リースの恋わずらい(2/3)
「リース様! ……って。あれ……」 ばたんっ、と勢い良く扉を開けたシロックは、店の中を一通り見渡し、間の抜けた声を上げてしまった。結論から言うと、目的の人物はいなかった。代わりに、珍しい人間がいたのである。 「シロック? どうしたんだ?」 「…………」 「……クレイマー……と、ディアン殿。ああ、いや……」 そこにいたのは、元傭兵、現団員の二人だった。 二人そのものは珍しくはない。クレイマーは、もういっそここに住めと皆が言うほどには武器屋にくるのが日課であるし、同じ街にいるのだから、たとえ斧使いであったとしても、ディアンがいるのだって、べつにそこまでおかしな話ではない。 ただ、シロックには、二人が一緒にいることが意外だった。片や理想を夢見る子どもっぽい青年、片や悪魔が乗り移ったかの如き残忍な戦いをする者。もっともディアンの方は、最近、ずいぶんと雰囲気が和らいだようだが。 「……いや、リース様を探しているんだ。ここにいらっしゃると聞いたんだが」 「ああ、公子なら、さっきまでここにいたぜ。 一緒に剣を見て、買って……後は運ぶだけだったから、俺達が残ったんだ」 応えたのがクレイマーの方で、シロックは内心ほっとした。端的に言うとシロックは、ディアンのことが、まだ、少し怖いのである。志が同じと言えるかどうかはわからないが、同じ人の下で戦う仲間なのだ、と思ってはいても。ちなみに主な原因は、顔と体の半分を返り血で染め上げていた初対面の印象である。 「リース様は……?」 「なんだか行きたいところがあるみたいだったから、行かせたんだ。 公子はべつにそんなこと言わなかったけどさ。 なんか、様子が変だったから。ぼーっとしてるというか」 「……っ、そう、か」 胸が痛む。リースの異変は、もはや誰もが知るところなのだろうか。淡白な表情ゆえ、心の内が読めない印象が強いリースが、ここまで変わろうとは。そして自分が、そのことに気づいてなかったなんて。確かにここ最近、二人きりで面と向かって話すことは無かったが。そんな機会は、もともととても少ないのだけれど。 己の不甲斐無さに、ぎり、と空いた手を握り締める。いつだって気をつけていたいのに。 「……公子か。公子といえば」 「ん?」 ふとクレイマーが呟いたので、シロックは首を傾げた。クレイマーは武器屋の天井を見上げながら、ぼうっとした様子で続ける。こちらはこちらでどうしたのだろう。 「……俺、公子にどうしても頼みたいことがあって……」 「頼みたいこと?」 「……どうしても、気になる。一度だけでいい。……さわりたいんだ」 「…………。え?」 シロックは耳を疑った。何だって。今、何を……。 「ああいうの、優雅、って言うのか。細身なのに芯が通った力強さ、あの輝き……。 なんであんなに綺麗なんだろう」 「……いや、まあ、その通り……だとは、思うが、いきなり、何」 「さわって、この腕に抱きしめたら、どんな感じなんだろうって、思うじゃないか」 「 今度は流石に聞き逃せなかった。青天の霹靂、という他に無い。剣が恋人、を地で行くクレイマーが、まさか、そんな馬鹿なことが。声が言葉が、頭の中に響く。 ディアンの盛大な溜め息は、残念なことにシロックの耳には届かなかった。恋する者には、どうしてなかなか、本人に有利であろうことは伝わりにくいものである。 何かに焦がれ、しかしどこか切なげな瞳でうっとりと宙を見上げながら、クレイマーは続ける。それは確かに、よく知るクレイマーの姿だった。 「どんな感じなんだろう。 手で撫でたら、指でなぞったら……ああ、どれほどなめらかなんだろうな」 「……………………。」 なんだかとてもよろしくない想像をしそうになったが、気合で耐えた。 ぶんぶんと頭を横に振り、しかしやはり顔は赤くしつつ、シロックは慌ててクレイマーに言い募る。 「クレイマー! お前、こんなところで、というか昼間から何言って……」 「ああ、本当に綺麗だよなあ。あの剣」 「……………………え」 剣? 「噂にだけは聞いていたけど、まさか現物を間近で見られる日が来るなんて思わないだろ。 あんな名品、そうそう出回るものじゃないし……。 まあ、でも、しょうがないよな。どうも、公子の大切なものらしいし。でもな……」 「……………………」 シロックは、頑張って思い出す。リースの大切なもの。ぱっと思い浮かぶのは、毎回なにかしらの小包と一緒に送られてくる、リースの妹からの手紙のことだ。届け物をリースの部屋へ運ぶのは大抵シロックの仕事になるので、そのものの存在自体は知っていた。 少し前。一振りの剣が、厳重に包まれて届けられたはずだ。持ち上げたとき、予想していたよりもずいぶん軽かったので、まだ印象に残っていた。その後、戦場でそれを見た。剣の良し悪しに疎いシロックでも、ひどく目を惹く剣だった。美しい刀身が、リースによく似合っていた。 気になって、思わず尋ねたのだった。名は、確か……。 「……ロードグラム?」 「そういう名前だな。 名品は使い手を選ぶものだ。だから俺じゃあ駄目なんだってわかってるけどな」 「……………………。」 騎士は、主君の命を守る者。いつだって声を聞けるように、常に冷静であれ。 こんなことでは、今回の件を一応自分に任せてくれたエルバートに示しがつかない。これは、リースのためにしていることだ。 「……こいつのこれはいつものことだ。気にしないでくれ」 これまで喋らずにいたディアンが、唐突に口を開いた。唐突だったことより、思いがけない声の穏やかさより、クレイマーを知っているような、シロックを気づかうような物言いに驚いてしまう。 振り返って見上げる。リースのそれより深い、草原よりは森に近い翡翠色の瞳は、初対面の印象とは、似ても似つかないものだった。何があったんだろうと考えても、はっきりとした答えは出てこない。人は変わるものであり、思ってもみない一面があるものだ、という程度だ。リースも、きっと。 「それから、リース公子なら」 「え?」 「港の方へ向かうのを見た」 「港……。わかった、助かる。ありがとう、ディアン殿。 クレイマーも、ありがとう」 シロックの声に振り向いたクレイマーは、首をかしげてきょとんとするだけだった。 武器屋の店員に騒がせたことを侘びて、シロックは外へ出た。扉が閉まる前、ほんの少しだけ振り返ると、ディアンがクレイマーの髪を撫でている、というよりは、頭を軽く叩いている光景が覗けた。 本当に、意外だ 不思議な気持ちを胸に抱いて、シロックは貰った情報の通り、港へと足を向けた。 |