053:アイタイ。
057「可視光線」、067「嵐」の続きです。
マルスの“世界”に何故かロイが紛れ込んでます。
そんな話です。
******
水の国アリティア。
涼やかな風と豊かな水源に恵まれた美しい国は、青い色の王子によって統治されていた。
本来ならば「王」となるはずなのであろうが、色々な事情で戴冠式は行われていないし、
何よりも、王子の周りの人物が皆、揃いも揃って「王子」と呼ぶ為に、
彼は未だに「王子」のまま、毎日を過ごしていた。
「…ふーん、こうして見ると、すげー綺麗な国なんだな」
そんなアリティアの、城下町を。
剣を提げて、楽しそうに歩いている、少年、一人。
その姿は、この世界において、珍しい見た目でも、稀有な存在でもないはずだったが、
彼は根本的に、この“世界”の者では無かった。
「…何だ? お前さん、昨日、城下町は見なかったのか?」
「ああ、昨日は、見ようと思っても見れなかったんですよ」
そんな少年 ロイの斜め後ろには、二人の傭兵がいた。
今では、名声を得て勇者と呼ばれることもあるが、基本的には傭兵である。
傭兵と言いながら、二人ともなんとなくアリティアに居っぱなしだが。
頬に傷のある、いかにもパワータイプである、名前は確かオグマ。
斜め後ろからかけられた声に、ロイは、さめざめとした様子で答えた。
「昨日は、どっかのふざけた魔道士の魔法でぶっ飛ばされたんです。
そしたら、通りすがりの赤い鎧の女の人が、飛竜で城に運んでくれたんで」
直接は見なかったんですよね、と言うロイは、かなりのんびりとした様子で、
親切な人だったなあと呟いた。
それを聞いたオグマは、一瞬、驚いたように目を見開くと、
自分の隣の、もう一人の傭兵に視線を向けた。
長い黒髪の傭兵だ。恐ろしく無口な。名前は確か、ナバール、とか言う。
「…赤い鎧の女に、飛竜、って…」
「マケドニアの竜騎士姫のことだろうな」
さして興味も無さそうに、あっさりとした答え。
ナバールはそれだけ言うと、何も言わなくなる。
まあいつものことかと溜息をついて、オグマは視線をロイに戻した。
腰の後ろに剣を提げた、少年らしい少年は、
城下町をきょろきょろと見回しながら、上が美人だから国も綺麗なんだろうな、と、
かなり無茶苦茶なことを言っていた。
「空も青いし、海に囲まれてるから、青の国なんだなあ、ここって。
やっぱマルスの国だな、うん。
まあそのうち、俺の国も同然になるんだから、全然構わないけどな!!」
「おいこら、坊主」
ぐっ! と拳を握って、太陽の下、高らかに宣言するロイ。
オグマはすかさずツッコミを入れる。
「あんまり物騒なことを言うな。騒がしくなるだろうが」
「何が物騒なんですか、マルスが俺のとこにお嫁入りしてくることのどこが」
「………。」
まるでそれが当たり前であるような、尊大な物言いである。
…これでは、宮廷騎士団が、疲れた顔で自分達にロイを押しつけてきたのも無理は無い。
昨夜は、何か、マルスが行方不明になった、とかいう事件があったらしいし。
ついでに、こんな少年にも気を配らなければならなかったわけだし。
昨日、城にいなくてついてたな、と、オグマは再び溜息をついた。
もっともそれが災いして、今、こんな状況になっているわけではあるが。
隣のナバールに目を向ければ、いつもの無表情が、微妙に不機嫌になっている、
……ような、気がして。
「…まあ、あの軍のほとんどが、マルスに惚れてたわけだしな…いろんな意味で」
「はいー? 俺のかわいいマルスがどうかしましたかー?」
「…いや、お前さんには関係ねぇよ」
結局自分も、マルスのお願いを聞きたくなってしまう一人である。
惚れた方の負けだとはよく言ったものだな、と、オグマは三度目の溜息をついた。
***
「そんなわけで、まあ、ここが闘技場だ。
アリティアの闘技場なんて、実際、今はそんな生臭いモンじゃないけどな」
あれからしばらく経った後。
何だかんだ言って面倒見の良いオグマは結局、
アリティア城下町の観光案内をさせられる羽目になっていた。
半ば自分から進んでやっている感が否めないのは、気のせいだということにしておく。
「ふーん、闘技場…。…俺結構好きなんですよね、闘技場」
「ほお…? …まあ俺も闘技場は好きだがな。気が合うな」
流れるような会話は実のところかなり物騒だが、
残念ながら今この場にいるのは、後は無口なナバールだけだ。
つっこむ人は誰もいない。
ついでに言えば、ナバールも闘技場で大活躍するタイプの人間なので、
もし彼がつっこみを入れられるような人であったとしても、
物騒な流れは変わらないだろう。きっと。
ロイとオグマの、物騒な会話は続く。
「あー、ですよねやっぱ。こう、お互い力が拮抗してる時とか、特に」
「そうだな。確かにそういう相手が、一番楽しいな」
「そうそう。基本的に俺が軍の一番上だから、闘技場行くの誰も止めねーし」
「ああ、それはいいな。マルスは基本的に止めるからな…、
…あいつも大概、人が怪我するの嫌いだしな、って、お前さん将軍なのか…」
あまりにも今更なつっこみだったが、ロイは偉い人である。
一応。
「そうですよ、俺、将軍ですよ? 次期領主だったりするし。
まあ、マルスの地位には到底及ばないけど、
マルスは俺のところにお嫁さんに来るんだから、全然オッケーだな」
「…その自信はどこからくるのか、聞いてもいいか、坊主…。」
ぐったりとした様子で、しかしオグマは休まずつっこみを入れる。
が。
「そんなの。
俺のマルスに対する愛からに決まってんだろ〜?」
「………………。」
こんな返事。
オグマは気が遠くなったが、無理矢理持ち直した。
「…で?」
「はい?」
「闘技場。行くのか、行かないのか」
「あー…。行きたいのは山々なんですけど…。
んー、でも、怪我してったらマルスが怒るだろうから、やめときます」
「……何、だって?」
さらり、とされた返事。
「……」
違和感を感じて、オグマは怪訝そうに言った。
少し離れたところで沈黙を保っていたナバールの肩が、
何かに気づいたように、僅かに揺れる。
「? …何、ですか? 俺、ヘンなこと言いました?」
二人の異変に気づいて、ロイは振り返り首を傾げたが、
二人から答えは返ってこなかった。
「……?」
城下町の喧騒。
立ち尽くす二人と、異端の一人。
「……いや……。」
「……」
ぽつりとオグマが呟く。
その後ろで、無表情の間から、僅かな本音を隠し切れないもう一人。
「…訊いていいか。坊主」
「は? 何ですか?」
「…お前の知ってる、マルスってのは、どういう人間なんだ?」
「…マルス?」
大切なものの名前だ。こちらに紛れ込んで出会った、たくさんの、人々の。
自分なんかより、ずっと多くの時を、顔を、知っている人々の。
不思議そうな顔をして、ロイは言う。
「何つーか、まあ、美人ですよね。かっこいいし、綺麗だし、かわいいし。
一生懸命なんだけど不器用で、生真面目なんだけどどっか抜けてて、
抱きついたら怒るし、怪我とか、病気しても怒るけど。心配性ですからね…、
花の世話とかしてる時に、子供達と、やたら楽しそうに笑ってますよ」
「………」
さらさらと、余計なことまで組み込みながら答えたロイの言葉に、嘘は一つも無い。
それなのに、それを聞いていたオグマとナバールは、
わずかに目を見開いた、驚いたような顔で、ロイを見つめて。
そんなことは気にも留めずに、ロイは言う。
「もうちょっと、城下町見ててもいいですか?
マルスの国が、どんなとこなのか、興味あって」
「……。…好きにしろ」
じゃあお言葉に甘えて、と再び歩き出した少年の後ろ姿は、
特におかしなところは無いけれど、根本的に、この“世界”のものではない。
教えられたそんなことを頭の端でゆっくりと思い出しながら。
二人は、ロイの少し後ろから歩き出す。
青い空。白い雲。街並みの向こうには、光を受けてきらめく海の面(おもて)。
行き交う人々の笑い声が、水や時間のように流れていく。
護衛や用心棒以外の人間には、剣も槍も必要の無い穏やかな時間。
一体、これは、誰の…。
その後、これといったトラブルは何も無かった。
酒場の酔っ払いが、今度の王は素晴らしい美貌をお持ちだなんだと騒いでいて、
それを聞きつけたロイがてめえふざけんなマルスの美貌は俺のものだと怒鳴りながら、
掴みかかっていくことを二人が全力で止めたこと以外には、何も。
***
「…あー、楽しかった。綺麗だし、活気あるし、」
やがて、城下町が、まぶしくてあたたかい茜色に包まれたころ。
「いい国ですね」
「マルスに言ってやれよ。喜ぶぞ」
ようやく観光を終えたロイが、煉瓦造りの広場の真ん中で大きく伸びをしていた。
素直な言葉に笑いながら、オグマも答える。
ナバールはその斜め後ろに待機したまま、相変わらず無口だった。
あの人いつもああなんですか、と尋ねるロイに、ああそうだよ、とオグマは返した。
「マルスはその人のこと、何も言わないけど優しい、って言ってましたけどね」
「だとよ。どうだナバール」
「……何が」
話題を振ってみれば、相変わらず不機嫌そうな、低音域の返事。
ロイは笑った。
「まあ、根本的にいい人じゃなくちゃ、俺の散歩に最後まで付き合いませんよね。
すいません、こんなに付き合わせちゃって」
「……。
……わかっていたなら、もっと早く切り上げろ」
長い前髪に隠れた視線が、ふい、と外を向いて、それきり彼は黙ってしまった。
すみませんと大して悪くもなさそうに言ったロイは、とても楽しそうに。
その姿は、この世界の人間としてまったく異形では無いけれど、
その少年は根本的に、この“世界”とはまったく違う。
人々が行き交う城下町を広場から見渡しながら、
ロイは思いつきのように、そして心底がっかりしたように、言う。
「あーあ、それにしても、マルスも来れれば良かったのになー。
ま、仕事って言うんなら仕方ねーか。残念だけど」
「……。あのな、坊主」
今朝のことを、ロイは思い出しているのだろうか。
どこかロイの知らない国から突然使者がやってきたので、
マルスはロイの面倒を見ることができなくなったのだ。
落胆ぶりの激しいロイの後ろ頭を呆れたように視界の端に入れながら、
オグマは溜息をついて、そして。
「あいつが来れるわけねえだろ。
仕事があろうが無かろうが、王子様、ってやつなんだから。
あんまり人にばれない方が良いだろうし」
何気なく、こう言った。それは、ロイの知らない長い時間の上で出てきた言葉だった。
当たり前の言葉。誰が聞いても頷く言葉。
「…王子が、いつ、どこで、どんな目に遭うかもわからないからな。
王子も、それをよくわかっておいでのようだしな」
「まあ、だから、城下町見学、なんて勧めたんだろうが…、」
二人は続ける。
現実的で、本人も知っていて、誰が聞いても頷く言葉を、話を。
それはきっと、落ち込む子供を励ます、というより納得させて諦めさせるための、
二人にとって、普通の言葉だったのだろう。
しかし。
「? 何で。
たかがそんなことで、あの人、外に出ない、って言うんですか?」
「……… 」
それは。
思ってもみない、言葉だった。
「……たかが、って、坊主、」
「たかが、だろ。
王の顔なんて、皆知ってるものだし、命だったら、守れるんだから」
「外に出ない方がいい、って言ったのは、あいつだぞ」
「マルスの言ってることが、全部正しいわけ、無いだろ」
きっぱりと、ロイは言う。
迷いの無い、真っ直ぐな声で。
そんなことを言う人間は、この世界の、知っている人間の、どこにもいなくて。
二人は、瞬いた。
言っていることは、至極正しい。
だけど。
「………」
「あの人、自分に嘘つくの、得意だからな。
好きなものは諦めるし、嫌いなものでも受け入れるし。
…ほんの少しの時間しか一緒にいない、俺でもわかるんだから、」
それは。思ってもみない、言葉だった。
もう、ずっと思っていた。
城に行って、この少年を、彼らの王子から紹介された時から。
これは一体誰だろうと、一体彼の何なのだろうと。
世界が、違う、なんて。
「マルスが、絶対誰も傷つかないように、自分を閉じ込めて。
本音をやまほど隠してるんだ、って。
あんた達だって、城にいる人だって、本当は、わかってるんだろ?」
夕飯の買い物客で賑わう城下町は、真っ赤な光に包まれている。
夕陽というよりは、全てを明かす炎のように真っ赤な髪を揺らせて、
ロイは、ふ、と笑った。
「そうじゃなきゃ、ろくに何なのかもわからない、違う“世界”に、
大事な王子様を、一人で行かせたり、するわけないよな」
「………」
どこまで。
…わかっているのだろう、この少年は。
考える。全部わかってるわけはない。そんなのは、無理だ。
だけど、まるで全てをわかっているかのような、そんな錯覚を覚えた。
マルスの元に、ふしぎな手紙が届いたのは、ずいぶんと前のことだ。
得体の知れない手紙。それでも彼は、どこか楽しそうに見えたから。
反対する者ももちろんいたし、むしろそちらの方が多かった。
「………お前は、」
それでも、マルスが橋を渡ったのは。
それが皆の望みだったからだ。覚えがある中では、あの時一回きりだった。
戦いに疲れた王子のささやかな願いを、叶えてあげたかった。
こことは違う世界で、
傷が少しでもふさがることを、願って。
「言っていたな。…『王子が、怒るから』、と」
「………」
「他はどうだか知らないが、少なくとも、俺は」
背の低いロイを見下ろしながら、ナバールが言う。
長い前髪に隠れた瞳を、横顔を、珍しそうにオグマが見ている。
ロイは、黒い瞳を真っ直ぐに見上げて、
ただ、深い声を聞いていた。
「王子が誰かに、そんなふうに激したところは、見たことが無い」
「………」
「それどころか、『楽しそうに笑う』ところもな。
…誰にでも見せる笑顔だけならば、飽きる程に見たが」
「……ふーん。」
海の中の、とても綺麗な、小さな国。
かつて、ここから生まれた英雄は、世界の闇を封じて。
そしてその血を受け継いだ王子は、闇をはらって英雄になった。
たくさんの人に囲まれながら、
だけど、たった一人きりで。
「俺は、マルスの笑顔を見慣れたのは、本当に最近ですけどね。
…それまでは何しても無表情で、冷たくって、まあ、それも好きだったけど。
…楽しい、みたいだし」
「…坊主、」
声をかけては嫌がられ、抱きついては殴られ、さわっては蹴られて。
懐かしいことを思い出す、ロイは。
どこまでわかっているのだろう。
「…俺達は…。…マルスが少しでも安らげればと、思ったんだ」
「………」
『ごめん。オグマ、ナバール。
夕方まででいいんだ。ロイに、付いていてほしいんだけど…』
思い出す。
日もおよそ高くなってきたころ、城にやってきたオグマとナバールは、
挨拶もそこそこに、マルスにこんなことを言われた。
ロイとは何だろう、と、二人で顔を見合わせると、マルスは少し照れたように笑って。
そんなマルスはほとんど見たことがなくて、そんなことにも驚いた。
『あ、あの、ロイは、僕の、その…、えっと…。…お客様、だから…。
…あの、護衛というか、監視というか…何かしないか、見ててほしいというか…』
一体どうしてそんなにわたわたしながら喋るんだ、と。
そんなに問題があるのだろうかと怪訝そうに思いながら紹介された少年は、
なるほど確かに、まったく違う意味で問題があった。
人目もはばからずにマルスに抱きついて、やれ、好きだのかわいいだの愛が足りないだの。
それを真っ赤になりながら懸命に引き剥がすマルスは、
まったく知らない人のようだった。
そんなマルスは、見たことがなかった。
マルスはきっと、この国を、仲間のことを、とても好きなのだろうと、思った。
だけど、好きだから重荷になった。
好きだから心配をかけたくなくて、頼りたくなくて、弱音を吐かなかった。
それは皆が、彼が『王子』でありたいことを、わかっていたから。
みんなを守れる、何かを滅ぼすことのできるもの。
だからきっと、誰も、ふれることができなかった。
彼の、たった一人きりの英雄の、心のなかの、深いところに。
悲しみと、寂しさに。
「…マルスが、向こうで。
お前さんが言った通りの表情を、見せてるなら…。」
「………」
何かを黙って見守る大人の顔で、オグマは笑った。
安心だ、と言って。
その隣でナバールが、相変わらずの無表情で、もう既にロイを見ていない。
短い会話、だったけれど。
ロイは何かが、わかった気がした。
「さて、じゃあ、いい加減に帰るか」
「あ…。…はい、そうですね」
軽い調子で言って、オグマは踵を返し、城の方角に足を向けた。
その斜め後ろを、ナバールが歩き始める。長い黒髪が、背中に流れた。
それを追いかける前に、ロイは何気なく、辺りに視線をめぐらせた。
煉瓦で模様を織られた広場。行き交う人々。さざめく笑い声、
それをまるごと包んであたためる、真っ赤な夕焼け。
そんな人混みの、中で。
「………」
「………」
ロイは、ふと、気づいた。
誰もかれも同じ顔に見える人の群れの中で、その人の顔だけが、違って見えた。
こちらを見ている、人がいる。
「……あ 、」
ロイと視線が合った瞬間、その人は一瞬、顔を強張らせた。
しかし目だけはずっと、ロイを見ている。視線を逸らそうとしない。
不審に、そして不思議に思い、ロイはす、とその人に近づいた。
びくっ、と一瞬、一歩引きかける身体。腰には、ずいぶん古い剣が提げてある。
もっとも今のこの国に、護衛用の武器など、ほとんど必要の無いものではあるけれど。
「……?」
ロイより三つか四つは年上だろうその人は、ロイの目には傭兵に見えた。
明るい赤茶色のはねた髪。それより少し色味の深い、瞳。
顔つきや髪型が何だか自分に似ていると、ロイは思った。
その人の方が背が高いので、そう思ったのは非常に癪ではあったが。
人混みの中にとけるように隠れているその人に、ロイは話しかける。
「おい、あんた」
「……っ」
声をかけただけで、逃げ出さんばかりの動揺っぷりだ。
だったらこっちを見るなと言いたいが、その気持ちは抑え込む。
「何? 俺に何か、用でもあんのかよ?
あるなら聞くけど、無いなら帰るぞ。マルスが待ってんだ」
「……! …あの、お前…!」
はじかれたように目を開いて、その人はロイの声に答える。
名前も知らない人間にお前呼ばわりされるのは納得がいかないが、
さっきこっちもあんた呼ばわりしたので、許容することにした。
その人の腰の剣が、ちゃり、と音をたてる。
何かを暗示するような音だった。
「お前、…王子さ… ……、
…マル…ス、様…を、知ってる…のか?」
「……は?」
ぶしつけな質問だ。…何だろう。まさか、マルスの命を狙う、刺客だろうか?
そんなもの万が一の可能性だと思っていたのだが。
もしもそうなら斬り捨ててやろうと、ロイは剣の柄に手を伸ばした。
そして、真っ直ぐにその人を見る。嘘はつかず、はっきりと答えた。
「ああ、知ってるけど。だったらどうした?」
「……あの人…、っじゃなくて、あの方…は、その…。
……元気…、か?」
「……。……はい?」
今度こそ、ロイはわけがわからなかった。
元気か、と訊かれても、である。
「…何、あんた、マルスの知り合い?」
「………あ…。…いや…、」
ロイの質問を曖昧に流し、その人は視線をどこかへ泳がせた。
答えたいけど答えたくないような、複雑な気持ちを表すような。
…とりあえず、刺客ではないだろう。
あまりにも覇気が無さ過ぎる。
ロイは、剣の柄から手を離すと、やや大げさに腕を組んだ。
「別に、元気だと思うけど、俺は?」
「………」
思うままに答えを述べると、その人は少し、哀しそうに瞳を揺らせた。
遠い遠い記憶。思い出しているような、顔だった。
しかしそれはすぐに微笑みに変わる。少年の空気が抜けた、青年の落ち着いたもの。
それでもやはり、どこか哀しそうだと、思ってしまうのだが。
何故なのかは、ロイが知るわけもないけれど。
「…そう、か」
「………」
「…あの、悪いんだけど…、」
「何だよ。他に質問があるなら、さっさとしろよ」
遠慮がちな言葉を促すように、ロイはわざと苛立たしげに言う。
するとその人は慌てた様子で、でもまだどこか遠慮しながら尋ねた。
ロイに遠慮しているというよりは、内容を躊躇している、という感じではあったが、
ロイにとっては、そんなものはどうでもよかった。
その人は、深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
そして、ぽつり、と尋ねた。
「…ちゃんと…、…笑って、るか…?」
「……… 」
ふ、と言葉が止む。ロイの瞳は真っ直ぐに、その人を見つめた。
名前なんか知らない。今初めて見た相手。
まるで城下町の喧騒が止んだかのように思えた、その一瞬で、
ロイは、その人は、何を考えていたのだろう。
「………あんた…、」
何か言いかけて、ロイは止める。
その人は真っ直ぐに、ロイを見ていた。
「………」
「………」
しばらく、二人だけで、時を止めた後で。
「………別に…。」
ロイは、静かに切り出した。
「…笑ってるよ。楽しそうにな。当然だろ、俺達がいるんだから」
「………」
「…あんたのことなんか、俺は知らないけどな」
もういいな? と言って、ロイは踵を返す。オグマとナバールを、追いかけるために。
耳に、城下町のざわめきが戻ってくる。
今のが誰なのか、知る必要は無いし、知ろうとも思わない。
過去は大切なものだけど、執着するようなものではない。
ロイは自分の信念以外を、貫くような性質ではなかった。
「…あ、の、」
「?」
人混みの向こうに消えていくロイを、その人は最後に呼び止める。
いつか。
その人が、どんなふうに誰かを大切にして傷つけたのか。
ロイは知らない。
「ありがとう。…それなら、いいんだ…」
「…そーかよ。」
振り返らずに、ロイは歩き出した。
ずっと遠くに、真っ赤な光をあびてきらめく、海の面(おもて)。
やがて背中の向こうから、その人の気配が、とけてきえた。
それを感じて、ロイは立ち止まり、
立ち尽くす。
もう、自分だけでは、マルスのことは知ることはできないだろうと思った。
だから無理を言った。
世界の管理者を脅して、この世界までやってきた。
何を知っても、何があっても。
後悔だけはしないと、わかっていたから。
「…おい、おーい、坊主? 何やってんだ?」
人混みの向こうから、ふいにオグマの声が届いて、ロイは顔を上げた。
止まっていた足に気づいて、慌てて歩き出す。
どこか行くなら言え、と軽いお咎めを受けながらふと横に視線を寄越すと、
ナバールがこちらを見ながら立ち止まっているのが見えて、
なぜかちょっぴり微笑ましかった。
などと言うことを言えばおそらく真っ二つに斬られるだろうと思うので、
絶対に言わないが。
「行くぞ」
「はーい」
ロイが追いついてから、さくさくと歩き出す二人。
その後ろを追いかけながら、
「…なあ、オグマさん」
「? 何だ? 坊主」
ロイは、何気なく、というような風を装って、たずねた。
振り向かずに返事をする、マルスに近い人。
内容が内容だったから、そんなものは役に立たないと知っていたけれど。
「俺って、誰かに似てますか。
…あんた達に近かった、誰かに」
「………。」
オグマが、ふと振り向く。
不必要に高い背が羨ましくて、ロイは何だか腹が立ったが、
今はどうでもよかった。
「…そうだな。
…初めて見た時から、思ってはいたんだが…、」
赤い、はねた髪。
小柄な身体、剣。
意味は違っても、意志の強い瞳。
マルスを王子と認めながら、違う特別と思うところまで。
「似てるよ。はじめは、兄弟なのかと思ったくらいだ。
傭兵隊の中の一人でな、名は確か 」
真っ赤な夕陽。
赤が嫌いだと言っていた、青い王子。
城下町は、相変わらずささやかな幸せに包まれて、いつまでも人の流れが耐えなかった。
もっと核心をついたシリアスバージョンがあったのですが、
ロイ様紋章世界へ行くシリーズ(?)はノリがほぼパラレルなので、
表面だけを掬い取ってみました。
ついでにオグマとナバールさんを書く練習がしたかったんですが難しい…。
紋章に登場するキャラの一人が、ロイ様に見た目が似てるなと。
特に意味は無く鬼強いのが魅力です。