STAND BY ME
3



 その日の夕刻過ぎ、ヤマトとケンカをしているんだと、太一は光子郎に打ち明けた。
「くだらないんだけどさあ……あいつ女の子と打ち上げに行ったんだって」
 高校サッカーのエースはため息をついた。
「でも二人きりって訳じゃないでしょう?」
「そりゃあな。でも……」
 太一はうつむいた。
「あいつが女の子にもてたりするってことは知ってるよ。ただ不安になるんだ」
 別々の高校に行ったとはいえ、太一は何かと光子郎に会いたがったし、光子郎もそれは同じだった。
 学校帰りの寄り道、ファーストフード店の喧噪の中で太一はいつも感じている不安を光子郎に告げた。
「どう考えたって、男じゃ女にかなわない部分があるんだよな」
「それは、まあ……。でもそれなら女性だって男性にかなわない部分がありますよ」
「そうだけど……でも、ヤマトと並んで堂々と歩けるのは女の子だろ」
 光子郎ははっと太一を見つめた。
「結婚だってできる。子供だって生める。男同士じゃできないことはみんな女にはできるんじゃないか」
「別に世の中の人がみんな結婚したいとも、子供が欲しいと言うわけでもないでしょう? 色々な価値観がありますから」
「そうなのかな」
「そうですよ」
「だけど、なんて言うか……やっぱり女じゃないと無理なことってあるんだよ」
 太一は窓の外を行くカップルを眼で追った。
「男同士で子供を育てているという人たちもいますよ」
 光子郎は太一に言った。
「結婚を許す国だってあります」
「そうじゃないんだ……」
「?」
 太一は寂しげな瞳で窓の外を行く人々を見つめている。
「もし、ヤマトが女の子を好きになっても俺は何も言えないだろうなって思ったんだよ」
「太一さん……」
「そう思ったら、不安でたまらなくなったんだよ。それでヤマトと大喧嘩」
 最後をおもしろそうに言って、太一は少し笑った。自嘲するような笑みだった。
「太一さん……」
「どうしようもねえな、俺たち」
 太一はぽつんとつぶやいてうなだれた。
 ヤマトと太一の仲は中一からだから、すでに六年近くになるのだろう。友人同士の時期を含めたらかなり古い。
 太一とヤマト、この二人が見ているこちらがばかばかしくなるような理由でケンカするのはめずらしくなく、その隙に乗じて光子郎は太一に想いを打ち明けようともしたこともある。
 それも高校に入った頃からは半ば諦めるような気持ちで太一に接してきた。
 ――どんなときでも太一の眼がヤマト以外に向けられることはないようだったからだ。
「仲直りはしないんですか」
 これまでのケンカで一番長くて、一週間だった。今度のケンカは記録更新になるかもしれない。
「したいけど……俺から謝るのは嫌だ」
 太一はふてくされたように椅子にだらしなく体を預けた。
「あいつもそう思ってるぜ、たぶん」
「相変わらずですね」
 光子郎はすねた太一の顔に微笑した。
「大丈夫ですよ。そのうち自然に仲直りしてますよ」
 これまでのケンカと同じように――そうつけ加えたが、光子郎はなぜか不安も感じていた。太一が言った言葉は太一とヤマトの二人がこれからも共にあるための不安のすべてをはらんでいるようだったからだ。
「あんまり長引くようでしたら、僕からヤマトさんに言ってみますから」
「ありがと、光子郎」
 太一はほっとしたように笑った。
 この笑顔が見れるのなら、ヤマトの手伝いをするのもしょうがないなと光子郎は思い、同時にお人好しかも知れない自分がちょっと情けなくもなるのだった。

 太一と別れて歩いていると、どういう偶然か何歩か先にとうのヤマトが歩いている。
 長身のヤマトは人混みの中でもすぐに彼だと分かるのだ。
 ちょうどいい機会だと光子郎はヤマトを呼び止めた。
「ヤマトさん!」
「光子郎……」
「ちょっと話したいことがあるんですけど」
 ヤマトは罰の悪そうな顔になった。
「……太一のことだろ」
 光子郎は苦笑してうなずく。お互いに仲直りしたいとは思っているとすぐに分かった。あとはほんの少し、肩を押すか、きっかけさえ作ってやればいい。それでまた、太一はいつもの鮮やかな笑みを取り戻すだろう。
 ヤマトは道行く人々の邪魔にならないように、街路樹の方へ寄り、小声でつぶやいた。
「まだ怒ってるか?」
「怒ってると言うより、不安がってますよ」
「不安?」
 ヤマトの不思議そうな問いかけには応えず、なるべく早口にならないように言った。
「太一さんのこと好きなら、今から太一さんに会ってヤマトさんから謝ってきたらどうです? 今だったら太一さんも素直に許してくれると思います」

「――お前……」
 ヤマトは複雑な顔になった。
「やっぱり、太一と仲がいいな」
「ええ、ヤマトさんの次ですが」
 光子郎はヤマトの肩を叩いた。
「まだそんなに遠くまで行ってないと思います。走ったら追いつけますよ」
 ヤマトはそうかとうなずいた。
「ありがとうな」
 太一の去った方向に駆けていくヤマトを見送って、光子郎は鞄を持ち替えた。
「ヤマトさんの次、か……」
 ――光子郎は歩きだした。
 
 太一は雑踏の中を一人、歩いていた。このまま家に帰って、夕食を取り、風呂に入って寝る。朝起きたら、また学校へ行く。
 繰り返しの日常だが、いつかは終わる。
(大学へ行っても、ヤマトと一緒にいられるかな)
 太一はちょっとため息をついた。
(明日、会ったら……謝ろう)
 気を取り直して、太一は横断歩道を渡った。
「――太一!」
 ヤマトの声が聞こえた。空耳かと思ったが、後ろを振り向くと渡ってきた向こうの歩道にヤマトがいた。
 気まずそうだったが、それでもちょっと笑っている。
 太一は横断歩道の方に戻った。
「ヤマト」
 よかった、笑っている。もう怒っていないのだ。
 太一はほっとして――ちらりと今週の予定を思い出した。
(日曜日は空いてる……土曜日ヤマトの家に泊まれるかな)
 謝って、それからヤマトの方がどうか聞いてみよう。太一は笑顔を浮かべて、横断歩道を渡ろうとした。
 ヤマトも渡ってくる。
 ふとおかしなことに気が付いた。
(あれ、どうして……)
 誰も渡ってこないのだろう? 立ち止まろうとした太一の目にヤマトと、眩しい光が見えた。
 信号が変わっていたのだと――光は曲がってきたトラックのライトなのだと理解した瞬間、太一はヤマトに手を伸ばして、思いきり突き飛ばした。
 ヤマトが道路に転がり、太一もその衝撃で道路に手をつく。
 すべては一瞬だった。
 誰かの悲鳴が聞こえた。 ヤマトの表情がどうしようもないほどに凍りついていく。
 何、変な顔してるんだよ――太一は笑おうとした。笑ったら、またヤマトは怒るだろうか。
 誰かに思いきり突き飛ばされたような衝撃が体を走った。
 世界が回る。人の顔が逆さまになり、また戻り、また逆になる。
 アスファルトに叩きつけられたときも太一の意識はまだあった。
 どうして、起きあがれないんだろう。どうしてヤマトがあんなに遠くにいるんだろう。
 ――ヤマトが駆け寄ってくる。口が太一と叫んでいるはずのに、なぜか太一には聞こえなかった。
 真っ青になったヤマトの顔がすぐ側に近づいてきたとき、そこで太一の意識はようやく途絶えた。
 ヒカリが父と母と太一の運ばれた病院に駆けつけたとき、ヤマトは太一のいる部屋の前のくすんだ緑色の椅子に座りうなだれていた。
 ブレザーには血が染みをつくっている。手にも乾きかけた血が付いていた。
 救急の受付で父や母と共に説明を受けたヒカリには、ヤマトの受けた衝撃の強さがどんなものかおぼろげながら察しが付いた。
 信号が変わったと同時に交差点を曲がってきたトラックに太一は跳ねられたのだ。
 血を流し、アスファルトに横たわっていたであろう兄を考えただけでヒカリは誰かに体を思いきりつかまれるような気がした。
「ヤマトさん」
 ヒカリはそっと声をかける。
 これが人間の目なのだろうかというくらいに虚ろなヤマトの瞳がまたたいてヒカリをとらえる。
「ヒカリ、ちゃん?」
「はい」
 ヤマトの目がそのままヒカリの後ろに立つ、太一の両親に向けられた。
「……俺、石田ヤマトです」
 立ち上がり、ヤマトは頭を下げた。短く名乗る声も、唇も震えていた。
「俺の、せいです」
 ヤマトの顔色は母よりも悪い。体中の血が無くなってしまったように蒼白だった。
 服に付いた血だけがヤマトの顔の白さと対照的に生々しく赤い。
 ヒカリの目には駆け寄ったヤマトが太一を抱き上げるのが目に浮かぶようだった。
「ヤマト君」
 父が制しようとした。
「俺が、太一を……」
 ヤマトはそこで絶句した。肩が震えている。目を何度もしばたいて、涙をこらえようとしているようだった。
「ヤマトさん」
 ヒカリはヤマトにそっと近づいた。両の拳がきつく握りしめられている。
 母は何を言えばいいのか、分からずとまどったように息子の友人を見つめた。
「俺のせいなんです」                              
 ヤマトは顔を手で覆った。
「俺をかばったから、あいつ……」
 遠くの方で、また急患を運んできたらしい救急車のサイレンが響いた。
 ――立ちつくした四人を照らすのは暗い廊下の明かりだけだった。
 


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