067:嵐
057「可視光線」の続き? です。
マルスの“世界”に何故かロイが紛れ込んでます。
そんな話です。
******
「…というわけなので、ここを通すわけにはいきません」
腕を組んで、はぁーっ、と深く溜息をつきながら、目の前の人は、言った。
どっかの魔導士を思い出させる彼の緑色の髪も、
その隣にいる、
謎の変化術士(?)を思い出させる彼の赤い髪も、
とにかくどちらも、少しも気に入らない。
「…いいだろ別に、マルスのところに行くくらい」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とは、どこの世界の言葉だったか。
ロイはマルスの寝室の前に立って構えている騎士二人を思いっきり睨みながら、
低い声で、ぼそっと言った。
ロイから見て左側の、赤い髪の騎士 カインが、
ちょっと声を荒げ、言う。
「だから、それが駄目だって言ってるんだ!
何度言えばわかるんだ!?」
「声が大きい、カイン。…マルス様を起こしたらどうする」
「え、…あ、ああ…」
ロイから見て右側の、緑の髪の騎士 アベルが、
横目でちらっとカインを見て、呆れ口調で言う。
カインは慌てて口を噤み、そして一回、こほん、と咳払いをした。
そんな様子を見、アベルはもう一度、はあぁ、と溜息をつく。
そして、敬語のまま、ロイに告げた。
敬語なのは、『どんなでも一応、主君である王子の客人だから』…ということらしい。
内心どう思ってるかは、定かではない。
「…王族の寝室に、例え客人でも、立ち入らせるわけにはいきません。
何度も言いましたでしょう? …ですから」
「えー…。…寝室だから、立ち入らなきゃいけねーのにー」
「…………。」
それは何だ、どういう意味だ。
「…ま、仕方ないか」
ようやく納得したのか、ロイが少し横に視線を逸らしながら、
小さく肩を落とす。
ようやく諦めたか、と安心した様子のカインに対し、アベルは、
何で納得したんだ? と、何だか疑問いっぱいのようだ。
「…じゃあ、ここは諦めます。本当、仕方ないですし」
「…え、ええ…。…そう、してくださると…ありがたいです……」
無礼に当たらない程度にロイをじっと見ながら、アベルはぎこちなく答える。
不信感がいっぱいだ。
何で、いきなり微妙な丁寧語になったのだろう。…不気味だ。
「邪魔してすみませんでした。それじゃ」
ロイはにっこりと笑うと、きちんと礼をして、背を向けた。
城の構造は覚えてしまったのだろうか。たった半日で。大した記憶力である。
そもそも、いくら王子の客といえど、
ここまで城の中を、好き勝手に歩き回っていいものなのかどうか、
その辺が謎なのだが。
カインもアベルも、つっこめなかった。
どんなに、自分より年下でも、背が低くても、主君の王子に対して無礼でも、
「王子の客」で、あるから。
「…ったく、マルス様の寝室に立ち入ろうなんて」
「…あんまり、気を緩めない方がいい」
「え?」
遠ざかっていくロイの背中を見ながら、溜息をついたカインに、
アベルはぽつりと言う。
カインは、不思議そうにアベルを見て。
「…嫌な予感がする…。」
******
「…なーんて、そー簡単に諦めるかって。俺、16歳だしー」
16歳であることは、まったく関係が無いと思う。
現在地、マルスの寝室の真上の部屋。
そこは、ロイに宛がわれた客室…の、隣の隣の客室だ。
鍵がかかってるはずなのに、どうやって入ったのだろう。あまり考えたくない。
慎重に窓を開けて、下を覗き込む。
案の定、マルスの寝室の窓は、開いていた。今日は、やや気温が高いから、だ。
王族の寝室が、外に面していていいのかと思うが、
マルスの寝室が面しているのは、綺麗な中庭だ。特に問題無い。
要するに、ロイは、この部屋の窓から下りて、マルスの寝室に忍び込もうと。
そういう魂胆だった。
「うわー、やっぱ高いなー。
…でもまあ、これくらいなら、もし落ちたとしても平気だろ。
ビルの屋上から落ちても平気なんだし」
それはあくまでも、スマデラ的には、の話だが。
ちなみに、フォーサイドの話だ。摩天楼にUFOがやってくる。
「…おし、行くか!」
窓枠に手をかけ、身体を窓枠から、下ろす。
宙に両手でぶら下がっている状態で、深く息を吐くと、
ぱっと両手を、窓枠から離した。
身体の重心を傾けることを忘れずに。
そして。
「…っ、と!」
見事。
マルスの寝室の、窓際ぎりぎりに、膝を折って綺麗に着地する。
ちょっと物音がたったが、そんなには目立たないはずだ。
作戦通り、と、ロイは口の端を上げた。
すっと立って、辺りを見回す。
王族らしい、広い部屋だ。
…とは言っても、それほど装飾品が、かざってあるわけでもない。
三人は眠れそうな大きなベッドと、
部屋の反対側に、人一人が楽に入れそうな、クローゼット。
後は、机と、その上に本。一輪挿しには、知らない花。
イスが二脚と、壁に、風景画が一枚。それだけだ。
部屋の広さに対して、ものが少ない気がした。
そんなところがマルスらしいと、ロイは思う。
「…よし、」
部屋をざっと見回した後で、ロイは、ベッドに目を向けた。
当初の目的を、忘れてはいない。
息を潜めると、自分のものではない、静かな寝息。
…きちんと、マルスは、寝ている。予定通りだ。
そーっと、そーーっっと、ベッドに近づく。
一歩、二歩と近づくにつれて、夜の闇に、目も慣れていく。
後、三歩。
その、最後の3カウントに、踏み入った瞬間 。
「…ブリザー!!」
「え…っ、」
ひゅんっっ!! …と、何かが、顔目掛けて飛んできた。
「っ、ぉわっ!!?」
反射神経で、慌ててその、「何か」を避ける。
が、
一粒、避けきれなかった何か、冷たいものが、頬を掠めていった。
「…避けたか…。」
「……な……ッ、」
頬に、一筋、細い線ができて。
ちょっぴり、血が、にじむ。
ベッドの向こう側に、誰かが、立っていた。
冷気を手に纏い、心底不機嫌そうな顔をしていたのは 、
「…何度も、魔法は使いたくないんだけどな。まったく」
「 なっ、てめぇっ…!!」
翠の髪に、翠の瞳を持つ魔道士。
「マルス様の寝室に忍び込もうなんて、いい度胸じゃないか」
そう。 マリク、だ。
「…っ、何、しやがんだてめぇはっ! 危ないだろーがっ!!」
危ないとかいう問題ではない。命に関わる。
「僕は、マルス様に近づいた不審人物を、追い払おうとしただけだ」
「だーれーが不審人物だっ!」
「お前だ」
「俺は不審人物じゃない! つーか、ワザとやってんだろ!!」
「そんなことはないよ。
魔道士たるもの、常に冷静に事を判断し、実行する。
もちろん、私情は挟まないで」
「思いっきり私情じゃねーかっ!」
「静かにしろ! マルス様が目を覚ましてしまわれるだろ!」
「〜〜〜〜〜ッ!!」
自分の意見を次々と折られ、怒りたっぷりにマリクを睨むロイ。
が、マルスが起きる、というのは不本意な為、
ロイはマリクをぶっ飛ばしたい衝動を、なんとか抑えた。
かわりに、深く息を吐いて、ぎっ、とマリクを真っ直ぐに見る。
「…あのな、何度も言うけどなー」
何度も、こんなような言い合いをしたらしい。
懲りない人達だ。
「マルスは、俺の恋人で…」
「サンダー!!」
「どぅわっっ!!?」
ばりいぃっっ!! ……。
ロイの頬を、今度は電気が走る。魔道書はどこに隠しているのだろう。
ピカチュウの電気が嫌というほど身に染みているので、さほど効果は無いが。
やはり怖い。
「…っだから、お前人の話聞けって!!
聞きたくないのも、わからないでもねーけどよ!!」
「マルス様…ッ。
だから見知らぬ地に行く時は、用心なさってくださいと言ったのに…ッ!」
「どーいう意味だ、おい!!」
「こんな…っ、こんな、どこの誰かも知らない不審人物に、
たぶらかされるなんて…!!」
「あっのなー、人を悪人みたいに言うなよ!!」
「悪人じゃないかっ!!
僕の…、僕の大切なマルス様を…っ!!」
「マルスは俺のだーっっ!!
勝手にお前のもんにすんなあああぁーっっ!!」
話がずれている。
それともこれがマリクの作戦なのだろうか、
とりあえずロイは、目的を目の前にして、足止めを喰わされていた。
マリクは、悪霊でも見るかのような目でロイを見下ろすと、
スッ、と右手を、ロイの目の前にかざした。
ロイが思わず、一歩下がる。
「っ…。…な、何だよっ?」
「ともかく、だ。
ここは、マルス様の寝室で! お前は、れっきとした、
侵入者、なんだ!!」
左手には、一冊の本。
何だか、見覚えがある。
…えくすかりばー、とかいう魔法の、魔道書?
「出て行かないなら、容赦はしないぞ」
「…っ、卑怯なっ…。
…って、」
毅然とした態度でロイに攻撃体勢を取るマリクを見て、
ロイが、はた、と気づく。
「そーいうお前は、侵入者じゃねーのかよっっ!!」
「僕は、マルス様をお守りしているんだっっ!!」
そうだったらしい。
…本当かどうかは、知らないが。というかやっぱり考えたくない。
彼が嘘をついているとはあまり考えられないが、
何せ相手は、曰く『愛しい王子をたぶらかした不審人物』である。
信用はできない。
マリクの周りに、ささやかに風が集っていく。
「……っ…」
「さっきはそれなりに手加減をしたけど、今度はそうは行かないぞ。
…マルス様に近づくやつは、僕が許さない」
長い法衣の裾が、ふわりと舞って。
ロイの髪と、服の裾とが、流れ出す。
「………ちっ…、」
剣を持ってくればよかった、と、舌打ちをした、
その時だった。
「…………う……ん…、」
「…っ!?」
「…あ、」
マリクの後ろのベッドの上。
毛布が、ごそごそと動く。
「………んー…っ…、」
ゆっくりと身体を起こして、ひかえめなあくびをした。
口元を、手で覆って。
藍い瞳が、ふわり、と開かれる。
「…マルス…!」
「マ、マルス様…!!」
「……?」
マルスが、目を覚ましたのだ。
「………、」
マルスはぼんやりと、部屋を見回している。
やがて、マルスの目は、ロイとマリクを見つけて。
「……ロイ、それに…マリク…?」
こう、ぽつりと呟いた。
…微妙にマリクが、ショックを受けているような気がするが。
理由は悟っていただければ幸い。
それでもなんとか気を持ち直した。
慌てて、マルスに向き直る。
「マルス様!! も…申し訳、ございません…!!」
「…あーあ、起きちまったー…。
…夜這い大作戦は失敗かー」
「っ!!? なっ、…お前!!」
横に並んだ、心底残念そうなロイを、マリクは睨みつける。
ロイはマリクを睨み返すと、元はと言えばお前がー、などと、
責任転嫁をしようとしていた。
個人的なことを言わせてもらえば、どっちもどっちだとは思うのだが、
そこはそれ。
「マルス様に、何をするつもりだったんだッッ!!」
「何って、夜這いは夜這いだろ!! 逐一説明してほしいのかよ!!」
「お前っ…、やっぱり、あの時、手加減をしたのは間違いだったんだ!!
マルス様が…ッ、僕のマルス様が、お前なんかに !!!」
「だーかーら、マルスは俺のだっつってんだろーがッ!!」
「マルス様を呼び捨てにするな!!」
「他にどう呼べっつーんだよ!!」
「………」
言い合いをする二人を、じっと見つめるマルス。
まだ意識が覚醒していないのだろうか、その目はとろん、としていて、
なんだか非常に危なっかしい。
マルスは口元に手を寄せて、何か、考え事をする。
やがて、
「………、」
ふ、と思い立ったかのような顔をすると、
「…マリク、」
マリクの名前を呼んだ。
「っ!? はっ、はいっ!! 何でしょう、マルス様!」
「…こっちに、来てくれないか?」
「……え…」
慌てまくってるマリクとは対照的に、ひどく落ち着いた声のマルス。
マルスはベッドの上に座ったまま、マリクを見上げて、こんなことを言った。
やや上目遣い気味の視線が、さりげなく二人を悩殺しているが、
「マルスに呼ばれている」んだということに気づくと、
なんとか平常心を装って、言われたとおり、マルスの傍に寄った。
ベッドのすぐ近くに、立つ。
「…マリク」
そんなマリクの顔を、じいいっっ、と見て、マルス。
マリクはちょっぴりどきどきしながら、マルスを見つめ返す。
ちなみにロイはマリクの後ろで、不機嫌そうな顔をしている。
「マルス様? …僕の顔に、何かついてますか?」
「………」
首をかしげて尋ねるマリクに、マルスはそっと、両腕を伸ばした。
そして。
「…マリク…っ」
「………えっ…、」
首の後ろに両手を回して、すがるようにして。
マルスが、マリクに、抱きついた。
「……っ、なっ、え、ちょっ、あのっ、そのっ、マッ、マルス様あぁッ!!?」
「…ああああぁぁぁぁ っっ!!!」
「王子!!」
「どうなさいましたかっ、マルス様っ!!」
マリクがマルスに抱きつかれた瞬間、
声の限り、思いっきり叫んだロイ。
その声が聞こえて、王子に何かあったのかと思ったのだろう、
部屋に跳び込んできた、カインとアベル。
二人は、この部屋の外で護衛をしていたのだから、当然の行動だ。
マリクはと言えば、自分に抱きついたままのマルスをおろおろと見ながら、
思いっきり挙動不振になっている。
…腕のやり場に困っているらしい。
身分上立場的に、まさか、勢いづいて、抱きしめるわけにもいかないし。
そういうことだ。
その場にいた全員の時間が、一瞬、止まる。
やがて。
「…あ、お前! どこから忍び込んでっ…」
「…な…っ。マ…ルスのっ、浮気ものーーーーーーッッ!!」
「あ、のっ、マルス様っ、えー…とっ…!!?」
「………」
全員の時間が、一気に動き出した。
「マリク…、」
マリクにしがみつくように抱きついたまま、
やや泣きそうな、弱々しい声で、マルスはマリクを呼ぶ。
当然ロイは、怒りが大爆発しているし、
カインとアベルに至っては、この場合自分はどうするべきなんだろうと、
その場で立ち尽くしている。
ずっと、おろおろとしていたマリクの手が、ようやくマルスの肩に向かう。
こわれものを扱うような手つきで、そーっと、マルスの肩を押した。
恐る恐る、その顔を覗いて。
「マルス、様、…あの、どう、なさったんです、か…?」
かなりこわごわと、こう尋ねた。
「…夢…、」
「…夢?」
マルスが、ぽつり、と呟いた一言。
全員が、息を潜めて耳を傾ける。
「……怖い夢でも、見たんです…か?」
「…うん…怖かった…、」
あの、マルスが。
こんな、弱い姿をさらすなんて。
散々怒りっぱなしだった、ロイまでもを含めて、
ちょっとだけこの場が、しんみりし始める。
次の瞬間の、マルスの、
「……チェイニーが、いなくて…」
「………」
こんな一言が、全員の耳に届くまでは。
「………………え……………?」
「…朝、起きたら、どこにもいないんだ…。
…僕の部屋にも、城の中にも、どこにも」
ぽつり、ぽつりと、小さな声で言うマルス。
そんなマルスの姿に、うっかりちょっとときめいたりしつつも、
マルスが言っている内容には、ちっともときめけなかった。
一瞬、マルスが何を言っているのかを、理解できないくらいに。
チェイニーをよく理解していないロイや、カイン、アベルはともかく、
マリクにしてみれば、今、マルスが口にした名前は、
ロイの名前にも勝る、聞きたくない名前だったから。
というか、セリフの中の、「僕の部屋」というのは、一体どういうことだろう。
そんなとこにまで気の回る人間は、この中ではアベルだけだったが、
どうつっこめばいいのか、わからない。というか、やっぱり聞きたくない。
マルスは、マリクの肩に、甘えるように額を押しつける。
「…マリク、…チェイニーは、ちゃんと、ここに、いる…?」
「…………。」
どう、返事をしろと言うんだ。
まるっきり子供のようにうつむくマルスを見つめながら、
マリクはどんどん落ち込んでいき、三人はひそひそと何か話している。
「…マ、マルス、様…」
「………なあアベル、マルス様って、寝起きはいい方だったっけ?」
どうやらカインは、マルスが寝ぼけているのだと思いたいようだ。
「…お前、…そんな、王子が目を覚ます瞬間になんて、
どうして立ち会えることができるんだ。無理だろう、普通」
「……マルスは、寝起きは、悪くはないぜ?
……時々、ものすっげー悪いけど。
その寝起きのカオがかわいかったりするんだけどさ」
「………」
だから何でそんなことを知ってるんだ、なんてツッコミは、もはや通用しない。
むしろそんなことどうでもいい。
「………、」
「…マルス様。…その、あいつ…じゃなくて、チェイニー殿は…」
「………『殿』?」
ふ、と、肩に額を押し付けていたマルスが、顔を上げる。
びっくり顔のマルスに少しどきっとした。…まるっきり学習能力が無い。
マルスは、マリクの顔をじっと見つめる。
「…マ、マルス様?」
「…そんな風に呼んでるのか…。…へえ」
じぃーっと、真っ直ぐに見ていたマルスが、ふ、と笑う。
目には、いたずらっぽさが隠されていて、
口の端をつり上げるその様子は、えらく人が悪そうで、
なんだか、マルスっぽくなかった。
「………!」
その顔を見て、
「…お前、まさかっ」
アベルがマルスに暴言を吐く。
「おい、アベル! マルス様に、『お前』なんてっ」
「おい! お前っ…!!」
アベルの方を見て、マルスはにっこりと、笑顔を作った。
「あはは、…そっか、わかっちゃったのか」
「そんな喋り方をするな! 気味が悪い…!」
「アベル!! だからっ…」
カインが、アベルの肩をがっしりと掴み、説得にかかっているが、
アベルは言葉を止めようとしない。
マルスは、実に楽しそうに笑う。まったく、マルスらしくなく。
マリクと、それからロイ、カインが、ようやく、何かおかしい、と気づく。
先に行動に出たのは、ロイだった。
「…マルス」
嫌な予感が拭えない。
ロイは、つかつかとマルスに歩み寄り、その腕を掴んだ。
少なくとも、その腕の細さも、薄めの色素も、
マルスそのものだった。
「…何だ?」
が。
ここで、ロイをぶっ飛ばさないあたりが、
ロイの知ってる、マルスらしくなかった。
不本意な判断材料だけど。
「…お前、…『マルス』…?」
すごく、ものすごく、嫌な予感がする。
悪い夢なら覚めてほしい。
『マルス』、は、くすくすと笑っている。
そして。
「……あー、楽しかった」
マルスの指の先から、ふわり、と光がはじける。
やたら偉そうに、腰に左手を当てたマルスが、
反対側の手で、ぱちんっ、と指を鳴らした瞬間。
ぼぅんっっ!!
と、派手な音がして。
「………っ…!!?」
「…あっさり騙されるんだもんなあ。おっかしーの」
夕焼け空のような赤い髪、
人の悪そうなツリ目の、
「………チェイニー!!」
「呼んだか?」
チェイニーが、そこにいた。マルスの代わりに。
「なっ、…何っ、お前っ…!!」
「何だよ、その目は。
俺の能力は知ってんだろ?」
はははは、と実におかしそうに笑いながら、チェイニーはひらひらと手を振る。
要するに、今までずっと、マルスだと思っていたその人は、
チェイニーが、その変身能力で化けた、マルスだったのだ。
見分けがつかないのも、当然である。
そのものそっくりに、演技までばっちりこなしていたのだから。
「そっちの、えーと何だっけ、アベル? は、途中で気づいたみたいだったけどな。
どうだ、すごいだろ俺は?
あんなにマルスの演技が上手いのも、国中で俺だけだと思うぜ?」
「………アベル…」
「…お前は気づかなかったのか、カイン…。
…だから、気を抜くなって、あれほど…」
「……って、そんなんどーでもいーんだよっっ!!」
静かに流れていた空気が、急に強張る。
ロイが、思いっきり、大声を上げて。
その声に気づいて、チェイニーが首を傾げて、ロイを見る。
純粋そのものの顔で。
「どうでもいいって何だよ、…まあいいけど」
「よくない!! お前、マルスはどこにいったんだッ!!」
「…っ! そ、そうだっ!! おい、チェイニー!!
マルス様はっ…」
ロイとマリクが、チェイニーに喰って掛かる。
今にも、襟首を掴みそうなくらいの勢いで。
そんな二人をきょとん、と見て、チェイニーはさも、不思議そうに言う。
「…マルスがどこ行った、って。
あのなあ、少しは考えろよ、ったく」
ここに俺がいるんだぜ?
王子の、「寝室」に。
そう、何でもないように言ったチェイニーは。
「さーて。
……王子は、カワイイからなぁ?」
にいいいぃぃぃぃっっこり、と、極悪人の笑みを浮かべた。
そのセリフが、何を暗示しているのか。
聞かなくてもわかる。
「…なっ…、マルスーーーーーーーッッッ!!!」
「マルス様っっ!! …な、お前っ!!」
「なーに言ってんだ。俺を誘ったのはマルスだぞ」
「でたらめ言うな!! 押し倒してもその気になってくれないのがマルスなんだぞ!!」
どさくさにまぎれてとんでもないことを言っているロイ。
「マルス様はどこだ!! 何をしたんだっっ!!」
「俺の口から言ってもいーわけ?」
「…うっ…。」
それは、あんまり、よくない。間違ったって聞きたくない。
言葉を詰まらせ、ぎっとチェイニーを睨むマリクを、
チェイニーは相変わらず、人の悪そうな微笑みで見ている。
「で? 助けに行かなくていいのかなー、マ・リ・ク?」
「……ッ、…覚えてろよ、お前っっ!!」
びしっ!! と指を突きつけ、法衣をひるがえし、踵を返したマリク。
「マルス!! …マルスッ、今行くからなーーーーーーッッ!!」
ものすごい勢いで飛び出していったロイ。
今行く、と言っても、事後ならしょうがないような気がするが。
「俺達も行くぞ、カイン!」
「あ、ああっ!!」
笑っているチェイニーを、ぎっ、と睨んで、部屋を出て行くカインとアベル。
おそらくこの後、城の中は、総動員の大騒ぎになるのだろう。
マルスはいろんな人に、愛されているから。それはとても大事なことだった。
チェイニーが残された、マルスの寝室。
ふっ、と、子供のように、チェイニーは笑う。
「…さーってと、」
込み上げてくる笑いの衝動を抑えながら、チェイニーは部屋の中を歩く。
ベッドの反対側の壁際に備え付けられた、人一人が楽に入りそうな、クローゼット。
チェイニーは、クローゼットの扉の前で、一旦深呼吸した。
いたずら子供の顔で、クローゼットの扉をゆっくりと、手前に引いた。
その、中。
ほとんど着てもらった痕跡の無い、たくさんの服に埋もれて。
「マルス。起きろよ」
「……ぅ…ん…、」
マルスが、眠っていた。
「マルス。おい、マルス?」
「………んっ…、」
何度目かの呼びかけで、マルスの長い睫毛が、ぴくん、と揺れた。
続けて、ゆっくりと、まぶたが上がる。藍の瞳が、夜にまぎれて覗いた。
焦点の合っていない視線。
マルスはゆっくりと、上半身を起こす。
「………チェイニー…?」
「オハヨウ、王子様。見張り、いなくなったぜ」
「………え?」
チェイニーの言葉を受けて、マルスは目をまるくする。
頭を打たないように気をつけながら、クローゼットを脱出すると、
マルスはこっそりと、部屋の扉を見た。
常に閉められているはずの扉は開けっ放しで、見張りについていたはずの二人はいない。
部屋の中に、マリクもいない。いるのは、二人だけ。
マルスと、目の前のチェイニー。
「…本当だ…。…すごいな、チェイニー。どうやって?」
「企業秘密。
さあ、それじゃあ、行こうか? マルス」
「うん」
こくん、と頷くマルス。
それを合図に、二人は一緒に、部屋の真ん中を割るように歩いた。
ロイが侵入してきた、部屋の窓。
下を覗き込んで、チェイニーは子供っぽく笑う。
「これくらいなら、大丈夫だな。…じゃあちょっと、マルス」
「?」
ちょいちょいと手招きするチェイニーに、マルスは素直に従う。
傍に寄ったマルスは、不思議そうに、小首を傾げて。
そんな顔を見て、チェイニーは、再び、いたずら子供の顔をした。
そして。
「よっ、…と!」
「えっ!? …うわっ…!!」
あっという間に、マルスの身体を、両腕で抱え上げる。
お姫様抱っこ、のかたちで。
「ちょっ…、チェイニー、何っ…」
「足音は一つの方がいいだろ。マルス、動くなよ」
落とされたくなければな。
にやり、と口の端を上げて言うチェイニー。マルスは悔しそうに押し黙る。
窓の縁に片足をかけて。
二人は楽に、それを越えた。一人が抱えて、もう一人が抱えられて。
少しの高さのぶんだけ、マルスは思わず目をぎゅっと閉じた。
マルスの肩を抱くチェイニーの腕に、ほんの少し、力がこもる。
「…っと!」
やがて。
高さぶんの衝撃を受けて、チェイニーは、マルスを抱えたまま、着地した。
幼いマルスのお気に入りだったという、花であふれかえる中庭。
残念ながら、その色は、夜、という名前の黒が奪ってしまっていた。
中庭の真ん中辺りで、チェイニーはマルスを下ろしてやる。
複雑そうな面持ちで、ありがとう、と言ったマルスの肩を、
チェイニーは笑いながら軽く叩いた。
二人で並んで。
ふ、と、マルスは、何気なく振り返って見た王城について、気づく。
「………?」
「? マルス、どうしたんだ?」
「…いや…、」
夜も深い時間だというのに。
城の中は、やたらめったら、どったんばったんと騒がしい。
「……みんな、起きてるのかな。…何かあったのか?」
「まあまあ、細かいことは気にすんなって」
みんな頑張ってんな、と、くすくす笑いながら、マルスの肩を抱く。
そんなチェイニーの行動の意図にすらまったく気づかず、
マルスは頭の上に疑問符を浮かべた。天然も、ここまで来るとすさまじい。
こんな夜更けに、『王子様』が、寝室から姿を消して、行方不明。
騒ぎにならないはずがないというのに。
「行こうぜ、マルス。早くしないと、朝が来るぞ」
「あ、うん」
マルスの手首を取って、チェイニーは走り出した。
やや引っ張られるかたちで、マルスも一緒に走り出す。
大丈夫、脱出ルートは抑えてある。
中庭を抜けて。
「それにしても、ずいぶん唐突だったな」
「え? 何が、」
マルスが柵を越えるのを、手伝っていたところで、チェイニーは呟いた。
「夜の城下町が見てみたい、なんて」
「……。…うん、だって、」
うつむいたマルスは、くす、と笑った。
少しだけ寂しそうに。
そんなマルスの顔を、チェイニーは真っ直ぐに見つめる。
「…夜は、城の中から、絶対に出してもらえなかったから。
それどころか、ほとんど、部屋からも」
「ふーん。面倒だな、王子、ってのも」
「そうかもな。…でも、今はもう、そうでもないと思うから」
窓から外を眺めていただけの、力の無い子供。
今は違う。自分で、笑うことだってできるから。
柵を越えて、着地して、マルスは申し訳なさそうに微笑む。
「こんなことに協力させて、ごめんな。チェイニー」
「なーに言ってんだよ。こんな面白いこと、お前だけに楽しませてたまるか」
堅苦しいことばかり言う、マルスのお守役の騎士二人。
何かと自分を敵視している(ような気がする)、マルスの幼馴染の魔導士。
そして新たに現れた、ほぼマルスのことしか頭に入っていない、謎の少年。
その全員を、マルスのお咎めナシに騙せるなんて。楽しすぎる。
小さな声で笑ったチェイニーの横顔を、マルスは不思議そうに見た。
「…あ、そうだ。おい、マルス」
「?」
これだけは言っておくぞ、と、マルスの肩に手を置いて。
「できるだけ、俺の傍から離れるなよ。裏道に入るなら、俺と手を握ってること。
誰かに声かけられても、絶対についていくな。女はまだしも、男ならなおさらだ」
「……? …うん、」
チェイニーの警告を、理解しているのかしていないのか。
子供のように首を傾げるマルスに、チェイニーは更に念を押す。
「…喰われた後じゃ、手遅れだからな」
「……??」
やっぱりわからないらしい。いつまで経っても、この王子様は。
チェイニーは、珍しく、こっそり溜息をついた。
どうやら自分が気をつけてなければいけないらしい。お守なんか面倒だけど、
仕方ない。
辺り一面を染める、夜の闇。
幼い王子を閉じ込めていたのだろう、この暗さ。
「…それじゃあ、そこだけ気をつければ、後はお前の好きなように歩けよ」
見渡して、チェイニーは、マルスの手を引いた。
ちょっと途惑って、チェイニーを少し、見上げて。
二つの足音が、城からはなれていく。
「行こうぜ」
「うん」
幼い子供のように、マルスは笑った。
ちなみに。
結局マルスが見つかったのは、朝、お日様が顔を見せてからで、
「朝帰り」という事実に頭痛や眩暈を覚えたロイやマリク、その他いろいろな人々に、
マルスはたっぷり怒られたとか、怒られなかったとか 。
単なる「城下町見物」で、どうしてロイにまで怒られなくちゃいけないんだろう、と、
相変わらずマルスはその天然ぶりで、周辺を落ち込ませていた、 らしい。
やはり王子は総受けだろう、と。
それはもう本当はもっと色々出してみたかったですが収集がつかなくなるので諦めました。
というか自分だけが楽しくてごめんなさい(苦笑)。
紋章はこれ以外には、オグマさんとかナバールさんとかが好きです。