部屋に戻るのは終わりではなく、チャンスなのだと考えようとした。
エレベータから降りるとき、部屋の鍵を開けるとき、部屋の扉を開けるとき。わずかな隙を見逃すまいと太一は目を見開いていた。
人気のない静かなマンション内部に安堵したのか、男たちは太一の肌を幾度か傷つけた。一度、マンションに出入りしたことのある男が服を探り、鍵を出す。鍵を見つけても、ねっとりした動きで指は太一の体に触れ続け、離れようとはしなかった。
細身の男が太一の声も指も使って、三つある鍵のすべて開けてしまい、ドアを大きく開く。
「広いな」
ふと男たちの目が逸れた。太一は身をよじらせ、逃れようとしたが、大柄な男が肩を引き寄せ、鳩尾に拳を打ち込んだ。
衝撃に喉から息をもらし、太一は体を折り曲げた。その腕をつかんで、部屋に引っ張り込まれる。扉や玄関の段差で頭や膝をぶつけた。
廊下に投げ出され、太一が起き上がろうと身動きすると、ナイフを持った男二人が笑い声を上げた。
腕が離れ、ナイフの感触も消えた。急に体が自由になる。戸口は男たちの体が塞いでいたので太一は痛みを堪え、彼らから遠ざかろうと廊下を駆けた。
自動的に部屋の明かりが点いていく。迷いなく部屋の奥へ辿り着けるために、廊下だけはそう設定していた。廊下は太一の早さに合わせて明るくなり、光は足下を照らした。
走る先は明るくなるのに、暗闇へ向かって駆けていくような気がした。
男たちの笑い声と足音が大きく響く。急げば急ぐほど、足がもつれ、自由に動かせない。いつも軽く扱っている体が重く感じられた。息が詰まりそうだった。汗ばんでいたらしく、傷に汗が染みてひりひり痛む。
パニックを起こしてはいけない。そう言い聞かせた。まだチャンスはある。痛みを感じながら、太一は必死に落ち着きを取り戻そうと唇を噛み続けた。そこは血の味がする。声が漏れそうだった。
居間から奥の寝室へ逃げ込もうとして、別の扉を開けようとした。
ドアノブをつかむ手が震え、ドアは開かない。かちかちと爪が金属に当たって、軽い音を立てた。
大丈夫だ。逃げられる。自分にまた言い聞かせた。ヤマトが傷つく恐れはないのだから、思う存分暴れてもよいのだ。
やっとドアが開いた。
男たちがすぐそこまで来ていた。生臭いような息を感じ、肩をつかまれるのを無理矢理振り払って、暗闇に体を入れた。
ドアを閉めようとすると手が伸びて、ドアを押さえた。渾身の力を込めて、押し返す。この部屋に鍵はなかった。
体をドアに押しつけ、開こうとするドアを押し戻した。男たちがドアを叩き、衝撃で体が揺れる。
ドアが大きく弾んだ。前につんのめりそうになり、太一は必死でドアに体重をかけた。木で出来た扉を押さえる手が震える。自らの震えなのか、ドアを開けようとする男たちの動きのせいなのか。
楽しそうな笑い声が響き、ふたたびドアにすさまじい力が加わった。
踏ん張っていた足下がずれて、その分だけ、ドアが開く。爪先が床の上を滑った。焦りとは裏腹にドアに加えられる力は大きくなるばかりだ。体が激しく揺れる。足を突っ張った。
更に力を込めたというのに、ドアの隙間が大きくなった。
ドアがきしむ。ばきっと木が裂ける音が聞こえ、勢いよく開いたドアの角で、太一は額を打ちつけた。目の前に光が浮かぶような痛みに耐えながら、太一は後ずさった。
二度ほど首を振って、痛みを追い払うと足を踏み出す。腕と肩を強く掴まれて、太一は固めた拳を振り回した。
ちらりと銀色の光が見え、指に鋭い痛みを覚えた。同時に背中にも灼けた感触が生まれる。
斬りつけられたと気付かないまま、太一はよろけ、何かにつまずいた。太一の足に蹴飛ばされた段ボール箱は派手な音を立て、中身と共に転がっていく。散らばったのは、今までの栄光の証だった。
とっさに伸ばした手にクローゼットの取っ手が触れる。つかんで、立ち上がろうとすると腹を蹴られた。
そのまま押さえ込まれ、床に引き倒されそうになる。無茶苦茶にもがいていると、襟をつかまれて、頭を壁に思い切り打ちつけられた。衝撃と痛みで意識が遠のきかける。
「鬼ごっこ、終わり」
痛みに混じって、笑い声が頭の中に響いた。
「けっこうあっけなかったな」
「もういいから、早くやろうぜ」
苛立ったような声が聞こえ、太一は襟をつかまれると、乱暴に引き倒された。今度は床に頭を打ちつけ、痺れたような痛みが後頭部に広がった。
「邪魔だな」
驚くほど近くで男の声が聞こえた。部屋に散らばったカップやトロフィーを、男たちが足で蹴って、場所を空けた。
ナイフをちらつかされ、再度肌を傷つけられながら組み敷かれた。抵抗するさなか、目を横に向けると、居間からの光を受けてナイフだけでなく、トロフィーやメダル、盾も輝いていた。優勝という文字が読める。どの大会に勝った時だろう。それを確かめる前に、ジーンズを履いた足が丸い優勝カップを蹴り飛ばした。
数字が流れて、消えていく。彼が来てくれた試合だったのだ。彼女と共に。だから彼を捜した。友人二人を探す行為は妙な事ではない。それも、なんと遠い昔だったのか。
「足、押さえとけよ。手も」
太一の足が動くのを見て、素早く足首をつかんだ男が大柄な男に指示する。
足首を押さえられ、太一は体をねじった。腹に重みがかかり、顎をつかまれる。さらに抵抗しようとすると頬を数回殴られた。奥歯と鼻の奥につんと痛みが生まれ、血の匂いが強くなった。
太一の体を膝で押さえつけ、体重をかけてのしかかった男はざっと太一の顔を長め、目を細めた。
「やったことないんだろ?」
両手をねじ上げていた男が太一の代わりに返事した。
「薬だけはないってさ」
男はうなずいて、ポケットをあさった。取り出された器具に太一は首を振った。
目をあちこちに彷徨わせる。男が三人、手を足を、体を押さえている。
開いたドアの向こうからの光が眩しかった。そちらに手を伸ばすこともできない。
「ちゃんとキメてやるから」
男が顎をしゃくると、袖をまくられた。先ほど傷つけられた場所の血が乾きかけていた。男は顔を近づけて傷跡を舐めると、小さなボトルを出す。小指ぐらいもない容器の中に水が揺れていた。
「水道水じゃさ」
男が何か言う。太一はもがいた。最後の抵抗とは思いたくない。まだチャンスがあるはずだ。
押さえつけられた手に、いっそうの力がこもり、肌を探られる。結晶の入った注射器が振られ、針が腕に押し当てられた。
唇を開いたが言葉は出てこなかった。名前は呼べない。呼ばないと決めていたから、太一は乾いた息を押し出した。
「いくら詰めた?」
「初めてだったら――」
細い針が肌に刺さる感触は冷たかった。
※
男たちから感じる視線が急にぼやけてきた。針の冷たさが頭の芯で痺れに変わる。一度、重くなった躯が軽くなり、それから後は、二度と重くならなかった。不思議な浮遊感だ。世界は曖昧で熱い。
唇に何か押しつけられた。耳に音が響いて、唇がこじ開けられる。滑り込んできた何かが舌を見つけて、絡まってきた。
濡れた音に太一は目を開ける。霞む視界にうごめく影が見えた。誰だろうと思っていると、あたたかいものがのしかかってくる。肌を這い回っていた手が胸に触れてくると、太一は吐息をこぼした。力が抜けて何も言えない。
乳首に触れられた瞬間、腰から背筋、首にまで快楽の波が走っていった。
「あ……」
くくっと誰かが笑う。
まだ快感は引かず、皮膚の上を這っている。誰かの指がまた触れて、太一は身を仰け反らせた。
「打ちすぎじゃねえの」
「体質だろ」
ふたたび唇が覆われる。太一が舌を絡めると、その褒美にというように、胸をいじられる。もっと強くと願い、太一は自分から唇を求めた。
爪の固い感触と指の腹でつままれる。さっと電気のような痺れが広がり、消える前に、また触れられた。
ねじられて、それから生温かい濡れた感触に包まれる。声が洩れて、太一は快感が強まるのを感じた。
ぼそぼそと誰かの声が聞こえた。言葉が聞こえるときと聞こえないときがある。変わらないのは触れてくる指や唇だけだ。
冷たい感触が腹に広がり、どこかに染みて痛んだ。手が冷たく濡れたものを広げて、下腹部にも伸びていく。腿から、その間にまで濡れた感触が広がって、太一は躯を震わせた。
滑った手が、そこを握る。指では、ほんの二、三回の刺激だった。唇に包まれ、指も添えられた。先端ばかり舐められ、指先で擦り上げられる。
不思議だった。一つしかない唇。二つしかない手。それなのに、もうひとつの唇が、乳首を噛んでいる。歯を立て、舐めて、つついていた。よく分からなくなった。
手が滑ってずっと奥に入ってくる。内側からかき回されて、太一は何かが弾けたのを感じた。体中にある血が溢れ出そうとしている。いつもよりもそれは多く、その分快感も長かった。
「はっ――」
持ち上げられた膝の震えが止まらなかった。まだ何かが流れている気がする。
「あーあ、イッちゃったよ」
無造作にまた掴まれる。刺激に躯が跳ねるように震えた。
「お前、ちゃんと撮ってんのか」
低い声が部屋一杯、耳一杯に聞こえた。下肢への愛撫が止んだので太一は声を上げて、それをねだった。胸への愛撫だけ続いている。
誰かが名前を呼んだ。太一はうなずいて、唇を開く。少し金気臭い。血の味がして、すぐに消えた。
腰がつかまれた。そのせいで今まで握っていた手が離れたので、太一は嫌がって首を振った。構わず、やはり普通よりも本数の多い手が体を起こして、うつぶせにされた。
床の感触が頬に当たる。ひやりとした感触が熱い体を刺激して、意識が流れかけた。
「膝、立てろ」
動かないでいると、舌打ちと同時に腰を上げられた。露わになった部分に、また指が入ってくる。拡げられるように、本数が増やされ、それだけで、もう一度達しそうになった。
声は聞こえないのに、擦れ合い、濡れたくちゅくちゅという音だけははっきり聞こえる。
「あっ」
背中が重たくなって、後ろから胸をいじられる。
背筋に唇が這った。膝が震えて、そのまま躯が崩れそうになるが、そうすると中をかき回す指が消えてしまうだろう。太一は呻きながら耐えた。
唇から息と唾液がこぼれる。
「すっげえ」
耳元を噛まれた。痛みが快感に変わるまで、太一は誰かを見たような気がした。懐かしい――誰だろう。
「どろどろじゃん。これ、ローションのせい?」
「違うって。こいつのだろ」
張り付いた髪が誰かを思い出させる。面影だけでなく、もうすぐ名前も思い出せるはずだ。
もう少しというときに前髪をつかんで、顔を上げさせられた。舌とは違う熱く固いものが押し当てられる。言われるままに唇を開いて、受け入れた。
唾液ではない、もっととろりとした液体が口を汚す。口の中で、それは膨れ上がって、太一は咳き込みかけた。顔を背けようとしても顎をつかまれて、動けない。舐めているうちに張りつめたそれが、何かを吐き出した。口内や唇にかかったえぐみのある体液もそのままに、また別の肉が押し入ってくる。
息苦しくても、それは出ていかなかった。これは唇で受け入れるものではない。
その熱さと固さに太一は首を振った。違う。唇では嫌だ。
指はまだ躯の中でうごめいている。最初はあれほど嬉しかったのに、今は物足りなかった。指では違うのだ。
「ちが……」
どろりとしたものが喉の奥に流れてきて、太一はそれを飲み込んだ。
「ここじゃ――」
言葉が上手く言えない。口の中に残っていた体液すべてを飲み干し、その生臭い味にいっそう躯が疼いた。
「フェラ、嫌だってよ」
「だって次、俺の番だぜ」
顎を離されて、太一は首を振った。
下から聞こえる濡れた音が、耳をついて離れない。腕にも膝にも力が入らなくなる。膝が崩れると、ぐっと強い手が腰を上げさせた。
「勝手にやってろ。俺、先に入れるからな」
「順番、守れよ」
指が引いていく。ため息が漏れて、涙が落ちた。躯が空いてしまうのには耐えられない。
自分の手を使おうとすると、また顔を上げさせられた。
違うと首を振りかけて、太一はひときわ大きく体を震わせた。性急な動きで躯を塞がれる。背中が重くなり、耳元に生温かい息がかかった。
自分が上げた快楽の声が、もうひとつの声と重なる。耳元で満足そうなため息が聞こえた。
「すげえ締まってる」
腰が引かれ、またえぐられる。そのたびに中が擦れ、引きつって、熱い存在を感じた。
「早く、変われよ」
口の中に入れられたそれが、口腔のあちこちで不満そうに動いた。舌も押しやられる。
体を貫かれる衝撃で太一は歯を立ててしまった。
「てえっ」
声とともに、口の中が空になった。唾液が唇の端を伝い、頬に鈍い衝撃が走った。
「何やってんだよ」
「噛みやがった」
唇から流れた血を舐め、太一は今体内で動く感触にだけ、意識を向けた。深く突かれて、すすり泣きのような声が漏れる。
「そこっ……」
「こいつ、勃ちっぱなしじゃん」
手が腹の下に伸びて、指先でなぞり、つかみ上げた。
「んっ」
同時に、襲ってきた快感に、太一は二度目の絶頂に達した。体の震えも治まらないまま、後ろを支配していたそれが、また動き出す。
腰を揺すられ、打ちつけられて、うなだれていたそれが、また反応を示す。荒い息が耳元でこだまして、低い声に変わった。
体の中にこぼされ、力を失ったそれが、ゆっくり消えていく。
「いやだ、もっと」
離れていくそれを求めて、太一は声を上げた。
「おら、いいぜ」
待たされもせず、また貫かれる。先ほどよりも、激しく動いて、えぐられた。
「もう一回打ってやれよ」
腕に、すっと冷たいものが当たる。腰を動かしていると、甘い痺れが、もっと強くなった。
快感は消えなかった。いつまでも、いつまでも太一を襲い、意識を浚ったかと思うと、戻ってくる。何度も熱を吐き出し、下肢を汚して、それでもまだ足りない。
自分からねだり、求めた。体を犯すものを口に頬張って熱い状態へ変えると、足を開いて、自ら導く。耐えられなくなり、自分だけで触れもした。滑るほどにぬめったそこをしっかり握り、波を追った。
光が目を刺して、はっきりしない。動く影が三つから、一つになり、二つになった。
痺れて、それでもなお快楽を追う下半身が影を受け入れ、勝手に揺れた。口に入ってくるのが舌なのか、それとも別の肉の一部なのか分からない。差し込まれるそれらを舐めて吸い上げるだけだ。
唾液と体液が唇から溢れて、顎を伝い首や胸に落ちていく。床に落ちたそれも、頬や髪を汚した。
体の奥で受け止めると、同じものが顔にかかる。快楽の海へ落ちていく中、胸の奥で固まっていたものがほどけていった。
何度目か分からない絶頂を味わったとき、太一は大きく目を開いた。光がまばゆく瞳を貫き、それを遮るように黒い影が目の前で動いていた。
ぱさりと乾いた感触が頬に触れ、離れる。見える何かもが――心の内側でさえ、白くなっていく。愉悦だけが体中を走り、それを求めて躯が動いていた。
「……」
喉の奥から迫り上がってくる。胸を上下させ、荒い息を吐いて、太一は首を振った。
それはいけないことだ。決めていたではないか。どこかに残っていた冷たい理性がそう囁いた。
いけないことだ――何がいけないのか分からず、太一は声を上げた。
「うっ、ああっ――」
また中心を刺された。その熱さが躯を支配する。誰かの横顔が心をかすめ、それをつかもうと太一は手をのばした。
意外なほど、たくましい感触が手の中に握り込まれた。それは間違いなく人間の身体の一部だ。
ここに誰かがいる。視界がはっきりしないので、誰か分からない。けれど知っている。求め、欲しているのは彼しかいなかった。
頬に触れるかさついたこれは髪だ。少し延びている彼の髪。こんな確かな証拠があるのに、どうして今まで気づかなかったのだろう。
「……ト」
「あ?」
応えてくれている。間違いない。いつも、いて欲しいと願っていたから、来てくれたのだ。信じていてよかった。涙が溢れた。
「ヤマト」
肩をつかんだ。もう離したくない。ここまで来てくれたのだから離さない。
「ヤマト――」
名前を呼んだ。どうして呼ばないなどと誓ったのだろう。彼はここに、自分の側にいるというのに。
「ヤマト」
腰を浮かせ、彼に躯を押しつけた。深く入ってくる感覚に太一は涙をこぼしながら、またヤマトと繰り返した。
「いかれちゃったよ。やっぱ追い打ちやばかったんじゃねえの」
「ヤマト……」
肩が激しく動く。吐き出された体液を喜びの声で受け止めて、太一はヤマトの肩をまた強くつかんだ。
「……まだ」
「はいはい。――ほら、変われよ。オレ、もう一回やって、また交代するから」
「じゃねえと、もたねえよなあ。やっぱこいつの方が体力あるよ。さすがスポーツ選手」
ヤマトが笑ったので嬉しくなった。唇が動いて、ほころぶ。
「ほら、笑ってるよ。早く相手してやれって」
またヤマトが押し入ってくる。さっきよりももっと強く躯を揺すられて、太一は目を閉じた。
名前を呼べば、応えてくれるし、確かな肌の感触がある。大丈夫だ。体の中にいるヤマトは消えても、すぐに戻ってきてくれる。目を閉じても平気だった。
「ヤマト」
数年ぶりに、想いを込めて呟く名はこんなにも甘く、愛おしい。
「ヤマト――」
太一の目に新しい喜びの涙が浮かんだ。彼に、ヤマトに会えて、本当によかった。
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