STAND BY ME
15



 何を思い出しながら、どこをどう歩いたのだろう。
 雨は夜になっても止まなかった。太一はずぶぬれのまま歩き続けていた。
 街の明かりが眩しい。歩く人々は皆、傘を広げて、濡れた太一を避けていく。
 白い渦が自分の心の中で回っている。ヤマトと光子郎の横顔が浮かび、渦の中に消えていった。自分は何をしているのだ。ふらふらと当てもなく、さまよってこのまま夜通し歩き続けつもりなのか。
 一歩進むたびに、ヤマトと光子郎の悲しげな目が太一を苛んだ。
 丈の言葉が突き刺さる。
 ヤマトの代わり――恋ではない。
「じゃあ、恋って何なんだよ」
 ヤマトを思う気持ちが恋なのか。光子郎の側で安らいでいるのは恋ではないのか。
 太一は口で誰にともなく罵りの言葉を吐くと、コンクリートを殴った。
 痛みが走り、太一は壁に背中をつけて、空を見上げた。
「バカみたいじゃないか」
 つぶやいて、太一はうつむいた。
 タバコの吸い殻や紙屑が落ちている汚い路地裏にいつの間にか踏み込んでいる。
 靴の裏の嫌な感触はガムだろうか。
 丈に連れ出されたときもこんなところにいたなと思うと、自分の進歩のなさに吐き気がした。あの頃からなにひとつ、変わっていない。ただ汚く、ずるくなっていっているだけだ。
「よお、太一じゃねえか」
 野太い声に太一は顔を上げた。
 見覚えのある顔だった。身も心も荒みきって、自分を傷つけたくてたまらなかったあのときに、その方法を教えてくれた男だ。
「何しに来たんだよ。俺らにはもう用がないんじゃないか」
 黄ばんだ歯をむき出しにして、男は嫌な笑いを見せた。後ろにいる四人も低く笑っている。
 記憶の中では消えかけていた顔ばかりだった。
「びしょぬれじゃねえか」
 男は太一の側にまで来て、ぎょっとしたように声を上げた。
「さわるな」
 太一は伸びてきた男の手をはたいて、横をすり抜けようとした。
 男は太一の腕をつかみ、思い切りねじりあげた。
 太一は身をよじらせて、男の鳩尾に拳をたたき込もうとしたが、逆に他の四人に押さえ込まれる。
「あーあ、ひどい顔して。なんだ、女にでもフラれたのか」
「関係ないだろ、離せ」
 男の口調から何をされるか分かった。
 拳が腹に打ち込まれる前に、太一は腹筋に力を込め、痛みをこらえた。それでも衝撃は強く、太一は低くうめく。
「痛かったか? そりゃ、悪かったな」
 今度は右頬を殴られ、そのまま膝がまた腹に入った。
「勝手に抜けやがって、いい子になったつもりかよ」
「うるせえ」
 太一は自由の利く足で男を蹴ろうとしたが、男は身軽くよけて、仲間の男が太一を乱暴に壁に押し当てる。
 そのまま幾度も拳や蹴りが飛んできた。太一は黙って耐え、やがて足を蹴られたのを機にうずくまり、そのまま地面に崩れた。
 太一が何の反撃も見せず、耐えているだけなので、男は顔を歪めた。
「この腰抜け」
 ぺっとつばを吐いて、男は太一を殴っていた仲間に顎をしゃくった。
「行くぞ」
 皆まだ不満そうな顔だった。
 思いついて、男は太一の服を探ると、財布を取り出し、紙幣を抜き取ると財布をそこいらに捨てた。
 財布は水たまりに落ち、泥が太一の頬に跳ね上がる。
「もう顔見せるなよ」
 吐き捨てて、男は歩き出す。金を得たので、仲間もようやくその後に続いた。
 太一はしばらく動かなかったが、やがて起きあがると、泥に汚れた手で口元の血をぬぐった。
 体中が痛む。咳き込んで、口の中の血を吐くと、壁によりかかって、しばらく目を閉じていた。
 眩暈が少し引くと、腹を押さえつつ太一はまた歩きだした。
 雨が泥と血を流していく。 なぜか目が痛むと思ったとき、太一は自分が涙をこぼしているのだと気が付いた。
 繁華街を歩く人群の中で、太一は一人だった。おそろしいほどの孤独に太一は血と泥が混じった涙をこぼして、歩いていたのだ。
 道行く人々に奇異な目を向けられながら、それを避けて人気のない通りまで来た。
 街灯が寂しくぽつんぽつんと立っている。一度は弱まった雨がふたたび、激しく降り出した。
 もう濡れる必要がないくらいに、太一は濡れきっており、髪からも服からも雫が垂れている。感情のない虚ろな目に、公衆電話の明かりが映った。
 そこだけ別世界のように明るく見える。べたべたとチラシの張ってあるドアを開けると、ほとんど無意識に太一は受話器を取り上げた。
 震える手でポケットに残っていた硬貨を入れると、もう何度も押してきた、指先で暗記している番号を押し始める。
 一つ数字を押すたびに、太一の手が震えた。
 番号を押し終わり、太一はそのまましゃがみ込んだ。呼び出し音が鳴る。
 一回、二回、三回……暗い夜にその音だけが、太一の支えだった。
 祈りにも似た気持ちで太一は待った。
 ――時刻は十時になったばかり。雨はいよいよ激しくなる。


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