自分の身にいったい何が起こったのか理解できず、五歳になったばかりの末の姫君は二、三度ゆっくりと瞬いた。それから、じんわりと脳天から広がってきた痛みに、くしゃりと顔を歪ませる。
「たたいたあぁっ!」
火がついたように泣き出した姫君を抱き上げながら、十二歳になった小姓の少年は、今年から小姓として城にあがる予定の弟の頭に拳を落とす。
異母兄の仕事を見たいと言うから連れてきてやったというのに、守るべき姫君に暴力を振るうとは何事か。
眉を顰めて見下ろせば、遅れて兄に殴られたと理解した弟が姫君に続いて顔を歪ませる。双方向から聞こえはじめた泣き声に、しかし少年は姫君の機嫌だけを取った。
「大丈夫ですか? 姫様」
泣き止まない姫君を片手に抱き、小さく揺らしながら頭を撫でる。コブでもできていないかと探ってみたが、それらしい膨らみはなかった。
姫君は痛くて泣いている訳ではないらしい。生まれて初めて振るわれた暴力に、驚いているだけだった。
「……謝りなさい」
姫君の足元で泣く弟には目もくれず、少年は静かに告げる。
自分も殴られて泣いているというのに、抱き上げるどころか、慰めてもくれない兄に、弟は口をへの字に曲げた。
「だって、姫様が……」
「謝りなさい」
淡々と重ねた兄に、弟は視線を落とす。
悪いのは自分の兄を独り占めにする少女のはずなのに、大好きな兄に自分だけが怒られて、なんだか理不尽な気がした。
ムッと口を閉じたまま俯いた弟に、少年は小さくため息を吐く。
「姫様に手をあげるような乱暴者が、城仕えなど出来るはずがないな。
父上に報告して、おまえが小姓にあがる話は――」
なかった事に。もしくは、再教育を挟んで来年に延ばす事にと提案する前に、不承不承弟は口を開いた。
「ごめんなさい」
内心の不満を隠そうともしない弟に、少年は抱き上げたままの姫君に視線を移し――姫君はいつの間にか泣くのを止め、じっと少年の顔を見つめていた。
「姫様?」
青い瞳に凝視され、少年は居心地悪く身じろぐ。泣き止んでくれた事は嬉しいが、凝視される覚えもない。
「どうかなさいましたか?」
まっすぐに突き刺さる視線に耐えかねて聞いてみたが、姫君は小さく首を傾げるだけだった。
まだ幼い姫君には、自分の気持ちを上手く伝えることが出来なかったと言うのが正しい。
ただ、言葉にする事が出来ない代わりに、姫君はぎゅっと少年の首筋に顔を埋める。
血の繋がった弟よりも他人を優先した少年は、何があっても自分の味方だと直感で理解した。たとえ誰が相手でも、少年はきっと自分を守ってくれる。
この腕の中にいる間は、何人たりとも自分を傷つけられないのだと、小さな姫君は確信した。