購入したばかりの携帯食料と燃料が濡れないように抱き込みながら、イグニスは辺りを見渡した。
カルバンの領地の外れにある小さな町は、国境が近いこともあり、イグニスと同じ肌の色をした人間が多い。情報を集めるにあたって何人かに話しかけることになったが、旅人かと胡乱気な目で見られる事はあっても、外国人かと相手にされないことはなかった。それどころか褐色の肌をした商人には同郷と見られ、様々な情報と新鮮な果物を一つ分けてもらえた。これはクレアへの土産として喜ばれるだろう。
雨降りということもあって、町中を行き交う人通りは少ないが、いくつかの情報は手に入った。
『黒髪の娘と褐色の肌をした男の駆け落ち者あり。捕らえるよう、追っ手がかかっている』
『男の生死は問わず。娘の方には傷一つ付けてはならない』
『近辺の追っ手を指揮しているのは、領主の次男デュラン』
イグニスにとって必要な情報は、このぐらいだった。さすがにクロードとフィリーの近況まではわからない。――父が上手く立ち回ってくれたと信じるしかなかった。
(……静かすぎないか?)
必要な用件を全て済ませたイグニスは、早足に宿屋へと戻る。宿の玄関ホールへと逃げ込むように入ると、すぐに雨避けの外套を脱いだ。
受付には相変わらず店主が座っている。
自分の足音は聞こえているだろうに、新しい客か? と顔を上げて確認しようともしない店主に不穏な空気を感じた。
――静か過ぎる。
違和感を拭い去るため、あたりを見渡してみたが、自分と店主以外の誰もない。今日は泊り客が少ないと言っていたが、食堂にも誰もいないというのは、どういう事だろうか。すでに夕闇に包まれた時間帯だ。泊り客はいなくても、食堂に食事をしに来る客が一人も居ないというのは、さすがにおかしい。
(外はそんなでも……)
買い物のために出歩いた町中を思いだし、愕然とする。
食堂に客が居ない事実は、味の評判が良くないのだろう、と強引な理由付けもできるが。家々に灯る明かりはあったが、食器がぶつかり合う音も、一家の団欒のひと時にはかかせない談笑も聞こえてはこなかった。
「……なんだ?」
異変を敏感に嗅ぎ取り、イグニスは何気なさを装いながらクレアの待つ部屋へと足を向ける。
二階へと続く階段に一歩足をかけると、階段の影に設置された扉から一対の目がこちらを見つめていることに気がついた。
イグニスと目が合うと、すぐに扉は閉められる。
明らかに、自分の行動は見張られている。
異変は勘違い等ではなく、今、間違いなく起きている。それも、自分を中心に。
確信し、イグニスは見張りの目には気づかなかったふりをして悠然と階段を上る。
廊下の窓に忍びより、外から見えぬよう細心の注意を払って辺りを見下ろせば、暗闇の中、家々の明かりを反射する数人の人影が見えた。