湯浴みのため、高く結い上げたクレアの髪から、後れ毛が零れ落ちる。
フィリーの手により慎重にコルセットの紐を緩められながら、クレアはホッと息をもらした。湯浴みをする際に、きついコルセットを外されるこの瞬間が、一日で一番安心する時間だった。
「……なに?」
支度部屋の外から聞こえた物音に、クレアは一瞬だけ身を竦ませる。
部屋の外にはクロードが居たはずだ。姫付きの騎士とはいえ、さすがに男性であるクロードは湯殿の支度部屋までは入って来られない。
「……様子を見てきます」
物音に続いたクロードの怒声に、脱がしたばかりのドレスを抱いたフィリーが、衝立の向こうへと姿を消した。
ドレスは置いていけばいいのに、と言いかけたが、クレアは口を閉ざす。クロードの怒声から、何かただ事ではないことが起こっているのはわかった。
一人取り残された支度部屋でクレアが耳を澄ませると、怒声の中にフィリーの声が混ざりはじめた。
(……本当に、何が起こっているの?)
確かめには行きたいが、下着姿で外へ出ることも出来ない。騎士が部屋の外で奮闘しているのなら、姫である自分は大人しく守られているのが仕事だ。
止まない怒声の応酬にクレアが心細くなった頃、一際大きな音が支度部屋に響いた。
何か大きな物を壁に投げつけたような音。続いて床に物が落ちる音がした。
怒声はもう聞こえない。
微かにフィリーの高い声が聞こえるが、何を言っているかは聞き取れなかった。
(誰か、来る……?)
支度部屋へと続く扉が開く音がして、クレアは衝立の陰で身を震わせた。
クロードであれば扉を開けたとしても、その場から騒がせた事への謝罪を口にするだろう。間違っても支度部屋へは足を踏み入れない。
フィリーであれば、すぐに飛んできて騒動の顛末を報告をしてくれるはずだ。少なくとも、主人であるクレアが不安で震えているのに、悠長に歩いたりはしない。
では、他の誰かでは? と、立ち止まる様子も、走り寄る様子もない足音に、クレアは恐怖する。
ゆったりとした歩調でクレアの隠れている衝立まで進んだ足音の主は、皺の刻まれた指で衝立を掴むと、一息にそれを引き倒す。
衝立の向こうから現れた顔に、クレアは心の底から安堵した。
「……お、お父様?」
衝立の向こうから現れた顔は、知った顔どころか、自分の父親だ。
「いったい、どうしたのです?」
湯浴みの準備をしていたため下着姿ではあったが、着替えはおろか湯殿の中まで侍女の世話を受けるクレアに羞恥はない。
ただ、いったい何の用事でカルバンが湯殿に来たのかがわからず、困惑した。
離宮の湯殿はクレアとその母のためだけに作られたものであり、カルバンには城内に専用の湯殿がある。わざわざ離宮に出向いて湯殿を利用する必要はない。
「お父様? 何か、御用ですか?」
「ああ、おまえに用事だ。嫁に出す可愛い我が娘に、確認しておかねばならない事があってな」
そう言って穏やかに微笑んだカルバンに、しかしクレアは後退る。いつもと変わらぬ父の微笑みなのだが、何か異質なものを感じた。
「では、すぐに服を着ますから、少しお待ち下さい」
「いいや。そのままの方が、都合が良い」
「え?」
着替えるために、フィリーを呼び戻しに行こうとするクレアを、カルバンは腕を掴んで引き止める。
「とりあえず、椅子に座りなさい」
「……はい」
理由はわからないが、クレアは渋々とカルバンに従う。常ならば得意の我侭で父の要求も拒否できるが、なんだか今のカルバンには奇妙な迫力があり、クレアには逆らうことができなかった。
なんとなく逃げ出したい気分になりながらも、クレアは鏡台の前に用意されていたビロードの椅子に腰を下ろす。鏡の中の自分がひどく怯えた表情をしている事に気がつき、落ち着かない。
(わたしは何を、怖がっているの? 相手はお父様なのに……?)
自分には甘く、優しい父だ。
恐れる理由など、どこにもありはしない。
「お、お父様!?」
不意に下着へと手をかけられ、クレアは色をなす。
下着姿ぐらい誰に見られても平気だが、さすがにその下、素肌となれば話は別だ。世話係の侍女と乳母はともかく、長く側にいるイグニスにも見られた事はない。
さすがにこれ以上の暴挙は許すまいとクレアがカルバンの手を掴むと、老齢とは思えぬ力で振り払われてしまった。
「なんじゃ? この父に確認されては、なんぞ困る事でもあるのか?」
「何の事ですか?」
そもそも、たとえクレアが『父親のしたことだ』と気にしなくとも、女性の支度部屋に、それも湯浴みの準備をしている部屋に入ってくる事自体が失礼にあたる。
「公爵様に失礼があってはならんからな。
おまえが処女かどうか、父が確かめてやろう」
「は?」
言われた意味がわからず、きょとんっと瞬いたクレアに、カルバンはその隙を見逃さなかった。下半身を覆う下着に手をかけたかと思うと、クレアが気づく前にそれを剥ぎ取る。
「お父様!」
素肌を晒された羞恥から、クレアの頬に赤みが差す。完全には外されていなかったコルセットに守られ、どうにか上半身を隠す下着は残されていた。
抗議の声をあげながらクレアはキッとカルバンを睨みつけたが、逆にカルバンに睨み返される。
怖かった。
何が父をそう変えたのかはわからなかったが、目の前の男がいつもの優しい父ではないと、それだけは肌で感じた。
カルバンの異様な迫力に飲み込まれ、クレアは口を閉ざす。大人しくなったクレアに、カルバンは両膝を掴んで持ち上げ、左右に大きく開いた。
「何をしますの? ……なんだか、恥かしいです」
大きく開かれた足の付け根。
カルバンの視線の先には、幼い頃に乳母から『誰にも見せてはいけない』と躾けられた場所がある。
誰にも見せてはいけない場所だ。
たとえ父親であっても見せてはいけないと思うのだが、父は現在そこを凝視している。ということは、父親は別なのだろうか。そうは思うのだが、やはり恥かしいものは恥かしい。早々に足を閉じたい。
「何が恥かしいのだ?
父に恥じる事をしていないのなら、何も恥かしがることはないだろう」
父に恥じる事という物がいったい何を差しているのかはわからなかったが、どうやら自分はそれを疑われているらしい。
疑われるような事をした覚えはないが、疑いは晴らさなければならない。少し恥かしいが、自分にかけられた嫌疑を晴らすためには、大人しくしている他にないようだと、クレアは諦めた。
「ふむっ、しっかり閉じておるな……」
羞恥から微かに震えるクレアの太ももを抱え込み、カルバンは末姫の秘された場所を凝視した。かなり大胆に足を開かせているが、ソコがだらしなく口を開けることはない。ぴったりと口を閉ざした処女の蕾に触れ、何度か撫でてみる。
「お父様? そこは、湯浴みで洗う以外では触ってはいけないと、カーラが……」
どうしたものかと困惑しながら、クレアは乳母の名前を出す。クレアの知る人間で、父に次ぐ年長者が乳母のカーラだ。カーラがダメと言う事は、理由はすぐに理解できなくともいけない事だと教えられていた。
そのカーラが禁じたことを、父が今破っている。
言を受け入れるべき二人の年長者の矛盾した行動に、クレアは羞恥と苦悩で恐怖も忘れた。
「そうか、そうか。乳母殿はおまえにそう教えておったか」
感心、感心と乳母を誉め、カルバンは顔を上げる。
娘の純潔は確認できた。噂どおり、姫付きの騎士が手をつけた様子もない。
当初の目的を果たし、クレアを開放しようと思ったのだが――羞恥に震える娘の顔に、気が変わった。
湯浴みの準備で髪を上げたままのクレアは、母親によく似ている。その母親が自分の妻となったもの、今のクレアと大差ない年齢だった。
クレアと母親の違いは、クレアは貴族の姫として余計な知識を与えられずに育ち、母親は市井の娘であったため、男女が寝台の上で何をするかを知っていた。当然、クレアのように大人しく秘めたる蕾をカルバンに触れさせはしなかった。
息子の婚約者であった娘は、騙し討ちでカルバンの寝台へと送られてきた。寝台に組み伏せられ、嫌だ、止めてくれと懇願して暴れた。じたばたと 足掻く太ももと泣き喚く愛らしい顔がカルバンの興奮を煽り、最終的には暴力で息子から取り上げた妻。
そうして得た妻と生き写しの娘が、今、眼前で乙女がもっとも秘めたる場所を晒している。
カルバンでなくとも情欲をそそられる眺めだ。
「お父様、そろそろ足を閉じさせてください」
強弱をつけて撫で続けても蜜を滴らせないクレアの蕾。
それは自分で慰めることも知らない処女の蕾だった。
「……いやっ!」
身体の芯に感じた生暖かく、滑った柔らかい感触に、クレアは反射的に腰を引く。
いったい何が、誰も触れてはいけない所に触れたのか――?
怖々と父の顔を覗き込むと、クレアの秘処に触れていたものは、カルバンの舌だった。
赤黒い舌を器用に操り、カルバンは娘の蕾を舐めあげる。
艶めかしい舌の動きと、唾液を塗りこまれる水音。異様に目をギラつかせた父であるはずの老人。
「やめて、お父様!」
何かが違う。
いつもの優しい父ではない。
「いやです! なんだか変ですっ!!」
反射的に逃げ出した腰を再びカルバンに引き寄せられ、クレアの白い肌が粟立つ。
部屋の中でこんなに叫んでいるというのに、フィリーが戻ってこないのは何故だろう。
クロードが飛んでこないのは何故だろう。
あの、何か大きなものが床に落ちる音はなんだったのだろう。
全てがおかしい。
「いやっ、いやです! 助けて、フィリー! フィリー!」
声の限りにいつも頼りにしている侍女の名を呼ぶが、フィリーが部屋の中へと駆け戻ってくる足音はしない。
「クロード! 湯殿への入室を許可するから! 今すぐ来て!」
自分の許可がないから、クロードは部屋の外で中に入れないのかもしれない。そう気がついてクロードを呼んでみたが、騎士が部屋に駆け込んで来る事もなかった。
「クレア、誰を呼んでも来ないよ」
「な、なぜですか?」
今現在、恐慌の最たる理由になっている父親に殊のほか優しく耳元で囁かれ、クレアは青い瞳に涙を浮かべたまま瞬いた。
「ここの主人は、お父様だからね」
優しく囁かれた最後通告に、クレアは言葉をなくす。離宮の主人はクレアと母であるが、離宮の建てられた城の主人はカルバンだ。
たとえ二人の騎士がクレアを主人としていようが、城主であるカルバンに逆らえる者は居ない。
呆然として口を閉ざしたクレアを、カルバンは労わるように掻き抱く。すべらかな黒髪を撫でた後、頭を抱いて椅子の上からクレアを抱き上げる。そのまま床の上へとクレアをおろし、再び娘の太ももを広げた。
「どれ、この父が、少し味見を……」
「いやあぁっ! イグニス、イグニスっ!」
顔の上へと落ちた父の影に、クレアは我を忘れた。
午後から休みを取るといって町へ出かけたまま戻らぬ騎士の名を呼ぶ。どんな時でも、彼だけはクレアの味方だった。彼であれば相手が城主であろうとも、自分を守ってくれるはずだ。
「イグニスっ!」
ほんの一時間と言って出かけたまま、夕方になっても戻らぬ騎士に、悲しいよりも先に腹が立った。
自分がこんなにも怖い思いをしている時に、町でいったい何をしているのか、と。
イグニスへの怒りで、クレアは僅かに我を取り戻した。ささやかな抵抗ではあったが、カルバンの腕から逃れようと身をよじる。
「いい子だから、大人しくお父様の言うことを――」
「お館様っ!」
優しく髪を梳くように、カルバンがクレアの頭を捕まえた瞬間、部屋中に勇ましい女傑の声が響いた。
「……カーラか」
ふくよかな身体を弾ませ、肩を怒らせたまま部屋の中央へと進み来る乳母の姿を認め、クレアは安堵のため息をもらす。
彼女ならば、きっと父を止められる、と安心して。
「公爵様に、傷のついた娘を差し出すおつもりですか?」
「どうせ愛人じゃ。少しぐらい味をみても、かまうものか」
「身分が低い者に下げ渡すのならば、傷物でもいいでしょう。
ですが、相手が公爵様となれば、それは通じません」
主人は自分であると言うのに、一歩も引かない態度を見せるカーラに、カルバンは舌を巻く。――興が冷めた。カーラの言葉にも一理ある。
「……ふんっ!」
忌々しげに鼻を鳴らすと、カルバンはクレアを解放した。
「せいぜい公爵に差し出すまで傷など付けぬよう、しっかり見張れよ」
「心得ております。
ご覧の通り、相手が誰であれ、変わらず姫様をお守りいたします」
カーラはカルバンに道を譲り、恭しく頭を垂れる。
非の打ち所のない完璧な作法を持って自分を送り出すカーラに、カルバンは目を細めてひと睨みしてから、部屋を出て行った。
去り際に部屋の外から何かを蹴る音がしたが、クレアにはそれが何であったのかもわからない。
ただ、自分のすぐ横へと膝をついた乳母に縋りつくと、遅れてガタガタを震えはじめた。