンク、」
「うん?」
ぎっ、と音がたつ。マルスが、ブランコから立ち上がった。
その顔にはまだ少しだけ、迷いがあった。
「……よくわからないけど、」
「うん」
「……バカって言ってくればいいんだよな」
「……へ?」
ふわりと、マルスが笑う。
何だか楽しそうだ。
「よくわからないけど、わかった。ありがとう」
「え……、……マルス、あの、」
「とりあえず、言ってくる。……じゃあ、また後で」
「……あのー……?」
軽く手を振り、彼はさっさと行ってしまった。
……何か、間違ったことを教えたのだろうか、自分は。
この後どういうことが起こるのか少しも予測できなくて、前髪を適当に掻き乱す。
すると、後ろから声がかかった。
「リンクもたいがいお人好しだよねえ」
「……まあな」
ピカチュウ、だ。
「いいんだよ、これで、オレは。……マルスが笑ってくれれば」
「……ホンット、お人好しだね。しかも上にバカがつく」
「……何とでも言え」
「上にバカのつくお人好しー」
「……ごめん、訂正。やっぱ何も言うな、お前に言われると落ち込む」
「そう?」
どうして? と首を傾げるピカチュウ。
どうしてこんな可愛らしい見かけから、あんなトゲトゲした言葉が飛び出すのだろう。
考えたところで仕方が無い。
はぁ、と溜息をつくと、リンクは今度は、上の方を睨んだ。
少年と美女のいる、一つの部屋を。
「……で、あいつは」
彼があんな風になっている原因。
「……あいつを放って、……なーにあんなに楽しそうに笑ってやがんだ……?」
******
「……っくしゅんっっ!!」
「ロイ君、大丈夫ですの?」
その頃のロイとゼルダ。
「……うん、平気……。……何だろ、誰かウワサしてんのかなー」
「風邪をひいたのかもしれません……、あ、そうですわ。
ロイ君、まだケーキ食べていませんでしたわね」
「え? ……ケーキッ!?」
ロイが、『ケーキ』という単語に飛びつく。
ゼルダは、くすりと楽しそうに笑うと言った。
「ええ。今日のおやつは、ケーキなんですよ。
ちょっと持ってきますから、待っててください」
「はい、ありがとーございますーっ!」
さらり、と髪をなびかせながら、ゼルダが部屋から出て行く。
扉が閉まる音と共に、静かになる部屋。
ロイは、自分のお腹の上で座り込んでいる子猫の頭を撫でた。
「……にゃぁ……」
「ん? ……ああそっか、お前も腹減ったのか?」
「にゃあ〜……っ」
「よしよし、……そうだな、誰かに何か、持ってきてもらおうな」
ごろごろと喉を鳴らす子猫を、ロイは見つめる。
そして、ふぅ、と溜息をついた。
子猫の名前は、決まった。
ロイとゼルダの、二人で決めた。
名前を決めるというのは、とても楽しいことだったし、
実際、かなり早く、時間は過ぎた。
確かに楽しかった。
でもまだ、何か足りない。
いつもは自分が、嫌だ嫌だというあの人に押しかけていくけど。
今日はそれができないから。
来てくれるといいな、くらいは思ってた。
でも今、一人になってみると、思う。
「……会いに……、……来てくんねーかな、」
ぽつり、と、呟く。
「……何してんだろ……」
自分が動けないと、すぐに見失う。
自分が見つけないと、すぐにいなくなってしまう。
願望を叶える術も無い。
ロイはごろん、と横になると、子猫を自分の元へ引き寄せた。
「……」
「……にゃあ……」
ロイの小さな、けれど深い溜息を、小さな猫が聞いていた。
つづく。
その1 その3
マルス様改造計画(嘘)。
こんなんマルスさんじゃない……無駄に女々しくて……今更か。
次回で挽回したいです、……ていうかまだ続きます。