リースの恋わずらい(3/3)

 シノンは周囲を各国に囲まれた内陸の小さな公国だ。よって、海は無い。海が見たければ国境を越えて遠駆けをするしかないのだが、この世界情勢においては、そんなささやかな願いもなかなか叶わなかった。
 シロックは遠征軍に参加することになって、はじめて海を見た。水平線のうんと向こうで、空とひとつになってしまうような、そんな錯覚を見た。あの青さは確かに、死ぬまでに一度くらい、見ていても損は無いと思ったのだった。
 リースはどうだったのだろう。海は、はじめてだっただろうか。そんなことはないだろうと、シロックは考えていた。小さな公国だとはいえ、一国の跡継ぎだ。国外に出る機会なんか、飽きるほどにあっただろう。本人の意思は、別として。

 ナルヴィア港は、ちょうど船が来ても、出てもいないらしい、人気らしい人気はほとんど無く、ただ静寂に満ちていた。慣れない、潮のにおい。聞いたことのない鳥の声が、時折、耳につく。目を潰されそうなほどの日差しをかえして揺れる光る、水面。青。それから、風が強い。
「……リース様」
 桟橋の先。探し求めていた人は、そこにいた。
 くせのある金の髪が、たっぷりとした裾の長い外套が、風に、踊る。
「……? ……シロック?」
「リース様」
 髪を押さえながらゆっくりした動作で振り返ったリースの元へ、近づいていく。遠くに聞こえる、街の喧騒。二人きりだ、という現実が、シロックをひどく緊張させた。ほんの少し、距離を置いて立ち止まる。
「シロック……どうしたんだ? なぜ、こんなところに」
「……。ええと、その……」
 まさか、リース様が恋をしているときいて、とは言えない。いろんな意味で。
「リース様は、どうしてこちらへいらっしゃったのですか」
「私は……。……、……風のあるところへ、きたかったんだ」
「……風……ですか?」
 どんな答えが返ってきてもすんなりと納得できるとは思わなかったが、それにしたって予想外の返事だ。確かにここは、風が強くはあるけれど。心が読めない。リースは相変わらず淡々としており、これといった変化のない表情は、言葉の助けになりはしない。
「……シロック、今、時間はあるか?」
「えっ? あ、はい……これと言って、特に用事は」
 考えあぐねていると、リースは唐突にそんなことを言ってよこした。やはり意図はわからないが、ひとまずは答えたいとおりに答える。目の前のその人がシロックの時間、用事そのものなのだから、嘘ではない。
 リースはひらりと外套を翻す。いつ、どんなところにいても、何をしていても、確かに優雅という言葉がよく似合うのだと、改めて思った。
「ちょうど今から行こうと思ってたんだが、一緒に来ないか?」
「私が……ですか? リース様が、それでよろしいのなら……。
 ……、あの、どこへ行かれるんですか?」
「工房だ。正確には、工房の裏の倉庫だが……」
「工房……」
 今日の出来事の始まりの場所だ。工房の前に佇むウォードに声をかけたところから、回り始めた。
「……。……リース様、私は」
 シロックはやっと、先程のリースの問いかけに答えていないことに気づいた。こんなところにきた理由。リースを、探していた理由。
 風が強い。リースはたおやかに首をかしげて、シロックを見る。
「リース様が、どうもお元気でないようだ、と聞いたんです。皆、心配してました。
 私は、気づかなかったから……本当なのか、確かめにきたんです。
 もし本当だったら、何か、お力になれることはないか、って」
「……。……顔に、出ているか?」
「出ないから心配なんです」
 取り繕っても仕方がないので、エルバートを見習いきっぱりと言うことにした。リースはほんの少し目を見開いて、その後、申し訳なさそうに肩を竦める。子どもっぽいしぐさに、そういえばこの人は、自分とたいして年齢が変わらないのだ、と思い知らされたような気がした。
「そうか……。それじゃあやっぱり、ついてきてもらった方がいいな」
 そう言って歩き始めたリースを、シロックは慌てて追う。斜め後ろを確保して、周囲に注意を払いながら歩くことにも、やっと慣れてきた。同じ高さにある横顔は、同性の目から見てもいつだって端正で美しいけれど、淡くしか見られない感情の波は、いつだってシロックを不安にさせた。
 港から広い路地を抜け、細い横道に入る。外套の裾が壁に引きずっても、リースは一切気にしなかった。視線を上げると、路と同じかたちに切り取られた空が見える。いい青空だ。シノンはきっと、もっと天気が良いことだろう。

 やがて二人が辿り着いたのは、外観の美しさを一切削ぎ落とし、機能を果たすためだけに作られたような見た目の、確かに『倉庫』らしい建物だった。向こう側に、工房の屋根が覗いている。
 それらをぽかんと眺めているシロックを後目に、リースは正面の扉に近づき、おそらくは何か細工があるのであろう鍵を、何の躊躇いも無く弄り始めた。どう考えてもそんなことはないはずだが、なんだかとても悪いことをしているように思えて、シロックは戸惑う。
「……。勝手に入って良いんですか?」
「特別に許してもらった。私があんまり訪ねるものだから、見かねたんだろう」
 かちりと、小さな金属音が響く。鍵が開いたのだ。重い扉を押し、中へと足を踏み入れたリースに、シロックも続く。
「扉は開けたままでいい。今は明かりを持ってきていないから」
「はい」
 とはいえ、陽が真っ直ぐ差し込んでいるわけではないので、夜の闇ほどではないにしろ、かなり薄暗い。明かり取りの窓も無いようだ。目を凝らして、周囲を見渡す。壁を埋め尽くすように並べられた棚。床に置かれた箱や袋が、ついでに人が通るための道を作っていた。頻繁に出入りがあるのだろう、多少の乱雑さはあるが、埃っぽさは無い。
 工房の裏にあるくらいなのだから、そこの職人たちが使用するものが保存されているのだろう。しかし、こんなところに、リースは何の用事があるのか。工房にいる人間の顔を、一人ずつ思い出してみる。
「シロック、こっちだ」
 四人目を数えたところで、シロックはリースに呼ばれ、顔を上げた。まわりのものに足をぶつけてしまわないよう、注意してそちらに向かう。
 リースのいた場所、倉庫の隅にあたるそこは、古いカーテンでやけに物々しく周囲と仕切られていた。覗いてみると、シロックには馴染みの無いものばかりが置いてある。かるく二人は並んで寝転べそうなベッドや、剣や盾の形をした置物。滑らかな白磁の花瓶、それから、美しい細工が施された櫃(ひつ)。
 リースはしゃがんで櫃に手をかけ、重そうなふたを持ち上げる。五人目の顔を思い出した。そういえば工房に、なぜか家具売りがいたような   
「これを、自由に見ても良いという許可をもらったんだ」
 手招きに応じて側へ寄り、同じ高さまでしゃがみこむ。ほんの一瞬、やわらかい髪が肩に触れて、緊張が余計にひどくなった。声が近い。
「これが何だか、お前は知っているか?」
「……これは……」
 中を見てみると、そこには何か、布を筒状に丸めたものがあった。リースはとても大事そうに、それを持ち上げ、広げる。ずいぶん幅があり、また、長さもあるらしい、リースが腕を伸ばしても、半分ほどまでしか見えない。   絵、だろうか。夕陽のような赤い空、それを受けて輝く、黄金色の草原。の、ように見える。中央には、なにか人影のようなもの。
 なぜだか、懐かしい気持ちになる。
 問いかけに答えようと口を開きかけ、そこでシロックははじめて気づいた。絵ではない。よく見るとそれは、糸で出来ているのだ。糸を非常に精密に織り、この図を描いたとでも言うのだろうか。とても人間業とは思えなかった。
「……絵かと、思いましたが……違いますね?」
「ああ。これは、タペストリーと呼ばれるものだ。壁にかける装飾品で……、
 見た通り、制作に時間がかかる。つまり、とても高価なものだ」
「……。どれくらいなのか、訊いてもよろしいですか?」
「どのくらいだったかな……これが確か、四万……と五千ディナールくらいだったか」
「……。……、……私には、桁が一つ、間違って聞こえるんですが……」
「私もだ。どうせなら、手元に置いてみたいが……」
 リースは小さく声をたてて笑う。初めて見る貴重品より、聞いたこともないような法外な値段より、そんなリースの様子の方が、うんと胸を突いた。
「……これは……、シノンの草原と、そこにいる民を描いたものらしい」
 時間が、止まった。リースの呟きに、シロックははっとする。どこか寂しげな、それでいて嬉しそうな、しかしどうにもならないような、そんなものが、いつもよりずっとわかりやすく、声に含まれていた気がして。
 リースの腕の中のそれに、再び視線を落とす。先ほど、懐かしいと感じたことを思い出す。顔を上げると、リースもまたシロックを見ていた。
「これが作られたのは、今よりは昔のことらしい。
 ……だから、これは、アグザ族のことだろう」
「…………」
 それもまた、ずいぶん長い間、耳にしなかった呼び名だ。リースの穏やかな瞳は、シロックを真っ直ぐに見つめている。二人きり、だ。腕を伸ばせば、簡単に捕まえてしまえそうなほどに、近かった。右手で自分の左肘の辺りを掴み、己を律さずにはいられないほどに。
「おまえは、アグザ族だったな」
「はい……」
「だからおまえは、後から来た私たちより、シノンの風を、草原を知っている。
 だから、だろうか。
 私は、おまえといると、いつもよりずっと、シノンのことを思い出せるんだ……」
「……リース様……」
 自分を見る瞳や、声のおとなしさ。故郷の草原を描いたそれに再び注がれた視線から感じる、愛しみと痛み。
 父である大公は危険な戦場で、未だに戦っている。ただでさえ不安であろう妹姫、民を置いて、遠く離れたこの地に、リースはいる。尽くす相手の目は厳しい。本来ならば荷が勝ち過ぎているであろう任務を受け、兵の死と引き換えに達成して、悼む暇も与えられず、きっと、そんな姿を晒すわけにもいかない。
 物静かで、表情の変化が淡くても、けっして心が無いわけではない。そうだ、不安だったじゃないか。冷たく当たる人間が多いと。中傷や重責に黙って耐えているのだと、知っていたのに。
 シロックは、ようやくわかった。リースの恋の相手とは、おそらく   
「……こんな話をして、すまない。私はきっと、おまえと、話したかったんだ。
 ……おまえには、悪い話だが……」
 確かに、悪い。シロック自身、そう思った。しかし、悪いと思う理由が違う。リースは、軍の指揮官である自分が、部下の士気を殺ぐような話をして悪いと思っているのだろう。もっと言えばいいのに、と、シロックが考えているとは知らずに。生まれ一つで言えることが増えるのなら、遠慮なく吐き出せば良いのだ。それで少しでも、楽になるのなら。
 ただ、どうせなら。生まれのことではなく、自分自身が、目の前の人の安らぎになれれば、もっと良かった。自分の生まれが草原で無ければ、こんな言葉は聞けなかった。自分は、必要とされなかった。それだけだ。   リースの恋の相手は、故郷、だったのだから。
「……リース様は」
 敵うはずがない。シロックは、情けなく笑う。
「……?」
「リース様は、ナルヴィアに来てからも、いつだって平静でおられました。
 シノンで過ごしていたころと、何ひとつ変わらず……私たちが、不安にならないように。
 本当に、ご立派だと思っております。……けど」
 リースの瞳が、不思議そうにシロックを見つめている。シロックにとっては、自分の生まれより、その碧色の瞳の方が、よほど草原を思い出させた。
「あんまりいつもどおりでも、やはり私は、かえって不安に感じます。
 先程も言いましたが、お力に、なれるなら、なりたいんです。
 リース様は、公子様であるより、我らの主君で、指揮官であるより前に、
 ……ひとりの人間で……大切な人、ですから」
「……シロック」
 表情が、わずかに揺らぐ。それを見て、シロックは突然、なんだかとても大胆なことを言ってしまったような気分になった。自分の科白を思い出すと、そのとおりと言えなくもなかった。正直な気持ちだったので取り繕う気にもなれず、シロックは黙り込む。やまほどの焦りを、必死に押し隠しながら。
 暗い倉庫に居座る奇妙な沈黙は、しかし、それほど不快ではなかった。
 やがて、リースが唇を開く。緩む口元が、視線を惹いた。
「……そうか。
 それならこれからは、おまえの時間が許したときは、おまえを呼ぶことにしようか」
「……。えっ」
「迷惑なら、無理にとは言わないが……」
「えっ!? ええと、いえ、違います、そうではなくて……。
 ……その、……私……で、良いんですか?」
「おまえが私に言ってくれたんだろう。だったら、おまえに言うのが私も気が楽だ」
 腕の中の“恋”を丁重に元に戻しながら、リースはずいぶんきっぱりと言った。自分が代わった方が良いのだろうかと考えるが、それを扱う目の前の人が心なしか楽しそうに見えるので、手は出さずに後ろ姿を眺める。正確には、眺めながらぐるぐると、何度も何度もリースの声を頭の中で繰り返す。
 櫃のふたを閉め立ち上がったリースに続いて、シロックも立ち上がった。こんなところに二人きりでいるのが、いまさらとてもおかしなことに思えた。
「ありがとう」
 短い言葉、それから、やわらかい微笑み。
 つかえが取れた胸が、一気に軽くなるのがわかった。
「…………、」
 腕を伸ばしたくなるのを、何か言いたくなるのを必死に堪えながら、別のものを探す。
 それは、幸いなことに、すぐに見つかってくれた。
「リース様。そういえば、昼食を召し上がっていないとか」
「……。……ああ……、……最近、あまり食欲がないんだ」
 長い前髪を手でおさえつけながら、リースはばつが悪そうに呟く。精神的抑圧からくる食欲不振、というものだろうか。答えがわかれば、あらゆる出来事に理屈が通る。今日の一番最初、ウォードが工房の前にいたことも、たまたまそこにいたわけではなかったのだろう。リースが工房付近に通っていることに、気づいていたのだ。
 ならば、エルバート達と遭遇したことも、偶然ではなかったのだろうか。それならそれで、今は都合が良い。考える間もなく、シロックは、迷わずその台詞を言っていた。
「今日は、マリーベル殿が、クリームシチューを作ってくださったそうです。
 リース様のお好きなものだと聞きましたが、
 それならば、少しは食べられるのではありませんか」
「へえ、そうだったのか。……、そうだな、ちゃんと、食べないと。
 せっかくだから、行くことにしようか。……シロックは……」
「お供します。リース様。お一人には、させられません」
 それに、もう少し、傍にいたい。わがままでささやかな願いは呑み込んで、シロックは先行してその場から足を踏み出した。家具が並ぶ一角から出て一度立ち止まり、外套の裾を引っ掛けないよう気をつけながら歩き出したリースを待つ。
「足元に、お気をつけください」
「ああ……、…………!」
 振り向いてそう言った、本当にそんな瞬間だった。
「え……」
 途切れた息、空気。流れの変わる、刹那。リースの体が、ぐらりと傾いて倒れる。   理解するより前に、体が動いた。振り返り、腕を伸ばす。
「リース様っ!」
 右腕で、掬うように抱きとめる。左腕は背中に回し、胸にしっかりと抱え込む。反射で行われた判断が良かったのか、一緒にもつれて転ぶようなことにはならなかった。浅い呼吸を二つ、深い呼吸を一つ。
 胴着に外套を羽織っただけの格好が、そう感じさせるのだろうか。腕に抱えたリースは、普段の大人びた印象と比べると、ずっと頼りなかった。
「リース様、大丈夫ですか!? お怪我は……」
「え……、あ、ああ。すまない、平気だ。ちょっと……目眩がして……」
「急に動いたせいでしょうか。それとも、やはり体調が優れないのでは……」
「大丈夫……だ、……本当に……」
 リースはシロックの腕の中で、やけに茫然と見上げている。驚いたような、焦っているような、それだけではない、もっとべつの何か。転びかけたのを支えただけで、こんな目で直視される覚えはなく、シロックは首をかしげる。
「リース様? どうかされましたか?」
「……、……いや……」
 戸惑い   だろうか。リースの表情にやっとそれらしい単語を探り当てたが、それ以上のことはわからなかった。
「……………………。」
 ふと、気づく。腕の中。   いつまで、こうしているつもりだ。
「……! あ……の、申し訳ありません。……、立てますか?」
「ああ……。……ありがとう、シロック」
「いえ……その、失礼いたしました。お怪我がないのなら、なによりです」
 背中を支え、姿勢を正すのを手伝う。熱と重みの喪失感には気づかないふりをしながら、やがて、ふれていた手を離した。同じ背丈、瞳。髪が、ほんの少し乱れていた。
 リースはまだ、シロックを見つめている。
 驚き、焦り、戸惑い。それから、あとは、なんだろう。
「……あの……リース様? なにか」
「……なんでも、ない。……行こう」
 なんでもない、というリースは、どう見ても動揺しているのだが、シロックには理由がわからない。わからないものは仕方がないし、本当にただ困っているだけで、苦しそうなものは感じない。ならばいいかと溜め息をついて、シロックはリースの少し前を歩く。後ろからリースがついてくる気配に、うんと幸福を覚えながら。
 倉庫を抜け、外へ出る。瞬間、吹き抜ける、風。リースが港にいたわけも、ようやくわかった。あれは、本当に、風を求めていたのだ。
「…………」
 ふと、シロックは思う。ウォードの発言、エルバートが、シロックにリースを任せたこと。そういえば、それが未だにわからない。
 ウォードはなぜ、リースの様子がおかしかったことを、いきなり恋に結びつけたのだろう。リースが例えばレオンのように、普段から恋多き者であったのならともかく、天然、鈍感を絵に描いたようなリースである。ウォードもウォードで、その辺りのことには不得手なようなので、単に勘違いだったのだろうか。やはり過保護である。これもこれでずいぶん失礼なことを考えているが、シロックはひとまず気にしなかった。
 そして、エルバートだ。結果的に、シロックの出自がリースの気落ちの部分と合致して、リースを多少なり励ますことにはなった。が、それにしては、ずいぶんと出来すぎではないだろうか。
「(……エルバートさんは、リース様のお悩みを知っていたのか?)」
 でも、それならそれで、言えばいい、とも思う。役に立てるのだ、と。シロックの知るエルバートは、そういうことをはっきり告げる人間だ。感情の機微よりは、損得勘定を優先するのである。
「(……。知らなかったのなら……自分で訊けば良い……ような)」
 聞けばリースは、エルバートを兄のように慕っているという。リースが物心ついたころには、エルバートは既に従騎士だったのだ。二人でいるのも見かけたことはあるし、わざわざ、これと言って近しい関係にあるわけでもないシロックに任せる理由がない。
「(……。やっぱり、面白がられたのか?)」
 考えることに飽きてしまった頭が、結局はそこに行き着いてしまった。結果が今、これであるのなら、もう何だって良い気もした。リースはここにいて、どんな要因があるにしろ自分を求めてくれた。ならば、それで。
 通り抜けるように、風が吹く。髪を押さえながら、振り返る。見ればリースも同じようなしぐさをしていて、何も変わったことではないのに、特別なことのように思えてしまった。ほんの少しだけ声をたてて笑うと、リースが気づいて首をかしげた。
 空を見上げると、端の方はわずかに茜が差しかけていた。明日もきっと、良い天気だろう。今は遠い、シノンの草原も、また。
 昼食、という時間ではなくなってしまいましたね。
 ああ、そうだな。
 たいした意味のない、大いに意義のある会話で繋がりながら、二人はナルヴィアの街に溶け込んでいった。




「…………」
 少し前を行くシロックの背中を追い、リースは歩く。手を伸ばせば、届きそうな距離だ。弓を持ち、矢を番える手。先程、転びかけた自分を、その手のひらが支えた。肩に、胸に、腕の感触が、体温が残っている。そっと、指でふれてみて。
「………………?」
 リースは頬をかすかに染めて、自分の中のなにかに、静かに困惑するのだった。


ウォード様が見てる

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