STAND BY ME
13



 何回目の話し合いの後だったのだろうか。
 太一は携帯電話を机から取り上げた。 ヤマトとの話はいつも平行線だ。入学手続きの日も近い。
 ボタンを押した。番号は登録してあったが、一つずつヤマトの携帯電話の番号を押していく。
 何度かの呼び出し音の後、ヤマトが出た。
「俺」
「太一……」
「話がある」
「留学のことなら――」
「違う。もっと別のことになる――今から会えるか?」
 ヤマトの声がちょっと遠ざかった。 ざわめく人の声がして、すぐにまたヤマトの声が聞こえる。
「いいぜ、家の前で待ってろ。そこまで行くから」

 ヤマトが来たらすぐに気づく場所にあるベンチに座って、太一は左腕を見た。
 退院祝いのブレスが鈍く光っている。太一はブレスを外し、ポケットに直した。
 それほど待つこともなく、ヤマトは姿を見せた。
「悪いな、呼び出したりして」
「いや……話って?」
 ヤマトの目が警戒心を帯びた。
「今月までだろう。入学手続きの締め切りって」
「太一」
「……行ってくれよ」
 ヤマトは何も答えず、黙って太一を見つめている。
「ヤマトはそんなやつじゃないだろう」
 ヤマトはゆっくり首を振った。
「太一、俺が決めたことなんだ。好きにさせてくれ」
「絶対後悔することになるぜ」
「しない」
 太一の顔が歪んだ。
「……一生俺の側にいるってことか」
「そうだ」
 ヤマトの答えに迷いはなく、太一の胸が痛むくらい真剣だった。
「俺は――」
 太一はヤマトを見つめた。
「お前のこと好きだ。ずっと一緒にいられたらって思ってる」
 今だって……これからもそう思い続けるだろう。
「俺だって、同じこと……」
「でも、もうできない」
 太一ははっきり言った。
「お前が俺の側にいる限り、ヤマトのこと好きでいられなくなる」
「意味がわかんねえよ」
 ヤマトは荒々しく言って、太一の腕をつかんだ。
「ただお前の側にいたいだけなんだよ。もう目の前であんな目にあわせたくなんかないんだ!」
 ヤマトは叫び、自分の言葉に耐えられないように、太一に手を伸ばした。
 二人の話し合いは、そうやって腕の中に引き寄せれば、何もかも大丈夫だとでも言うようなヤマトの抱擁でいつも終わっていた。
 この日もそのはずだった。少なくともヤマトはそうだった。
「行ってくれよ、フランス……」
 太一の声がかすれた。抱き寄せようとしたヤマトの胸を押し返し、太一はほとんどすがるような口調で言った。
「行くって言えよ、ヤマト」
 まだ間に合うかも知れないから、うなずいてくれ。
 太一の声の調子に何を感じたのか、ヤマトはすぐには返事をしなかった。
 太一は息を殺して、ヤマトを見つめている。ヤマトの息づかいの音だけがしばらく響き、やがてヤマトは首を振った。
「行かない」
 太一のヤマトを押しやる動きが止まり、太一は顔を伏せた。
「――じゃあ、決まりだな」
 しばらくの沈黙の後、低い声で太一は言った。
「俺たち、もう終わりだ」
「何を――」
 ヤマトは目を見張った。
「終わりだ、ヤマト。これ以上一緒にいても意味がないぜ、俺たち」
「太一、何言ってるんだよ。こんなときにからかうのは止めてくれ」
 太一は顔を上げ、微笑した。
「からかってなんかない。本気だ」
 ヤマトが今まで見たことのない太一の目であり、口調であった。何気ない風に太一はそのまま続けた。
「もうお終いだってことだ、ヤマト」
 ヤマトはゆっくり首を振る。
「側にいるっていうのは、お前を縛りつけることじゃない……」
 呻くような言葉とともにヤマトは太一の肩に顔を埋めた。
「分かってる……。お前の考えることくらい分かってる。何年一緒にいたと思ってるんだよ」
「なら、なんでそんなこと言うんだよ」
 ヤマトは太一の表情が見えなかった。太一の声はあくまでも落ち着いた冷たいもので、その体の温もりさえ嘘のように思えた。
「ヤマトの目だよ」
「俺の目?」
「ごめん、太一、ごめん、太一 ――そればかりずっと思ってるだろ」
「……」
「ヤマトが俺を見るときの目は、前のヤマトの目じゃない。恋じゃなくて責任感じてる目になってる。これじゃもう駄目だぜ、ヤマト……」
 太一はヤマトの胸を軽く押して、体を離した。
 すぐにヤマトに背を向ける。顔を見られたくなかった。ヤマトのすべてを見透かすような目に見られれば、何かを聞かれてしまう。
 そのときは自分のすべてをさらけ出し、ぶちまけるときなのだ。それだけは耐えられない。こんな醜い感情が巣くう自分の心を知られたくない。
「じゃあな」
 震えを押さえて、太一はあっさりと言った。
 ――ヤマトは何も言わなかった。ただ太一の背を見つめている。
 太一が今にも笑って冗談だと言い出すのを待つかのように、悪い夢を見ている子どもに似た不安と恐怖、そして絶望を浮かべて――まるであの事故の日のような表情で、太一を見つめていた。
 ヤマトの視線を感じるのに耐えきれず、太一は歩きだした。振り向いてはいけない。一歩、一歩を自分に命じながら歩いた。
 ――ヤマトの手が動いたが、力なく下がった。
 ヤマトから遠ざかり、おそらく見えなくなったところで、手が無意識に足に触れた。
 もう痛まない。走ることもできる。 けれどもとの太一の足ではなかった。夢を追っていた頃、ヤマトを純粋に想っていたころとはまったく違う。
 もう直視できない。ヤマトの目も、自分の醜さも。気がつかなければヤマトを永遠に自分のものにできたかもしれないのに。
「ごめんな……ヤマト」
 逃げさせてくれ。これからは自分のことを憎んでくれ。
 太一は走ろうとした。何メートルか行ったところで、急な動きに足が引きつって、その場にこけてしまう。転げたときの衝撃で太一の手元に、ヤマトからの贈り物であるブレスがポケットから出てきた。
 ブレスはほこりをかぶり、銀の光が鈍い。拾い上げたとき、太一は笑った。
 なんという皮肉だろう。
 文字盤が割れている。時計の針はもう動かず、それはつまりヤマトと太一の関係が終わったことを示しているのだった。
 もう一度、虚ろな笑い声を太一は上げた。泣くよりも自分の愚かさを笑った方が相応しいと思ったのだ。


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