リースの恋わずらい(1/3)

 ベルウィック同盟の長がとんだ問題児であろうが、ラーズ帝国の人間があちこちで悪さをしていようが、美しく澄み渡る青空の下、ナルヴィア城下町は今日もそれなりに平和だった。あらゆる人間で賑わう大通り。昼食の後、暖かな陽の光を浴びながら散歩を楽しんでいたシロックは、通りがかった工房の前に、よく知った人物を見つけて立ち止まった。足をそちらに向け、声をかける。
「隊長?」
「うん? ……おお、シロックか」
「どうかなさいましたか。難しいお顔をされて」
「うむ……。……うーん」
 返事もそこそこに、ウォードは再び首を傾げ唸ってしまう。側まで近づくと、眉間の皺がいつもより多いような気がした。いちいち数えているわけがないので本当のところは定かではないが、とにかく目の前の人が、何事か悩んでいるのは事実である。
「いや、リース様が……」
「リース様?」
「……どうもここ最近、ご様子がおかしいのだ。何と言えば良いのか……。
 ぼーっとしておられるというか、口数が少ないというか」
 それはいつものことじゃないですか、とは言わなかった。シノン公国大公バーンストルの右腕、とあれば、おそらくはリースが幼少の頃から、ずっとその成長を見守っていたのだろう。つまりシロックは、ウォードはリースに対して、やや過保護気味なのだ、と思っていた。娘クリスへのそれとは、少々種類が違うとはいえ。
 微笑ましいなあ。勝手な想像で身近な平穏に和んでいたシロックは、危うく次の言葉を聞き流してしまうところだった。
「あれは、そう……そうだ。まるで、恋でもしているかのような」
 シノン騎士団の弓騎兵、名をシロック。年齢は、いわゆる青少年。
 目下の悩みは、叶うことのない恋についてであった   彼が仕える年若き主君、リースへの。

***

「リース様が、恋……?」
 いろいろと忙しい身であるウォードはすぐにその場を去っていったが、取り残されたシロックが、今度は大いに思い悩んでいた。恋。恋。主君であり、守るべき人であり、想い人であるリースが。恋   
「……そんな、まさか、あのリース様が……」
「なるほど、そうだったのか。納得した」
「うわあっ!?」
 自分しかいないと思って盛大にひとりごとを呟いていたというのに、なぜか返事、というよりは横槍が入り、シロックは慌てて振り返った。
「何を驚いているんだ、シロック。騎士ともあろう者が情けない」
「エルバート、さん」
 騎士団の中でも指折りの実力者がこんな話の最中いきなり現れれば、誰だって多少なり平静を乱すのではないだろうか。と思ってみても、おおよそは指摘の通りである。深く息を吸って吐いて姿勢を正し、見ると、エルバートの背後に、さりげなくレオンとアデルが控えていた。相変わらずの二人一組っぷりだ。
「よお、シロック。昼飯はもう食ったか?」
「あまり気にするな、この人は、新人をからかうのが趣味なんだ」
「……、皆さん、どうしてこんなところに」
 とりあえず、定型通りに尋ねてみる。すると、
「騎士の勘が、ここで何か愉快なことがありそうだと告げたんだ」
「アデルがルミエール殿に会いたいって言うからさ。付き添いで」
「っな、レオン! 俺はべつにそんなこと……!」
「…………。」
 こんな答えが返ってきた。つまり、暇だったのだろう。ああやっぱりなとさりげなく視線を逸らし、溜息をつく。
 そこで、ふと、シロックはエルバートの言葉を思い出した。騎士がどうだの、勘がどうだの、それらではない、一番最初の言葉を。
「……納得した、って……」
「ああ、その話か」
 忘れるところだった。納得したということは、思い当たる節があるということだ。リースの様子に関して。
 上背のあるエルバートを見上げる。するとエルバートは、なんだかとても楽しそうに唇の端を上げた。それを見て、なぜかレオンも上機嫌で近づいてくる。意味がわからず首をかしげると、エルバートは身を屈め、声を潜めてシロックに耳打ちした。
「やっぱり気になるのか?」
「はい?」
「そりゃあ、秘かに思っている相手のことだ。気にならないわけがないな」
「は、………………ッ!?」
 告げられた内容をきちんと、向こうが意図したとおりに解釈し、理解するには、多少の時間が必要だった。
 思わず一歩後ずさる。気持ちとしてはそのまま騎乗して全速力で逃げ出したかったが、残念なことに馬はいないし、おまけにレオンにがっちり肩を組まれ捕まってしまった。
「な、何言っ……! 俺、じゃない、私は……っ!」
「今更隠すこともないだろ。なあ、エルバートさん」
「お前がリース様を大切に思っているのは見ればわかる。あくまでも主として、だがな。
 それ以上なのかどうかが気になっていたが……まあ、こういうわけか」
「違ッ、違いますって! そんな、リース様に顔向けできないようなことは何も」
「種類が違っても、純粋な好意に悪いことなどあるはずないだろう。
 なんだ、それともお前は、顔向けできないようなことを考えているのか?」
「いやあ、年頃だもんなあ。若いなあ」
「〜〜〜〜〜〜ッ!」
 ああ俺なんでさっき隊長にお声などかけてしまったのだろう、あの人が何事か悩んでいるのも、それはそれでいつもどおりだったじゃないか。歩けば問題にぶち当たる、気苦労の絶えない人なのだから。
 シロックは己の行動を、いやというほど後悔した。
「まあ、いい。教えてやろう。リース様は」
 しかし、リースのことは気になる。それはもう、エルバートの言葉に、耳を貸さないわけにはいかないくらいに。
「ここ最近、どうも食が細くおなりだ。今日も昼食を召し上がっていないようだな」
「……え……」
「せっかく今日はマリーベル殿に、クリームシチューにしてもらったのになあ……」
「……クリームシチュー?」
「知らないのか? リース様の好物だよ。ちなみに、お口に合わないのはカニ料理」
 あ、同じだ。
 などと考えている場合ではなく、シロックはますます困惑する。どうにも半信半疑だったリースの恋の可能性が、五割から八割になってしまった。食事が喉を通らないほど、なんて、確かにただごとではない。恋の病の典型的な症状である。自分がどうであったかはさておいて、この場合そう決まっているのだ。ついでに言えば、いや非常に重要な点だが、それが原因で体なんか壊されたら、それこそたまったものではない。
 そこまで誰かを一途に思い、悩むなんて。誰にだって穏やか、つまり誰も特別ではない、あの人が。妹姫のことは、とりあえず置いておくとして   
 誰もそこまでは言っていないのだが、恋する青少年の想像は、既に若干暴走領域に入りかけていた。
「……一体、どなたに、そんなに……あのリース様が、どんな方を……」
「誰だろうなあ。流石にそこまではわからないが。
 なあアデル、心当たりはないか?」
「は? ……いや、そういうことは、お前の方が得意だろう、レオン。
 俺にはよくわからないが……」
 なんだかとても哀れそうな目で事の成り行きを眺めていたアデルは、それでも話を振られると、ひどく真面目な顔で考え始めた。レオン曰く、そこがアデルの良いところであり、同時に悪いところでもあるらしい。
「確かにリース様は、最近ずいぶんふさいでおられるように見える。
 あそこまでお悩みなのであれば……身分違いの恋なのではないか?」
「なるほど。それはなかなか、いい線いっているんじゃないか?」
「この場合、お相手の方が身分が上なんだろうな。それなら確かに」
 あんたら絶対俺をからかって楽しんでいるだろう   やっとこんな感想が出てきたが、当然そんなことを口に出来るわけがなかった。
「……リース様より、身分の高い方……」
 どうしようもないので、シロックは、こちらもこちらで大真面目に考える。リースはこの街、と言うよりあの城では、ずいぶんと軽く見られ、下の者として扱われるらしい。シノンだけで過ごしていたころなら信じられなかっただろうが、現実を突きつけられれば信じるほかなかった。リース自身は何も言わないし、相変わらず淡々とやり過ごしているようではあるが。
 街の人々の噂話や、自分の目でほんの少し垣間見たことを、頭の中で並べてみる。この状況で、リースが恋をしそうな相手。
    まさか。まさかとは思うが。
「……もしかして、シェンナ王妹殿下   
「あ。ひょっとして、ウォルケンス国王陛下とか?」
 一つの結論にたどり着こうとした、その時。あまりにもあんまりなもう一つの結論が、レオンの口から、ぽい、と軽く投げ込まれた。
 無言。
 しばらくの時を置いて、シロックの握り締めた手が震えだす。エルバートはエルバートで、腹を抱え笑いをこらえて震えているのだが、シロックはまったく構わなかった。
「……な、何を言ってるんですか、なんでそこでそっちの名前が出るんですか!」
「身分の高い方を上から順に並べたらそうなるだろ」
「聞けば国王陛下はリース様にひどく冷たく当たるらしいじゃないですか!」
「だからお悩みなんだろう。辻褄は合っているじゃないか」
「だいたい男性ですし」
「お前だって男だろ」
「今更なつっこみはやめてください!」
 まったくである。
「リース様が、そん、な、悪名高い方を、……お歳だって、すごく、離れ、て……」
「シロック。お前、何を想像しているんだ」
「えっ」
 ぎく。そんな効果音が聞こえてきそうな様子で、シロックは肩を強張らせる。
「顔が赤いぞ。我らの主君を相手に、一体なにを   
「な、違っ、な……っにも、考えてません、考えてませんって!」
「まあまあ、若いんだからしょうがないじゃないですか」
「だから違うって言ってるじゃないですかーっ!」
 とはいえ表情は隠しようがないし、シロックは最初から、先輩騎士、特にこの一人と二人には絶対に勝てないと、よくよく理解していた。当たらない矢でも一応放ってみる主義ではあるが、負け戦をするような体力はない。
 落ち着こう。
 深呼吸を二つ、三つ。エルバートを見上げて、シロックは神妙に言う。
「……事情はともかく、お食事をなさらないのは心配です。何か出来れば良いのですが」
「うん、殊勝な心掛けだな。
 ならば今すぐリース様のもとへ行き、愚痴の一つでもいただいてくるといい」
 そんな無茶な。
「……。お言葉ですが……それは、私より、エルバートさんの方が適任なのでは」
「まあ、お前よりはずっと、リース様のことを知っているがな。
 だが、お前は、リース様を好きなのだろう?
 若い者の恋を応援してやらないとと思う俺の気持ちを少しは汲め」
 エルバートはひどく真面目な顔でさらりとこんなことを言ってのけるが、しかし。
「……。面白がりたいだけですよね?」
「そうとも言うな」
 がっくりと肩を落とす。シロックにはいい加減、エルバートがどんな人間であるか、少しくらいはわかっていた。
 こんなことを言っていても、リースのことを、本当に心配していることも。
「……わかりました。あの、リース様は、まだお部屋にいらっしゃるのでしょうか?」
「ああ、リース様なら」
 関わり合いになりたくないのか、ずっと傍観していたアデルが、久々に口を開いた。少しくらい助けてくれたっていいのに   シロックのささやかな八つ当たりになど気づくわけもなく、アデルは路地の向こうを指差しながら、言う。
「武器屋が新しいものを入荷する日だから、今日は剣を見に行かれたはずだ」
「剣……ですか」
 そういえば、リースは、自分の使うものは自分の目で見る主義である。どうやら時間があるときは、専門外の武器屋へも足を運んでいる様子だが、シロックには理由はわからなかった。
「わかりました、ありがとうございます。行ってみます」
「ああ。頼んだぞ。じゃあ、がんばれ」
「……、……はい」
 べつにがんばることなど、何も無い。リースの恋の相手は、絶対に自分ではないのだ。エルバートの言うとおりに、リースに弱音を吐き出させることが出来るほど、気の利いた言葉をかけられるわけでも、親しいわけでも、心をゆるされているわけでもない。自分にはリースのことなど、未だに何ひとつわからないのだから。ただ、とても大切な人である、としか。
 別れの挨拶をすることだけは忘れず、シロックは、重いような軽いような足取りで、昼下がりの城下を駆け出した。

「あれ、良いんですか。エルバートさん」
 シロックの後ろ姿を見送りながらぽつりと尋ねたレオンに、エルバートは腕を組み、実に満足そうに笑いながら答える。
「まあ、心の底からあてにはしていないが、ひょっとしたら、ということもあるだろう。
 最低でも、リース様のお心が少しは休まるだろうさ。
 有ること、成すこと、何事も、リース様の御為に。俺は、俺にそう決めているが?」
「……、エルバートさんには、つくづく頭が下がります」
 二人の秘密の会話は、いつの間にか共犯者にされているアデルの耳に届く。小さく、溜め息を吐いて。
「……わかっててやっているんだもんな。怖いよ、エルバートさんは」
 アデルの一言は今度こそ誰にも聞かれず、発した本人以外には形も意味も成されないまま、街の喧騒に消えた。

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