And if I die before I wake.



9.



「なんの、冗談、だ」

彼は瞬きもせずに(呼吸も止めているように思える)喉を震わせた。殴りかかってしまいたい衝動や溢れだす罵倒語を全て飲み込んで押し込めて、なんとかまともな言葉を選んでくれたようだった。
僕はと言えば彼の強い視線を浴び続けるぐらいの事しか出来ず、そうしていると彼はああ、と得心したかのように振舞った。そして皮肉混じりの吐息で嗤う。

「機関とやらはまた意向を変えやがったのか?『やっぱ寄り戻して来い』ってか?」
「・・・・」

瞼を緩く閉じる。黒い世界で彼は無理に吊り上げた唇を元に戻し、暫し探るように黙った。
僕はゆったりと身体の力を抜き、一度無心になろうと静かに深く呼吸する。

「古泉・・・やめろよ、もう良いだろ。そんな機関の命令とかいちいち聞くこと・・・」
「違います」

瞼を開き、彼に間違っても迷いのようなものを見出されたりしないよう丁寧に告げた。
下がり気味だった顎を少し、上向ける。

「これは、僕の意思です。機関は、関係無い」

僕が一度瞬きをする間に、彼は四度瞬いた。それだけで彼の心中が推し量れた。

「僕は貴方が好きだった。恋人という関係になる以前からなのか、それ以後なのかは僕には分からない。ですがそれでも、事実であることだけは・・・否定、出来ません」

意識をしたのは昨日の事ですから、厳密には昨日貴方を好きなったと考えても良いかのかもしれません。
僕なりに少し言葉の重さを軽減したつもりの言葉だったが、彼は余計に表情を強張らせてしまった。僕は、僕が言おうとしている言葉に含まれる棘を少しでも減らせたらと、出来得る限り柔らかく微笑む。

「そして、今もまだその感情を持ち続けているのも・・・事実です」

僕の努力も甲斐は無く、彼は歯を食い縛り床に投げ出されていた手を握り締めた。自らの手を潰そうとするような力の加減に、作った握り拳がぶるぶると震えている。

「本気で言ってんのか・・・」
「・・・・・」

否定を強制する声音と視線を、僕は只管受け取る。刺さる、というよりは叩き付けてくるような鋭さと強さにも僕は静かに居ずまいを崩さない。

「な、んで・・・!なんで『今』言うんだ!それを言って良いのは『今』じゃないだろうが!」

彼の重低音と時折掠れるように高くなる怒声が鼓膜と心臓を叩く。身を乗り出す勢いのまま伸ばされた腕が僕の胸元付近のシャツを掴み、昨日と近い状態に持っていかれる。ひとつ違うのは彼の手に、引き止めるような、もしくは縋りつくようなそういった類の弱々しさがあることだった。

「『今』それを聞いた俺が、はいそうですかって頷けるとでも思ってんのか!」
「・・・・・」

僕は彼の言葉を引き出すために黙っていた。彼は乱れた心臓を宥めるように何度も肩を上下させる。
短く吸い、長く吐き、長く吸って、止めて、小さく吐く。呼吸のリズムすら狂っていて、声を出すタイミングが取れないでいるように僕には見えた。

「一年半騙され続けてたって知ったのが一週間前だ。そんなんで言われた言葉を、どうやって、信じろってんだお前は・・・!」

もはや嘆きのようになった声と彼の震え続ける手の甲に小さな痛みを覚える。それでも謝ることは、ない。
散々謝罪の言葉を並べたけれども、これから先の事は決して同じようにすべきではないのだ。謝罪で逃げ道を作ってはいけない。

「・・・一週間前だからですか?もっと後なら何かが変わりましたか?」
「そ、りゃあ・・・今、よりは」
「本当に?」
「・・・っ」

静かな瞳で見下ろしたのに、彼は怒鳴られたようにびくりと肩を跳ねさせた。
きつく睨む視線はひらひらと落ち葉のような動きで僕から逃げて行く。

「貴方は既に気付いておられるはずです。・・・僕の言葉、仕草、表情、その全てに疑いを持ってしまっていることを」
「・・・・・」
「それが、もはや貴方自身の意思ではどうにもならない域にまで来ていると」

分かっていた。もう僕の言葉が彼の中で嘘にしか変化の出来ない劣悪品になっているのだと。
彼の人生の中で最も重要な時と呼んでも差し支えないようなこの2年半の、僕と過ごした部分全てが偽りだと知ってしまった。一度の嘘や数日の虚構ではない。赦しや怒りと言った次元は遥かに超えている。
僕は、彼の得がたい崇高なはずの時間を、記憶を、感情を、塵屑のようにしてしまったのだ。

ついに彼は僕のシャツを握ったまま僕の肩に額を落とした。
引き寄せられていた僕は開放され、彼の重みと共に元の位置に戻った。

「光栄です」

弾かれたように彼は顔を上げる。相変わらず両手はシャツを掴んだまま皺を固定していた。
少し出来たスペースで僕は不自然に縮こまっていた足を少しだけ自由にしてやる。

「貴方はそれでも必死に僕を信じようとしてくださったでしょう?」

それぐらいの事は貴方を見ていれば分かります、と口元を和らげる。彼の隣で、傍で、ずっと生きてきたのだ。小さな感情の変化を感じ取れるほどには彼を見てきた。自惚れではなく、この世界で最も彼の近くを赦されたのが僕だったのだから。

「それで充分です。充分過ぎる程だ。無理をしてまで信じてくださることを僕は望みません。僕は僕の勝手な理由で想いを伝えようと思ったまでなのですから」
「・・・。・・・おれ、は」

彼はゆっくりとシャツを巻き込んだ指を解いていく。ぐしゃぐしゃになったシャツが彼の掌の下から現れる。彼の肺が大きく膨らんで縮むのを、僕は丸まった背中の動きで確かめていた。

「俺、は、お前が、やっぱりまだ・・・好、きで」

『好き』という音に力が篭っていたのは偶然ではないのだろう。恋人同士であった時ですら両の指で足りるぐらいしか聴いた事の無い言葉だった。けれどどうしてだかそれを彼がここで口にしているのは当然の事のように思えた。

「だから俺はお前の言葉に冷静じゃなくなっちまう。本当か、嘘か、見抜けない阿呆になる」

彼は顔を上げた。僕の目を見て、くしゃくしゃに歪んだ顔で「怖いんだ」と言った。

「俺は、怖い、んだ。古泉。お前の言葉を鵜呑みにしちまう自分が、怖い。俺は、ぜったいに、お前に騙される」

首を振る。何度も。
それから逸らしそうになる瞳を力を込めて僕の方向で停止させる。強張った表情で、それでもはっきりと彼は声にした。

「信じちまうから・・・信じられない。何も見ないまま頷くような俺を自覚しているから、もうどんなに必死になったって、俺はお前の言葉を信じることが出来ない」

肺の空気殆どを使って言い遂げた彼は、残りの酸素で「すまん」と俯いた。
謝らないでくださいと言ったのに、彼はもう一度「すまん」と繰り返した。貴方は何も悪く無いのに。そう言いたかったけれどまた彼に謝らせてしまいそうでそれは言えなかった。

「・・・有り難うございます。きちんと答えて下さって」

彼が自分をまだ好きでいてくれた事を悲しく思うのに、胸には勝手に愛おしさが広がる。
震える声にさえ脳がくらくらして嫌になった。

「お前・・・馬鹿だよ。それ言ったら余計俺がお前を信じられなくなるってのも分かってたんだろ?」
「ええ。今までの愛の言葉は嘘だと言った一週間後に「実は好きでした」だなんて、信じるほうがどうかしています」

多くのものを赦し受け止める強さを持っているが、彼は聖人ではない。傷付けられても痛みが無いはずも、それを許容して消化出来るほど完璧な存在ではない。そして、何もかもを信じる純朴な天使でもありはしない。
今までの何が嘘で何が本当なのか、今の言葉が本当なら過去の言葉は嘘ではないのか、過去が嘘なら今の言葉は嘘なのか。そうやって信じながら疑ってループし続ける思考に苦しんでいる普通の人間だ。

僕はそんな欠点も長所も兼ね備えた、どこにでもいる一般人の彼を見つめる。

「それでも、古泉一樹という『ただの人間』として一番最初に選ぶ選択肢はこれでありたかったんです」

彼はどこにでもいる一般人になった僕の台詞に、下ろした頭の重みにふらつきながら顔を上げた。

「昨日、僕は能力をなくしました」
「・・・は?なくした、ってお前、え?」

だから僕は今、ただの人です。
閉鎖空間が発生しない今それを証明する術はないが、昨今の状況を知る彼に否定は出来ないはずだ。
伏せがちだった瞳が、此れでもかというほど見開かれて丸くなっている。

「彼女が望んでくださった結果と思われます」
「ハルヒ、が?」

彼女は気付いていた、きっと。僕が、どこか本音を言えずにいることに。何らかのしがらみを抱えているのだと、感ずいていた。
一見周りを気にせず突き進むような彼女は、けれどその真っ直ぐな目で僕らの事をいつだって見ている。「団長だから」という照れ隠しを使いながら、彼女は彼女にとっての大切な人たちをいつだって守ろうとしてくれている。

そんな優しい少女は思ったのだ。
頬を腫れさせ、笑顔も作れず沈んでいた僕の姿を見て。

【しがらみがなくなれば、きっと言いたい事が言えるはず】

だと。
ただそれだけのために彼女は祈り、力を使った。
この目の前の彼の為ではなく、僕のために。ただの転校生であったはずの、それだけの価値であったはずの僕に。

「だから、今の僕には『古泉一樹』として選択をする権利がある」

彼女の想いに僕は答えるべきだ。

「選択をすべき義務も、ある」

意味が分からない、とありありと浮かんでいる顔に僕は一度笑い掛け。
それから崩れた姿勢を正して彼に向き直る。

「僕は貴方に想いを伝えようと決めた時、同時にそうすることで貴方の心を乱し、傷付け、僕らの関係が二度と元に戻らなくなるとを理解していました」

覚悟はしてきた。
関係も、絆も、信頼も、信用も、友情も、きっとあったはずの愛情をも、壊してしまう覚悟。
そして弱りきっている彼をさらに傷付けても、己の選択を違えることをしない覚悟を。

「万が一、僕らが恋人同士という関係性に戻ったとして、それで何が解決するでしょうか。貴方はつらいだけだ」
「自分を騙し続けてきた男の、掌を返したような愛の告白を聞きながら日々を過ごす。優しい貴方は僕を信じようとして、しかし疑い続ける。不安になるでしょう。痛みと苦痛ばかりだ。きっと」

だから、このままで良いんです。僕は誰にともなく頷いた。

「自覚したこの感情を僕が隠し通したなら、きっと遠くない未来で、違う形ではあっても修復できるでしょう」

優しくてお人好しで甘い彼は「機関の命令」で動いていた僕を切り捨てたり出来ない。逆らえなかったのだと、彼は自分を納得させるだろう。そしてまた虚構の恋人ではあっても情を交わし、仲間としてもずっと一緒にいた相手をあっさり忘れてしまえるほど彼はしたたかではない。
僕は、それに付け込んでしまえた。

「それでも僕は、貴方に一生心から信じて貰えなくなるとしても、こうすることを選びました。最悪の結果であっても僕にとっては最良の選択なんです」

【僕】が、決めた。
命令、義務、役割、常識、倫理、使命。僕に染み付き纏わり付いていたあらゆるものを、いま僕は持っていない。
絶望や恐怖や怒りや諦念を隠す仮面はとっくに剥がれ落ちている。
これは、何も持たない剥き出しの僕が選んだ、まごうことなき【古泉一樹】としての選択だからだ。
言い訳なんて出来ない。逃げ場もない。けれどそれは震えが走るほどに嬉しかった。

「貴方を騙し続けた代償にしては、軽すぎるくらいだ」

一生疑われ続けることが辛くないわけがなかった。
信用や信頼がもう二度と手に入らないことが苦しく無いわけがなかった。
僕が触れようと望んでも、彼が触れようと望んでくれても、それは実現されることはない。薄い壁が僕らの間で存在し続ける。消えることはないだろう。悲しく無いわけが、ない。
近過ぎる僕らの距離は、一層痛みを増幅させる。愛おしさも、また。


―― それでも後悔をする平穏より、後悔をしない苦痛を選びたいんだ。


勝手な言い分だと、我侭だと、彼に苦痛を強いてなお選択すべきことじゃないとは、知っているけれど。

「・・・・・・」
「・・・最後に一度だけ」

いいですか、と視線で問い掛ける。彼の目はイエスともノーとも言っていなかったけれど、身を乗り出すようにして近付いても、腕をやんわりと掴んでも抵抗はなかった。その代わり能動的に動いてくれることもなく。
いつもよりも表情の足らない彼は、他人事のように僕の顔が近付くのを眺めていた。

唇の皮膚と皮膚が掠るように触れ合う。震えそうになるのを堪えて、彼の薄い唇の弾力を確かめる。冷たくて、乾いていて、これはちゃんと唇だよな、と頭の隅の方で不安になる。
何度も重ねてきた行為のはずなのに、「初めて触れ合っている」んだ、と泣きそうな思いに駆られた。

「・・・・」

ゆっくりと離した唇にはまだ彼の感触が残っていた。純粋な子供のようなキスで感じる余韻が、切なくて堪らなかった。
これ以上彼に触れていたらいろんなものが崩れてしまいそうだ。
それなのに僕は、腕に添えているだけだった掌を彼の唇が小さく震えた事で離し損ねてしまったのだった。
微動だにせず彼は僕の目を見ている。縋るような、と表現するのは些かおこがましい事だろうか。
咽喉に栓をされて呼吸が上手くいかない。彼もまた同じようで、飲み下そうと喉を動かすのが皮膚の上からでも見て取れた。

そして、彼のカラカラに干乾びた痛々しい唇が、
こいずみ、と
呼気だけで呟いた。

「・・・・・っ」

ちり、と脳の芯が痺れる。
指先に力が篭る。息を詰めて堪える。今、この手を離してしまったら。
ほんの数秒前まで触れていればダメになると思った自分は、手を離せば抱き寄せてしまいそうな自分にすり変わっていて、もうどうしたって僕の細胞は彼だけを追い求めてしまっている。
ああ、本当は泣いてしまいたい。

「僕を呼ぶあなたの声が、ずっと好きだった。・・・これは、信じて欲しいな」

僕は微笑んだ。
彼が正反対の泣きそうな顔をしていても、笑っていた。

腕を伸ばすようにして彼との距離を取りながら指先を解いていく。
油を注していない作りモノみたいに指の関節がきしきしと鳴って、頼んでもいないのに指の腹の皮膚が追い縋るように布の感触を脳に送り続けていた。

「長々と話して申し訳ありませんでした。聴いて下さって有り難う御座います」

へばり付く感触を潰すように掌の中へ指を押し込む。
僕は結局誰にも飲まれることなく水溜りの中で雫を零し続けるグラスを片付けようと腰を上げる。空気と彼の無言が居た堪れなくてそうした。これぐらいの逃げなら彼女も上出来だと笑ってくれるだろう。

「・・・っ?」

僕の体、主に腕に重力が掛かる。肩の関節が外れかかったかと思った。ぴんと張った腕の先には彼がいる。彼は僕の右手首を乱暴な力で掴んでいた。指先に先刻のような弱さはなく、真っ直ぐ絡ませてくる視線にだけ少しの悲しさが見えた。

俺の話は終わって無い。

彼はぶっきら棒にそう言うと(けれど本当は泣いているのかと思うほど声は揺れていた)、引き下ろすようにして元の場所に僕を座らせた。
膝をしたたかに床に打ちつけながらも文句も言えずそれに従った。彼は僕が大人しくしているのを確認すると、「俺だって言いたい事があったからここに来てんだ」と当然と言われれば当然のような事を述べた。

「あ、の・・・」
「そんな甘くねえよ」
「・・・え、」

オクターブ下がった声で彼は唸った。
僕は間抜けにも口を半開きにしたまま彼の眉間の皺と、それから動き出すであろう唇を見た。

「疑うとか疑わねえとか。関係がどうのとか。普通ならこれで縁切るかお友達に戻りましょうね展開になるんだろうが、」

彼は年よりも随分と大人びた色の瞳をしていた。初めての事ではなかったけれど、僕はいつもこの目にたじろいでしまうのだ。

「俺達の場合はそうはいかない。いかないんだ、古泉」

子供に言い聞かせるように、噛み締めさせるように僕に語る。
彼は緩く眉間に皺を作って、唇を噛む。その表情に、僕と同じように彼も伝えるべき事への恐怖を覚えているのだと知る。

「これで卒業と同時にさようならってんなら楽なんだろうけどな・・・」

諦念の声は聴き慣れている。なのに僕はごくりと喉を鳴らす。

「俺さ、『覚悟』して来た。もともと大した容量の無い頭で考えてな」
「・・・・」

無理矢理に作った冗談めいた笑顔に、僕は無言を返事としてみる。
彼は首裏をがりがりと掻きながら(照れている時とバツの悪い時、何かを誤魔化そうとするときに彼は良くこうする)、ぼそぼそと言う。

「これでも昨日一晩馬鹿みたいに寝ずに悩んだんだぜ?結局一つの答えしか出なかったけどな」

俺の頭じゃひとつ出ただけでも奇跡だと、今にも崩れそうな弱弱しい顔をしているくせに自虐もしてみせる。
答えとは?と謎掛けの答えを問うような声色の僕に、彼は諦めた瞳のまま唇を引き上げた。

「俺らの位置はどうしたって変えられないってことさ」
「・・・位置、ですか」

ああ、と頷く。迷いの無い肯定に僕は口を挟む事は出来ない。またそうしたくもなかった。
僕はなんだって可笑しいほどに、この時折する静かでいて反論を許さないような話し方が好きなのだから。

「ハルヒの常識はずれの力がなくなったとしても、朝比奈さんが未来に帰っても、長門が情報統合思念体のとこに里帰りする事になっても、結局は『この場所』に帰ってくるに決まってんだ。何となくだけどさ、俺には分かるんだよ。まあ悪く言や、そうだな・・・要するに逃げられないんだよ」

逃げられないと物騒な事を口にしながら彼はどこか嬉しそうに見えた。
労わるように優しげな、愛おしさの滲み出る声で彼は続ける。

「ハルヒがいて、朝比奈さんがいて、長門がいて。俺はその少し後ろを歩く」
「・・・・」
「で、俺の隣にお前。そうだろ?」
「・・・・・・・」


―― そう、だ。


僕らの立てる場所はもう随分前に決まっていたんじゃないのか。
取り返しの付かなくなる前に離れていれば、踏み込まなければ。そんなことを思う事に意味がなくなってしまう程に長く密度の濃い日々を僕らは過ごしてきたのだ。そうやって出来上がった『SOS団』というこの場所は、強力な磁力でもって僕らを引き止め続ける。

「ガキみたいに駄々こねても泣き喚いてもここ以外のどこかになんて行けやしないんだ」

僕達はどんなに距離を取ろうと足掻いても、最後には同じ世界に戻ってきてしまう。同じ世界の、誰よりも近い位置で、触れそうなほどに近付きながら、決して交われない。

「だからさ、俺はお前を疑いながら生きてかなきゃならんし、お前は俺に疑われながら生きてかなきゃならねえんだよ」
「・・・なんとも残酷だ」
「全くな」

僕らは顔を見合わせる。
それでも良いと、そうするしかないと、僕らは頷きあう。

「・・・貴方は、平気なのですか?それで」
「覚悟して来たって言っただろ。・・・お前の方こそ、どうなんだよ」
「平気に決まっています。たかがその程度の苦痛は僕には幸福の範囲内ですよ」

言ってくれるな、と彼は笑い。
開き直って吹っ切れた人間は強いんですよ、と笑い返す。

苦痛を抱いてなお、それを遥かに凌駕する穏やかな居場所を持つことが幸福であるか否かは、分からないけれど。
僕らが僕らである以上、どうしたってこの甘美で絶望的な平行線の上を歩いていくしかないのだ。

「情けない面すんなよ、古泉」

想いを伝えなければこの先も傍に居続けなければならない彼の苦痛は減っただろうかと、振り切ったはずの思考をしてしまったのはあっさりと彼に見破られ、叱咤された。
彼が少しだけ眉間に皺を寄せたいつもの笑顔で僕を見上げる。

「お前は『最良の選択』をしたんだ。そうだろ?」
「・・・ええ、勿論」

僕もいつもの笑顔で彼に首肯した。

その時の僕らが「いつも」の顔をしているのかは本当は分からなかった。泣いていなかったのかどうかも、分からなかった。
けれど、泣かないのが正しいのだと、そうしたいのだと僕らは思っていて、だからきっと泣いてなんかいなかった。

「これで最後だろうし、もっかいキスでもするか?」
「はは、やめておきます。覚悟が崩れてしまいそうだ」

他愛無い冗談を言い合いながら、僕らはいつか二つの線が交わるその日を、密やかに願った。
小さすぎるその可能性に、お互い口には、出来ないまま。














10話。月曜のキョンとハルヒ→

10話。月曜の古泉と長門→





※And if I die before I wake = もし目覚める前に死んだなら



9話。選択。結論。SOS団と言う磁場。
(07/08/23)