人面瘡
2



 数寄屋造りの離れは、本館からは庭木で隠されていたから、ヴィラルが眼にするのは初めてだった。広い、というよりも、それこそ手活けの花を住まわせるにふさわしい、こぢんまりとして地味な、しかし、あちこちにかなり手のかかった造りだ。
 飛び石を伝って辿り着いた玄関先で、懐手していたシモンは、ヴィラルに開けてくれと頼んだ。それとも、甘えるように命じたという方が正しいか。かすかに顎をしゃくったシモンには、手折られるのを知った華のような驕慢さがあった。
「鍵は」
「開いている」
 からからと音も軽やかに、引き戸が開く。漂う薫りは、部屋で焚かれている香のようだが、香であれば、嗅いでいるだけで気怠くなったりはせぬ。
 玄関を上がった先には、目隠しにだろう、秋の草花の描かれた衝立がある。
 衝立の向こうには、広々とした二間続きの座敷に板間。部屋の調度は、元からのものか、それとも、持ち込まれたのか。花台、文机、座卓等々、夜目にも分かる木肌、蒔絵、漆塗りの艶の良さ。差し回された立て屏風が、ずれた向こうには、何やら妖しく寝乱れた床が見える。
 部屋を見回し、ヴィラルは、こっちへと招くシモンを放り、断りもなく、竹障子を開け放す。ひやりとした清浄な空気が黄昏時の靄に紛れて、淀んだ部屋の中に流れ込んでくる。
 山の端には、白い下弦の月が、慎ましやかにかかる。
「湯冷めする」
 言ったシモンの不満げな声は背中で受け流し、ヴィラルは小さいとはいえ、見事な庭園に見入った。苔生した岩の緑は、夕暮れの薄闇に紛れて、なお深い。そこに落ちた紅葉のの鮮やかさは、不吉なほどに美しい。
「燗冷ましならあるぞ」
 無粋な声に振り返れば、脇息にもたれかかるシモンの姿が目に入る。だらしないといえるその姿態が、色めいて見えるのは、こちらの心にある疚しさのためか。
 ヴィラルが己に視線を向けたと知ったシモンは、膝上に置いていた手を大儀そうに挙げて、部屋の隅を指差した。
「三味はやれるか」
「多少なら」
 弾いてくれ、という。花代替わり、と笑みを含んで言われれば、無下には出来ぬ。
 シモンが指差した隅には、三味線が置かれていた。逆ではないかと思いつつも、三味線を手に取る。紅木の棹に象牙の糸巻き、表四つ皮、撥まで象牙、ときた。これは、と目を見張る金細三味線、無造作に置かれてはいたが、一の糸、二の糸、三の糸、たるみもなければ、折れもない。
 糸巻き回し、試し、とばかりに、ちんとんしゃん、とつま弾けば、音の通りの良さ、濁りのなさは、己の腕前以上に音を響かせる。
 見様見真似で覚えた端唄の一節を奏でると、シモンが手を打って、囃し立てた。
「なかなか、やるな。女に教えられたか」
「ああ」
 唄いながら向けられる流し目を自分へのそれと思えた頃が、恋の絶頂だった。片恋とはいえ、幸福な幻想を抱けるときもある。
 ヴィラルが何気なく、撥と三味線を渡せば、シモンは受け取り、ヴィラルのつま弾いた唄を、彼以上に達者な、手慣れた指で奏でた。

 お前とならばどこまでも 心中して地獄の釜の中までも
 とこ いとやせぬ かまやせぬ――。

 声は伸び、しかし、途中でかすれ、苦しげな吐息に変わる。三味線の音も途絶え、シモンはせいせいと、肩で苦しげな息をついた。
 撥を持った指が、だらりと垂れて、床に投げ出される。ふ、ふ、と笑い、シモンは足を投げ出し、片方の膝を立てた。浴衣の前がはだけて、白い肌と傷跡が露わになる。
「その傷か」
 首、手首、体とヴィラルが視線を注ぎながら言うと、三味線を傍らに置いたシモンはうなずいた。
「斬られたときに、神経とやらも切れたらしい。腕も腐れて落ちればいいものを、中途半端に残るからかえって不自由する。これでお見限りだと思っていたら、手が駄目でも、声はあるときたからな」
 撥を持った手がゆるゆる上がり、喉元で空を切る。
「ならばと喉をつけば、今度は、死に損ないの体が残った。芸のない芸人なんざ、価値がないはずだが、違ったようだ」
 それこそ唄のようにシモンは囁いて、三味線を置いた。
「ヴィラル」
 手招きされて、ヴィラルは膝を進める。シモンはヴィラルの手を取り、頬に当てた。
「お前の手の大きなところは、兄貴に似ている」
 目を閉じたその表情が、切なげで、つい顔を近づければ、シモンの方から唇を吸ってきた。
 兄貴とやらの代わりか。それとも、旦那への面当てか。
 男には触れたことのないヴィラルを導くようにシモンの手は動いた。舌は猫のようにちろりちろりと肌を這い、ことに脇腹の傷痕を執拗に嬲った。
 シモンの肌は、なめらかで、張りがあり、どれだけ火照っても、そこに冷たさがあるようだった。男の肌とはこのようなものか。それとも、シモンだけがそうなのか。
 ヴィラルは自分にまたがったシモンの胸へ手を当てた。薄い皮膚と骨に守られた心臓の鼓動が、手のひらから伝わってくる。
 ああ、とシモンはひときわ甘やかな声を上げた。兄貴もこんなときそうしてくれたよ。幼げな口調で呟いて、腰を揺らした。そのまま、傷をなぞるようにして指を動かせば、シモンは声を無くしたように喉の奥で啼いた。

 シモンの目に時折、浮かび上がる凄艶なまでの虚無が、ヴィラルの興味を引く。誘われるままに枕を交わし、離れのぬるい風呂に共に浸かる。
 情があるといえば、あるだろうが、それは馴染みの女郎と客の間に生まれる情に過ぎない。だからこそ、シモンはヴィラルと寝るのだろうし、ヴィラルもシモンを抱く。
 執着が生まれるより先に、これは傷の舐め合いに過ぎぬと悟ったのは、シモンが睦言代わりに語る兄貴とやらの話のせい。それしか語る物語を、彼は持っていない。
 幾夜となく繰り返される男の話、だが、煙を吐くシモンのなまめかしい寝姿と相成って、まるで千一夜を側で聞かされているかのような心持ちだ。――語りに飽きれば首、落とそうぞ。面白ければ、次の夜まで生かそうぞ。
「カミナと呼ぶときもあったけれど、そういうと、必ず、兄貴と呼べと怒られた」
 くすくすシモンは愛おしげに笑う。このときばかりは、彼の横顔は無垢なものを漂わせ、口調は幼くなる。
「本当の兄弟なのかも、分からないのにね」
 血が繋がっているのか、いないのか。拾われたのか、攫われたのか。物心ついたときから、二人で共に旅芸人の一座にいた。芸人一座といっても、ろくでもない。女は色を売り、男は強請にたかり、盗みにかっぱらい、何でもやる破落戸集団。一座にいる子どもも、幼い頃から大人たちの下っ端として使われた。
「俺は出来が良くなくて、よく折檻を受けたよ。そんなときは、必ず、兄貴がかばってくれたけど、結局、二人して、打ち据えられた」
 擦り傷、切り傷、打ち身、痣。男児と少年の体を、どすぐろい赤や青、緑や黄色の生傷が飾る。互いに手当をし合い、痛みを堪えるために、二人で笑う。
 それが幾度も繰り返される内、傷を負わない、負わせないためには、どうすればいいかを兄貴分は学んだ。やがてたくましく成長したカミナは、シモンの分を補ってなお余りあるほどに、金品を強奪してくるようになり、満足した座長は、ようやく、シモンの折檻を止めた。
「俺の躯から傷は消えたが、兄貴のそれは仕事のたびに増えて、どれだけ悔しく情けなかったか」
 仕事というけれど、ようは人様の物を拝借してくる泥棒。捕まりでもすれば、どうなるかは明らか。見つかって、追われて、必死で逃げる。相手を打ちのめし、こちらも撲たれ、逃げる途中で負う傷が癒えぬ上から、さらにまた新しい傷。
「俺は毒が入らぬようにと傷口に酒を吹きかけようとするけれど、兄貴はお前が舐める方が、治りがいいという」
 少年の熱い涙と舌先は、男の荒む心と傷をどれほどに癒し、潤したただろう。年を経ようとかばい合い、いたわり合うに変わりなく、信じ、頼るのも互いのみ。いずれ、時を見て、二人で、一座から逃げそうと誓い合った。誰の手も及ばない遠くへ行こう、と。
 その頃、立ち寄った町の分限者が、つたない手ながら三味線をつま弾くシモンに目を留めた。
「唄の才があるからとは表向き。嬲るには頃合いだったんだろう」
 シモンは低く忍び笑った。
「がりがりの鶏ガラのような子どものどこを気に入ったか、呆れるほど金を積んで、俺を寄越せと言ってきた」
 要らぬ使えぬ子どもが金となるのなら、座長に否やはなく、呼び寄せられたシモンは、男の脂ぎった手に腕を捉えられた。
「怖かったかって? さあ。いずれ、こうなるのかもとは思っていたよ。兄貴が人より多く盗むから、生きてこられた俺だもの。それに」
 共に逃げて、いずれお荷物になって、厭われる位なら、今ここで愛おしまれている内に、消えた方が良いのやもしれぬ。そんな考えもかすめた。
 男に腕、掴まれたまま、歩き出す。人力車に乗り込むよううながされて、足を上げれば、背後で座長が、男へのおもねりを込めた粘っこい口調で呟く。
 達者でな――その語尾に被せるようにして聞こえるは、若い男の押し殺した声。
 シモンからその汚ねえ手を離せ。
 三人、振り向けば、抜き身の刃ぶら下げて、こちらを見据える男が一人。カミナと呼んだのは、誰だったのか。
 憤怒に染まった瞳は夕陽を受けて、ぎらぎらした赫色に染まる。いっそうの血を求めるがごとく、刀を振りかぶれば、男二人の血に、身にまとう襤褸も、また濡れた。
 着物ばかりか、髪も肌も赫に染まり、鬼か修羅かと思うその形相で、シモンを振り返る。
 まるで、魔に魅入られたように、その時、魂奪われた。
「兄貴は、行くぞ、と一言。そのまま、二人で逃げたよ」
 それからは二人。ずっと二人。天と地には、二人以外、誰もいない。誰も必要ない。
 二人で生きる日々の糧を得るために、身に備わった技を披露する。
「三味もだが、軽業もやれば、手妻もやった。唄も唄えば、舞いもする」
 ひらひらと指先をひらめかせ、ゆるく手のひらを握り、また開く。この細い形の良い指が三味をつまびき、手妻を見せているその光景は、さぞ人目を奪ったに違いない。
 野次や罵詈雑言を受けながらも、人目に曝されていれば、芸技も磨かれる。受けが良いとなれば、もらえる銭も増える。己の技で得る糧はなんと美味なことか。
「あちらこちらと声がかかって、あの頃は、それなりに名が通った芸人だったよ」
 名を聞いたことはない、と云えば、ふうっと煙を顔に吐かれる。
 吸い口を差し向けられて、ヴィラルも銜える。頭がすっと醒めるような、そのくせ胸に溜まるようなこの匂い。深くゆっくり吸って、顔をしかめた。
「ことに、どこかの富豪の息子が、ずいぶんと贔屓にしてくれて、ついには、芸を無くした芸人もいいという」
 あとは察せとばかりに、シモンは唇に薄い笑みを浮かべる。酷薄なものが漂い、しかしなまめかしさは零れんばかり。ヴィラルが離した吸い口、銜えて、目を細める。このご禁制の品も、その息子が与えているのか。
 シモンの指から煙管を奪い取り、煙草盆にかつんと打ち付けた。
「慣れれば、これほどいいものもないのに、もったいない」
 言葉とは裏腹、とくに惜しむ様子もなく、シモンは枕に頬を押しあてる。ヴィラルが指を伸ばして、顎をくすぐると、猫なら喉でも鳴らすかのような表情で、くすくす笑う。ヴィラルの手が触れるのを悦ぶのは、手の大きさがカミナと重なるゆえ。
 指を引けば、シモンの手が絡む。振り払うよりも、自分から引かせようと、ヴィラルはわざとのように問いかける。
「お前の兄貴とやらは、今、どうしている」
 手は引かれるどころか、逆にきつく絡んできた。言葉を封じるか、息の根封じるか。首にはシモンの手が巻きつく。
「――死んださ」
 でなくば、どうして俺がここにいるものか。声に響く嘲りは、自身に向けられていた。
 シモンの手首をとらえ、覆い被さる。
 下から掬うように睨め付けてきたシモンの細い首筋に手を掛ける。それもよし、とばかりにシモンが目を閉じた。親指の腹に、びくびくと脈打つシモンの鼓動が感じられる。そこを前歯で柔らかく噛めば、シモンが身じろぎした。
 肌の火照りを呼び起こそうと、触れれば、躯はヴィラルの手に従う。見交わしたとき、笑んでいたその瞳は、愚か者、と罵った女のそれにも似ていた。
――情事後の眠りを小さな死、と泰西ではいうらしい。目覚めぬままに、黄泉路の果てまで追っていけばいいものを。云いかけて、ヴィラルは口を噤む。
 攫おうか、奪おうか。戯れに思わぬでもない。それ以上にならないのは、脇腹の傷跡のせいだろう。恋の愚かさを、じくじくとした痛みでもって、傷は教える。溺れきれぬなら、愛しきれぬなら、狂れきれぬなら、恋は恋にならぬ、と。
 溺れて、愛し抜いて、狂れたシモンの心はすでになく、抜け殻のような躯を持て余し、何かを待ちあぐねたかのような日々を送り、阿片の夢に溺れる。

 いつまで居ると訊ねれば、わからぬ、と、どうでもいいような口振りで、シモンは答える。便りもなく、訪れもなく、気配すらなく、離れに留め置いて、それきりの旦那に飽きられたかと云うと、シモンは、心底、おかしげに笑った。
「願ってもない」
 膳の上に散らばる徳利を指先でつまみ上げて、杯にも注がず、口の上で傾ける。中身は空か、舌が受けたのは一雫、二雫ほど。軽く振って、膳に放り、酒の匂いを移すようにシモンは唇を舐めた。
「捨て置いてくれれば、それこそ本望」
 ――噂が影を呼んだか、捨て置けの言の葉、届いたか。
 離れを訪れてみれば、引き戸は開いたまま。三和土にはシモンの南部表の雪駄ともう一つ、並んで畳表の堂島が。衝立の向こうの人の気配が常と違うのはこれのためだろう。
 板間に腰を下ろし、衝立の影から座敷を覗いてみれば、シモンが襦袢を肩に引っかけただけのしどけない形で、立っている。足元に白綸子の扱帯が落ちて、蛇のようにわだかまっている。
 腰のあたりに男がしがみつき、顔をぴたりと肌に寄せていた。シモンは両手をだらりと垂らし、ぼんやりと虚空を見据えている。
 二人の奥にある屏風がずれており、ひどく乱れた床がのぞく。
「兄貴は」
 男は顔を上げるが、シモンは見下ろさない。視線も遠く、声も遠い。
「見つかったか」
「……まだ」
「兄貴を見つけろ」
 答えなど聞こえぬように、シモンは囁く。混じる吐息が、閨の喘ぎのような色を含み、シモンを見つめる男は、唇をわななかせる。
「早く、見つけろ。でなくば、お前などに用はない」
 シモンが足を引き、男の身体を蹴りつける。男は押されるままに、畳へ手をつき、シモンを見上げる。露わになった右の太腿から足先に、蹴り飛ばされた男の視線が絡む。
 腕が伸び、男はシモンの太腿へ唇を当てる。肌を這う唇にも指にもシモンは何の感情の色も見せない。かといって、男を振り払うでもなく、だらりと立ちつくす。唇は笑みともとれぬほどに、かすかにゆるんで、開かれている。どこともしれぬ時と場を眺めているその姿、花籠持たせれば、照日前もさもあろう。
 男の唇が這い上がり、腿の付け根を舐めたとき、シモンが手を動かした。
 撫でつけられた前髪を指先でつかみ、男の顔を引き剥がす。
「ロシウ、約束を果たせ。お前の言葉があればこそ、俺はここにいる。お前が望んだとおりにだ」
「ええ」
 男の指がシモンの肌に食い込む。
「兄貴を、早く、ここに」
「分かっています」
 シモンが弛んだのか、男がさらに力を加えたのか。
 くたりと床に頽れたシモンを、男の手が引き寄せ、組み敷いた。肌を舌が這い回り、熱を奪い尽くさんとばかりに激しい口づけが繰り返される。
 顔を傾けたシモンの瞳はやはり、醒めていた。目が合うとシモンは唇を吊り上げて見せた。唇が何やら言葉を刻んだ。うなずきはしないで、ヴィラルは離れを後にした。
 シモンに従ったのは、間男気分の味気なさ情けなさが思ったよりも、気に入ったためか。それでもヴィラルがシモンの元を訪れたのは、一日置いた翌朝だ。
 今朝方、降った雨のため、濡れて冷えた空気の中を行って、開かれたままの戸を引けば、衝立の向こうにはシモンが居た。
 めずらしく、帯をきちんと締めて、それでも両膝を投げ出している。丸窓に寄りかかり、左手は懐手、右手は煙管に添えて、こちらを見ようともしない。煙管から口を離したのが、出迎えの仕草か。
 雨上がりの荒れた庭を、シモンは飽かぬように眺めていた。吹き荒れた風のためか、紅葉のほとんどが落ちている。色も褪せて、庭石に張りついた落ち葉は、見苦しいほどだ。
「……お見限りかと思ったぜ」
 腰を下ろしたヴィラルに、言葉だけは詰るように、シモンは呟く。
「一昨日は、先客がいただろう」
「あれか。旦那さ」
「若いな」
「ああ」
「いいのか」
「何が」
「俺を相手にしていて」
 シモンは何も云わず、懐にあった左手を動かすと、もろ肌脱いで、左肩と胸元を晒す。歯形を伴った口吸いの痕が散らばり、爪痕も残っている。
「……とんだ腎張りだ」
 ようやく振り向いた顔は、責め通しだったと窺わせる、隈の色も濃い、窶れたそれだった。

 旦那を、あれ、とシモンは呼んだ。何の感情もこもらない。恨みも憎しみもなく、どんな情の欠片も見あたらぬ。
 お前の後輩のはずだ、とはシモンが旦那を差して語った言葉。学生の身で囲い者を蓄えるとは、とんだ漁色者だろうが、ただただシモンに溺れるばかりと見えるあの姿。
「女も知らないだろうな。あれは俺ばかり、抱く」
 呟いて、うっすらとシモンが嗤う。
「だが、女しか知らなかったお前の方が、床は巧い」
 窶れに淫らさが滲む。ヴィラルはしなだれかかってくる躯を受け止めた。
「帰ったのか」
 ヴィラルの膝上に上がったシモンは、顔を首筋に伏せ、唇を這わせた。吹きかかる息がやけに熱い。
「さあ、どうだか。そこらで覗いているかもな」
 云われれば、人の気配があるような、ないような。庭の方から玉砂利を踏みしだく音が聞こえたのは空耳とも思えぬが。
「……あれは約束を果たそうとしない。そのくせ、お代はきっちり、払わせようとする」
 お代とやらは、兄貴捜しか。死んだ者を捜せとは、ずいぶん厳しいおねだりだ。
「なかなかの食わせ物だ。ヴィラル、お前も後ろからざっくり斬られないようせいぜい気をつけるんだな」
「――お前は前から斬られたか」
 シモンは指でつつっと自分の鎖骨から脇にかけての傷痕をなぞった。
「これは違うさ」
 ほほえむシモンの表情が和らぐ。
「あれの付けたものならば、俺はとっくにその傷、火でも押しつけて殺している。これはいとしい、大事な大切な形見」
 シモンが身を沈め、ヴィラルの脇腹の傷を吸い上げた。
「お前のこれのようにな」
 軽く噛まれて、ぴりりと痺れにも似た痛みが走る。ふと込み上げた憎らしさに、ヴィラルはわざと手荒くシモンを引き倒した。
 骨など消えたかのような柔らかさとしなやかさで、シモンの手足が巻きついてくる。さて、ここで旦那が踏み込んできたのなら、密通の姦夫二人は、重ねて四つに斬られるか。
 ――終いまで、戸はことりとも動かないままだった。

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