道の果て
3



 太一と過ごすはずだった休みは、一人きりの一日になった。
 遅い朝食を終えて、部屋に戻り、ギターを取り出す。弾き慣れた曲を二度ほど弾いて、新しい曲を練習しようと、ヤマトは鞄を開けた。
 この間の練習の時に、仲間の一人から、楽譜のコピーをもらったはずだった。鞄に入れっぱなしにしていたのだと思っていたのだが、それほど大きくもない鞄のどこにも楽譜は見当たらなかった。
 引き出しや制服のポケット、その時着ていた私服の上着、ついでに本棚を探してみたが、楽譜はどこにもない。太一のことで頭がいっぱいだったから、どこに置いたのかも忘れているのだろう。
 しょうがないので、友人の携帯に連絡してみることにした。呼び出し音の後、通じたかと口を開いたところで、素っ気ないアナウンスの声に、相手の携帯の電源が切れているか、圏外におられますと告げられた。
 他の仲間にかけても、同じアナウンスか、留守電のメッセージばかりが返ってくる。メールを送りかけて、気を変えた。
 楽譜はコピーをさらに写したもので、譜面が見にくい。どうせなら真新しいオリジナルを持っていた方がいいだろう。マイナーな曲でもないので、大きな書店か楽器屋にでも行けば、楽譜は置いてあるはずだ。
 上着を羽織ると、財布と携帯、部屋の鍵を持って、ヤマトは家を出た。雨の振りは弱かったが、一応傘を持っていく。
 書店で目当ての楽譜を購入してから、立ち読みで三十分ほど時間を潰した。海外のアーティストのインタビュー記事が載った雑誌も買って、書店を出る。
 荷物になるだけかと思っていた傘だったが、途中で雨足が強まった。傘を開き、家まで歩く。春の雨は冷たくないが、油断して、濡れると風邪をひきそうだ。
 太一など、これくらいの降りなら傘は差さないはずだ。きっと今頃は濡れながら、ボールを蹴っているだろう。
 数日続く雨のせいで、どこか沈みがちな気持ちが、太一を思い出したお陰で、少し晴れた。
 明日、太一と会ったとき、優しく切り出してみようか。彼の目を見つめ、何を悩んでいるのか、考えているのか、教えて欲しいと言ってみよう。
 気を取り直して、考え始めると、雨の勢いも弱まったように見える。先の信号が青になったので変わる前にと、ヤマトは足を早めた。
 傘を差したまま、すれ違えるだけの距離を空けながら、横断歩道を渡る。道の真ん中まで行くと、濃紺のチェックの傘を差した少年とぶつかった。
 話に夢中だったらしく、少年の顔は隣の友人に向けられていたが、すぐに目があった。
「すみませ―― あれ、石田?」
 謝罪した少年はすぐに親しみのこもった笑みを向けた。サッカーボールが少年の手からぶら下がっている。
「ああ」
 ヤマトは辺りを見回すのを止めて、笑みを返した。
 少年二人は太一の部活仲間だ。太一といるところをよく見かけるので、必然的に顔見知りになった。
「練習してたんだろ?」
 ヤマトが言うと、片方の少年がうなずいた。
「知ってたんだ」
「太一から聞いた」
「ふうん」
 信号が点滅した。ヤマトは素早く左右に目をやり、太一がいないか確認する。
 横断歩道を渡る人も少なく、まして太一の姿など、どこにも見当たらなかった。
「なあ、太一は一緒じゃないのか?」
 少年の一人は眉を寄せ、もう一人は首を振った。
「今日は俺たち二人だけだったけど」
「八神は用事があるって言ってたしな」
 信号が赤になってしまった。天気のせいで、いつも以上に赤が濃く見える。
 二人はヤマトにじゃあ、と手を挙げ、向かい側の歩道へ走っていった。
 ヤマトは鋭く前方を睨みつけると、ドライバー達の苛立たしげな視線を浴びながら、歩道まで駆けた。
 人混みに紛れながら、傘の柄を握る手に力を込め、ヤマトは怒ろうとした。
 今すぐ、駆け出して、太一の家まで行けたら、どれだけ良かっただろう。怒ることができなかったのは、人前だからという遠慮や自制心があったからではない。
 嘘をつかれたということを知ったときに湧いた、あまりのむなしさのためだった。目を逸らされ、嘘をつかれ、その理由もしらないままだ。怒ることが出来た方が楽かもしれないが、やりきれなさだけしかない。
 ため息は一度だけだった。家の前で、長く大きな息を吐いて、ヤマトは濡れた階段を登った。
 エレベータの中で、傘の先端から垂れた雫が水たまりを作る。先客が残したらしい水の滴りは多く、ヤマトの傘から垂れた水滴も加わって、床が滑りやすくなった。
 転ばないよう濡れた箇所を避けながら、開いたドアを通り抜け、ヤマトは傘を落としかけた。
 手どころか、体から力がぬけていく。壁によりかかる寸前、ようやくヤマトは言えた。
「太一……」
 エレベータが到着した頃から、ヤマトに気づいていたらしい太一は力無い笑みを向けた。

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