おうえんもあんがいたのしいよ
ギミーとダリーが出てきた方へロシウは向かったのだが、そこは遊戯を終えた我が子を迎える保護者と今から出場する子どもが入り交じり、ごった返していた。汗の匂いに混じって、まだまだ幼い子どもの乳臭いような甘酸っぱい匂いでいっぱいだ。
人に押されながらも、辺りを見回していたロシウは、少し離れた場所で、左手でデジカメを構え、右手を腰に置いて、堂々たる様子で立つ男に気づいた。
「うわ」
思わず、声が出た。
カミナだ。元々、長身な上に、筋肉質で引き締まった体の持ち主だから、それだけでも人目を引く。だが、それに加えて、今日はまた一段と、派手な柄シャツを羽織り、下はゆるめに履いたジーンズ、足下は雪駄だ。首元には、ごつめのシルバーのチェーンをつけ、その先にはどくろが揺れていた。指にも手首にも同じように腕輪や指輪が光っている。
おまけにサングラスをかけているものだから、どう見ても堅気には見えない仕上がりだ。良くて、街中を歩くちんぴらだろうか。関わりたくはないなと一見して、誰もが思ってしまう格好である。
カミナを目にした保護者は、一瞬ぎょっとしたような顔をし、その後、慌てて、見なかった、あるいは気にしない振りをしている。もっとおとなしい色合いのTシャツでも着てくればいいのに、と思い、ロシウはカミナに見つからないよう、早々に人混みに紛れた。
彼に見つかれば、絶対に大声で手を振りながら、近づいて来るに違いない。注目を浴びたくないので、先にシモンを探そう。
「年少組さんは、お着替えしたあとは、ここに集合してくださーい」
大きく手を振りながら、女性教諭が園舎に向かって、叫んでいる。ロシウは視線を園舎の方に向けた。
教室の中で、今まで着ていた衣装を脱いで、元の体操着に着替えた園児が、零れるように運動場へと出てくる。同い年の男の子と女の子、二人の手を引いたほっそりした人影に気づいて、ロシウはそちらへ近づいた。
シモンもカミナと違う意味で、目立つ。周りの父母に比べれば、少し幼くも見える顔立ちは、いわゆる、美人や綺麗、といった雰囲気ではないのだが、妙に色っぽい。体も細くて肉づきが薄いのだが、筋張っている訳ではなく、柔らかい肉がしなやかに骨を包んでいるといった印象を与える。
日よけのためか大きめの白いパーカに星が控えめにプリントされた黒いTシャツ、足をよりいっそう綺麗に見せている細身のジーンズ、小さな頭にロゴも控えめなキャップを被ったその姿は、いかにも良心的な保護者といった風で、ロシウの目を非常に和ませた。
これでカミナさえ普通の格好なら、似合いと認めてもいい若夫婦なのだが、残念ながらカミナの私服センスは、凄まじいの一言だ。だから、ジーハさんのところは、旦那さんはアレだけど、奥さんは普通なのよね、といったご近所のうわさ話のネタになるのだ。
ともかく、カミナが側にいないので、ロシウは安心して、シモンの名を呼び、そちらに近づいた。
シモンの足にぎゅうっとくっついていたダリーが、一番最初にロシウに気づいた。
「ん? ダリー、どうした」
パーカーの裾を、ぎゅっと引っ張る娘に気づいて、シモンが下を見下ろす。
「あ、ロシウだ!」
鉄棒の周りをぐるぐる回っていたギミーが足を止めて、ロシウを指差した。
「こんにちは」
ロシウはシモンに会釈する。
「来てくれたんだ」
シモンは嬉しそうに笑った。
「はい。これはギミーとダリーに」
紙袋を差し出す。中身は同じ種類のお菓子を二つずつ、袋に分けた詰め合わせだ。
中を見たシモンが、ほほえんだ。
「ありがとうな」
「それ、なに? なに?」
「お菓子。ロシウから、ギミーとダリーにってさ。後でな」
「おー、すげえ。ありがとう!」
ギミーが満面の笑みで礼を言う。ダリーも母親の手をぎゅっと握りながら、小声でありがと、と呟いた。
「ダリー、ギミー、お遊戯見たよ。上手だったね」
ロシウが屈み込んで、話しかけると、ギミーは照れくさそうに笑って、鉄棒を握りしめ、ダリーはシモンの後ろに隠れてしまった。
シモンが仕方ないなあとでも言いたげに、ダリーの頭を撫でる。
「ギミーのかあちゃん、ばいばい!」
ロシウとシモンの間を横切るように男児が一人、駆け抜けた。
「あ、オレもいく!」
ギミーの友達らしく、ギミーが鉄棒から離れて、後を追いかけた。ダリーも一度、シモンの足にしがみついてから、ギミーを追いかけて行ってしまう。
シモンは少しだけ寂しそうに二人を見送って、ロシウを振り返った。
「わざわざありがとうな!」
「いいえ。二人の初めての運動会ですから」
へへっとシモンが照れくさそうに笑う。
「二人とも、五時半起きだったんだぜ」
シモンがふうっとため息をついた。それでも、どこか嬉しそうではあった。
「兄貴も兄貴で、一緒に朝から、お遊戯の練習するし」
しょうがないからオレも一緒に起きて、弁当作ったよとシモンは言って、あ、と声を上げた。
「ロシウ、時間あるなら、昼、一緒に食べてけ」
「い、いいんですか?」
「うん。みんなで食べた方がおいしいだろ」
「ありがとうございます」
嬉しい。自然に笑顔が浮かぶが、シモンの問いに、笑顔も消える。
「兄貴には会った?」
「いえ」
言葉がやや素っ気なくなるのは仕方ない。なにしろあの格好だ。常識、真面目、落ち着きをモットーとするロシウとしては、反目もしたくなる。
「そっか。どっかで撮影してると思うから、会ったら声かけてやって」
いやです、とはもちろん言えなかったので、適当にうなずいておく。
「――二人とも大きくなりましたね」
よちよち歩きしていた頃から見知っているロシウにも、今日のギミーとダリーの姿は感慨深い。シモンは、そうだなとうなずいた。
「うちじゃ、ダリーは俺と兄貴にべったりだし、ギミーはギミーで暴れん坊だし……なのに、すごいよなあ」
シモンはふうっと長いため息をついた。
「先生のいうこと聞いて、ちゃんとお遊戯するし、きちんと走るし……もう赤ちゃんじゃないんだよなあ」
シモンの目が少し潤んでいるようだ。どきっとしてロシウは目を逸らそうとしたが、初めて見る横顔から目が離せない。
初恋だけに許される甘く切ない思いに浸っていたロシウだったが、背後からの声が、見事に感傷を吹き飛ばす。
「よお! デコ助、来てたのか」
ばしいっと背中を勢いよく叩かれ、ロシウはよろけた。成長期らしい、ひょろりとした体がシモンの方へ向かい、とすんとぶつかる。
かすめた甘い匂いに、ロシウは顔を真っ赤にした。シモンは特に気にすることもなく、ロシウを両手で受け止め、支えた。ロシウの方が焦って、急いで身を離す。
振り返れば、カミナが周りを見回していた。
「ギミーとダリーはどこいった?」
「並んでるよ――兄貴。写真、どうだった?」
カミナはシモンの肩に手を回して引き寄せる。左の薬指には、シモンとおそろいの細いシンプルな指輪しかはめられていない。
カミナは右手に持ったデジカメをシモンに見せる。
「もう、完璧よ。可愛い俺らの息子と娘の晴れ姿は、カミナ様が、このカメラにばっちり収めたからな」
シモンが賛嘆の眼差しで、カミナを見上げる。
「さっきのお遊戯のも見られる?」
「ほらよ」
いつの間にか、カミナの手がシモンの腰に回っている。油断も隙もない、とは思いつつ、当然の権利であるので、ロシウは黙っていた。
「あ、これギミーだ」
ロシウも見ろよ、とうながされて、ロシウはまださきほどの動悸も治まらないというのに、シモンの隣にくっついて、画面を覗き込んだ。
「見える?」
「……ちょっと、見えづらいです」
顔の近さにどぎまぎと焦る。香水など、シモンはつけないと知っているが、何かいい匂いがする。甘い、優しい、けれど、凛とした清々しい匂いだ。
「兄貴、オレ持ってもいい?」
「ああ、落とすなよ」
カミナはシモンにデジカメを渡す。
ギミーが両手をあげて、伸び上がっている写真だった。自賛どおり、確かに、いい構図だった。シモンが満足そうにうなずいて、またカミナを見上げる。
「兄貴、これ、どうやったら次、見られるの?」
カミナの手が伸びた。節のごつごつした骨っぽいが、長い指だ。黒光りする石を填め込んだ銀の指輪がはめられている人差し指で、カミナはデジカメを操作した。
「次みたいなら、ここ押せ」
「ありがと」
カミナがシモンの頭をぽふぽふと叩く。
「お前、機械に弱いもんなあ」
「いいよ、そっちは兄貴いるし」
「それも、そうだな」
これを、のろけた口調でもなく、お互い、淡々と言うのだから、横で聞くロシウはいたたまれない。
「で、ギミーとダリーは次は、何に出るんですか?」
話を逸らそうとロシウは質問した。
「えーと」
シモンがポケットをごそごそ探る。カミナがサングラスをひょいと額にあげて、言った。垂れ目なのだが、優男、というには、精悍さの勝る顔立ちが露わになる。
「大波ざぶん小波ちゃぷん、だろ」
「あ、それそれ」
シモンがうなずく。
「親子競技なんだよね」
シモンがカミナを見上げて、ほほえんだ。
「ああ」
「オレがダリーと、兄貴がギミーと出るんだ」
うわあ。内心で呟いてみた。シモンとダリーはいい。カミナとギミーが怖い。想像だけでロシウはげんなりした。
「デコ助、オレとシモンの活躍を見てけよ」
プログラムを確認していたシモンが顔を上げる。
「ロシウは、お昼一緒に食べていくよ」
「お、じゃあ、撮影頼むわ」
シモンが目で、大丈夫? と訊ねてきたので、ロシウはうなずいた。
「助かる! サンキュ」
シモンがロシウにデジカメを渡す。指先が触れ合い、ロシウはちょっとうつむいた。
「このときは、写真、どうしようかと思ってたんだよなあ。助かったわ」
「ロシウ、ありがとな」
「いえ。撮影くらい簡単ですから」
頼もしいぜ、とカミナはロシウの肩をばしばし叩いてくる。はっきりいって、かなり痛い。
「シモンは可愛く格好良く、ダリーは愛らしく、ギミーは勇ましく、俺はオヤジらしく、漢らしく頼むぜ!」
「……まあ、努力してみます」
言いながら、シモンはカミナから一歩引いた。写真を撮る前に、肩は痛めたくなかった。
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